新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

毎度お馴染みの商社マンと懇談した

2014-07-08 15:26:07 | コラム
世界経済の実態は容易ならざるものがあるのでは:

8日は商社マンと懇談しました。豊富だった話題の中から「先行き暗いね」と意見が一致したことをご紹介します。それは「九州だったかで試験的にある地区の小学校の教科書をタブレットにした結果、その地区の成績が飛躍的に上昇したのだそうです。『それだったならば』ということで、これからは地域を拡大して実験し、結果如何では紙の教科書をタブレットに置き換えようと真剣に検討されている」というニュースでした。

私は既に代官山のある高級喫茶店ではメニューを、某眼鏡チェーン店ではレンズの価格表はタブレットで提示された経験があります。時代の波として何の不思議も違和感もありませんが、長年製紙業界にお世話になってきた者としては「冗談じゃない。紙を使ってくれよ」との思いを禁じ得ません。彼は教科書も紙から変わっていく可能性(危険性?)は高いとの懸念を表明しました。反論出来ませんでした。

次は安倍内閣にも私が不安視している時代に遅れている感があるTPP担当の西川公也代議士辺りに聞かせたい話です。それはアメリカ商務省は何年前だったか、自国の製紙業界の近代化の遅れ故のコスト高を棚に上げて、中国・インドネシア・韓国から輸入される印刷用紙(コーテッド紙)をダンピングと認定し「反ダンピング」と「相殺」の高率の関税を賦課してアメリカ市場から閉め出していました。これは立派に保護貿易です。

私はアメリカはこんな所業を顧みずに「聖域なき関税撤廃」をTPP交渉に持ち出す資格があるのかと主張してきました。実は、ドイツ(EUですよ!)と中国からの感熱紙も関税で締め出しています。

商社マンによれば、その声が聞こえたのかどうか、間もなくアメリカ政府はその印刷用紙の関税を撤廃すると発表したそうです。オバマ大統領は今頃お気がお付きかということです。しかし、この辺りに行き詰まりかけたアメリカ政府のTPP交渉に対する真剣さの度合いが見えた気がするのです。経産省はこれくらいの情報を捉えて報告してあると信じたいのです。現状ではアメリカとヨーロッパは言うに及ばす、アジアでも紙市場の荷動きは停滞気味だそうです。

何度でも言いますが、私は紙の荷動き不振は「景気回復は未だし」という意味と解釈します。アメリカもカナダも13年度の紙パ産業界は良い決算をしていました。しかし、これは偏に「需要に合わせて操業短縮した成果だった」と報じられています。安倍総理にはオバマ大統領が一刻も早く目を覚ますように、世界の実情をお知らせ願いたいものです。

生存競争の文化比較論

2014-07-08 08:03:14 | コラム
個人として如何に生存するかが課題なのだ:

私はこれまでに「アメリカやヨーロッパの会社かまたは何らかの団体またはスポーツの組織に転身すると、我々異文化の国から行った者には生存競争が厳しくて大変だ」と言ってきた。

だが、この度日本代表の補欠選手だったセレッソ大阪の柿谷がスイスの一部リーグに転身するとのニュースを見て、ふと、これまでの「生存競争」についての表現を変えるべきだと考えるようになった。それは欧米の諸国での評価は個人が主体と言うか対象であり、我が国のような所属する組織の一員としての同僚との比較においての査定ではない」という意味だ。

私自身もそうだったが、彼等は飽くまでも「即戦力としての個人というか、その人物の能力を認めて採用しているのであって、その人物が期待ないしは約束し計算通りの成果を挙げたか否かが査定の対象」なのである。その組織内(事業部でも日本式の課単位でもよいが)他の者との比較において査定するのではない。それは入社時ないしは各年度毎に上司とその年に達成すべき目標は合意して設定されているのだから。

遠回りしたが、同一組織内の同僚と競い合ってその成果の比較において生存しようと努めるのではなく、個人としての目標を達成したか否かが問題になるのある。他人を出し抜くとか、目立って見せようとの努力は勿論必要だが、問題は飽くまでも個人としての生き残りを賭けて日々の業務と言うか上司に約束した課題の達成に精励することなのである。要するに、他人との比較ではなく「自分が如何に実績を挙げたか」で生き残りか決まってくるのだ。くどいようだが、他人との比較や競争の結果が基準ではないと思う。

この違いは「常に周囲との調和や仲良くティームとして機能するためには何をすべきかや、他の部課との根回しに神経を遣ってきた」我が国の「和」を重んじる文化と比較して初めて解ってくるものだ。表現を変えれば、同じ組織内の他人の援助など初めから期待しない方が無難だということである。責任者は自分自身で、自分がやるべきことが組織の期待通りに出来ていなければ、生存が難しくなるということ。出来る者を雇えば良いといわれるのだ。

このような違いがある世界に行くと、これだけではなく言葉の問題にも遭遇するし、我が国とjは全く異なった上司との付き合い方もある。それは如何にして採用された時点以上に彼(ないしは彼女)に自分を売り込んで認めさせるかも重要な課題になってくる。「何だ。それなら日本にいても同じじゃないか」と言われるかも知れない。確かに同じだ、個人が単位という文化と言語の違いを除けば。

サッカーや野球で海外に出て行った選手たちの一層の奮励努力に期待したい。君たちの相手は自分自身であって、周りにいる仲間ではない。彼等は敵でも味方でもない。言わば隣に店を出している異なる業種の業者くらいに思っている方が無難だ。即ち、ブラジル料理店は、何かあってもラーメン店の店主を助けてはくれないと思っていた方が良いのだ。