★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇バレンボイムのピアノ&指揮によるモーツアルト:ピアノ協奏曲第23番/第24番

2021-11-29 09:51:39 | 協奏曲(ピアノ)


モーツアルト:ピアノ協奏曲第23番/第24番

ピアノ&指揮:ダニエル・バレンボイム

管弦楽:イギリス室内管弦楽団

録音:1967年1月1日~2日(第23番)
   1971年11月25日(第24番)

LP:東芝EMI EAC‐85032

 ダニエル・バレンボイム(1942年生まれ)が、それまでのピアニストとしての活動に加え、新たに指揮者としての活動をスタートさせた頃の録音が、今回のLPレコードである。これ以後バレンボイムは、徐々に指揮者としての活動に重点を移すことになっていく。我々の世代は、バレンボイムというと、ピアニストの姿を思い浮かべるが、2009年のニューイヤーコンサートではウィーン・フィルを指揮したように、若い世代にとってはバレンボイムは、ピアニストというより、指揮者であるのだろう。2016年2月には指揮者としての来日公演が行われ、シュターツカペレ・ベルリンを指揮してブルックナー交響曲全曲演奏会が話題を集めた。最初の妻が名チェリストであったジャクリーヌ・デュ・プレ(1945年―1987年)であったり、自身のユダヤ人としての発言や行動が注目を集めるなど、話題にこと欠かない人でもある。ピアノ協奏曲第23番は、第24番とともに、1786年に3回開かれたモーツァルトの演奏会のために作曲された作品。いつもはしばしば行われる即興演奏の技法を、モーツァルトはこの曲ではあえて指定しなかったことは、この作品が極度に集中して作曲されたことを示している。この曲は、1783年~1785年の冬のシーズンに作曲に着手したようだ。第1楽章アレグロイ長調 4分の4拍子 協奏風ソナタ形式、第2楽章アダージョ 嬰ヘ短調 8分の6拍子の三部形式、第3楽章アレグロ・アッサイ イ長調 2分の2拍子 ロンド形式、以上の3つの楽章からなる。一方、ピアノ協奏曲第24番は、モーツァルトのピアノ協奏曲の中で、短調の作品は、この曲と第20番だけである。1786年3月24日に完成を見た。初演は同年4月7日、ウィーンのブルグ劇場で開かれたモーツァルト自身の音楽会で行われた。この曲は、いつものモーツァルト特有の明るい曲調ではなく、暗い中に情熱が込められた作品である。第1楽章アレグロ ハ短調 3/4拍子 ソナタ形式、第2楽章ラルゲット 変ホ長調 2/2拍子 ロンド形式、第3楽章アレグレット ハ短調 2/2拍子 主題と8つの変奏からなる変奏曲、以上の3つの楽章からなる。このLPレコードでのバレンボイムの演奏は、ピアニストと指揮者兼任のバランスの良さを存分に発揮している。第23番の演奏は、あたかも羽毛布団に包まれているような、温かく柔らかいサロン風な演奏が絶品だ。第24番の演奏は、“モーツアルトの短調”にあまり拘ることもなく、流麗な演奏を聴かせており、あたかも秋の青空を眺めているように小気味よい。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇絶頂期のマゼール指揮ウィーン・フィル、名古屋での来日ライブ録音盤

2021-11-25 09:48:54 | 交響曲(ベートーヴェン)

                           

ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」

指揮:ロリン・マゼール

管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1980年11月5日、名古屋市民会館ホール(ディジタル・ライブ録音)

LP:CBS・ソニー 32AC 1240(45回転)

 このLPレコードは、ロリン・マゼール(1930年―2014年)がウィーン・フィルと共に来日した時(50歳)のライブ録音盤である。当時としては、珍しかったデジタル録音で、45回転(通常は33回転)と高速回転となっているため、かなりの高音質で聴くことができる。マゼールは、1965年にベルリン・ドイツ・オペラとベルリン放送交響楽団(現ベルリン・ドイツ交響楽団)の音楽監督に就任。さらに、1972年にクリーブランド管弦楽団の音楽監督、そして1982年にはウィーン国立歌劇場の総監督に就任した。つまり、ウィーン国立歌劇場総監督就任の2年前の来日で、まだ、ウィーン・フィルとの付き合いができたばかりの時の録音だ。そのためか、演奏にかなりの緊張感が漂っていることが聴いて取れる。互いに自己主張をし合っているようでもあり、互いに手の内を読みあっているようにも聴こえる。そのことが逆に面白く聴こえ、結果的にかなり質の高い「運命」に仕上がった。指揮者として絶頂期のマゼールの演奏が聴ける貴重盤であるが、特に終楽章は、その後のマゼールとウィーン・フィルの活躍を占うかのように、壮大で力強さが前面に立った名演となった。最後の熱烈な拍手の音を聞くと、当時の聴衆が大喜びしている情景が目に浮かぶようだ。CDを含め、私がこれまで聴いてきた数多くの「運命」の録音の中でも、このLPレコードは最上クラスの1枚に挙げることできる。何回聴いても少しの飽きがこないどころか、聴くたびに新鮮な気分に浸ることができるのは驚嘆すべきことだ。ロリン・マゼールは、フランスで生まれたが、間もなくアメリカに移住する。8歳の時にニューヨーク・フィルを指揮して指揮者デビューを飾ったというから驚きだ。10代半ばまでには全米のほとんどのメジャー・オーケストラを指揮したというから、指揮者になるために生まれてきたも同然。ピッツバーグ大学在学中は、ピッツバーグ交響楽団においてヴァイオリニストとして活躍。その後指揮者としては、順調にキャリアを積み重ね、将来が約束された指揮者と認められていた。しかし、思わぬ不幸が待ち受けていた。それは、カラヤン辞任後のベルリン・フィルの音楽監督のポストを逃したことであった。当時、誰もがベルリン・フィルの次期音楽監督はマゼールと信じて疑わなかった。それがアバドに決まり、この時の本人の落胆は大きかったという。来日公演は、1963年以来30回を超え、日本にも多くの熱烈なファンがいた。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇若き日のポリーニのシューマン:ピアノソナタ第1番/幻想曲

