新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アジア大会に思う

2014-09-29 09:43:57 | コラム
スポーツの場に政治を持ち込まないこと:

私はアジア大会に対する我が国のマスコミの報道姿勢に疑問を感じている。

韓国の仁川で開催されているアジア大会は、熱心に中継しているTBSとNHKのBSで、見たい種目と暇つぶしの両方で観戦している。しかし、何となくTBSのアナウンサーが叫ぶ「アジアのオリンピック」と言うよりも、玉石混交の者たちが集いであり、そこで世界的な選手が国を代表する以上懸命に勝利を目指しているような違和感が拭いきれない。即ち、「ここで優勝しないと沽券に関わる」ような者もいれば「ここで勝って世界に認めさせよう」と努力している者がいると見えるからだ。

私が気になっているのはそういうことではなく、純粋に競技に集中しようという他に、曲がった意味ので国威発揚であるとか、勝つことで何処か特定の国を批判する場に持っていこうという者を、特定の2ヶ国が派遣していることだ。一方、我が国では「スポーツは飽くまでも清く正しく美しい精神の発露の場であり、試合中でもその後でもある表彰式の場でも”fair play”の精神を以て臨むものだ」と教えられた者を選んで派遣しているのだ。

ところが、その2ヶ国ではそもそも我が国のような精神を持つことを教えていないどころか、悪い国をスポーツの場でも批判しようと何をしようと勝手であるというような考え方で選手を育ててきたとしか思えない振る舞いを平気でさせているのだ。換言すれば、政治の場とスポーツの場の間には何の仕切りもなく、思うがままに振る舞って良いという認識しかないのだとしか見えない。

であればこそ、「日本の国歌が耳障りだ」であるとか、サッカーの試合の会場に安重根の肖像画を持ち込んだりするのだろう。しかも、オリンピック会場で「独島は我が国のもの」というプラカードを掲げて走った者が処分されていなければ、安重根も構わないとの認識になるのだろう。私は彼等には「スポーツの場に政治を持ち込んでいる」という意識も、そうしてはならないという認識もなく「悪い国を叩いて何が悪い」という「ねじ曲がった愛国心しか持ち合わせがない次元にいるのだ」と考えている。

このような認識を持たせた以上、一朝一夕には彼らは変わらないだろうし、反日教育だって辞めることはないだろう。私はそういう複数の国を相手にして「首脳会談が未だに出来ていないのが如何にも我が国に非があるからの如くに、そして我が国から首脳会談を切望しているかの如くに報じる」マスコミの姿勢に偏りを感じている。あの姿勢は罪なき国民を誤った方向に導きかねないと真剣に危惧しているのだ。

あの国歌云々発言やや安重根の一件をサラッとしか扱わず真っ向から批判しない報道姿勢が、私の危惧を裏付けているように思う。もしも立場が逆だったならば、あの2ヶ国とそのマスコミがどのように扱うだろうかを考えてみれば、容易に解ることではないか。

御嶽山の大噴火に思う

2014-09-29 08:21:15 | コラム
犠牲になられた方を心からお悔やみ申し上げる:

私は80年を超えるこれまでの人生で、本当の意味での登山をした経験がない。本格的な登山を愛好される方と趣味としておられる方を尊敬するし、畏敬の念すら覚えている。経験はないが、登山の難しさと危険さは承知しているつもりだ。私自身が経験していなかった理由は簡単で、大学卒業まではサッカー部に所属していたことと、大学では出席日数が不足すれば落第が待っていたし、アルバイトも麻雀も?忙しかった等々で単純に暇がなかっただけだった。

時間の不足は社会人になっても同じことで、特にアメリカの会社に転身してからは趣味や娯楽に没頭することは放棄した。そこには勿論会社の為も確かにあったが、自分の為にも集中して時間を使って懸命に生存しようとしていたからである。

しかし、今回の大噴火の報道を見ていれば登山した側が如何に訓練を重ねられて装備等の準備万端であっても、予知連が解らなかったという大噴火が起きては不可抗力で事故が発生すると知った次第だ。それでは、未だに100数十ヶ所の火山がある我が国ではどの山に登っても生命の危険と背中合わせになってしまうような気がする。

しかし、「そこに山があるから登るのだ」という有名な表現がある以上、登山を試みる方々は絶えないだろうと思ってしまう。というような次第で、山とは下から見てその美しさや荘厳さを楽しむだけのもので登ったり征服したりする対象ではないと認識していたのだ。

山に登ったことはないと言ったが、実は1990年頃にワシントン州にあるカスケード山脈(Cascade)の名山で「タコマ富士」(Tacomaでワシントン州の中規模な港町)の俗称もある標高4,392メートルの”Mt. Rainier(レイニア山)の中腹までは行ったことがあった、お客様を案内してヘリコプターで。そこには言わば踊り場のようなヘリコプターが止まれる場所があって、雪の上に着陸した。そこから見下ろす下界の景色は息をのむほど素晴らしかった。

こういう経験をすれば、自分で山に登ってみて、頂上を極めた満足感を味わうとか、ご来光や日没を鑑賞するとか、景色を愛でる楽しみがあるのだろうとは思った。現に、グランドキャニオンでは早朝からホテルで貸与された毛布にくるまれて鑑賞した日の出の壮大で壮麗な美しさなどは忘れられない経験だった。ご承知の方は多いと思うが、確か3,000メートルはあるあの高さではバスで登っていくのだ。

話は本題を逸れるが、ヘリコプターと言えば、我が国では事故が多いような気がするし、現に何も沖縄に限ったことではないが、オスプレーには(墜落の)危険性があると騒ぎ立てられている。私はワシントン州内では何度もヘリコプターで移動した経験があるが、墜落するなどという危険を感じたことは一度もなかった。それは当方が鈍感な為か、あるいは我が国のある種の勢力が徒にその危険性を煽っているだけか、またはその両方かと思っている。