あとだしなしよ

Japanese text only..
落書きブログです。
報道記事の全引用は元記事消去への対応です。m(__)m

スウェーデン

2005年12月11日 | サッカー
唐突にワールドカップサッカー出場国紹介。

スウェーデン

スウェーデンは10番のイブラヒモビッチ、11番の勝負強いベテランFWラーション、左サイドハーフの9番の縦の突破が良い。イブラヒモビッチは長身(190cm台)で足技も上手くファンタジスタタイプでユーベントス所属のすごい選手。
右は2番の上がりがチェックか。左の5番はセンターバックタイプの選手でほとんど上がらなかった。4バックの2トップ、トップ下を置くワンボランチのシステム。こんな感じかな…(7と8は良く分からず)
  10 11
9    7    8
     6
5   4 3   2
     1
 

全体的に長身でよく点を取る。オランダよりタレントが多いか?
ボランチ、キーパーも良い選手。

カルメン純情す

2005年12月09日 | 木下恵介
1952年、昭和27年 松竹
監督:木下恵介
主演:高峰秀子
カルメンの続編は白黒映画でしたが、映画の画面はそれまでの松竹-小津安二郎的なタッチ(でもないか…)とは異なりとても実験的で、カメラは殆どの場面で登場人物達を斜めに映し出します。
東京に戻ったカルメンは浅草のストリップ劇場で踊っています。相棒の女性は既に子持ちで、女剣劇師として九州とかを回った経験がありますが、途中で男に逃げられてしまいます。長屋のような集合住宅で二人は暮らしていますが、赤ん坊の泣き声がうるさいなどの苦情を受けて、子育てにうんざりしてしまいます。この彼女たちの住んでいる部屋での会話シーンのカメラアングルもへんなアングルが多く、斜め、ベットの下から寝転がったカルメンを写す等構図等、ほとんどヘンです。
結局、彼女達は国会議事堂の近くで、目覚まし時計付きで子供を捨ててしまいます。目覚まし時計が鳴り出し、捨てた場所の前の家の人に直ぐに拾ってもらいますが、この家が変な家で、息子は前衛芸術家(キュービズムぽい)でアトリエはヘンなオブジェがたくさんあり、流れる音楽も前衛音楽をバカにしたようにヘンテコです。お手伝いさん(原爆で身内を亡くしている原爆恐怖症の人)やお母さんといった女性陣の家族達はホルスタイン模様のヘンな服を着ています。心改めた母親は赤ん坊を連れ戻しにこの家を訪問し、赤ん坊を育てる決意をするのですが、カルメンはその前衛芸術家に恋心を抱いてしまします。芸術家のほうは心の中ではカルメンを馬鹿にしています。
この芸術家には婚約者がいるのですが、この三好榮子さん演じる婚約者の母親(熊子)が日本映画史上最強かとも思える強烈なキャラクターです。陸軍大尉かなんかの未亡人の女性で、口と顎にちょび髭を生やし、胸に日の丸を付けて君が代を歌い、衆議院選挙に立候補する政治家の設定です。彼女の登場後はカルメンも彼女に食われてしまう印象がありました。婚約者の娘は男遊びがひどく、芸術家のほうも彼女の資産が目当てで彼女と結婚することに決めているようです。彼には子供を生ませた別の女もいます。
カルメンは彼の絵のモデルになったりして彼に恋をしてしまいますが、やがて彼の絵のモデルやストリップショーで裸になることが恥ずかしくて出来なくなってしまいます。ある日ストリップ小屋で裸にならず、舞台をメチャクチャにしてしまいクビになってしまいますが、カルメンはバレエの練習を初級クラスの子供達と一緒にしたりして、真の芸術家をめざします。収入が無くなったカルメンは『とにかく生きていくしかないよ』と生活の為に仕事をしますが『パイパンだけはやらない。あれは女の屑だ』と言います。
稼いだお金で彼にプレゼントをあげたりするカルメンですが、熊子に説得されて彼から身を引く決意をします。熊子はカルメンを芸術家の子を生んで彼に付きまとっている女と勘違いをして、手切れ金を払うなどと言いますが、もともと純なカルメンはそれを拒みます。カルメンも「芸術家も私のことが好きだが事情があって私とは一緒にはなれない」と勘違いをして、一人で恋物語の中にいます。
ある日カルメンは、日本の再軍備を主張する熊子の選挙演説に、バイト中のカエル?のヌイグルミ姿で引っ張り出されてしまいます。熊子の応援演説をいい加減にしてして野次られシドロモドロになっていた芸術家を、彼女は『ステキな人です』と弁護したりします。
結局、熊子は衆議院に当選してしまいますが、カルメンは相変わらずヌイグルミ姿で街を歩いていて、熊子に首にされた芸術家の家のお手伝いさんに『あなたなにやっているのよ!』と突っ込まれた所で映画は突然『第2部完』『カルメンがんばれ!』のテロップと共に終わってしまいました。
『野菊の如き君なりき』などの文芸作品とは180度違うドタバタコメディーで、軍部、GHQに縛られずに自由に映画を作成出来るようになって、遊んでいる感じがします。『戦中、戦前から完全に脱却してやる!』の決意があるかのような。考えすぎかもしれませんが、画面が斜めなのは、『戦争が終わったのに、我々はこんなことをしていて良いのか?、おかしいぞ。』と製作者が首をかしげているかのようにも思えます。『相変わらずバカなことをやっている奴等がいるぞ。』みたいな。
この作品の続編は大変残念ながら作られなかったそうですが、発表当時観客に受けたのかなど、知りたくなってしまいました。

