「香道」体験してきました
仲良しのトライアスロン仲間からのお誘いで、銀座のビルの中にある香席(日本香堂の本社内にありました)に出向き、志野流の若師匠(第二十世家元 蜂谷宗玄のご長男)のご指導の元、とても優雅で、有意義な時間を過ごしました。
ここ数年は、日本でも「香り」がブームになってきていますね あちこちで耳にする(目にする)「アロマ」がそうです。アロマキャンドル、アロマディフューザー、アロマランプ等、さまざまなものが販売されていますね。
世の東西を問わず、良い香りには人の心、気持ちを落ち着かせる効果がある、ということがわかっていて、紀元前の昔から、高貴な人々の間では非常に珍重されてきました。
幸いなことに今では、高貴な階層の方のみならず、万人がその効果を知り、楽しめるようになっています
ただ、ここ数年、今までにないブーム到来で、その「香りの癒し効果」のニーズが高まっていること自体、人の心がストレスに苛まれている?!ということなのでしょうが・・・
さて、その「良い香り」ですが、日本の「香道」は、西洋の「香りの癒し効果」とは少し趣を異にしているようです。
日本の香りのルーツは、仏教とともに伝来し、1000年以上の歴史があるそうで、最初は平安の頃、人口の約1%に満たなかった貴族達が「自分を表現する(認識させる)印」として、一人一人が香りを持っていたのだそうです
たとえば、あるプレイボーイである「Aの君」が、自分だけの香りをブレンドしてもらい、その香りを着物に移しておくと・・・「Aの君」がお部屋に入ったり、廊下を歩いただけで、御簾の向こうから、「ああ、Aの君がおいでになったのだわ」などと認識された・・・そんな風流でもあったそうです。
しかし「香道」として、一つの高貴な方々の一つの「たしなみ、芸道」になったのは室町時代になってからのこと。
京都の銀閣寺を舞台にした東山文化の中で育まれました。そのリーダーが足利八代将軍の義政。彼を取り巻く文化人や武将の中で、「香りを表現するために用いた和歌の知識」「それをしたためるための書道」とともに、雅であり、かつ高い教養を必要とする芸道でした。それが、500年以上の時を経て、今日に至っているのだそうです
西洋の香り文化が、人の「癒し」に役立ったことに対し、日本の「香道」は、あくまでも「自分を見つめるための時間」「無となり、自分を高めるための芸道」となっているのだとか・・・
体験の日は、合計3つの香りを「聞き」(香道では、香りを嗅ぐことを「聞く」と言います)、それを当てる、というゲーム的な遊び?をしたのですが、確かに、心を静めて、邪念を払わなければ、なかなか香りを聞き分ける・・・ということは難しかったですよ
この日は、何と言っても初めての体験で、いきなり「香りを当てましょう!」と言われ、ルールをお聞きし、何十年ぶりかで墨をすり、筆で字を書く・・・ということになり、すっかり舞い上がってしまい、到底「自分を見つめる」ところまではいきませんでした
体験を終えたあと、先生がおっしゃったひとことが、とても心に残りました・・・
「香木は非常に貴重です。自然の中での偶然によって、香木は誕生します。しかし、それ自体が偶然を待つような稀なものであるものなのに、今ではそれに拍車をかけるように、原産国であるマレーシアやインドネシアの熱帯樹林開発が進み、木々、森々そのものがなくなろうとしています
でも、何としても私はこの「香道」を守りたいと思っています。500年前の武将、貴族達が楽しんだ香木の中には、いまだに残っている、非常に貴重なものがあります。たとえば、その香りを聞けば・・・私達のお隣に、まさに織田信長や徳川家康が座っている・・・同じ香りを聞くことができるのです 時代を超えて、香りは存在しているのですね・・・」
むー・・・驚きましたでも、そうなんですねえ。きっと、戦国武将も、貴族も、豪商も、聞いた香りを、私達も聞くことができる・・・すごいことです
なかなか、こういう機会には恵まれませんが、何とか上手に、「自分を見つめる時間」を作り、心を静めて自分と対話する・・・きっと必要だなあ、と思いました
