気ままに

大船での気ままな生活日誌

円覚寺の秋 秋明菊、ほととぎす、十月桜など

2022-10-20 21:50:06 | Weblog

こんばんわ。

あちこちで金木犀が二度咲きしているので、円覚寺の仏日庵向かいの金木犀の大木はさぞや華やかに二度咲きしているだろう。しかし、期待は見事に裏切られた。半月前とは比べべくもなし、ほんのわずかの花。がっかりしたが、うしろの仏日庵を覗くと、北条時宗の開基廟前に秋明菊がたくさん咲いているではないか。こちらの一度咲きに満足!

中に入ると、白い秋明菊がすっかり見頃になっていた。

機嫌を直して、少し先の黄梅院へ。いつものように、まず、山門前の真民さんの詩を拝読する。

黄梅院境内は赤い秋明菊があちこちに。

これだけで今日は、十分と思ったが、ふと思いついて松嶺院にも寄った。半月前は萩と紫苑が見頃だったが、萩は二度咲きせず、もうおわり、紫苑はまだ残っていた。コスモスは勢いがつき、十月桜がようやく咲き始めていた。また、新たにほととぎすがちょうど見頃を迎えていた。

ほととぎす

秋桜

十月桜

紫苑

円覚寺境内のお茶の花がどこでも盛りだった。

山茶花も咲き始めていた。

金木犀の二度咲きはみられなかったが、ほかに秋明菊、ほととぎす、十月桜などの一度咲きに満足した。

今朝のお月様。一昨日が下弦の月。これから細る一方だが、夜明けの月が楽しみ。

雲一つない秋晴れの夕富士も見事だった。

では、おやすみなさい。

いい夢を。

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仙厓のすべて展(完)

2022-10-19 18:26:41 | Weblog

こんばんわ。

出光美術館での”仙厓のすべて”展の第4報、最終版となりまする。以下のような章立てになっていますが、本日は第5,6章の仙厓さんの楽しい禅画をご紹介したいと思います。

第1章 仙厓略伝 /画賛でつづる一生
第2章「厓画無法]/仙厓画、ビフォー・アンド・アフター
第3章 仙厓の禅の教え/悟りへのイントロダクション
第4章 仙厓の人生訓 /充実した生活のためのハウツー
第5章「絶筆宣言」/仙厓の終活
第6章 バラエティーあふれる画賛の世界 /仙厓に描けぬものは無し

初報からだいぶ間が空きましたので、仙厓さんのおさらいを。

江戸時代の九州・博多で活躍した禅僧仙厓(せんがい)(1750 - 1837)は、「扶桑最初禅窟(日本最古の禅寺)」とも呼ばれる聖福寺の第123世(および125世)の住持として活躍した臨済宗の古月派を代表する名僧です。また、60歳代で虚白院へ隠棲して以降、晩年には数多くの書画を描いたことでも有名です。特に、仙厓の遺した水墨の絵画、「禅画」は、「厓画無法(仙厓の絵には決まった法などない)」の精神にもとづいた、きわめてユーモラスかつ自由奔放な作品で、斬新な表現や大胆なデフォルメにより、現代の私たちが見ても「楽しくて、かわいい」と感じる不思議な魅力に満ち溢れています(公式サイトより)

今日は、仙厓さん隠棲後の楽しい禅画をお届けします。

第5章「絶筆宣言」/仙厓の終活

虚白院へ隠棲して以降、乞われるまま、書画を描いてきたが、さすがに手に負えなくなり、83歳のとき「絶筆宣言」した。しかし、最後に一筆、絶筆碑を描いてくださいという懇願を了承しているちに絶筆の事実もなし崩しとなり、結局、最晩年まで筆を休めることはなかったという。

双鶴画賛 鶴は千年、亀は万年、我は天年(天から授かった命)出光佐三最後の蒐集品。病床に飾られ、佐三の最後を見守ったという。

老人六歌仙 賛が面白い。

しわよるほくろが出来るこし曲がるか頭がはげる髭しろくなる手は振ふ足はよろつく歯はぬける耳は聞こえず・・・くどくなる気短になる出しゃばりたがる世話焼きたがるまたしても同じ話に子を誉め、達者自慢に人はいやがる

