携帯電話を見て運転して前方不注視で人身事故:
先程TBSだったかで弁護士さんがこう言っていた。少し陳腐な批判だが、これは良く考えればおかしなことで「電話は見ているものではなく、話しをするためのもののはず」だろう。だが、今やスマートフォンの全盛時代となって携帯電話は電話も出来る携帯用端末と化してしまったのだから。
名称も問題と言えば問題だが、先程も自転車で携帯用端末を見ながら走っている法律(交通規則?)無視の者に出くわした。危険である。これは最早珍しくも何ともない現象で、都内で自動車を運転中でも堂々と見ている虚け者などいくらでもいる。我が国は確か法治国家だったはずで、こういう無法者をもっと厳格に取り締まって欲しいと思う。
何分にも我が家は父親が昭和12年に、実弟は昭和39年に、かく申し私は1985年にシアトルでそれぞれ貰い事故に遭っている。言うまでもないが、スマートフォンは言うに及ばず携帯電話など陰も形もなかった頃のことだ。父親は死亡し、実弟は会社復帰まで2年を要し、私は廃人寸前まで行って復帰まで半年だった。
これくらいの被害を被っていれば厳格化を言い出しても許されるだろうと思う。私はもう一度貰い事故の被害など被りたくない。その前に、矢張り所謂ガラケイとスマホなるものを別けても良い時期に来たのではないのか。あれは携帯用端末である前に携帯用ゲーム機である気さえするのだから
先程TBSだったかで弁護士さんがこう言っていた。少し陳腐な批判だが、これは良く考えればおかしなことで「電話は見ているものではなく、話しをするためのもののはず」だろう。だが、今やスマートフォンの全盛時代となって携帯電話は電話も出来る携帯用端末と化してしまったのだから。
名称も問題と言えば問題だが、先程も自転車で携帯用端末を見ながら走っている法律(交通規則?)無視の者に出くわした。危険である。これは最早珍しくも何ともない現象で、都内で自動車を運転中でも堂々と見ている虚け者などいくらでもいる。我が国は確か法治国家だったはずで、こういう無法者をもっと厳格に取り締まって欲しいと思う。
何分にも我が家は父親が昭和12年に、実弟は昭和39年に、かく申し私は1985年にシアトルでそれぞれ貰い事故に遭っている。言うまでもないが、スマートフォンは言うに及ばず携帯電話など陰も形もなかった頃のことだ。父親は死亡し、実弟は会社復帰まで2年を要し、私は廃人寸前まで行って復帰まで半年だった。
これくらいの被害を被っていれば厳格化を言い出しても許されるだろうと思う。私はもう一度貰い事故の被害など被りたくない。その前に、矢張り所謂ガラケイとスマホなるものを別けても良い時期に来たのではないのか。あれは携帯用端末である前に携帯用ゲーム機である気さえするのだから