東京と九州を結ぶ唯一の寝台特急「はやぶさ・富士」号が、いよいよ最後の日を迎えました。
2009年3月13日、金曜日。JR西日本・下関車両管理室所属のEF66-53号機に引かれた12両編成のブルートレインは大勢の鉄道ファンや報道陣、それに一般の人たちに見送られて18時03分、東京駅10番線を定刻に発車しました。
私はこの日、東京出張でしたので、仕事帰りに新橋駅の東海道線ホームに足を運んでみました。通過時刻の約30分前に着きましたが、案に相違してファンの姿がほとんどありません。どこで撮影しようかと歩いていると、グリーン車の乗車位置でカメラを構えている方を見つけたので、その横に立たせてもらい、お話をしながら待機しました。
その方のお話では、結構な速度で通過するとのこと。コンデジしか持って来ていなかったので少しでも明るい場所を、と新橋駅を選んだのですが、ISO 1600にしても暗く、今イチです。Nikon D700を持ってくればよかったと思いましたが、今更どうしようもありません。山北行きや熱海行きの東海道線電車が到着するたび、練習してみますが、ノイズも出て苦しい状況です。そこで、撮影より見送り重視に切り替えることにしました。
そうしているうち、会社帰りのファンの方たちがデジ一などを持って集まって来られ、トラブルもなく並んで待ちかまえます。さらに18時を回って通過時刻間近になると、一般の乗客の人たちも携帯電話のカメラや持っているデジカメを構えて撮影しようと集まってきました。ただ、この人たちは私たちの前にお構いなしに出てこようとするので、ちょっと目に余る人には注意させてもらいました。通過まで時間があったらそばに寄って声をかけるところですが、まさに直前だったので、少し声を荒げざるをえず、残念でした。
見ての通り、見送る人たちを入れて撮影しようと考えていたので、画面に人がたくさん入るのは織り込み済みでした。しかし、画面のど真ん中に立たれるとさすがに絵になりませんので、致し方なしでした。
これまでも機関車に向けてストロボをたく人がいたり、ホームで黄色のラインの外に出たりする人が問題になるケースがありましたが、鉄道ファンでなく、一般の「にわかファン」がそういうことをするケースもあるようで、気をつけてほしいものだと思います。
しかし、それはともかく「汽笛一声新橋を」と鉄道唱歌に歌われた、日本で最初に汽車が走った新橋駅で東海道・山陽本線第1列車(この日は9001レですが)を見送れたことは良かったな、と思います。
2009-3-13 JR東日本・新橋駅
Fine Pix S8000fd,FUJINON ZOOM LENS 4.7-84.2mm F2.8-4.5,4.7mm
ISO 1600,1/250秒,f2.8
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なぜこんなに僕が寝台列車が好きなのかと言うと家が京都総合運転所の近くて小さい頃から寝台車とか国鉄型を見てきたため列車が好きになり特に寝台列車が好きになったからです
そしてこのブルーの色が関西では日本海のみとなり本当に残念です‥
それに今まで九州寝台には世話になったし思い出がたくさん作れたものの一つなので、世の中が寂しくなった気がしました
雨の中、お見送りされたのですね。敬意を表します。キトのお近くにお住いなのですね。私も梅小路が近く、幼い日から鉄道を見て育ち、今があります。
就職してから仕事が忙しく、鉄から離れていましたが三つ子の魂百までも、という通り、2年近く前に再び列車にレンズを向けると、今まで知らず知らずに抑えていた想いがあふれ、再び鉄道ファンの道を歩みだしました。
確かに一時代を画したブルトレがなくなっていくのは、さびしいものです。ただ、私の若いころもSLがなくなり、DLが数少なくなっていきました。その時代、EF65の一般形なんてはいて捨てるほどあったのですが、今や貴重になっています。
歴史というのは、こうして繰り返していくのだと思います。もちろん消えゆくものへ、心からお別れをするとともに、ずっとこれからも継続して鉄道を見守ってやってください。
私は、途中で、鉄から離れなければよかった、と今頃後悔しています。
もうじき50歳になるオジサンから高1の青年へのメッセージです。
彗星で出てこられたのなら、やはり思いはひとしおかと拝察いたします。
しゅうやんさんが、青い客車をお好きな理由がよくわかります。
掲示板の書き込みを拝見すると、近く九州にお帰りになるのですか?それもさびしいですね。