まずは昨日の訂正。
雅子様は昨日帰国されたとの事。
ま、嵐には違いない。
で、本題。
とにかく私は、日本のおばさんの一人として恥ずかしいのである。
ヨン様の次はユウ様だとよっ!
私は当初、決してぺ氏が嫌いな訳ではなかった。
知性と品性が感じられ、確かに日本には今のところいないタイプの俳優だ。
しかし、あの馬鹿げたブームのお陰で、本人とは関係なく醜いものの象徴に見えだしてしまったのだ。
原因はもちろん、我が同胞、日本のおばさんである。
韓国の俳優達が一様に折り目正しいのは、国を背負っているからだと私は思っている。自分の姿、自分の言動の後ろに韓国という国があるという緊張感とでもいうのだろうか。決して両国の間柄が良いとは言えないからこそ、その相手国からの人気という微妙な立場の彼ら、彼女らの態度を、慎重なものにしていると思われるのだ。
まぁその一方の日本のおばさんの、知性も品性もない事よ!
もちろん国の意識なんぞカケラもありゃしない。自分の姿、自分の言動の後ろに日本という国があるなんて緊張感は皆無だ。
大げさな事を言えば、これもまた平和憲法のなせる技なのかもしれない。
ぺ氏に熱狂した世代は、国民の意識から`国’というものを排除し、`個人の権利’に重きを置いた教育、あるいは社会通念のもとに、それらを何の疑いもなく与えられ受け入れて育ち生きてきた女たちだ。親や教師に反抗し、規則で縛られるのを嫌い、自由を求め、そんな若い時代に`おっかけ’にエネルギーを費やした先駆的世代だ。子育てに一段落し、お金と時間に余裕ができ、誰かに束縛される事もなく若い頃の`おっかけ’熱に心おきなく埋没できる。
個人の権利全開!って訳だ。
帰国するぺ氏の先回りをして韓国の空港まで出向き、インタビュアーに「日韓関係はあまり良い状況ではないですが」と言われて、大はしゃぎで「そ~んなこと、どーでもいい~!」と言い放った日本のおばさん。
テレビを見ていたこっちが赤面してしまう恥ずかしさだ。
そのおばさんは、今度は「ユウ様にさわっちゃった~!」と大はしゃぎである。
なんか、他に考える事はないのか?
ぺ氏が「仕事に疲れて萎んだ亭主」からの現実逃避なら、ユウ様は「思った通りにならなかった子供」からの現実逃避かい?
もっと言っちゃえば、絶対になれない`夢見る少女’に現実逃避って訳だ。
結婚し家庭を築く事をしていない私が、それを言う権利は無いのだろうな。
そこには様々な失望、現実逃避せざるを得ない虚しい現実があるんだろう。
ただ、これだけは言える。
これら日本のおばさんは、自分自身に対して何もしていないのだ。
自分を掘っくり返し、自分を開拓する作業をしていないのだ。
「忙しくて、そんな事してる暇なんかなかったわよ!」 と返ってくるだろうが。
`与えられ受け入れるだけ’だったんじゃないの? 実は。
目の前に与えられた誰かをおっかける、おっかける事にエネルギーを使って、それを`生き甲斐’とすり替える。もちろん、おっかける事で、例えば自分の事を振り返ったり考えたりするような対象なら`生き甲斐’と言えるものだろう。しかし、日本のおばさんのこの現象は、ただただ現実から逃れて夢を見たいだけの対象に飢えているに過ぎないと思えますが。
その新しい対象に、あの幼気(いたいけ)なイメージと強気のピッチングが同居する少年が選ばれたらしい。さわっちゃったおばさんは幸福の絶頂かもしれないが、さわられた`ユウ様’はどうなのだ? その上「応援してくれてありがとう」って`言わなきゃならない’ユウ様は、ぺ氏の様に自国に帰って難を逃れる事もできない。
さぁ、この私、一歩間違えば、いい加減にしろよと言われるおばさんになってしまうのだ。
断固阻止せねばならない。
自分で自分を開拓するのをやめた時、こんな事を書いた事すら忘れてヨン様ユウ様をおっかける事になるだろう。
そんな`種’が自分の中に存在する事に、実は気づいているのだ。
年齢に逆行して夢見る少女に立ち返ろうとする、恐ろしい種だ。
だから、それを平然とやってのけている日本のおばさんが恥ずかしいのだ。
腹が立つのだ。
少年の心を持つ男、少女の心を持つ女。
それらを`素敵な事’にするのは難しい。
雅子様は昨日帰国されたとの事。
ま、嵐には違いない。
で、本題。
とにかく私は、日本のおばさんの一人として恥ずかしいのである。
ヨン様の次はユウ様だとよっ!
