新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

キャリー・バッグって

2014-09-04 16:48:56 | コラム
普及度が高いカタカナ語:

本4日は新宿の京王百貨店に地下からエスカレーターで上がっていった。そこでは「~とキャリー・バッグをお持ちの方はご注意を」とのアナウンス(カタカナ語だ!)が聞こえた。実は、私は公式に「キャリー・バッグ」というのを聞いたのは初めてで、鮮烈な印象があった。遅まきながら「おかしなカタカナ語もここまで普及したか」と半ば感心していた。本音では「これと同じものを英語で言えば何となるのかな」との興味があったのだが。

英語には "carry bag" 等という言葉はなく "trolley case" というのだ。"trolley" とは「手押し車」の意味である。これに当たるカタカナ語を発明した人は「袋を持ち運ぶ」と言いたくて知っている単語を並べたと察している。だが、「どこか変だな」と思わなかったのが残念だ。

また、「中地下?」を「MB」と表記してあるのはよくぞ考えたと思う。恐らく "mid" または "middle" の頭文字で「M」としたのだろうと思うのだ。また、往々にして地下2階を「B2」としているのを見るが、私が知る限りではアメリカの表記は "sub-basement" だった。土地が広いかの国では余り地下を掘り下げないので、地下3階にお目にかかった記憶がない。言うまでもないだろうが、我が国では「地下3階」を「B3」のように表示されている。

これと似たような感覚で作られたと思っているのが「リピーター」であると認識している。言うまでもないだろうが、「繰り返して言う」か「同じことを繰り返して行う」とジーニアスにある "repeat" に、お馴染みの "er" を付けて「常連のお客様」のように仕立てたのだろうと好意的に考えている。でも、「繰り返して訪れる」と言いたいのならば、何故 "visit" が出て来て、それに "er" を付けなかったのかと思った。だが、その前に「再び訪れる」の "revisit" があった。それを忘れておられたのが残念だった。

因みに、"repeater" には「連発銃」か「常習犯」や「落第生」の意味があるとジーニアスに出ている。その誤りを誰も気が付かずに戸籍を与えて当たり前のように使っているテレビ局の無神経さが凄いと思わずにはいられない。「リピーター」は彼等のことではないのか。

カタカナ語集は既に採り上げたので、ここでは言わば零れ話を語った次第だ。私はこの機会に、京王百貨店には「店内放送を改善されたら如何か」と忠告したい。

怒りすら感じるカタカナ語の氾濫

2014-09-04 08:36:48 | コラム
和製英語とカタカナ語の普及は帰らざる河を渡ったか:

先日、「頂門の一針」の主宰者・渡部亮次郎氏からNHKの「クローズアップ現代」(これとても「クロゥスアップ」が正しいのだ)で「コンセプト」というカタカナ語を使っていたのは認めがたい」との怒りの電話を頂戴した。何故、素直に「概念」か「観念」と言わないのかとの主旨だった。私は事後に念のためにジーニアスを見ると、「《略式》基本概念」とあり、「言葉として抽象度が高くなる」との注釈があった。私も同感であった。主宰者が言われた通りで、NHKが使わせる言葉ではあるまい。

私はカタカナ語批判派としてその例を既に120ほど採り上げてきたが、実際に雑誌、週刊誌、テレビ等の放送でどれほど頻繁に使われているかに対しては「慣れっこ」になってしまったいたのか、余り反応していなかったのではないかと、反省させられた次第だ。換言すれば、最早一々採り上げてみても、事態は変えようがない(改善出来ない?)と諦めていたのかも知れないのだ。

そう思ってテレビを見ていると、街頭インタビュー(カタカナ語だ!)で何かの法律(取り締まり)をもっと厳格に適用して欲しいと言いたかったのだろう「おっさん風」の高齢者が「もっとシビアーにやって欲しい」と答えていた。批判派に言わせて貰えば、このカタカナ語の使い方は全く意味を為していないのである。この方は何処かで "severe" =「厳しい」と覚えられ、何ら躊躇うことなく格好付けでそう言ったのだろうと察した。

ここで英語の講釈に入るが、単語帳的知識が如何に危ういかを指摘したいのだとご理解願いたい。"severe" には確かに「厳しい」という訳はある。だが、これを形容詞で使う場合は「天候が厳しい」であるとか「負傷が厳しい事態だ」と言いたいような場合に使うものである。法律を厳しく施行すると言いたくて使うものではないと思う。もっと厳密に言えば、あの高齢者の答えの場合は副詞的に使っているのだが、"severe" では形容詞形だ。

では、あの場合取り締まりを厳しくして貰いたいのならば、"strict" か "strictly" であるとか、"stringent" 副詞にすれば "stringently" という言葉がある。だが、私は寡聞にして学校教育でこのような難しい?単語とその使い方を教えてあるかどうかは知らない。だが、経験した範囲内では "strict" を知っておられた方は多かったと思う。

私が厭だなと思うことは、単語帳的知識では「厳しい」即「シビアー」となってしまうことだ。この程度の認識で形容詞と副詞の違いも忘れて「英語を話してしまう」と所謂「コミュニケーションが取れない」という事態を招くのだろうと推察している。

この例に一寸衝撃(ショックではない、念のため)を受けて、英語論が二編も掲載されていた週刊新潮の9月4日号をパラパラとめくってみた。いや、「出るは出るは」なのだった。順序不同で幾つか拾っていけば、海堂尊という作家の連載ものには「ドライビング・テクニック」とある。「運転の技術」で十分だろう。福田和也は文学部の先生だったと記憶するが、コラムの607回目に「大ブレークした能年玲奈」と言い、「リアリティを出しているのです」とも書いておられる。他には書評欄には「グローバル・サスペンス」というのもあった。

また、私が常々「耳から入る言葉は最も普及しやすい」と言っているのだが、テレビでは「私生活」を芸人どもが平然と「プライベート」と言い、事務所は「プライベートは各人に任せてあります」と答えている。"private" には「一兵卒」の意味はあるが、これ単独では「私生活」の意味にはならない。それはそれとして、何故に「私の私生活」という本来の日本語を避けて誤ったカタカナ語を普及させたのだろうか。その意図が解らない。

新聞も批判しないと片手落ちだろう。我が?産経も「共産党常務委員会のメンバー」とカタカナ語を使っていたし、証券会社の問題だとは思うが「大和証券のXXシニアストラテジスト」とも書いていた。「シニア」は「上席」だと思うが、漢字で表記すると投資家が解ってくれないのかなと思ってしまった。それともこの方が箔がつくのかな?

結論としては、「最早我が国の政界(安倍総理はカタカナ語多用派だ)でも言論界でも経済界でもカタカナ語の氾濫と普及は押し止めようがないところに立ち至っているのだ」と思う。しかも、「シビアー」で採り上げたようにカタカナ語は誤った英語の文法と単語の知識から、おかしな英語を推し進める方向に手を添えているのではとも言いたいのだ。それに、忘れたくないことは「屡々カタカナ語化されている単語には、私如きが日常的な業務でも、上司・同僚・友人との交際の場でも先ず使うことがないような難しい?文語的な単語が多いという奇妙な現象がある」点だ。