かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

函館 坂と洋館 旧ロシア領事館

2010-07-13 | 函館
外国人墓地をあとに、すこし戻ってから右手の横道に入る。
とりあえず、旧ロシア領事館を目指すことにした。

千歳坂


幸坂


(1)






旧ロシア領事館の敷地から見た函館港






弥生坂


聖マリア教会


向こうの船見町・弥生町から元町公園へと歩く。


東坂(あずまざか)


元町公園からの函館市街と函館港



(1) 旧ロシア領事館 (案内板)
 安政元年(1854年)12月の日露通好条約に基づき、安政5年(1858年)9月初代領事ゴシケーヴィチ一行が着任、実行寺に領事館を置いた。万延元年(1860年)、元町の現ハリストス正教会敷地内に領事館を建てたが、隣の英国領事館の火災で被災した。
 明治36年(1903年)、現在地で領事館の建設が始められたが、翌年の日露戦争で中断し、完成したのは明治39年であった。この建物は明治40年の大火で焼失するが、その直後から同じ場所で再建工事が始まり、同41年暮れに完成した(現在の建物)。
 ロシア革命後、大正14年(1925年)からはソ連領事館となったが、最後の領事ザベーリエフが本国に引揚げた翌日の昭和19年(1944年)10月1日、領事館は閉鎖された。
 昭和39年(1964年)に外務省から函館市が建物を購入、翌年5月から「函館市立道南生年の家」として近隣町村を含めた青少年宿泊研修施設として使用されたが、平成8年(1996年)7月「函館市青少年研修センター」の開館により、その機能は終了した。
 設計はドイツ人建築家のR.ゼールで、レンガ造り2階建ての本館は、玄関に唐破風を用い、日本的な意匠が加味されている。


坂の名前 チャチャ登り (チャチャ:アイヌ語で、おじいさん)



〇 ヨシフ・ゴシケーヴィチ (ゴスケビッチ、の表記もあり) 1814年-1875年
 ロシア初代駐日領事(1858.10-1865.4) 在箱館
 ロマノフ朝ロシア帝国の外交官。東洋研究家。
 ベラルーシ(白ロシア)ミンスク生まれ。親はロシア正教会の神父。

参考 ヨシフ・ゴシケーヴィチ‐Wikipedia
    ゴスケビッチ 『江戸の外国公使館』(港区立郷土資料館)


 

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