新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

製紙産業を回顧すれば

2014-07-12 08:36:58 | コラム
紙パルプ産業の苦悩を語れば:

何時の頃だったか最早記憶もない環境とその保護の問題が与論として脚光浴びたために、紙と板紙(ボール紙)に需要が衰退していきました。今は昔とはなりましたが、その辺りを回顧してみます。

木箱等の木材の包装を紙(段ボール箱等)が置き換えていったのは輸送合理化に加えてコストもありましたし、美麗な印刷を施せるという宣伝広告としての価値を重視したからでした。特に我が国の優れた印刷技術では段ボール箱が美粧化されました。我々の用語で言う「一般紙器」(薬や化粧品や食料品の箱等)も続々と置き換えられました。それは所謂ボール紙にコートされて美術印刷の適性が向上したからです。そこに戦後の生活環境の向上があって需要も伸びました。家電製品が売れれば段ボール箱に需要は伸びます。

他には化粧品、薬品、衣類、雑貨等に美術印刷された紙器が登場し板紙の需要が飛躍的に伸びました。この種の裏が「ねずみ色」の紙はそこに古紙を再生して活用していました。段ボール原紙も古紙を大量に混入してあります。新聞も今やアメリカでも古紙を配合したものが主力です。余談ですが、我が国の紙板紙の生産量約2,700万トンの70%は古紙で回収されます。その古紙の80%が新聞紙と段ボール箱です。

実は、W社の主要対日輸出品目であるきた牛乳とジュースの紙パックの原紙もガラス瓶の置き換えもあって急成長したのです。だが、実は瓶が乳業工場に戻される輸送と洗瓶のコストに加えて流れ出る廃液が環境汚染だとの問題があったのです。それに我が国の印刷技術では本家のアメリカでは出来ないような華麗な印刷をして宣伝効果も発揮したのです。加えて、ガラス瓶は何度も使い回す間に割れます。紙パックを一度で捨てるのは勿体ない、資源の無駄だという議論は実は空論だったのです。これを説明するのは別の機会に譲らせて下さい。

そして何時の間にか「環境問題論者」が現れて「紙は貴重な天然資源である樹木を乱伐し且つ浪費する」という一聴尤もな議論が現れて「紙を節約するのは美徳」となって、多くの包装材料向けの需要が失われました。実は、これも製紙産業側から見れば不当だったのですが。我が国では自分の山を持ってそこから木を伐って紙にしているのは上場の大手だけで、中小メーカーはパルプを買っているのです。そのパルプは針葉樹ものなどは輸入に依存しています。

自社で原料を作っている大手メーカーでもその元になる木材チップは輸入するか、自社で海外の森林地を購入し、そこで植林し育てた木をチップにして持ち込んでいます。我が国は落葉樹=広葉樹の国で紙の強度を高める針葉樹パルプやチップは輸入するのです。即ち、皮肉を言えば「紙を節約して保護ないしは保存出来る森林は、外国の森林だった」のです。私には環境問題論者の方々はこのことご存じでないとは思えないのです。また紳士的な業界団体も温和しいので中々ハッキリ言わずに言わば静かに嵐を過ぎるまでじっと耐えていたかと思っています。

環境問題論になってしまいましたが、紙とはこうやって伸びて、こうして沈んだのです。以上は業界の中にしてしか感じ取れない悲しい歴史でした。