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捕虜にゴボウを食べさせて戦後有罪・死刑になった日本人

2019-08-15 13:10:46 | 知られざる悲劇はまだまだ多い
 上記の見出しを見て「その話なら知ってる」とお思いの方も多いでしょう。この捕虜収容所がどこにあり、犠牲になった若者が何という名前だったかは、私も即座には思い出せません。しかし複数の活字メディアと劇団「四季」のミュージカルで、目にしたことはたしかです。それらを全部調べあげて、精緻な記事に仕上げるよりも、令和で初めての終戦記念日に間に合うようなブログ記事としてお目にかけるほうがより大切との思いから、拙速を承知で書かせていただきます。
 
 時は1942年から45年ごろ。日本と戦った、米、英、仏、オランダ等の兵士の何人かは日本軍の捕虜(ほりょ)となりました。日本は、日清、日露戦争の昔から捕虜に対してもけっして居丈高に振舞ったり、「お前たちは捕虜なのだから身の程を知れ」というような、戦勝国面はしない国として知られてきました。しかし戦争が長引き、内地でもインドネシアなどの捕虜収容所でも食料事情は日ごとに悪化してきました。ある時、給食のおかずの手当てに窮した収容所の若い看守は、牛蒡(ゴボウ)をおかずにした食事をだしました。これをみた何人かの捕虜が騒ぎだし、「なんだ、これは木の根っこじゃないか!」こんなものを俺たちに食わせるというのか!」と詰め寄りました。看守はこれはけっして差別なんかじゃないのだ。日本人もとくに整腸効果があるとして何百年間も食べてきたのだ」といくら説明しても、彼らは言うことを聞きませんでした。元々なにか騒ぎを起こす種はないかと狙っていた可能性もあります。
 彼らに対して、一挙に状況を変えさせるような、ユーモアをまじえた説得力のあるコミュニケーション能力がこの若い看守にあるわけがありません。やがて大戦は終結を迎え、捕虜たちは恨みを抱いたまま故国に帰って行きました。この騒ぎは日本文化に対する無知と、看守らのコミュニケーション能力の不足が招いたものです。しかし捕虜たちは、自分たちが無知なるがゆえに、罪のない日本人の命を奪うことになったとは考えませんでした。白人特有の思い上がりと人種差別が根底にあった可能性もあります。
 次回は彼らが主導した国際裁判についてお伝えします。

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