利休画賛

絶筆碑画賛

涅槃図 釈迦の涅槃図を模して仙厓さんを偲ぶ博多の人々、仙厓さんの愛用品が描かれる。

第6章 バラエティーあふれる画賛の世界 /仙厓に描けぬものは無し

神仏・和漢の物語の主人公から、かわいい子犬、清楚な植物、筑前・築後の名所旧跡、祭礼、また、曲芸、大相撲といった地方回りの巡回興行まで仙厓さんの画題は多岐にわたる。そのあまりの幅広さに”仙厓に描けぬものなし”という逸話にまでなるほどだった。

鐘馗画賛

牛若弁慶五条橋画賛

狗子画賛

虎画賛

トド画賛

大相撲画賛

〆は仙厓さんの恋で。40歳以前の仙厓禅師についてはほとんど知られていない。多感な青年時代に淡い恋の思い出があったかも。蘭画賛に自作の句が載せられている。

蘭画賛 わが恋は蘭のかおりや水の音

とても楽しい仙厓展でした。次回は二年後かな。”天年”が残っていれば(笑)、是非。

(完)

では、おやすみなさい。

いい夢を。

近所の金木犀の二度咲き

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仙厓のすべて展(3)

2022-10-18 09:50:46 | Weblog

おはようございます。

少し間があきましたが、出光美術館での”仙厓のすべて”展の第三弾になりまする。以下のような章立てになっていますが、今日は第3,4章の仙厓さんの楽しい禅画をご紹介したいと思います。

第1章 仙厓略伝 /画賛でつづる一生
第2章「厓画無法]/仙厓画、ビフォー・アンド・アフター
第3章 仙厓の禅の教え/悟りへのイントロダクション
第4章 仙厓の人生訓 /充実した生活のためのハウツー
第5章「絶筆宣言」/仙厓の終活
第6章 バラエティーあふれる画賛の世界 /仙厓に描けぬものは無し

第3章 仙厓の禅の教え/悟りへのイントロダクション

指月布袋画賛 仙厓さんの代表作なので、ぼくも前倒しで(笑)出している。ヲ月様幾つ十三、七ツの賛があるがお月様は姿が見えない。指先の指し示すものを見ても何も見えない。求めるべきものは指のはるか向こうの月そのものだからだ。指(経典)をいくらたどっても、月に象徴される悟りの核心は手に入らない。修行こそ大事だと、教えている。

蕪画賛 かぶ菜と座禅坊主はすわるをよしとなす 座禅をする修行僧もこの蕪のような姿でどっしりと。

坐禅蛙画賛 座禅して人か仏になるならハ かたちだけの座禅なら蛙と同じ

自画像画賛 仙厓そちらをむひてなにしやる

○△□ 賛がないため難解至極といわれている。さて、みなさんはどう解釈しますか。

一円相(仲秋名月)画賛 これくうて茶のめ

秋月画賛 目を推せば二つ出てくる秋の月 

堪忍柳画賛 気に入らぬ風もあろうに柳かな

第4章 仙厓の人生訓 /充実した生活のためのハウツー

花見画賛 楽しみハ花の下より鼻の下

菊画賛 此花をきくとはいえど耳もなしははありとてもくいのみもせず

牡丹画賛 うへて見よ 花のそたたぬ里もなしこころからこそ身は〇しけれ(植えてみなさい、花を咲かせない土地などないものだ。何事もやってみなければ始まらない、果敢に挑戦すれば必ず結果が形になるものである。仙厓がなくなる年に残した最後のメッセージ。

恵比須・大黒画賛 双幅

七福神画賛

さじかげん画賛 生かそうと ころそうと。 物事はすべてさじかげんでどうにでもなる、であるからこそ、努力して生きてゆくことが大事である。

(つづく)

それでは、みなさん、今日も一日、柳に風で(笑)

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川越まつり(2) 二度咲き金木犀

2022-10-17 21:12:35 | Weblog

こんばんわ。

川越まつりの第二弾でござりまする。このまつりは江戸の天下祭(神田明神、赤坂日枝神社の各祭礼の総称)の影響を強く受けて発展し、祭の山車の形も天下祭の流行を取りながら変化していったそうだ。平成17年には国指定重要無形民俗文化財となり、また、平成28年には、”川越氷川祭の山車行事”として、ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」に登録された。川越には何度も足を踏み入れているが、この素晴らしいお祭りは初めて。では、つづきを。

