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View of the World

世界と日本をつなぎあなたと世界を近づける

安倍総理はプロメテウスになれるか?

2020-04-30 11:28:11 | 知的スケールが一段と広がる情報
 前回は、1960年代の著書「ナルシスの世代」(ヘンリー・マルコム著)の素になったギリシャ神話の2人の人物をご紹介しました。水面に映った自分の姿を見てあまりの美しさに恋をし、これに触れようとして水に落ち、溺れて死んでしまう美少年ナルシス(ナルキッソス)と、人類に火を与えたために主神ゼウスの怒りを買い、岩肌に鎖で縛りつけられ、夜ごとにハゲタカに肝臓を食いちぎられながらも、この試練に耐える英雄的意志力の持ち主プロメテウスです。ナルシスは「自己陶酔」という言葉の語源にもなりました。
 著者のマルコムはこの2人を引いて、現代文明は「ナルシス的なるもの」が主流であり、強い意志力を持ったプロメテウスのような人間や商品はもてはやされないーーと指摘し、消費者や購買層の主力は「ナルシスの世代」だと言いました。読書家の間に大きな影響力を持つニューヨークタイムズの書評は、この本に好意的でした。私も書評に影響されて、早速買い求めたものです。しかし日常の忙しさと、この本の論理展開の仕方にどうにもなじめず、書斎に置いたままに50年以上が経ちました。
 
 この本がアメリカの社会でどのくらいの影響力を持ち、どの程度の支持を得ているのかは、ずっと気になっていました。なにしろタイトルと、着想の面白さが魅力的でした。私の見るところでは、アメリカ人の中にも、興味を持って本を買ったものの読んではいない人がかなりいるのではないかという気がします。読まなくとも、「ナルシスの世代」というタイトルが与えた影響はかなり大きく、現代社会を論じる際の基本的な流れの一つになったのでは、と思います。
 なぜいまごろになってこの本のことが気になったかと言いますと、日本のメディアが政権批判をする際に、国際的な常識とはあまりにかけ離れた批判をしているためです。5,6年前のこと、「安倍内閣は右傾している」という批判がたびたびマスコミに登場しました。しかし右傾ということを、国際的に通用する表現でいうと、どういう言い方になるのだろうかと、私は不思議に思ってきました。メディアが「右」という場合、大体は「タカ派」を意味します。かつて日本のメディアはロナルド・レーガンに一度もインタビューしたこともないのに「タカ派」だと極めつけました。しかし彼は一発の弾丸を撃つこともなく、ソ連との冷戦を終わらせたのです。安倍さんを「右」と呼ぶ心情は、このころの過ちの尾を引いていました。では国際的に安倍を平和主義者ではなく、好戦的と呼びたいのなら、どういう表現がふさわしいのか? 異論はあるでしょうがあえて言えば「ナルシス型でなくプロメテウス型」と分類するのがよいのでは、と私は思いました、しかし日本の政治部記者はこういう表現はまず知りません。マルコムの本のことも聞いたことがないでしょう。だから日本でしか通用せず、実態とはかけはなれた「右傾」けいう言葉が盛んに用いられたのです。
 それでは安倍総理ははたしてプロメテウス型の人物なのか?
 まったく違うと思います。ハゲタカに肝を食われても頑張り続けるようなタフさと胆力はこの人にはありません。顔つきと言い、しゃべり方と言い、どちらかと言えば「ナルシス型」でしょう。祖父の岸信介
元総理や吉田茂元総理のような、「マスコミがどう反対しようが、自分はこうすることが日本の国益に最もかなうと信ずることを、断行するのだ」という迫力と、ゆるがない信念は安倍さんにはないと思います。辻元清美や安住淳といった、国の防衛についての定見もヴィジョンもなく、日本を侵略すると高言している国の恐ろしさについてもまったく理解していない政治家たちに絡まれて、国会で「謝罪」などしているようでは、憲法改正といった大事業はとてもできまいという見方が、保守層に広がっているのです。

