鈍いなまくら刀で社会を斬る!

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ゴーンの拘置から考える人類の知恵

2018年12月03日 19時48分52秒 | ポリシー
ゴーンの入っている拘置所とそこでの扱いについて考えてみたいと思います。

まず根本的な話として、人権(=基本的人権)について。
日本では人権というものは、国から貰っているもの、
安倍総理大臣からひとりひとりに授けられているものという考え方をします。

勿論、私は違うと思っていますが、多くの人はなんとなくそう思っています。

ですので、拘置所での生活や、取り調べについては、なんとなくそう思っている通り、
人権を軽んじた手法が取られています。

簡単に言うと、フェアじゃない。
多分、ゴーンもフェアじゃない扱いを受けていると想像されます。
看守とは日本語でしか話せない、家族の面会は短時間、取り調べは弁護士が同席出来ない。
などなど。これらのことについて、すでにル・モンドなどでは、人権無視という記事を
書いているそうです。

でもそんなことを言われても多くの日本人は「日本には日本のやり方がある」
「犯罪を犯したほうが悪い」という思考停止した回答しか持ち合わせていません。
実は、拘置所でそういう扱いをしている奥底には、人権を真剣に考えていないという大問題が
岩盤のように横たわっているのだ、ということに全く気付いていません。

日本人は、人権よりも国家権力/暴力装置が優越するという「雰囲気」「環境」で
育っているので、人権が制限されることに全く疑問を持っていませんし、
むしろ、慣れています。

しかし、そろそろ拘置所での待遇は、「日本式」という訳ではなく、単に「人権を軽く見ている
からそうしているだけ」なのだということに気が付かなければなりません。

この人権を真剣に考えていない、という姿勢はグローバル化に伴って大きな問題になります。

現時点でも、すでに外国人労働者が正しい処遇を求めて、外国人労働組合を結成する、
という動きが日本で起きていますが、現在、真剣に審議されている(のかどうか疑問ですが)
入管法の改正で、さらなるグローバル化の波が一気に押し寄せてくると、世界基準の人権に
正面から向き合わなければならなくなります。

そして我々は気がついていませんが、実はこの人権軽視という問題は、拘置所での待遇を
経験せずに死んでいく多くの善良な日本人の生活のそこかしこに現出、というより、
すでに文化となって現れているのです。

劇作家・演出家に鴻上尚史という人がいますが、彼がよく取り上げる問題に
日本というコミュニティの中での「同調圧力」というものがあります。

日本のマジョリティと異なるもの、コミュニティ内で異質なものについては排除する。
もしくは無視する、という日本のお家芸「同調圧力」の根底にあるのが、実は
人権に対する知識と認識の圧倒的な不足なのです。

先述の通り、日本人は人権とは何かを真剣に考えていません。
更に悪いことに人権は国から、国家から貰ったものだと勘違いしたまま育っています。
人権に敏感な弁護士を「人権派弁護士」「左翼弁護士」と呼び、蔑むような文脈で
使っている例を何度も目にしたことがあるかと思います。

日本ではマジョリティと違うものは、相手の人権を無視して同調するように求めます。
同調しないものについては、相手の人権を制限して排除します。

つまり、多数派の私と違う少数派のあなたは、おかしい。
そして違うことは、国の成り立ち、国家に対しての異議である。
なぜなら、我々は国から生きる権利を貰って、国家に守られていきているのだから。

だから、
大多数=国=国家=政治=与党=安倍総理大臣w
(最後の2つは冗談です)

ということです。多数に同調せよということです。
それが国から人権を貰っている我々が行うべき当然の所作であると。
これが日本の「同調圧力」の正体なのです。

人権の話に戻します。
人権は、この世に生まれ出た瞬間に天から全ての人間が授かる、自然権と言われる
あったり前の権利です。私はこの学説を信じていますし、そのように思っています。

これをわかりやすく、簡単に言うと、こういうものです。

あなたと私は違う、だからお互いを尊重してフェアにやってきましょう。
協力しあって頑張って生きていきましょう、っていうものです。簡単ですよね?

何も難しいことはありません。
これは人類が、ある時気がついた、人類という種族がこの世界で生き残っていく為の
生存戦略なのです。これがなければ、独裁者が繁栄し続けたり、殺し合いと略奪が永遠に
続いたりして人類は滅びたかも知れません。

しかし、今そうなっていない。

その結果が示す通り、人権とは、違いを認め合うことであり、違いを尊重し合うことであり、
コミュニティの中で協力し合って生きていくという、人類が生き残る為の知恵なのです。

果たしてゴーンはそのような人類の知恵である人権を尊重された扱いを受けているのか
我々はその事を注視する必要があります。

もし、人権を尊重されていないようであるなら、我々は今後、野蛮な国でない、
人権に対して特殊な対応をする国ではない、ということを世界に向けて改めて説明し、
証明しなければならなくなるのです。

今回のゴーンの拘置というのは、報酬の話が霞むくらいの、このような大きな問題を
はらんでいる案件なのです。

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