蔵造りの大通りを進むと右側に見慣れた”時の鐘”が現れる。創建された江戸時代の初期から、「時」を告げてきた小江戸・川越のシンボルである。

先に進み、”時の鐘”を振り返る。

その先に、山車を引いている一団が。今日、初めての曳行(えいこう)風景を見る。

岸町の山車で人形は木花咲耶姫

曲がり角を曲がる(祇園祭風に云うと)”辻回し”。ここではわりと簡単に方向転換する。

無事、方向転換がおわり、市庁舎目指して、曳行。

川越市役所前に到着。

市役所前にある山車は?

平成2年に市内のデパートから市に寄贈された山車とのこと。

記念撮影。

そのとき左方向から新富町の山車がひかれてきた。

三代将軍徳川家光を飾る。家光は川越で生まれた。喜多院に生誕の間が残されている。

市役所前は大混雑で長居はせず,往きとは別の道を通り、駅へ向かう。途中でいろいろな山車や色とりどりの法被を楽しむ。

川越まつり最大のみどころは”曳っかわせ(ひっかわせ)”とのこと。向かい合う数台の山車が、囃子(笛、太鼓、鉦、踊り)で競演し、まつり人たちは提灯を高々と振り上げ、歓声を上げる。とくに夜の「曳っかわせ」は最高潮の盛り上がりを見せる、とのこと。今度は夜に。

ぼくは遅いお昼をこのうなぎ屋さんで。二階に案内され、窓の開いている席へ。

この窓から、山車と囃子の川越まつりを楽しむ。うな重とビールがおいしかったこと!

素晴らしい2022年の川越まつりでした。来年も是非!

(完)

。。。。。

今朝の散歩で金木犀の香りに気づき、どこからと探してみると、二週間振りに”二度咲き”していた。で、午後、東慶寺のキンさんギンさんを訪ねた。キンさん(金木犀)は前回以上に咲いていたが、銀木犀の方はほんのわずか咲いているだけだった。

東慶寺のキンさんギンさん。左の小さな木がギンさん。

キンさんはよく咲いて、前回より香ばしく。

ギンさんは数輪ほど。二年振りに咲いてくれたが、”二度咲き”分はちょっぴり。でも、よくがんばった。

では、おやすみなさい。

いい夢を。

(川越の小便小僧)

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川越まつり

2022-10-17 11:15:55 | Weblog

おはようございます。

小江戸と親しまれる川越には数度、訪ねているが、祭り好きなぼくとしては、不覚にもまだ川越まつりには行っていなかった。昨日、目が醒めたとき、よし、今日は川越だと、決めた。前日に関東地方のニュースで知っていて、夢の中に山車が出て来たのだ。

湘南新宿ラインと東武東上線を使えば、2時間程度で行けるはずが、東武のトラブルで3時間もかかってしまった。川越駅を出たらいきなり山車が待っていてくれた。日曜日の祭りの予定は午後から市役所前からの山車の巡行がある。そのために準備しているのだ。市内には30基あまり町内会の山車があり、それぞれの街角で待機しているのだ。だから3キロほどある市役所までの通り沿いでいくつもの山車を見ることが出来た。それらを順にお見せしたいと思う。高山とか佐原とかの山車の出るお祭りも見ているが、さすが小江戸と言われるだけあって、それらに負けない見事な山車でした。

駅前で出会った脇田町の山車。上には徳川家康の人形が乗る予定。江戸人形師の名人の作品が多い。市役所前で家康が乗った山車を見た。粋な法被もいいね。

正面から。鉾の前面には囃子台があり、囃子に合わせた踊りもある。

商店街を歩くと、次々と山車が現れる。通町。人形は鍾馗さん。

中原町 河越太郎重賴の人形

連雀町 太田道灌

ここでは舞が行われていた。

連雀町の熊野神社のシンボル八咫烏

仲町 羅陵王 

蔵の通りに入った。川越は蔵の街としても知られている。

獅子に頭を嚙まられるといいことがあるらしい。

老舗もいっぱい。

芋菓子の名店。九里四里(くりより)うまい十三里半(江戸から13里半の川越の芋のこと)

