★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇カザルスをも凌駕すると言われたフォイアマンのドヴォルザーク:チェロ協奏曲

2020-04-30 09:58:59 | 協奏曲(チェロ)

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

チェロ:エマヌエル・フォイアマン

指揮:ミハエル・タウベ

管弦楽:ベルリン国立歌劇場管弦楽団

録音:1927年、ベルリン

LP:キャニオン・レコード(ARTICO RECORDS) YD‐3010

 その全盛時代には、カザルスおも凌駕するとまで言われたエマヌエル・フォイアマン(1902年―1942年)は、ロシア出身のオーストリアおよびアメリカで活躍した名チェリスト。フォイアマンが5歳の時の1907年に一家でウィーンへと移り住み、1914年11歳の時にフェリックス・ワインガルトナー指揮ウィーン・フィルと共演しデビューを飾る。1917年、フォイアマンはライプツィヒの高等音楽院で学び、その後、ギュルツェニヒ管弦楽団首席チェリストに就任。1920年にベルリンにおいてフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルとドヴォルザークのチェロ協奏曲を共演したが、これによって名声を確立させたという。現在、サイトウ・キネン・オーケストラにその名を残す齋藤秀雄(1902年―1974年)は、この時フォイアマンに師事している。フォイアマンはユダヤ系であったため、ナチスが台頭した1933年にロンドンに移住し、さらに米国へとその活動拠点を移すこととなる。この間、来日も果たしている。米国での活動が本格化する中、ハイフェッツ、ルービンシュタインと有名な“100万ドル・トリオ”を結成。しかし、1942年に米国籍を取得した直後、腹膜炎でこの世を去った。この時まだ38歳という若さであった。当時のチェリストとしてまず名前が挙がるのがカザルスであるが、フォイアマンはカザルスに匹敵する、人によってはそれを凌駕するチェリストとして、高い評価を受けていた。チェリストのダニイル・シャフランなどは「カザルスは神様だが、フォイアマンはそれ以上だ」と賞賛したという。しかし現在、カザルスは”チェロの神様”として名を残すが、現在、フォイアマンの名は忘れ去られつつある。これは、38年という短い生涯からきていることは疑いがない。フォイアマンがあと20年~30年生きていたとしたら、多くの録音を行い、現在でも多くの人々がその名を忘れなかったろう。このLPレコードの録音は、1927年、ベルリンで行われた。今から80年以上前の録音であるので、歴史的名盤の範疇に入る。オーケストラの音は今の録音からすると、貧弱な音で鑑賞には不向きだが、幸いにもフォイアマンのチェロの音は、鮮明とは言えないまでも、鑑賞に充分に耐えられる程度に収録されている。ここでのフォイアマンは、実に格調高く、正統的で力強いチェロの演奏を聴かす。演奏技術の高さは圧倒的で、あたかもヴァイオリンの演奏の如く軽々とチェロを弾くのには驚かされる。もし、録音の質がもうちょっと良かったなら、現在でもドヴォルザーク:チェロ協奏曲の名録音の1枚に数えられていただろう。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ドイツの名バリトン ハンス・ホッターが歌うブラームス歌曲集

2020-04-27 09:35:41 | 歌曲(男声)

ブラームス:歌曲集

       メロディーのように        
       日曜日               
        恋歌                 
       とく来れかし            
       われらさまよいぬ         
       喜びに満ちたぼくの女王よ   
       サッフォー風の頌歌        
       ことづて               
       夏の夕べ               
       月の光                
       セレナーデ              
       郷愁(2):帰り道はどこ        
       教会墓地にて            
       帰郷                   
         さびしき森にありて         
         お前がほほえめば         
         裏切り               

