新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

御嶽山の大噴火に思う

2014-09-29 08:21:15 | コラム
犠牲になられた方を心からお悔やみ申し上げる:

私は80年を超えるこれまでの人生で、本当の意味での登山をした経験がない。本格的な登山を愛好される方と趣味としておられる方を尊敬するし、畏敬の念すら覚えている。経験はないが、登山の難しさと危険さは承知しているつもりだ。私自身が経験していなかった理由は簡単で、大学卒業まではサッカー部に所属していたことと、大学では出席日数が不足すれば落第が待っていたし、アルバイトも麻雀も?忙しかった等々で単純に暇がなかっただけだった。

時間の不足は社会人になっても同じことで、特にアメリカの会社に転身してからは趣味や娯楽に没頭することは放棄した。そこには勿論会社の為も確かにあったが、自分の為にも集中して時間を使って懸命に生存しようとしていたからである。

しかし、今回の大噴火の報道を見ていれば登山した側が如何に訓練を重ねられて装備等の準備万端であっても、予知連が解らなかったという大噴火が起きては不可抗力で事故が発生すると知った次第だ。それでは、未だに100数十ヶ所の火山がある我が国ではどの山に登っても生命の危険と背中合わせになってしまうような気がする。

しかし、「そこに山があるから登るのだ」という有名な表現がある以上、登山を試みる方々は絶えないだろうと思ってしまう。というような次第で、山とは下から見てその美しさや荘厳さを楽しむだけのもので登ったり征服したりする対象ではないと認識していたのだ。

山に登ったことはないと言ったが、実は1990年頃にワシントン州にあるカスケード山脈(Cascade)の名山で「タコマ富士」(Tacomaでワシントン州の中規模な港町)の俗称もある標高4,392メートルの”Mt. Rainier(レイニア山)の中腹までは行ったことがあった、お客様を案内してヘリコプターで。そこには言わば踊り場のようなヘリコプターが止まれる場所があって、雪の上に着陸した。そこから見下ろす下界の景色は息をのむほど素晴らしかった。

こういう経験をすれば、自分で山に登ってみて、頂上を極めた満足感を味わうとか、ご来光や日没を鑑賞するとか、景色を愛でる楽しみがあるのだろうとは思った。現に、グランドキャニオンでは早朝からホテルで貸与された毛布にくるまれて鑑賞した日の出の壮大で壮麗な美しさなどは忘れられない経験だった。ご承知の方は多いと思うが、確か3,000メートルはあるあの高さではバスで登っていくのだ。

話は本題を逸れるが、ヘリコプターと言えば、我が国では事故が多いような気がするし、現に何も沖縄に限ったことではないが、オスプレーには(墜落の)危険性があると騒ぎ立てられている。私はワシントン州内では何度もヘリコプターで移動した経験があるが、墜落するなどという危険を感じたことは一度もなかった。それは当方が鈍感な為か、あるいは我が国のある種の勢力が徒にその危険性を煽っているだけか、またはその両方かと思っている。


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