九里屋もあります(笑)

蔵の通りを背景に山車が二基。

幸町 小狐丸

一応、今回はここまでといたしまする。一休み(笑)。

(つづく)

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で。

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大船フラワーセンター 花よりお化け

2022-10-15 22:16:34 | Weblog

こんばんわ。

午後、晴れてきたので大船フラワーセンターに出掛けた。お目当ての秋薔薇はまだまだだったが、ハロウィンの飾りにびっくり。”花よりお化け”で楽しめた。

玄関口にお化けがいっぱい。

お化けきのこ

芝生広場にはお化けカボチャ(本物です)がいっぱい。

ほかにもあちこち。

花のお化け

シモバシラの秋の花(もみじ山)

シモバシラの冬の華(去年の12月28日)

お化けのような実(ふくわばもくげんじ)

お化けすすき(パンパスグラス)

まともなすすき

秋桜と秋薔薇はもう少しあと。

では、おやすみなさい。

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巴水の清洲橋を茅ヶ崎で

2022-10-14 22:24:55 | Weblog

こんばんわ。

2009年、江戸博の”うるわしき大正新版画展”ではじめて川瀬巴水の”清洲橋”を見て、すっかり巴水ファンになった。これは、巴水の代表作の一つだが、その後、随分、巴水の展覧会を見ているが、意外と”清洲橋”は現れない。ぼくの過去ブログを調べてみると、2014年以来、記載がないようだ。それが、何と、今日、ふいに、現れたのだ。

何処で?茅ヶ崎美術館で。

茅ヶ崎駅から歩いて10分ほどの高砂緑地内に美術館はある。

そして、その展覧会は? ”THE 新版画/版元・渡邊庄三郎の挑戦”

久し振りだね、清洲橋さん。巴水ブルーの空と隅田川にかかる美しい橋。関東大震災からの復興のシンボル。巴水のまなざしは近代化する東京風景に向けられるが、橋の下を渡る小さな手漕ぎ舟とその漕ぎ手にもやさしい眼差しを。

清洲橋

まだハーバード大学の学生だったロバート・ムラーは、ニューヨークの日本美術店で一枚の絵に目がくぎづけになった。それが川瀬巴水の”清洲橋”だった。この日の感動がきっかけとなって、大正新版画の蒐集にのめりこんだのだ。生涯にわたり集めた2000点にも及ぶムラーコレクションは、スミソニアンの博物館群のひとつ、アーサー・サックラー・ギャラリーに寄贈された。前述の江戸東京博物館で開催された”よみがえる浮世絵/うるわしき大正新版画展”には、”清洲橋”をはじめムラーコレクションのよりすぐり30点が展示されていた。

茅ヶ崎美術館での”THE 新版画展”は、素晴らしかったが、その詳細はのちほどに。

ただ清洲橋だけではさびしので、ここでは、その隣りに展示されていた”相州七里ガ浜”をひとつ。

相州七里が浜 ぼくのよく出向く場所。七里ガ浜向かいに江の島。満月がここに出ているということは、早朝である。二人連れの早朝散歩が気になる。

美術館はこの高砂緑地内にある。

巴水はじめ、深水、五葉、小早川、紫浪、小原古邨ら錚々たる新版画家、勢揃いの見事な展覧会でした。”仙厓展”(あと3章分、残っている)の紹介のあとにでも詳しくレポの予定です。

では、おやすみなさい。

いい夢を。

美術館前のアメジストセージ↑

現在の清洲橋↑

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仙厓のすべて展(2)

2022-10-13 21:48:05 | Weblog

こんばんわ。

出光美術館で”仙厓のすべて”展が開かれている。出光興産の創業者、出光佐三が蒐集した日本最大の質と量を誇る仙厓コレクションからのよりすぐりである。今日は第2章の紹介となりまする。この章が、一番面白いかもしれない。仙厓さん独特の自由奔放「厓画無法]の絵がいくつも。