 「ではいっそ安倍を見限ったらよいではないか。百田尚樹や小堀桂一郎のように」というご意見もあるでしょう。しかし安倍さんの後継者として名乗りをあげている自民党の議員や野党の党首たちの言動を見聞きしていると、彼らが政権を取った場合、日本はいまよりはるかに危険になり、不安定になることは間違いない」という懸念の方がずっと大きいのです。一番の心配事は、彼らの「教養と国際常識の不足」です。いまの世界がどういう力学で動いているのかが、全く分かっていず、従って日本および世界の安定と自由、さらに繁栄をどう守るかという哲学がない人たちです。ここは実行力と肝っ玉では偉大な先輩たちに比べれば、いかにも頼りない安倍総理でも、「目が見えているだけでも後継者候補たちよりはるかに安定している」と思います。
 
 世界全体はもはや「ナルシスの時代」から脱しようとしています。いきなり「プロメテウスの時代」に移行するとは思いませんが、政治家各位も読者の皆さんも、心の中に「そうか、プロメテウス的要素を何割かふやさないと危ないのか」と思っていただければ、このブログの筆者としては大いに報われます。よろしくお願いします。

さらば「ナルシスの時代」

2020-04-28 10:56:51 | 知的スケールが一段と広がる情報
ハムレットとドン・キホーテ、 アポロンとディオニソス

 昔から人は文化や人物をいくつかのパターンに分類して語ってきました。広く普及した分類法もあれば、いまひとつ大衆に人気のない分類もありました。まず最も人気があるのは、「ハムレット型人間と、ドン・キホーテ型人間」です。母親が、こともあろうに自分の夫を暗殺した男と再婚するという、この上ない苛酷な運命にさらされて苦悩し、「生きるべきか死すべきか」と思い詰める青年ハムレットと、現実と幻想の区別がつかなくなっていても、「とにかく行動するのだ」と、敢然と人生にたち向かう夢想家で楽観主義者ドン・キホーテの対比は非常に分かりやすく、広い支持を得てきました。
 ギリシャ神話を引用して「芸術には調和の取れた美しさを尊ぶアポロン的芸術と、時に飲酒の陶酔感が生み出すひらめきを重視するディオニソス(ローマ神話ではバッキュス、英語読みではバッカス)との対比もまた、多くの芸術論の基本となりました。ディオニソスにはどこか「魔的な(デモーニッシュな)魅力があり、これに惹かれている人はいまもかなりいます。

ナルシスとプロメテウス
 
 ここまでは前置きです語りたいのは、ナルシスとプロメテウスを使って現代文明を斬ろうとした、ある試みとその影響、さらに現在の日本のマスコミ・教育・政治との関連です。
 
 1960年代の半ばに、アメリカで「ナルシスの世代」(Generation of Narcissus)という本が出版されました。著者はヘンリー・マルコム(Henry Malcolm)です。「いまの文明社会は、ギリシャ神話に出てくる美少年ナルシス型の要素が強い。水面に映った自分の姿を見て、思わず恋をしてしまう。自分の姿とも知らず、恋しさのあまり水中の美少年に触れようとして、水に落ち溺れて死んでしまう。オリンポスの神々は、少年の悲恋を哀れむ。月日が流れ、やがて少年が亡き者になった水辺に、みごとな水仙の花が咲く。そして花は「ナルシス」と名付けられる。
 まさに少年は自己陶酔の権化(ごんげ)であり、やがてナルシズム(ナルシシズム)という自己陶酔を指す言葉が生まれてくる。現代文明の主流は、こうしたナルシス型の価値観であり、感性だ。なよなよとしてどこか女性的なものがもてはやされる。自動車でも衣服でも、力強くメリハリのはっきりした男性的なものは売れない。ヨーロッパの人気商品は、イタリア人デザイナーを用い、曲線的なデザインでマーケッティングし、成功している。いまの消費者・購買者・有権者の大半はまさに「ナルシスの世代」なのだ。政治姿勢にしてもこうしたことを頭に入れておく必要があるのではないか。