*GHQアメリカ軍占領:1945年敗戦後~1952年4月28日
http://ja.wikipedia.org/wiki/GHQ

キネマ旬報 1952年度 5位

カルメン故郷へ帰る

2005年12月07日 | 木下恵介
1951年昭和二十六年 松竹
監督:木下惠介
出演: 高峰秀子

戦後6年目の日本初のカラー作品の映画らしい。松竹30周年記念作品とある。
田舎(軽井沢)に東京で芸術舞踏家(本当はストリップ)をしているあっけらかんとしたハイカラ娘達が帰ってくる。父親はこの娘を許せない。娘の一人は村の青年に恋をしているが、思いは伝えられないといったシャイな一面もある。めしいの貧乏芸術家が登場人物の一人で、この人を悪気は無いが娘達は傷つけてしまう。
この頃の軽井沢は別荘・リゾート地とゆう雰囲気ではなく牧畜業が主な産業だったよう。そのかわり、地元の開発者(鉄道リゾート業)・政治家らしい人物が出てくる。(堤一族がモデルか?)
この人物は娘達に田舎でストリップショーをさせ一儲けする。このストリップショーのシーンはコミカルでおもしろく、全く悪びれずに娘さんたちは明るく踊ります。
風俗はモンペははいているが、和服の人はおばあゃん以外出てこない。娘達はショーで得たお金をお父さんに全額あげてしまう。そしてお父さんはそのお金を学校に寄付。校長先生はそのお金をめしいのひとの借金返済などに充てる。
戦前の映画のスタイルだが、色が着くことで新しい印象がある。この時代の都会のカラー映画も見てみたい。 

オールロケロケシーンが多い理由は以下が詳しい。

Wikipedia

キネマ旬報1951年度 4位

破れ太鼓

2005年12月06日 | 木下恵介
1949年 昭和24年 松竹
監督:木下惠介 
出演:阪東妻三郎

坂東妻三郎は建設会社の成り上がりの社長の役で豪放な人物。バンツマさんはユーモラスに前近代な父親を演じます。彼の子供は6人いて、近代教育を受けた彼らは西洋文明につかり、父親に服従しながらも彼をバカにします。『お父さんのウンチを顕微鏡で調べて、虫の卵が見つかった!と言って母親に見せる息子』とか、彼のテーマソング『破れ太鼓』を作り、みんなで合唱する家族達とか。
彼の会社は経営難で長女を資産家に嫁がせようとするが、娘は嫌がり婚約は解消となり融資話は無くなる。又、娘の交際が元になり妻と喧嘩になり、妻は家出。当てにしていた資産も持ち出され、長男のオルゴール製作会社に回されてしまう。
結局、建設会社は倒産。カレーを食べながら昔の苦労時代を思い浮かべるシーンは、若き日の剣劇王バンツマを彷彿させてとても良いです。
  • 上京?時に電車に乗れずに、電車沿いの道ををボロボロの身なりで歩き、膝まつく
  • どういうわけか知らないが、人夫に追いかけられて川に放り込まれる
  • 場末っぽい飯屋で、一人ぼっちで泣きながらゴキ入りカレーを食べる
  • 北海道?で事業を起こし、ようやく成功する

倒産後に「わしのすることが気にくわんか!」と嘆く彼に、もっとも生活能力がないと言われた音楽好きの息子に『みんなお父さんが好きなんですよ』と諭されます。最後は長男のオルゴール会社の相談役になり映画は終わります。
舞台は田園調布。東横線と思われる駅は、まだ田舎の駅といった風情。
同じカミナリオヤジでも『寺内貫太郎一家』にはならないのはバンツマの演じ方でしょうか。

バンツマ好きです。

24の瞳

2005年12月03日 | 木下恵介
1954年 昭和29年 松竹
監督:木下惠介
出演:高峰秀子 夏川静江 笠智衆 

すんなり入り込め、て見入ってしまいました。
昭和の初期が映画のスタート。冒頭の自転車に乗って洋服を着て颯爽と登校する先生。教え子達は純粋な子供とゆうよりも、普通のガキです。みんな和服です。(おべべ)教え子たちはみんな普通に人生を送り、生活に苦労をして、先生も大変な人生です。
  • 家が倒産した人
  • 貧乏で上に進学できない人
  • 戦争で死んだ人
  • 夢を見て挫折する人…

先生は反戦の平和論者とゆうだけでアカの疑いをかけられたり、夫は戦死、彼女の女の子供は事故死(空腹の為柿を取ろうとして転落死)してしまいます。彼女も生活に追われておばさんになります。ラストはレインコートを着てふらふらと自転車を乗る先生の後姿です。
お涙頂戴のスタンスではなく、淡々と人々の生活を追いかけるカメラが素直な感動を生むのではないか。この時代はまだ和服が一般的だったらしい。