バリトン:ハンス・ホッター

ピアノ:ジェラルド・ムーア

LP:東芝音楽工業 AB-8020

 このLPレコードの歌手のハンス・ホッター(1909年―2003年)は、ドイツ出身の名バリトン。ミュンヘン音楽大学で学び、1930年オペラにデビューを果たす。以後、プラハ国立歌劇場、ハンブルク国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場などで活躍した。1947年ロンドンのコヴェントガーデン王立歌劇場、さらに1950年メトロポリタン歌劇場でもデビューを果たし、世界的オペラ歌手の地位を確立する。そして1952年からはバイロイト音楽祭に出演。以後15年にわたり主要なワーグナー作品に出演することになる。ここでホッターは偉大なワーグナー歌手として高い評価を受ける。また、ホッターは、オペラだけでなく、ドイツ歌曲のリサイタルもしばしば開催し、聴衆に深い感銘を与えた。1962年の初来日以来、日本でもたびたびリートのリサイタルを行い、多くのファンを有していた。ホッターが歌うリートでは、とりわけシューベルトの「冬の旅」と「白鳥の歌」が絶品との評価が高かった。ホッターは単にバリトンというよりは、バスに近いバリトンであり、“バスバリトン”という表現が一番ぴったりとするのだ。ホッターの声質は、実に奥深く、男性的な包容力を持ち、それが魅力的であった。一度歌いだすとリスナーはその魔力に引き付けられ、ホッターの世界へと知らず知らずのうちに引きずり込まれることになる。通常、ホッターのような個性的な歌手は、独特な歌い回しを強調しがちだが、ホッターはそれとは大きく異なっていた。ホッターは、重厚に、あくまで正統的で、少しの揺らぎもなく歌い切る。そして、一人一人のリスナーに語り掛けるが如く歌う結果、そこには歌手と個々のリスナーの間で親密な空間が生まれる。ホッターは、偉大なるワーグナー歌手であったと同時に、偉大なリート歌手でもあったのだ。このようなことは、ある意味で奇跡的なことなのかもしれない。このLPレコードで、ホッターはブラームスのリートを歌っている。これらの作品は、「帰郷」1曲を除き、全て円熟味を増した後期のリートで、ブラームス特有の渋さや諦観の色合いが強い曲。これらの歌曲は、ブラームスの他の作品でいうと、ピアノ曲の狂詩曲や間奏曲に雰囲気が似ている。そんな重厚な雰囲気を持つリートなら、歌手は、ホッターが一番ぴったりくるというより、ホッター以外では適当な歌手が思い当たらないと言った方がいいかもしれない。ここでのホッターの歌は、内省的であり、独白を聴くようでもある。晩秋あるいは冬の夜に聴くには打ってつけの歌曲であり、そして歌手である。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ベイヌム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のシューベルト:交響曲第8番「未完成」/第3番

2020-04-23 09:42:57 | 交響曲(シューベルト)