仲良しのトライアスロン仲間からのお誘いで、銀座のビルの中にある香席(日本香堂の本社内にありました)に出向き、志野流の若師匠(第二十世家元 蜂谷宗玄のご長男)のご指導の元、とても優雅で、有意義な時間を過ごしました。
ここ数年は、日本でも「香り」がブームになってきていますね あちこちで耳にする(目にする)「アロマ」がそうです。アロマキャンドル、アロマディフューザー、アロマランプ等、さまざまなものが販売されていますね。
世の東西を問わず、良い香りには人の心、気持ちを落ち着かせる効果がある、ということがわかっていて、紀元前の昔から、高貴な人々の間では非常に珍重されてきました。
幸いなことに今では、高貴な階層の方のみならず、万人がその効果を知り、楽しめるようになっています
ただ、ここ数年、今までにないブーム到来で、その「香りの癒し効果」のニーズが高まっていること自体、人の心がストレスに苛まれている?!ということなのでしょうが・・・
さて、その「良い香り」ですが、日本の「香道」は、西洋の「香りの癒し効果」とは少し趣を異にしているようです。
日本の香りのルーツは、仏教とともに伝来し、1000年以上の歴史があるそうで、最初は平安の頃、人口の約1%に満たなかった貴族達が「自分を表現する(認識させる)印」として、一人一人が香りを持っていたのだそうです
たとえば、あるプレイボーイである「Aの君」が、自分だけの香りをブレンドしてもらい、その香りを着物に移しておくと・・・「Aの君」がお部屋に入ったり、廊下を歩いただけで、御簾の向こうから、「ああ、Aの君がおいでになったのだわ」などと認識された・・・そんな風流でもあったそうです。
しかし「香道」として、一つの高貴な方々の一つの「たしなみ、芸道」になったのは室町時代になってからのこと。
京都の銀閣寺を舞台にした東山文化の中で育まれました。そのリーダーが足利八代将軍の義政。彼を取り巻く文化人や武将の中で、「香りを表現するために用いた和歌の知識」「それをしたためるための書道」とともに、雅であり、かつ高い教養を必要とする芸道でした。それが、500年以上の時を経て、今日に至っているのだそうです
西洋の香り文化が、人の「癒し」に役立ったことに対し、日本の「香道」は、あくまでも「自分を見つめるための時間」「無となり、自分を高めるための芸道」となっているのだとか・・・
体験の日は、合計3つの香りを「聞き」(香道では、香りを嗅ぐことを「聞く」と言います)、それを当てる、というゲーム的な遊び?をしたのですが、確かに、心を静めて、邪念を払わなければ、なかなか香りを聞き分ける・・・ということは難しかったですよ
この日は、何と言っても初めての体験で、いきなり「香りを当てましょう!」と言われ、ルールをお聞きし、何十年ぶりかで墨をすり、筆で字を書く・・・ということになり、すっかり舞い上がってしまい、到底「自分を見つめる」ところまではいきませんでした
体験を終えたあと、先生がおっしゃったひとことが、とても心に残りました・・・
「香木は非常に貴重です。自然の中での偶然によって、香木は誕生します。しかし、それ自体が偶然を待つような稀なものであるものなのに、今ではそれに拍車をかけるように、原産国であるマレーシアやインドネシアの熱帯樹林開発が進み、木々、森々そのものがなくなろうとしています
でも、何としても私はこの「香道」を守りたいと思っています。500年前の武将、貴族達が楽しんだ香木の中には、いまだに残っている、非常に貴重なものがあります。たとえば、その香りを聞けば・・・私達のお隣に、まさに織田信長や徳川家康が座っている・・・同じ香りを聞くことができるのです 時代を超えて、香りは存在しているのですね・・・」
むー・・・驚きましたでも、そうなんですねえ。きっと、戦国武将も、貴族も、豪商も、聞いた香りを、私達も聞くことができる・・・すごいことです
なかなか、こういう機会には恵まれませんが、何とか上手に、「自分を見つめる時間」を作り、心を静めて自分と対話する・・・きっと必要だなあ、と思いました