★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇天才指揮者グィド・カンテルリのヴェルディ:レクイエム/テ・デウム

2023-01-30 09:40:00 | 宗教曲


ヴェルディ:レクイエム
      テ・デウム(聖歌四篇より第4曲)   
       
指揮:グィド・カンテルリ

管弦楽:ボストン交響楽団
    ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団(テ・デウム)

独唱:エルヴァ・ネリ(ソプラノ)
   クララマエ・ターナー(アルト)
   ユージン・コンリー(テノール)
   ニコラ・モスコーナ(バス)

合唱:ニュー・イングランド音楽大学合唱団
   ウェストミンスター合唱団(テ・デウム)

録音:1954年12月17日<ライヴ録音>(レクイエム)
   1956年4月1日<ライヴ録音>(テ・デウム)

発売:1977年5月

LP:日本コロムビア(ブルーノー・ワルター協会) OZ-7531~2-BS

 このLPレコードは、トスカニーニの愛弟子で、トスカニーニをして「自分とそっくりの指揮をする者がいる」と言わしめた、航空機事故のため36歳で夭折した天才指揮者グィド・カンテルリ(1920年―1956年)の指揮ぶりを偲ぶことができるライヴ録音盤である。当時(1950年代)の録音技術は現在とは比べようもなく、しかもライヴ録音であり、音質は十全とは言えないが(「テ・デウム」の方が音質は多少良い)、それでも天才グィド・カンテルリの才気が盤面から溢れだしてくるようであり、聴いていて思わず手に汗握るほどの緊張感に包まれる。もし、録音状態がもう少し良ければ、現在でもヴェルディ:レクイエムの名盤としてその存在感をアピールしていることだろう。グィド・カンテルリは、波瀾万丈を絵で描いたような人生を送った指揮者であった。第二次大戦中は地下抵抗活動を行い、戦後になり初めて指揮者としての活動を開始。1949年にスカラ座管弦楽団のリハーサル中にトスカニーニに認められたことが、世界的名声を得る切っ掛けとなった。その後は破竹の勢いで、イタリア、アメリカ、イギリス、さらにはザルツブルク音楽祭で圧倒的な賞賛を得ていった。当時、トスカニーニは、指揮界に君臨していたが、トスカニーニの指揮ぶりは、あまりに楽譜に忠実すぎて、厳格であり、何か近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。それに対し、グィド・カンテルリの指揮ぶりは、基本はトスカニーニと同じなのであるが、ロマン的な香りのするところが、当時の聴衆の大いなる支持を受けていたわけである。ヴェルディ:レクイエムは、イタリアの文豪アレッサンドロ・マンゾーニを追悼する目的で作曲され、マンゾーニの一周忌にあたる1874年5月22日、ミラノ、サン・マルコ教会で初演された。しばしば、モーツァルト、フォーレの作品とともに「三大レクイエム」の一つに数えられ、“最も華麗なレクイエム”と評される。このLPレコードでもグィド・カンテルリは、その特徴を存分に発揮しており、厳格で深淵な宗教曲を演出する一方、歌うような伸びやかな雰囲気も出し、ヴェルディ:レクイエムの全貌を余すところなくリスナーに伝えてくれている。一方、ヴェルディ:テ・デウムは、1895年~1896年の作曲された混声合唱曲「聖歌四篇」の中の第4曲目の曲で、ラテン語で書かれた管弦楽伴奏二重合唱曲。比較的録音状態も良く、グィド・カンテルリは、レクイエムに劣らずヴェルディの宗教曲の豊かな世界を届けてくれる。なお、カンテッリの名を冠した「グィド・カンテッリ国際指揮者コンクール」(スカラ座主催)が1963年に創設され、優勝者には、エリアフ・インバル(1964年)、リッカルド・ムーティ(1967年)、井上道義(1971年)、ユベール・スダーン(1975年)らがいる。同コンクールは一時中断されていたが、2020年から再開された。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ベスト・オブ・ジーリ イタリア歌劇名アリア集

2023-01-26 09:44:24 | オペラ

 

~ベスト・オブ・ジーリ イタリア歌劇名アリア集~

チレア:歌劇「アルルの女」第2幕より「ありふれた話(フェデリーコの嘆き)」
マスネー:歌劇「マノン」第3幕より「消えされ、やさしいおもかげよ」
マスカーニ:歌劇「ロドレッタ」第3幕より「ああ、あの人を再び小屋の中に」
ヴェルディ:歌劇「トロヴァトーレ」第3幕より「見よ、恐ろしい火を」
ドニゼッティ:歌劇「愛の妙薬」第1幕より「なんと可愛い人だ」
プッチーニ:歌劇「マノン・レスコー」第2幕より「ああ、マノン、またしてもそむくのか」
ジョルダーノ:歌劇「アンドレア・シェニエ」第3幕より「わたしは兵士だった」
レオンカヴァレロ:歌劇「道化師」第2幕より「もう道化師じゃない」
プッチーニ:歌劇「トスカ」第3幕より「星も光りぬ」
マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より 
          母との別れ「おかあさん、あの酒は強いね」
       歌劇「イザボオ」第1幕より ファルコのカンツォーネ「鳩ではなく」
       歌劇「イザボオ」第2幕より「活発な姫は現れよう」

テノール:ベニアミーノ・ジーリ

メゾ・ソプラノ:ジュリエッタ・シミオナート(「カヴァレリア・ルスティカーナ」)

