前回は、1960年代の著書「ナルシスの世代」(ヘンリー・マルコム著)の素になったギリシャ神話の2人の人物をご紹介しました。水面に映った自分の姿を見てあまりの美しさに恋をし、これに触れようとして水に落ち、溺れて死んでしまう美少年ナルシス(ナルキッソス)と、人類に火を与えたために主神ゼウスの怒りを買い、岩肌に鎖で縛りつけられ、夜ごとにハゲタカに肝臓を食いちぎられながらも、この試練に耐える英雄的意志力の持ち主プロメテウスです。ナルシスは「自己陶酔」という言葉の語源にもなりました。
著者のマルコムはこの2人を引いて、現代文明は「ナルシス的なるもの」が主流であり、強い意志力を持ったプロメテウスのような人間や商品はもてはやされないーーと指摘し、消費者や購買層の主力は「ナルシスの世代」だと言いました。読書家の間に大きな影響力を持つニューヨークタイムズの書評は、この本に好意的でした。私も書評に影響されて、早速買い求めたものです。しかし日常の忙しさと、この本の論理展開の仕方にどうにもなじめず、書斎に置いたままに50年以上が経ちました。
この本がアメリカの社会でどのくらいの影響力を持ち、どの程度の支持を得ているのかは、ずっと気になっていました。なにしろタイトルと、着想の面白さが魅力的でした。私の見るところでは、アメリカ人の中にも、興味を持って本を買ったものの読んではいない人がかなりいるのではないかという気がします。読まなくとも、「ナルシスの世代」というタイトルが与えた影響はかなり大きく、現代社会を論じる際の基本的な流れの一つになったのでは、と思います。
なぜいまごろになってこの本のことが気になったかと言いますと、日本のメディアが政権批判をする際に、国際的な常識とはあまりにかけ離れた批判をしているためです。5,6年前のこと、「安倍内閣は右傾している」という批判がたびたびマスコミに登場しました。しかし右傾ということを、国際的に通用する表現でいうと、どういう言い方になるのだろうかと、私は不思議に思ってきました。メディアが「右」という場合、大体は「タカ派」を意味します。かつて日本のメディアはロナルド・レーガンに一度もインタビューしたこともないのに「タカ派」だと極めつけました。しかし彼は一発の弾丸を撃つこともなく、ソ連との冷戦を終わらせたのです。安倍さんを「右」と呼ぶ心情は、このころの過ちの尾を引いていました。では国際的に安倍を平和主義者ではなく、好戦的と呼びたいのなら、どういう表現がふさわしいのか? 異論はあるでしょうがあえて言えば「ナルシス型でなくプロメテウス型」と分類するのがよいのでは、と私は思いました、しかし日本の政治部記者はこういう表現はまず知りません。マルコムの本のことも聞いたことがないでしょう。だから日本でしか通用せず、実態とはかけはなれた「右傾」けいう言葉が盛んに用いられたのです。
それでは安倍総理ははたしてプロメテウス型の人物なのか?
まったく違うと思います。ハゲタカに肝を食われても頑張り続けるようなタフさと胆力はこの人にはありません。顔つきと言い、しゃべり方と言い、どちらかと言えば「ナルシス型」でしょう。祖父の岸信介
元総理や吉田茂元総理のような、「マスコミがどう反対しようが、自分はこうすることが日本の国益に最もかなうと信ずることを、断行するのだ」という迫力と、ゆるがない信念は安倍さんにはないと思います。辻元清美や安住淳といった、国の防衛についての定見もヴィジョンもなく、日本を侵略すると高言している国の恐ろしさについてもまったく理解していない政治家たちに絡まれて、国会で「謝罪」などしているようでは、憲法改正といった大事業はとてもできまいという見方が、保守層に広がっているのです。
「ではいっそ安倍を見限ったらよいではないか。百田尚樹や小堀桂一郎のように」というご意見もあるでしょう。しかし安倍さんの後継者として名乗りをあげている自民党の議員や野党の党首たちの言動を見聞きしていると、彼らが政権を取った場合、日本はいまよりはるかに危険になり、不安定になることは間違いない」という懸念の方がずっと大きいのです。一番の心配事は、彼らの「教養と国際常識の不足」です。いまの世界がどういう力学で動いているのかが、全く分かっていず、従って日本および世界の安定と自由、さらに繁栄をどう守るかという哲学がない人たちです。ここは実行力と肝っ玉では偉大な先輩たちに比べれば、いかにも頼りない安倍総理でも、「目が見えているだけでも後継者候補たちよりはるかに安定している」と思います。
