かつて京阪電車は七条-三条を鴨川に沿って走っていました。今は地下線になっていますが、三条に向かって左手に鴨川、右手に疏水の流れを見て走っていました。この写真は1977年1月8日に七条-五条で撮ったものです。
このころはまだ、直流600Vでした。この電車は三条行き普通の後追いです。
1757号。「細密イラストで見る京阪電車車両の100年」を見ると、1700型は戦後新生京阪電鉄のシンボルとなっています。1700型は京阪神急行電鉄から分離した翌年の1951年(昭和26)に特急専用車両として新製された17メートル2扉転換クロスシート車です。長年、京阪特急のカラーとして親しまれたマンダリンオレンジとカーマインレッドという鮮やかな色もこの1700型が最初です。
その後、ロングシート化され、1965年(昭和40)からは3扉になり通勤電車になりました。
同書によると、1983年(昭和58)の1500V昇圧時に廃車になったそうです。
正確な記憶ではないのですが、この写真を撮ったころは三条発着の宇治線直通電車に使用されていたのではないかと思います。
京都を走る鉄道を記録するという目的でシャッターを切ったのですが、こうした写真が残っていることをうれしく思っています。
1977年1月8日 京阪本線七条-五条 1700型 三条行き普通 アサヒペンタックスSPF
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うわ~っ、懐かしいです。
私にとって京阪電車は子供の頃から馴染みがある電車で、大阪の会社に通うようになってからもしばらくは七条~三条は地上線でした。四季の移り変わりが感じられる区間でしたね。
私は残念ながら当時の写真は持っていませんが、まむしさんの写真のおかげで、さまざまな懐かしい思い出がよみがえってくると同時に、1カットの写真の持つ力を改めて感じることができました。ありがとうございました!
当方は地元が阪神沿線と言うこともあり、思い入れは阪神なのですが、何故か次に来るのは「京阪」「近鉄」となっております・・・
やはり、阪急に対する阪神、京阪と「下町電車」のイメージが強いからでしょうか・・・(^^;
ですから、大阪から京都に行くにも阪急ではなく、京阪なんですよね・・・
「京橋を出ますと次は七条まで止まりません・・」と言う特急のアナウンスに興奮したものでした。
ですから、鴨川沿いの本線も急勾配の京津「蹴上」も懐かしい思い出です。
「京橋」地平の時代も幼少期の思い出にあったりして・・・(^^)
長文失礼しました・・
懐かしく思ってもらうと、アップした甲斐がありました(^o^)
そうか、京阪で三条から通勤なさっておいででしたら、車窓から四季の変化を感じられたことでしょう。鴨川の床とか、そういったものを見ることができますものね。
地下は味気ないですね。へたくそな写真ですが、まさに記録ということでは意味を持った写真だと自分でも思います。
阪急ファンの皆様には申し訳ないのですが、今はともかく、私の若いころはマルーン一色、見た目もさほど大きな変化はなく、おもしろみに欠けるなあというのが正直な思いでした。
私もC62重連さん同様、国鉄第一で次ぎは京阪でしたね。
今は阪急の味もちょっぴりわかる年になってきましたが。
ネオンの灯が揺れ、夏場は床も出て。いい光景でした。
コメントとてもうれしく思います。ありがとうございます。
そうなんですよね、今の川端からは京阪と疏水なんて思い浮かびませんものね。
三条京阪のみたらし団子ですか。それは覚えがありません。私の思い出は、市バスの多くが三条京阪発着でした。私の家の近くを走る系統も今は四条烏丸発着になっていますが、昔は三条京阪まで走っていました。
また、お暇なときにコメントいただけると、ありがたいです。