2021-11-22 09:40:58 | 器楽曲(ピアノ)


シューマン:ピアノソナタ第1番
      幻想曲

ピアノ:マオリツィオ・ポリーニ

録音:1973年4月24日~29日、ドイツ、ミュンヘン、レジデンツ、ヘルクレス・ザール

LP:ポリドール SE 7401

 このLPレコードは、今は既に巨匠の地位にあるポリーニの若き日(31歳)の録音である。驚くべきことに既にこの年で巨匠的演奏を行っていることだ。シューマンのピアノソナタ第1番と幻想曲の両方の演奏に言えることは、実に整然と組みたてられた演奏でありながら、内に秘めた情熱が背景にあり、単に演奏技術が優れているだけではないことが分る。この2曲は、いずれもピアニストの力量がはっきりと表れる曲である。ポリーニは、そんな曲を透明感溢れるタッチで、リスナーをシューマン独特のロマンの世界へと誘う。ポリーニは、僅か15歳で「ジュネーブ国際コンクール」第2位(1位なし)に入賞し、一躍国際的に名が知られる。そして、1960年の「ショパン国際ピアノコンクール」で優勝。その後一旦演奏活動から遠のくが、10年後の1970年から活動を再開。これはその再開後3年経ったときの録音だ。シューマン:ピアノソナタ第1番は、1832、3年頃に着想され、1835年に完成した。第1楽章:序奏付きソナタ楽章、第2楽章:アリア、第3楽章:スケルツォと間奏曲、第4楽章:フィナーレの4楽章構成。それまで小品に取り組んできたシューマンが、初めてソナタ形式の大作に挑んだ作品。初版は「フロレスタンとオイゼビウスによるピアノソナタ、クララに献呈」と題され、文学と音楽の融合を狙った曲。完成後、シューマン自身が「生命力に欠けている」と自己批判することとなった。しかし、現在では、ピアニストの有力なレパートリーの一つの曲となっている。一方、シューマン:幻想曲は、3楽章からなるソナタ風幻想曲で、「クライスレリアーナ」などと並び、シューマンのロマン主義志向が顕著に現れた作品。当初は「フロレスタンとオイゼビウスによる大ソナタ」と題され、各楽章にも表題がつけられていたが、最終的には外された。1835年、フランツ・リストらを中心としてボンにベートーヴェン記念像の建立が計画され、発起人に名を連ねたシューマンは、翌年から1838年にかけてこの曲を作曲した。この2曲をポリーニは、感情に溺れず、常に客観的に弾きこなす。このことが結果的に成功しているようだ。あまりにもシューマンのロマンの深みにはまり込むと、逆に印象がぼんやりとしがちだが、ポリーニのように冷静にシューマンの作品を演奏すると、シューマンの別の側面がくっきりと浮かび上がってくる。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団のバルトーク:弦楽器とチェレスタのための音楽/ハンガリアン・スケッチ