シューベルト:交響曲第8番「未完成」
       交響曲第3番

指揮:エドゥアルト・ファン・ベイヌム

管弦楽:アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

録音:1957年5月23日~25日(8番)/1955年6月6日~9日、アムステルダム・コンセルトヘボウ

発売:1976年

LP:日本フォノグラム(フィリップスレコード) PC‐5511

 このレコードは、名指揮者エドゥアルト・ファン・ベイヌム(1901年―1959年)が、長年にわたり常任指揮者を務めた名門オーケストラ、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を率い、シューベルトの交響曲を録音したもの。ベイヌムは、オランダ東部の町アルンヘムで生まれ、アムステルダム音楽院で学び、最初はピアニストとしてデビューしたが、その後指揮者に転向した。1938年、メンゲルベルクとともにアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者に就任。第二次世界大戦後の1945年、メンゲルベルクがナチスへの協力の廉でスイスに追放されると、ベイヌムはメンゲルベルクの後をついで、コンセルトヘボウ管弦楽団の音楽監督兼終身指揮者に就任。同時にロンドン・フィルやロサンゼルス・フィルの首席指揮者を務めるなど、世界的に活躍したが、1959年にリハーサル中に心臓発作で倒れ、57歳の若さで急逝した。アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団は、メンゲルベルク時代は、指揮者が強力な個性でオーケストラを統率し、解釈も旧式な演奏スタイルをとっていたが、ベイヌム時代に入ると、オーケストラの自主性を尊重し、その演奏スタイルも近代的に一変し、オーケストラの能力を大きく向上させることに成功したと言われる。このレコードのシューベルト:交響曲第8番「未完成」において、ベイヌムはオーケストラに充分に歌わせると同時に、適切な抑制力で流れるように演奏する。一切の既成概念を取り払い、今曲が書かれたかのような、実に活き活きとした表情づくりに成功している。「未完成交響曲」は、生の演奏と録音の両方で最も演奏されることの多い曲であり、新たな感動を受けることはそれほど多くはない。しかし、このレコードの演奏内容は、全くそんなことを感じさせず、初めてこの曲を聴いた時のような新鮮な感動を受けることができる。これは、ベイヌムはもちろんのこと、オーケストラのメンバーの一人一人がシューベルトの音楽をこよなく愛し、心からの共感の下に演奏したからにほかあるまい。現在のオーケストラの演奏技術は当時より向上しているかもしれないが、このLPレコードの演奏のような、心の底からゆすぶられるような演奏内容は、そう滅多にお目にかかれるものではない。ベイヌムとアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンビによる録音は今、時代とともに忘れ去られようとしていることが、何とも情けなく、悲しいことだ。(LPC) 

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◇クラシック音楽LP◇アイザック・スターンのバルトーク:ヴァイオリンソナタ第1番/第2番

2020-04-20 09:35:11 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

バルトーク:ヴァイオリンソナタ第1番/第2番

ヴァイオリン:アイザック・スターン

ピアノ:アレキサンダー・ザーキン

録音:1967年3月22日(第1番)、1968年11月27日(第2番)、ニューヨーク

LP:CBS/SONY 18AC 774
 
 名ヴァイオリニストであったアイザック・スターン(1920年―2001年)は、生まれはウクライナであるが、生後間もなく家族と共にサンフランシスコに移住したので、アメリカのヴァイオリニストとして知られている。サンフランシスコ音楽院でヴァイオリンを学び、1936年にデビューを果たす。以後、アメリカを代表するヴァイオリニストとして国際的に活躍。一方では、スターンは、教育者としても実績があり、パールマン、ズーカーマン、ミンツ、ヨーヨー・マ、ジャン・ワンなどを育てた。1960年には、カーネギー・ホールが解体の危機に見舞われた際、救済活動に立ち上がったり、映画「ミュージック・オブ・ハート」などに出演したりと、幅広い活動でも知られていた。わが国でも数多くのファンに恵まれ、日本国政府より勲三等旭日中綬章を授与されている。このLPレコードは、バルトーク:ヴァイオリンソナタ第1番/第2番を収録したもの。バルトークは、ヴァイオリンソナタ第1番を1921年(40歳)、翌1922年(41歳)に第2番を書いた。バルトークは、最初、民俗音楽へ深く傾斜して作曲活動をスタートさせたことはよく知られているが、そんなバルトークが新境地開拓を目指して作曲したのがこの2曲のヴァイオリンソナタなのである。つまり、民俗音楽から、抽象的な絶対音楽へと自らを昇華させた、その始まりの曲の一つと言える。当時のクラシック音楽の潮流は、マーラーやリヒアルト・シュトラウスなど調性音楽を巨大化させた流れと、シェーンベルクに代表される12音音楽や無調性音楽の二つの流れが存在していたが、バルトークは12音音楽への傾斜を見せていた。つまり、バルトークは2つのヴァイオリンソナタを、新境地開拓というチャレンジ精神で作曲したことになる。さらに、この2曲のヴァイオリンソナタは、ピアノがヴァイオリンの伴奏に徹するのではなく、ヴァイオリンとピアノが対等な立場で演奏されるという、新しい試みの曲でもあった。このため、この2曲は、ベートーヴェンなどのヴァイオリンソナタの印象とは大きくかけ離れ、現代音楽そのものを聴くような感覚に捉われる。そのためどちらかというと一般的には“難解”な曲の部類に入るかもしれない。そんな曲をヴァイオリンのアイザック・スターンとピアノのアレキサンダー・ザーキンは、実に丁寧に心を込めて弾きこなし、この2曲からバルトーク独特の音楽性を引き出すことに成功している。2曲とも何回か聴くうちに、バルトーク特有の美意識が徐々に理解できてくる、不思議な美しさを持ったヴァイオリンソナタだ。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ポール・パレー指揮デトロイト交響楽団のラヴェル&イベール管弦楽作品集

