私には "I hope I can coming back." を音読出来ない:
お気付きの方がおられると思うが、これは錦織君が決勝戦で残念ながら敗れた後のインタビューの台詞である。その批判は既に述べたので、ここで再度彼の英語を貶すこと意図はない。実は、この表現が私の長年の主張である「英語の勉強は音読を重ねることと、その文章を滑らかに暗誦出来るようになること」を立証してくれたのである。
私はこれを聞き取れて書き取れた。だが、これを黙読は出来ても、音読せよとなると "can" の後に来る動詞がcomingの形になっていても、口から出てくる文章はそれが目に入っていても "I can come back." か "I can be coming back." でしかないのだ。
より具体的に言えば、高校3年時の英語の担任だった鈴木忠夫先生(故人だが)が言われた「音読を徹底的に繰り返し、文法的に正しく、表現としても正確な文章を完全に記憶すれば、おかしな(誤った)英語が口から出てくることはない」と、音読の意義を強調されたのを思い出すのだ。
私も幾ら強調しても強調しきれないことがこの点で、それが「英会話」などをする時に重要なのではなく、英文和訳にも英作文にも有効であるし、「文章の誤りを正せ」等と言う我が国独特の試験問題を解くに際しても、本当に有効なのだ。重ねて言うが、文法的に間違いがある文章は、音読は言うに及ばず黙読すらも出来なくなるものだ。
尤も、記憶すべき文章が間違っていれば論外で、正しい英語への道が閉ざされるのだ。それが、遺憾ながら "I can coming back." のように淀みなく出てくる結果を招くのだ。
繰り返しておくが、錦織君の英語を批判するのが目的ではなく、正しい文章を音読を通じて覚えておくことがどれほど重要であるかを指摘しているのだ。錦織君は勇敢にも大志を抱いて13歳でアメリカに渡って、あの世界に飛び込んで今日の地位を築き上げたのは立派なことで、その上に英語の文章構成も立派で且つ正確であれば「錦上花を添えた」であろうと言っているのだ。
これをお読み頂いて「何を言うのか。そんな方法がTOEICに役立つのか」などと考えている間は、所謂「外国人とコミュニケーションが取れる英語」が身につく確率は極めて低いだろうと申し上げておく。私には遺憾ながらこのかぎ括弧内の意味が良く解らないのだが。
また余談だが、かの有名な "Boys be ambitious." の訳の「大志」よりも「野望」か「野心」の方が適切だと思う。少なくとも私は「一寸高望み過ぎないか」と言いたければ "That sounds a little too ambitious to me." のように使っていた。
閑話休題。兎に角音読を重ねていくことだ。
お気付きの方がおられると思うが、これは錦織君が決勝戦で残念ながら敗れた後のインタビューの台詞である。その批判は既に述べたので、ここで再度彼の英語を貶すこと意図はない。実は、この表現が私の長年の主張である「英語の勉強は音読を重ねることと、その文章を滑らかに暗誦出来るようになること」を立証してくれたのである。
私はこれを聞き取れて書き取れた。だが、これを黙読は出来ても、音読せよとなると "can" の後に来る動詞がcomingの形になっていても、口から出てくる文章はそれが目に入っていても "I can come back." か "I can be coming back." でしかないのだ。
より具体的に言えば、高校3年時の英語の担任だった鈴木忠夫先生(故人だが)が言われた「音読を徹底的に繰り返し、文法的に正しく、表現としても正確な文章を完全に記憶すれば、おかしな(誤った)英語が口から出てくることはない」と、音読の意義を強調されたのを思い出すのだ。
私も幾ら強調しても強調しきれないことがこの点で、それが「英会話」などをする時に重要なのではなく、英文和訳にも英作文にも有効であるし、「文章の誤りを正せ」等と言う我が国独特の試験問題を解くに際しても、本当に有効なのだ。重ねて言うが、文法的に間違いがある文章は、音読は言うに及ばず黙読すらも出来なくなるものだ。
尤も、記憶すべき文章が間違っていれば論外で、正しい英語への道が閉ざされるのだ。それが、遺憾ながら "I can coming back." のように淀みなく出てくる結果を招くのだ。
繰り返しておくが、錦織君の英語を批判するのが目的ではなく、正しい文章を音読を通じて覚えておくことがどれほど重要であるかを指摘しているのだ。錦織君は勇敢にも大志を抱いて13歳でアメリカに渡って、あの世界に飛び込んで今日の地位を築き上げたのは立派なことで、その上に英語の文章構成も立派で且つ正確であれば「錦上花を添えた」であろうと言っているのだ。
これをお読み頂いて「何を言うのか。そんな方法がTOEICに役立つのか」などと考えている間は、所謂「外国人とコミュニケーションが取れる英語」が身につく確率は極めて低いだろうと申し上げておく。私には遺憾ながらこのかぎ括弧内の意味が良く解らないのだが。
また余談だが、かの有名な "Boys be ambitious." の訳の「大志」よりも「野望」か「野心」の方が適切だと思う。少なくとも私は「一寸高望み過ぎないか」と言いたければ "That sounds a little too ambitious to me." のように使っていた。
閑話休題。兎に角音読を重ねていくことだ。