2021-11-18 11:34:09 | 管弦楽曲


バルトーク:弦楽器とチェレスタのための音楽
      ハンガリアン・スケッチ

指揮:フリッツ・ライナー

管弦楽:シカゴ交響楽団

発売:1975年

LP:RVC(RCA) RGC‐1022 

 このLPレコードの1曲目の「弦楽器とチェレスタのための音楽」は、バルトークの作品の中でも、極めて集中力の高い、熱気のこもった力作だ。第2次世界大戦を前にしたヨーロッパの不安定な空気を先取りするかのように、バルトークはあらゆる要素をこの曲に注ぎ込んだ。表面上は古典的音楽の様相を纏っているので、口当たりも悪くない。そして、聴き終わった後は、戦争や大地震など、現代の世界の人々が一様に感じている漠然とした不安感を見事言い当てている曲であることが感じとれる。バルトークがこの曲を書いた1936年は、日本とドイツが防共協定を結んだ年であり、戦争の脅威が全世界を覆い尽くそうとしていた。つまり、そのような危機感がこの曲の基盤として存在しているわけであり、このことが現代の我々にもひしひしと伝わってくるのだ。この曲は、2群からなる弦楽合奏と、一人の奏者による5種類の打楽器、半音階的な奏法が可能なペダル・ティンパニー、木琴、チェレスタ、ハープ、ピアノによって、演奏される。さらに、立体的な効果を意図して、バルトークは次のような楽器の配置を指示している。①中央奥に一連のコントラバス②左側には第1グループとして、手前から第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、第一ヴィオラ、第一チェロ③右側には第2グループとして、第1グループと同じ配置④中央にピアノとチェレスタ⑤それらを取り囲むように、左からティンパニー、大太鼓、スネア付き小太鼓とスネアのない小太鼓、それにシンバルとタムタム、木琴、ハープ。これらの楽器群が奏でるこの曲は、意外にもバロック音楽風な曲にも聴こえることがある。そして、4つの楽章が、楽章ごとに響きの効果が異なることが、この曲の特徴として挙げられる。そこには、コンチェルト・グロッソ風なところ、ハンガリー農民音楽風なところ、無調的な半音階風のところ、など様々な機能がこの曲には組み込まれているのだ。一方、次の曲であるの「ハンガリアン・スケッチ」は、以前にバルトークが書いたピアノ曲を管弦楽曲に編曲した作品である。全5曲は独立した作品で、それぞれ次のような表題が付けられている。①セレクレルスの夜②熊おどり③うた④ご機嫌なよっぱらい⑤豚つかいのおどり。以上2曲を、フリッツ・ライナー(1888年―1963年)指揮シカゴ交響楽団は、バルトークの世界を力強く、明快に、しかもリズム感満点に、完璧に演奏している。それらをLPレコード特有の深みのある音質によって、ライナーの名演を聴くことができるのである。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇遠藤郁子のショパン:夜想曲選集

2021-11-15 09:36:42 | 器楽曲(ピアノ)

       

ショパン:夜想曲第1番    変ロ短調  op.9-1
        第2番  変ホ長調  op.9-2
        第3番  ロ長調   op.9-3
        第5番  嬰ヘ長調  op.15-2
        第8番  変ニ長調  op.27-2
        第9番  ロ長調   op.32-1
        第13番 ハ短調   op.48-1
        第20番 嬰ハ短調  遺作

ピアノ:遠藤郁子

LP:日本コロムビア OS‐7028‐ND 

録音:1968年6月10日~12日、日本コロムビア第1スタジオ

 これは、わが国を代表するピアニストの一人である遠藤郁子(1944年生まれ)が、最初に録音した記念すべきLPレコードである。遠藤は、1965年ワルシャワの第7回「ショパン国際ピアノコンクール」に出場し、入賞は逃したものの、ポーランドの音楽評論家たちによる特別銀賞を受賞した。同年東京芸大を中退して、チェルニー=ステファンスカに師事。1970年に再び同コンクールに挑戦したが第8位、奨励賞受賞に終わった。しかし、これは個性豊かな遠藤の演奏が、コンクールという枠に納まりきれなかったためでもあり、遠藤郁子のピアニストとして正当な評価とは到底言えない結果であった。このLPレコードは、この2つの「ショパン国際ピアノコンクール」の間に録音されたもの。演奏は繊細で、揺れ動くようにショパンのピアノ曲の本質を掴み、美しい音色に加え、自然なテンポルバート、それに鋭い感受性を持った名演を聴かせてくれる。このLPレコードを聴き終えたリスナーは、きっと本物のショパンに接した感激に浸ることができよう。遠藤郁子は、1962年「日本音楽コンクール」ピアノ部門第2位。東京藝術大学で学び、1年生の時、安宅賞受賞。1965年以来、日本とポーランドを中心に、世界各国で演奏活動を続けた。1974年からはパリに在住。1980年日本ショパン協会賞。自らがんとの長い闘病生活を経て、再度ピアニストとして復活を果たした。2冊のエッセイ集「いのちの声」(海竜社)と「いのちの響き」(同)は、苦しみを負った人びとから、現在に至るまで静かに長く読みつがれている書籍となっている。彼女の演奏やCDが、不幸を背負った人々に、生きる力をもたらしたことから“奇跡のピアニスト”あるいは“癒しのピアニスト”と呼ばれるようになる。NPO法人「まずるか北海道」を母体にボランティア活動も、1987年以来精力的に続けている。1997年にはこれらの功績により松本市長より表彰を受けた。2014年には、デビュー50周年を記念して遠藤郁子ピアノ・リサイタル「北海道~パリ~そしてポーランド」を開催。これまで「ショパン国際ピアノコンクール」(ワルシャワ)、「ヴィアンナ・ダ・モッタ国際コンクール」(ポルトガル)などの審査員を務めた。また、アルド・チッコリー二の後継者として、伝統ある「オフリッド・サマー・フェスティヴァル(オフリッド・ユーゴスラヴィア)」の講師を5年間勤めたのに加え、東京芸術大学講師などを歴任。このLPレコードでの遠藤郁子の演奏は、全体が温もりのあるまろやかな雰囲気に包まれ、同時に深い情念の籠ったショパンの夜想曲像を鮮やかに描き出すことに見事成功している。(LPC)

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