2020-04-16 09:59:11 | 管弦楽曲

ラヴェル:スペイン狂詩曲(夜への前奏曲/マラゲーニャ/ハバネラ/祭り)
     道化師の朝の歌
     なき王女のためのパヴァーヌ
     ラ・ヴァルス
イベール:寄港地(ローマ、パレルモ/チェニス、ネフタ/ヴァレンシア)

指揮:ポール・パレー

管弦楽:デトロイト交響楽団

録音:1962年

発売:1976年

LP:日本フォノグラフ(フィリップスレコード)
 
 このLPレコードは、ラヴェルとイベールの異国情緒たっぷりの音楽が、ポール・パレー指揮デトロイト交響楽団の演奏で聴ける楽しさ溢れる録音である。デトロイト交響楽団を世界有数のオーケストラに育て上げたことで知られるポール・パレー(1886年―1979年)は、フランス人の作曲家兼指揮者。パリ音楽院で学び、世界的な作曲賞であるローマ大賞を受賞。第一次世界大戦後から本格的な指揮者活動に入り、コンセール・ラムルーなどを指揮する。この頃、このLPレコードにも収録されているイベール:寄港地を初演している。1939年に米国デビューを果たし、1951年から1962年までデトロイト交響楽団の音楽監督を務めた。ポール・パレーは、フィランス人指揮者でありながらワーグナーを盛んに取り上げるなど“反骨精神の指揮者”としても知られる。この反骨精神が第二次世界大戦中は、戦闘的なレジスタンスの一員に駆り立てた。その指揮ぶりは男性的で、既成概念に囚われず、その曲の持っている新しい側面を引き出して見せるといったところが高く評価された。フランス音楽というと繊細でサロン的印象が強いが、一面ではポール・パレーの指揮のように、男性的な力強さも同時に持ち合わせているようだ。ラヴェル:スペイン狂詩曲は、ラヴェルが書いた、たった一つの演奏会用のオリジナル管弦楽曲で、フランス人がスペインに寄せる思いが込められている。「夜への前奏曲」「マラゲーニャ」「ハバネラ」「祭り」の4曲からなる。ラヴェル:道化師の朝の歌は、ピアノ独奏曲「鏡」の第4曲目をオーケストラ用にアレンジした曲。スペイン風の情熱的なリズムが印象的。ラヴェル:なき王女のためのパヴァーヌも、ピアノ曲をオーケストラ用にアレンジした曲。パヴァーヌとは、16世紀の宮廷舞曲のこと。ラヴェル:ラ・ヴァルスは、ワルツの黄金時代を賛美するバレエ曲で「ワルツの誕生」「主要部」「終結部」の3つの部分からなる。最後のイベール:寄港地は、「ローマ、パレルモ」「チェニス、ネフタ」「ヴァレンシア」の3曲からなり、地中海を航行する船が立ち寄る港の印象が描かれ、各地の民俗音楽の要素が巧みに採り入れられている。このLPレコードでのポール・パレーの指揮は、メリハリの利いた、それでいて情感にも溢れ、活き活きした表現力を備えたものとなっている。特にラヴェル:スペイン狂詩曲とイベール:寄港地の演奏で見せる、独特なリズム感と異国情緒溢れる表現力は、今でも他の指揮者に追随を許さないものとなっている。(LPC)

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