第1章 仙厓略伝 /画賛でつづる一生
第2章「厓画無法]/仙厓画、ビフォー・アンド・アフター
第3章 仙厓の禅の教え/悟りへのイントロダクション
第4章 仙厓の人生訓 /充実した生活のためのハウツー
第5章「絶筆宣言」/仙厓の終活
第6章 バラエティーあふれる画賛の世界 /仙厓に描けぬものは無し

第2章「厓画無法]仙厓画、ビフォー・アンド・アフター

仙厓さんは40歳くらいから絵を描き始めたが、当初、狩野派風画法の勉強をしたようだ。そして、隠棲した頃から、特定の画法にとらわれない画風を追及するようになり、70歳代に「厓画無法]を宣言した。自身の画には描く上で”決まった法が無い”という宣言で、この頃から自由奔放な画を描くようになった。

このきっかけは博多を訪問した浦上春琴に”高徳の僧雪舟も画技にたけていたため今では画僧としてしか知られていない。あなたにはその轍を踏んでもらいたくない”と言われ、技巧と決別したといわれている。自由奔放な画法の方が多くの人が目を向けてくれ、絵を通じて伝えたい教えもわかってもらえる、と晩年は「厓画無法]に徹した。

では、「厓画無法]のビフォー・アンド・アフターをご覧ください。同じ画題でもこうも違うかというのがわかる。

ビフォー編(狩野派風画法の頃)

布袋画賛

寿老画賛

釈迦三尊十六羅漢図

寒山拾得画賛 双幅

滝見観音画賛 晩年の作であるが、格調高い観音図に仕上げている。

アフター編(厓画無法)

自画像画賛 いろいろな人が自分の絵を欲しがっているという意味の賛。 

尾上心七(新七)七変化画賛 江戸の歌舞伎役者、尾上心七(新七)の早変わりの場面。

布袋画賛 ”世画有法/厓画無法 仏言/法本法無法” 思わず笑みをもたらす布袋図

竹画賛 仙厓さん得意の竹図

布袋画賛 賛は”夜もすがら 生死涅槃を 見し夢は いかに仏に魘(うな)されにける。(仏教では雑念こそが諸欲・諸悪の根源として、それをとり去った”無”の状態が理想とされる。でも、夢にまで妄念が出るようでは修行が足らない。そんな夢を見るくらいなら、早く目覚めた方が良い。そして、実際に世の人々を救い、導くことに専念しよう。

亀寿老画賛 寿老人と長寿の象徴、亀が言葉を交わしているような微笑ましい図柄。

釈迦如来画賛 前掲の釈迦三尊十六羅漢図の釈迦と比べるるとその画風の変貌ぶりがはっきりする。

寒山拾得画賛 これも以前のと比べると面白い。

滝見観音画賛 ここでは観音様の代わりに達磨大師が描かれている。右端に”達磨忌をむかえ、座禅をするのだが、尻に出来た腫物(ねぶと)が痛くてかなわない”と書かれている。 

まだまだ楽しい絵がいっぱいあります。次回は第3章へ。(つづく)

。。。。。。

ダル、ポストシーズ2勝目!

ナ・リーグ地区シリーズ(5回戦制)のドジャース戦に先発。エース・カーショーと投げ合い、6回途中、7安打3失点の粘投、勝利投手となった。シリーズを1勝1敗のタイに引き戻した。6回無死一、三塁のピンチを招いて降板したが、元阪神のスアレスが完璧な無失点リリーフで勝ちがついた。明後日からのサンディエゴでの2連戦で、パドレスが進出を決めたい。次の登板はナ・リーグ優勝決定シリーズ第一戦!

では、おやすみなさい。

いい夢を。


仙厓さんの二字書 「無事」

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仙厓のすべて 出光美術館 (1)

2022-10-12 11:03:13 | Weblog

おはようございます。

出光美術館で”仙厓のすべて”展が開催されている。当館は仙厓の書画のコレクションで有名で、一年置きくらいに大々的な仙厓展を開いている。ぼくも、仙厓さんのユーモラスで自由奔放の作品が好きで、ほぼ毎回、出向き、この日誌にも綴っている。

今回は、珍しく(笑)、図録も買ってしまったので、このブログにも代表作をなるべく多く載せておこうと思う。図録や本は見つからなくなることが多いが、ブログはgoo blogがつぶれないかぎり、残るしね(笑)。一度に無理なので、シリーズで数回にわけて時々、投稿しようと思う。