私は当初、決してぺ氏が嫌いな訳ではなかった。
知性と品性が感じられ、確かに日本には今のところいないタイプの俳優だ。
しかし、あの馬鹿げたブームのお陰で、本人とは関係なく醜いものの象徴に見えだしてしまったのだ。
原因はもちろん、我が同胞、日本のおばさんである。
韓国の俳優達が一様に折り目正しいのは、国を背負っているからだと私は思っている。自分の姿、自分の言動の後ろに韓国という国があるという緊張感とでもいうのだろうか。決して両国の間柄が良いとは言えないからこそ、その相手国からの人気という微妙な立場の彼ら、彼女らの態度を、慎重なものにしていると思われるのだ。
まぁその一方の日本のおばさんの、知性も品性もない事よ!
もちろん国の意識なんぞカケラもありゃしない。自分の姿、自分の言動の後ろに日本という国があるなんて緊張感は皆無だ。
大げさな事を言えば、これもまた平和憲法のなせる技なのかもしれない。
ぺ氏に熱狂した世代は、国民の意識から`国’というものを排除し、`個人の権利’に重きを置いた教育、あるいは社会通念のもとに、それらを何の疑いもなく与えられ受け入れて育ち生きてきた女たちだ。親や教師に反抗し、規則で縛られるのを嫌い、自由を求め、そんな若い時代に`おっかけ’にエネルギーを費やした先駆的世代だ。子育てに一段落し、お金と時間に余裕ができ、誰かに束縛される事もなく若い頃の`おっかけ’熱に心おきなく埋没できる。
個人の権利全開!って訳だ。
帰国するぺ氏の先回りをして韓国の空港まで出向き、インタビュアーに「日韓関係はあまり良い状況ではないですが」と言われて、大はしゃぎで「そ~んなこと、どーでもいい~!」と言い放った日本のおばさん。
テレビを見ていたこっちが赤面してしまう恥ずかしさだ。
そのおばさんは、今度は「ユウ様にさわっちゃった~!」と大はしゃぎである。
なんか、他に考える事はないのか?
ぺ氏が「仕事に疲れて萎んだ亭主」からの現実逃避なら、ユウ様は「思った通りにならなかった子供」からの現実逃避かい?
もっと言っちゃえば、絶対になれない`夢見る少女’に現実逃避って訳だ。
結婚し家庭を築く事をしていない私が、それを言う権利は無いのだろうな。
そこには様々な失望、現実逃避せざるを得ない虚しい現実があるんだろう。
ただ、これだけは言える。
これら日本のおばさんは、自分自身に対して何もしていないのだ。
自分を掘っくり返し、自分を開拓する作業をしていないのだ。
「忙しくて、そんな事してる暇なんかなかったわよ!」 と返ってくるだろうが。
`与えられ受け入れるだけ’だったんじゃないの? 実は。
目の前に与えられた誰かをおっかける、おっかける事にエネルギーを使って、それを`生き甲斐’とすり替える。もちろん、おっかける事で、例えば自分の事を振り返ったり考えたりするような対象なら`生き甲斐’と言えるものだろう。しかし、日本のおばさんのこの現象は、ただただ現実から逃れて夢を見たいだけの対象に飢えているに過ぎないと思えますが。
その新しい対象に、あの幼気(いたいけ)なイメージと強気のピッチングが同居する少年が選ばれたらしい。さわっちゃったおばさんは幸福の絶頂かもしれないが、さわられた`ユウ様’はどうなのだ? その上「応援してくれてありがとう」って`言わなきゃならない’ユウ様は、ぺ氏の様に自国に帰って難を逃れる事もできない。
さぁ、この私、一歩間違えば、いい加減にしろよと言われるおばさんになってしまうのだ。
断固阻止せねばならない。
自分で自分を開拓するのをやめた時、こんな事を書いた事すら忘れてヨン様ユウ様をおっかける事になるだろう。
そんな`種’が自分の中に存在する事に、実は気づいているのだ。
年齢に逆行して夢見る少女に立ち返ろうとする、恐ろしい種だ。
だから、それを平然とやってのけている日本のおばさんが恥ずかしいのだ。
腹が立つのだ。
少年の心を持つ男、少女の心を持つ女。
それらを`素敵な事’にするのは難しい。