世界全体はもはや「ナルシスの時代」から脱しようとしています。いきなり「プロメテウスの時代」に移行するとは思いませんが、政治家各位も読者の皆さんも、心の中に「そうか、プロメテウス的要素を何割かふやさないと危ないのか」と思っていただければ、このブログの筆者としては大いに報われます。よろしくお願いします。
著者のマルコムはこの2人を引いて、現代文明は「ナルシス的なるもの」が主流であり、強い意志力を持ったプロメテウスのような人間や商品はもてはやされないーーと指摘し、消費者や購買層の主力は「ナルシスの世代」だと言いました。読書家の間に大きな影響力を持つニューヨークタイムズの書評は、この本に好意的でした。私も書評に影響されて、早速買い求めたものです。しかし日常の忙しさと、この本の論理展開の仕方にどうにもなじめず、書斎に置いたままに50年以上が経ちました。
この本がアメリカの社会でどのくらいの影響力を持ち、どの程度の支持を得ているのかは、ずっと気になっていました。なにしろタイトルと、着想の面白さが魅力的でした。私の見るところでは、アメリカ人の中にも、興味を持って本を買ったものの読んではいない人がかなりいるのではないかという気がします。読まなくとも、「ナルシスの世代」というタイトルが与えた影響はかなり大きく、現代社会を論じる際の基本的な流れの一つになったのでは、と思います。
なぜいまごろになってこの本のことが気になったかと言いますと、日本のメディアが政権批判をする際に、国際的な常識とはあまりにかけ離れた批判をしているためです。5,6年前のこと、「安倍内閣は右傾している」という批判がたびたびマスコミに登場しました。しかし右傾ということを、国際的に通用する表現でいうと、どういう言い方になるのだろうかと、私は不思議に思ってきました。メディアが「右」という場合、大体は「タカ派」を意味します。かつて日本のメディアはロナルド・レーガンに一度もインタビューしたこともないのに「タカ派」だと極めつけました。しかし彼は一発の弾丸を撃つこともなく、ソ連との冷戦を終わらせたのです。安倍さんを「右」と呼ぶ心情は、このころの過ちの尾を引いていました。では国際的に安倍を平和主義者ではなく、好戦的と呼びたいのなら、どういう表現がふさわしいのか? 異論はあるでしょうがあえて言えば「ナルシス型でなくプロメテウス型」と分類するのがよいのでは、と私は思いました、しかし日本の政治部記者はこういう表現はまず知りません。マルコムの本のことも聞いたことがないでしょう。だから日本でしか通用せず、実態とはかけはなれた「右傾」けいう言葉が盛んに用いられたのです。
それでは安倍総理ははたしてプロメテウス型の人物なのか?
まったく違うと思います。ハゲタカに肝を食われても頑張り続けるようなタフさと胆力はこの人にはありません。顔つきと言い、しゃべり方と言い、どちらかと言えば「ナルシス型」でしょう。祖父の岸信介
元総理や吉田茂元総理のような、「マスコミがどう反対しようが、自分はこうすることが日本の国益に最もかなうと信ずることを、断行するのだ」という迫力と、ゆるがない信念は安倍さんにはないと思います。辻元清美や安住淳といった、国の防衛についての定見もヴィジョンもなく、日本を侵略すると高言している国の恐ろしさについてもまったく理解していない政治家たちに絡まれて、国会で「謝罪」などしているようでは、憲法改正といった大事業はとてもできまいという見方が、保守層に広がっているのです。
「ではいっそ安倍を見限ったらよいではないか。百田尚樹や小堀桂一郎のように」というご意見もあるでしょう。しかし安倍さんの後継者として名乗りをあげている自民党の議員や野党の党首たちの言動を見聞きしていると、彼らが政権を取った場合、日本はいまよりはるかに危険になり、不安定になることは間違いない」という懸念の方がずっと大きいのです。一番の心配事は、彼らの「教養と国際常識の不足」です。いまの世界がどういう力学で動いているのかが、全く分かっていず、従って日本および世界の安定と自由、さらに繁栄をどう守るかという哲学がない人たちです。ここは実行力と肝っ玉では偉大な先輩たちに比べれば、いかにも頼りない安倍総理でも、「目が見えているだけでも後継者候補たちよりはるかに安定している」と思います。
世界全体はもはや「ナルシスの時代」から脱しようとしています。いきなり「プロメテウスの時代」に移行するとは思いませんが、政治家各位も読者の皆さんも、心の中に「そうか、プロメテウス的要素を何割かふやさないと危ないのか」と思っていただければ、このブログの筆者としては大いに報われます。よろしくお願いします。