新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

今更ながらW杯サッカーを回顧すると

2014-07-17 11:16:34 | コラム
週刊新潮が「眼力のない解説者」を酷評:

正直、今頃言うかと感じた。当方はテレビ各局が使っていたほとんどが元日本代表の雇われ解説者たちは、雇用主である各局とサッカーへの情熱から「とても本気で言っているとは思えない楽観的ないしは希望的観測を思い切り込めた、我が代表が予選リーグを勝ち抜いて上に行く」との予想を言わされていたのだと疑っていた。故に、私は彼等は一種のと言うか疑似応援団だったのであり、それを批判も非難もしない。

マスコミと言うかテレビ局にした所で、私は早い時点で「高額な放送権料を取り戻すためには手段を選んでいられる立場にはない」と、寧ろ同情的なことを言ったつもりだった。

だが、ほとんどの連中というかマスコミも「開催国のブラジルの優勝」を(希望的にか?)予測して見せたのは失敗だったと思う。何を隠そうこの私は、6月14日に「ブラジルだが、我が国のマスコミが優勝候補と囃し立てるのは解るが、上記のように小粒だが粒が揃った者を集めてあって凄いとは思わせられたが、日韓合同開催の頃と比べれば他の国の水準が上がってブラジルに迫ってきたので、あれではこれから先は苦戦するのではと思った。」と言っていたのだった。

しかし、今となっていくら探しても見つからないので困っているが「ドイツは見逃せない力があるのでは」とほんの少しだけマスコミと元有名選手の方々に対抗する予想の如きことを言っていたのだった。しかし、何度か言ってきたことで、私は世界のサッカー界ないしは欧州の強豪国それぞれのリーグ戦を追いかけて見ているのではないので、何処の国の誰が本当に上手いのか等の知識に乏しく、優勝者の予想の如き大それたことをしようとは思っていなかった。

ところが結果的にはブラジルが実は弱かったことは当たっていたし、ドイツが強かったと見たのは見当違いではなくなって一安心だった。中にはブラジルの敗因と言うか不幸(不運?)にネイマールの負傷とチアゴシウバだったかのドイツ戦の欠場を挙げるが。私はそれは勝負の本質を知らない素人受けを狙った詭弁だと思う。

理由は簡単で、ネイマールはあの場で負傷をしてしまうような至らない所があった(と報じられたし)そこまでの選手だったという冷厳な事実と、チアゴシウバに至っては審判に反則を取られてしまうようなプレーを2度もしてしまったのは単なる実力で、それが結果として表れただけだと思うべきだ。負けた者を労るような論調は優しくて良いことで、我が国の美風だ。だが、敗者はそこで何らかの教訓を学ぶべきで、労って貰って済むことではない。

残酷なことを言うなと言われたい向きはあるだろう。それでは実際に大きな大会の決勝戦で負けたら如何なる思いがあるかをお考えになって貰いたい。勝負とはどんなものかを考えて頂ければと思うのだが。勝たなければ何ともならない虚しさが残るのだ。言い訳はしない方が良いし、同情は余り慰めにはならないと思う。