はじめに、知らない人のために、仙厓さんはどんな方だったのか、簡単に略歴を説明しておこう。

仙厓さん(1750~1837)は、美濃国(岐阜)の農家に生まれ、地元の清泰寺や武蔵国(横浜)の東輝庵(宝林寺)で修行する。寛政元年(1789年)、40歳で筑前国(博多)の日本最古の禅寺、聖福寺の住持となる。62歳で住持職を弟子の湛元(たんげん)に譲り、虚白院に隠居する。しかし、湛元が罪を受けて遠島されたため、87歳の時、住持に返り咲く。翌年の天保8年(1837)、88歳にして没する。虚白院に隠棲して、ユーモア溢れる書画を通じて、禅の普及に努めた。書画を求める人が多く、一時絶筆を宣言したほどだった。

本展は以下のような章立てになっているので順次、紹介したい。

第1章 仙厓略伝  画賛でつづる一生
第2章「厓画無法]仙厓画、ビフォー・アンド・アフター
第3章 仙厓の禅の教え 悟りへのイントロダクション
第4章 仙厓の人生訓  充実した生活のためのハウツー
第5章「絶筆宣言」 仙厓の終活
第6章 バラエティーあふれる画賛の世界  仙厓に描けぬものは無し

第1章 仙厓略伝 /画賛でつづる一生

東輝庵画賛 文政6年(1823) 74歳になった仙厓が友人の求めに応じ、武蔵・東輝庵での厳しい修行の補備を懐かしんで描いた図。月船の元で19歳から32歳まで修行、師の月船が亡くなったあと、奥州に旅立つ。その後、天明8年(1788)、博多の聖福寺に下る。

馬祖・臨済画賛 双幅 中国唐時代の禅僧、馬祖と臨済を描いた双幅。”一喝三日”とは馬祖の一喝があまりにすさまじく、三日間、耳が麻痺したという伝え。”打爺拳子”とは、黄檗に参禅した際、和尚から三度も痛打された臨済が高安大愚のもとで悟りを開いたあと、黄檗に再度して逆に痛拳を与えたというエピソードを描いた。

千光祖師(栄西)画賛 頭形に特徴のある栄西像。鎌倉や京都ではなく、西国の博多に我が国最初の禅宗寺院聖福寺を開いた。宗で千光法師の号を賜り、帰国後は後鳥羽天皇から”葉上”の号を賜った。千光 葉上 両朝賜号 合呼吾門初祖

雪中虚白院画賛 隠棲先の虚白院の雪景色。大雪のため朝食もとれずにいるが、このすばらしい雪景色は天女のもたらした贈り物のようにいとおしい、と賛。

書画巻(草稿)(部分)仙厓さんが筑前・築後の名所を訪ね歩いた際に、携帯した手控え帳。風景やその様子を詠んだ詩や歌が描き込まれている。

銅象鈕仙厓印(仙厓遺愛)仙厓の落款にそえられる朱印。

竹図・書彫扇形矢立(仙厓遺)旅に携行した矢立。表面には仙厓が得意とした竹図が添えられている。

第1章では、まだ仙厓さんらしいユーモアのある書画は出て来ませんが、次回以降をお楽しみに。

2016年2月に仙厓さんが住持職を務めた博多の聖福寺を訪ねた。

境内

禅問答のような。

その2年前の2014年7月、博多山笠にも行った。あの頃はまだ60代終盤、元気だったなぁ(笑)。もう一度、行かねば。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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夕焼け 夕富士 十六夜の月

2022-10-11 21:28:59 | Weblog

こんばんわ。

今日10月11日はいったいなんてついている日だろう。早朝に、朝焼け、朝富士、朝満月がみられてラッキーと思ったが、なんと、夕方もまた三つそろった。すばらしい夕焼けと夕富士、そして十六夜の月まで。こんな日はめったにない。

夕焼け&夕富士

十六夜の月

月の出と木星(右上)

十六夜の月 電線がちょっと邪魔

30分後

電線なしの無傷の十六夜の月

お祝いに、朝と同様、仙厓さんにまたご登場願いましょう。

布袋画賛

素晴らしい一日でした。

では、おやすみなさい。

いい夢を。

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