 これと対極をなすのが、「プロメテウス型人間」だ。プロメテウスは神々しか使えなかった「火」をオリンパスの山から採ってきてきて、人間に与えたために、主神ゼウスの怒りを買い、コーカサスの山の岩肌に鎖で縛りつけられる。夜になると恐ろしいハゲタカが彼の肝をつついて食べてしまう。その恐怖は、筆舌につくせない。だが彼は強靭な意志力で、この運命に耐える。やがて朝がくる。猛禽に食われた肝がよみがえる。希望もまたよみがえる。だがふたたびみたび恐怖の夜がやってくる。人類に火を与えてくれた大恩人は、こうした恐怖に立ち向かっているのだ。

 こうした物語から、マルコムは文明論を展開しようとしたのですが、その成否については次回に語らせていただきます。


新婚は「ハネムーン」女スパイのわなは「ハニートラップ」

2019-05-20 11:24:09 | 知的スケールが一段と広がる情報
 同じ外国語でも日本では違うものとして扱われ、それだけ細かい「選別眼」が必要な例がいくつもあります。見出しに掲げたのはその代表的な一例です。同じ「ハニー」(蜂蜜)という英語でありながら、翻訳された時期と使うシチュエーションによって全く違ったもののように思われている例は実に多い。どこかで一度整理しておきたいものです。

 ハニーならまだ原語の推測がつきますが、「バレーボール」とテニスのノーバウンド打球の「ヴォレー」(volley)が同じ言葉だということを意識している人は、極めて少ないと思います。和製英語もけっこうですが、たまには「原語を思い出したい」ものです。何気なく使っている和製外国語の意味がより正確に理解できるようになるからです。その効果はかなり大きく、あなたが得られるメリットは想像以上のものです。

魂に響く声 (Gentlemen, Start your xxx!) インディ500

2019-05-12 12:00:13 | 知的スケールが一段と広がる情報
いままでに「ジェントルメン!」という言葉は何度か聞いてきました。いくらなんでも盗賊の親分が部下を束ねる際の、日本語で言えば「野郎ども!」に当る英語の号令は聞いたことはありませんが--。この感動的な言葉の響きが耳の底に残っていたことが、ここ数回の「ジェントルメン」たちを取り上げるきっかけとなりました。まさに連想力というのは、どこまで行くのか当初は予測のつかないものです。なにしろ盗賊の親分の言葉から始まり、バカ丁寧なジェントルマン追い剥ぎへ行くかと思えば、有吉佐和子さんへ、さらには元総理大臣へと話が飛ぶのですからーー。しかしいくらなんでもジェントルマンの話は今日でひとまず終わりにします。

 今回の見出しの中の Gentlemen! Start your xxx. の xxx に当る言葉は engine であり、有名なインディアナポリス 500マイルレース(インディ500)の「競技開始!」を告げるアナウンスメントです。この言葉が終わるか終わらない内に、会場に待機している車はいっせいに「ガウン! ガウン、ガン、ガン!」という唸り声を発します。まさに男の名誉と富を賭けたレースが始まろうとしているのです。年にただ一度、インディアナ州のインディアナポリスで繰リ広げられるこのレースは、FI(フォーミュラI)車の魅力を存分に伝える伝統の一戦です。

 1967年5月、私の勤務するテレビ局NET(今のテレビ朝日)は、このレースを日本で初めて「生で」放送しました。放送の権利を獲得する戦いも熾烈でしたが、私は直接この交渉には参加しませんでした。私の責任範囲は、いかにして現場からの映像と音声を無事に日本へ送り届けるかでした。もちろん番組が日本に届くためには、太平洋の上空に静止している通信衛星がきちんと稼働していなければなりません。衛星が「静止する」と言っても、実際には地球の自転と同じ猛スピードで回転しているわけです。とにかく細かい技術を必要とするテクノロジーでした。加えてこのころアメリカ国防総省(ペンタゴン)は、ベトナムとの通信のために民間の我々が使う衛星回線も何本かを抑えており、緊急の場合には民間に使わせないこともありうる状態でした。一見平和そのものの自動車レース中継も、裏側まで見える人には戦争の影が垣間(かいま)見えたのでした。
 
