新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日本語と英語に思う

2014-07-21 08:37:45 | コラム
日本語と英語の間にある思考体系と文化の違いを考えよう:

君の意見を聞きに来た:
昨日 "first-hand" と "secondhand" の違いを取り上げて論じた。その理由がこの「君の意見」である。アメリカのビジネスの世界では第三者からの伝聞の情報が如何に有益であっても、それを(我が国に出張してきた)上司に報告しても見込みとは異なって褒められるとは限らないのだ。私は「私が何のために経費をかけて5,000マイルも飛んできたのかを考えよ。私は君がこの件についてどう考えているかを聞きたいのだ。第三者の意見を聞きに来たのではない」と叱責されて、恥ずかしながら日米の企業社会間の文化の違いをあらためて認識した。

ここでは勿論文化と思考体系の違いも重要な問題だが、私は我が国の学校教育で今でも構文というか何というのか、「It ~ that ~.」 のように "It" を先行させて "that" 以下に言いたいことを "clause" で表すことや、"They say ~." や、"I was told that ~." のような形で文章を作っていくと教えられているようだ。「いるようだ」としたのは、自分自身が最早学校で教えられる機会もなく、22年の対日輸出の仕事の中で多くの同胞がこういう英語を使われていたので、そのように推理したまでだ。

彼等アメリカのビジネスマンはこのような伝聞を伝える文章が、仮令文法的に正しくても「伝聞では意味がない」と批判され「自分の意見を具申せよ」と要求するのだ。しかし、学校ではこのような文化比較論にまで触れる必要もないだろう。だが、何時か何処かの段階でこの辺りにまで触れておかないと、折角良い情報だと思って報告しても、「日本人は信じられない」という意外な結果になってしまうものだ。即ち、文化比較論まで教える必要があると言いたいのだ。

しかし、このような文化比較論は一般的な所謂「日常会話」の中で問題にされることがないのは言うまでもないので、万人に教える必要はないと認識している。

「ベテラン」に思う:
勿論、英語の綴りは "veteran" である。ジーニアス英和には“日本語の「ベテラン」は "expert" に当たることが多い”としてある。私は尤もであると受け止めた。Oxford には "a person who has a lot of experience in a particular area or activity" が最初に出ている。これは "expert" とはやや違うという気がする。「古参兵」か「老練な歴戦の兵士」は2番手だ。私は高校の頃まで「宿将」の意味だと思っていた、念のため。

我が国では「ベテラン」は野球やサッカー等のスポーツ選手で一定以上の期間活躍してきた者を「ベテラン」と表現する傾向がある。私には言わんとしていることは "expert" よりも「老練」に近い敬称かと思って聞いている。勿論、そうではない者もいるが。

因みに、Webster には先ず "a person who has had long experience in something especially in war" とある。"a former member of the armed forces esp. in war" は二番手だった。さらに "expert" はやや長いが "having, involving, or displaying special skill or knowledge derived from training or experience" となっている。私にはこれがカタカナ語の「ベテラン」に当たると思わせてくれる。

ここまでが導入部だったのだが、要するに「元の英語の意味するところを深く考えずにカタカナ語化しない方が良いだろう」という、何時もながらの結論に持っていきたかったのだ。1970年にお恥ずかしながら、私を英語のベテランと形容した上司がおられた。私は「英語の古参兵」であると言われたと思い当惑したし恥ずかしかった。その方はどうやら「熟練した人」であるか「エキスパート」と言いたかったようだったと、今になって解ってきた。

矢張りカタカナ語は我が同胞が英語の良きというか適切な理解を妨げている」と思うのだ。しかし、繰り返しになるが、国語の中でどう使われようとも、それを妨げようとは思っていない