市電に乗って西部地区へ。一方の終点、入舟町の函館どつく前で下車。
魚見坂から外国人墓地に向かう。
坂道を上りはじめると、右手に函館漁港が見えてきた
函館湾
外国人墓地の区域にはいる
外国人墓地(プロテスタント墓地)(1)
北西側からみた函館山
シャルトル聖パウロ修道女会墓地
(2)
函館ハリストス正教会・在日ロシア人墓地
上が南、下が北。今回は右手、西部地区の散策。
(1) 案内板 外国人墓地(プロテスタント墓地)
誰いうとなくこの墓地を外国人墓地と呼んでいますが、必ずしも外国人ばかりでなくキリ
スト教徒である日本人の墓も混じっています。
しかし、当時函館で他界した外国人は、ほとんどこの墓地に埋葬されていることから、
外国人墓地の名ができたのでしょう。
古くは、安政元年(1854)4月ペリーが艦隊を率いて来航したとき死亡した水兵ウオル
フ(50才)、レミック(19才)の墓をはじめ、ドイツ代理領事ハーバー、デンマーク領事デ
ユース、函館で倉庫業を営んでいたイギリス人スコットの墓など40基あります。
(2) 案内板 函館市の社会福祉事業の先駆者、スール・マリ・オネジムここに眠る
明治11年(1878年)5月、スール・マリオネジムは2人のスール(修道女)
と共にフランスのシャルトル聖パウロ修道女会から派遣され、元町にて孤児院・
医療院・子女の学校を始め社会福祉事業のために貢献しました。
多くの孤児を養育し困窮者を救った功績に対し、昭和3年(1928年)5月に
はフランス大統領から銀製賞牌が授けられました。
スール・マリ・オネジムは全国の白百合学園の発祥の地、函館白百合学園の
創設者でもあります。
この基地には他に8人のスールが永眠しております。
函館市
魚見坂から外国人墓地に向かう。
坂道を上りはじめると、右手に函館漁港が見えてきた
函館湾
外国人墓地の区域にはいる
外国人墓地(プロテスタント墓地)(1)
北西側からみた函館山
シャルトル聖パウロ修道女会墓地
(2)
函館ハリストス正教会・在日ロシア人墓地
上が南、下が北。今回は右手、西部地区の散策。
(1) 案内板 外国人墓地(プロテスタント墓地)
誰いうとなくこの墓地を外国人墓地と呼んでいますが、必ずしも外国人ばかりでなくキリ
スト教徒である日本人の墓も混じっています。
しかし、当時函館で他界した外国人は、ほとんどこの墓地に埋葬されていることから、
外国人墓地の名ができたのでしょう。
古くは、安政元年(1854)4月ペリーが艦隊を率いて来航したとき死亡した水兵ウオル
フ(50才)、レミック(19才)の墓をはじめ、ドイツ代理領事ハーバー、デンマーク領事デ
ユース、函館で倉庫業を営んでいたイギリス人スコットの墓など40基あります。
(2) 案内板 函館市の社会福祉事業の先駆者、スール・マリ・オネジムここに眠る
明治11年(1878年)5月、スール・マリオネジムは2人のスール(修道女)
と共にフランスのシャルトル聖パウロ修道女会から派遣され、元町にて孤児院・
医療院・子女の学校を始め社会福祉事業のために貢献しました。
多くの孤児を養育し困窮者を救った功績に対し、昭和3年(1928年)5月に
はフランス大統領から銀製賞牌が授けられました。
スール・マリ・オネジムは全国の白百合学園の発祥の地、函館白百合学園の
創設者でもあります。
この基地には他に8人のスールが永眠しております。
函館市