 このころの国際中継というのは、宇宙に静止している衛星を使うということで、「宇宙中継」と呼ばれていました。宇宙中継に向いた番組のジャンルといえば、モハメッド・アリが戦うボクシングのヘビーウエイト級世界選手権試合などが有力でしたが、ほかにも宇宙中継に向いた番組はないかと、各局は目の色を変えていました。
 そうした空気の中で、インディ500の中継に携わることができるというのは、テレビ局員として大きな喜びであり、誇りでした。

 番組のゲスト・コメンテーターとしては、東京から永六輔さんがやってきました。アナウンス席の真下には真っ赤な花が見えました。永さんはこの色に刺激され、詩人の豊かな連想力が働いたらしく、競技場で起こりうる「事故」に言及しました。「そこまでは言い過ぎ」と考えた人たちもいたようですが、レースはひとつの重大な事故もなく無事に終了しました。
 時は移り、人は去り、通信技術は格段の進歩をとげました。いろいろな人々の、いろいろな思いが詰った日々でした。

紳士は「原則」で決める。「状況を見て」は恥ずかしい言葉

2019-05-07 17:06:40 | 知的スケールが一段と広がる情報
 総理大臣であった時、大衆受けのする短い言葉を連発し、人気のあった政治家がいました。もともと人気取りのための言葉ですから、深い思想や哲学があったわけではありません。誰もそんなことは期待していませんでした。記者会見などで、重要案件について、記者から「この件はどうするのですか?」と鋭く突っ込まれた場合、この人は「ですから(何度も申し上げたとおり)状況を見て、慎重に判断します」というのが常でした。彼はそれが政治の最高責任者の採るべき道であり、正しいことだと信じているのが明らかでした。

 しかし私を含め、英国紳士の言動をつぶさに見てきた者にとっては、この言葉はいただけませんでした。状況を見てから決めるというのでは、「風の吹き回しによって決断内容が変わる」ということです。「ジェントルマンの言葉じゃないねえ」というのが我々の見方でした。「ジェントルマンというのは状況によって左右されたりはしないものだ。一国の総理がそんなことも弁えないで、得々としてこんな言葉を口にするというのは恥ずかしい」。「要するに『教養の不足』だよ」といった会話が交わされました。国際人の常識ともいうべき会話内容であり、「嘆き」の声でした。

 さてこの人が首相を辞め、衆議院議員のバッジを外してからの言動を見ていると、かつての国際派人間たちがいかに正確な人物評価をしていたかを改めて思い知らされます。リタイアした首相というのは、自分の後輩の現役首相のすることなすことが、どんなに気にいらなくとも、じっと我慢し、「現役批判めいたことはいっさい口にすべきでない」というのが世界のまともな国々での常識であり、「男の美学」というものです。
 しかしここに挙げた元首相には、そうした慎みや自己抑制といったものはいっさいなく、「原発を廃止せよ」といったことをさかんに吠えています。その主張を唱えれば、都知事選に勝てると吹き込まれたこれも「元総理」の一人は、さる都知事選で当選どころか次点にもなれず、三位という屈辱を舐めたにも関わらず、「状況を見て決める」氏はまったく懲りず、自分の言動が「受けている」と錯覚したままです。
 
 最も分かりやすいたとえ話をすれば、この人は「会社を辞めた社長が後輩の社長のすることなすことが気に食わず、あれこれと口出しをしている」姿に似ています。これから日本は大きな苦難の道に突き進む可能性がきわめて大です。そんな時に、見当はずれの政権批判はまさに有害です。しばらく口を閉ざし、後輩たちを信頼する人生を歩んでほしいものです。
 
お薦め本は『紳士道と武士道』

 「そんな過去の人」のことよりも、現在および未来の日本人にとってもっと有益なアドバイスはないのか。あればぜひ聞かせてほしい」とお思いでしょう。アドバイスは一冊の本です。
 著者はBBC放送の元日本語部長トレバー・レゲットさん。サイマル出版会刊。絶版になっていますがあなたの町の図書館にあることを期待しています。私もこの本から、多くを学びました。著者はユーモア豊かな、人間味たっぷりの教養人でした。