発売:1970年

LP:東芝音楽工業 AB・8124

 ベニアミーノ・ジーリ(1890年―1957年)は、イタリアのレカナティ出身で、当時一世を風靡した名テノール歌手。ジーリはイタリアのアンコーナ近郊のレカナーティで、オペラファンで靴屋の父のもとに生まれた。ローマのサンタ・チェチーリア音楽院に学ぶ。1914年パルマで行われた国際声楽コンクールで1等賞に輝く。24歳の時、ポンキエルリの歌劇「ジョコンダ」のエンツィオの役で初舞台を踏み、以後次第にその名を世界に知られるようになって行く。1920年にはアメリカに渡り、メトロポリタン歌劇場で米国デビューを果たし、その後は世界的な名テナーとして活躍。ジーリは、1921年オペラ史上最も有名なテノール歌手の一人であるエンリコ・カルーソー(1873年-1921年)の突然の死のあとの空白を生める歌手となり、すぐに世界的に最も有名なイタリア人テノール歌手となった。このLPレコードは、そんなジーリのオペラアリア集であり、その柔らかく、よく通る歌声を堪能することができ、古きオペラファンには何とも懐かしい、またとない贈り物となっている。「ありふれた話(フェデリーコの嘆き)」は、婚礼の夜、花嫁の不実を知ったフェデリーコが裏切られた悲しみを歌う悲痛なアリア。「消えされ、やさしいおもかげよ」は、アベ・プレヴォーの名作「マノン・レスコー」を素材にオペラ化した作品で、デ・グリューのアリア。「ああ、あの人を再び小屋の中に」は、ヴィダの童話「二つの小さな木靴」に基づいた3幕物のオペラの第3幕で美しい恋の回想と烈しい胸のたぎりを歌う。「見よ、恐ろしい火を」は、吟遊詩人マンリコの激情的なカバレッタ。「なんと可愛い人だ」は、若い農夫ネモリーノが歌う美しいカヴァティーナ。「ああ、マノン、またしてもそむくのか」は、心をこめたアリアで、聴くものの心を打たずにおかない。「わたしは兵士だった」は、激しい怒りを美しい旋律のせて歌われる。「もう道化師じゃない」は、芝居と現実のへだてを忘れて叫ぶ激しいアリア。「星も光りぬ」は、死刑を前にして歌う歌う詩人カヴァラドッシの劇的なアリア。「おかあさん、あの酒は強いね」は、酒に酔った真似をして、それとなく別れを告げる悲痛な歌。「鳩ではなく」は、鷹を呼び、腕にとまらせながら姫の問いに答える場面で歌われる。「活発な姫は現れよう」は、イザボオが馬に乗って人気のない街路を通り過ぎるのをみつめ、その通路に花をなげつつ歌う。これらのアリアを歌うジーリの歌声は、かくも麗しくも、輝かしく響くのであろうか。典型的な甘美なベル・カントのジーリが歌うこのLPレコードのアリアを聴いていると、誰もが熱烈なオペラファンになってしまいそうだし、何よりも心の底から、“クラシック音楽っていいなあ”と感じさせてくれるのである。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇フェレンツ・フリッチャイのリスト:交響詩「前奏曲」/スメタナ:交響詩「モルダウ」/ラフマニノフ:「パガニーニの主題による狂詩曲」

2023-01-23 09:47:31 | 管弦楽曲

リスト:交響詩「前奏曲」
スメタナ:交響詩「モルダウ」
ラフマニノフ:「パガニーニの主題による狂詩曲」

指揮:フェレンツ・フリッチャイ

管弦楽:ベルリン放送交響楽団(「前奏曲」「パガニーニの主題による狂詩曲」)
    ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(「モルダウ」)

ピアノ:マルグリット・ウェーバー(「パガニーニの主題による狂詩曲」)

録音:1959年9月23日(「前奏曲」)/1960年23日―24日(「モルダウ」)/1960年6月3日―8日(「パガニーニの主題による狂詩曲」)、ベルリン、イエス・キリスト教会

LP:ポリドール SE 7810

 このLPレコードは、昔から現在に至るまでリスナーに人気が高い、リスト:交響詩「前奏曲」、スメタナ:交響詩「モルダウ」、それにラフマニノフ:「パガニーニの主題による狂詩曲」の3曲を、名指揮者フェレンツ・フリッチャイ(1914年―1963年)が指揮している。さすがはフェレンツ・フリッチャイである、これらの“通俗名曲”の上っ面だけを演奏するのでなく、原点に返って、その曲の持つ特質を生き返らせながら、フリッチャイでなくては表現出来ないような視点に立って、それぞれの曲を再構築して演奏してくれている。このため、リスナーは既成概念に捉われることなく、これらの曲が持つ本来の価値に初めて気づかされるのだ。リスト:交響詩「前奏曲」は、自ら作曲した男声合唱曲「四つの元素」の前奏曲を基に作曲した。「前奏曲」という表題は、ラマルティーヌの「瞑想録」によるもので、「人生は死への一連の前奏曲に過ぎない」というところから取ったもの。スメタナ:交響詩「モルダウ」は、スメタナが祖国を賛美しようと作曲した連作交響詩「わが祖国」第2曲目の曲。スメタナは、この「モルダウ」の最後に「まったく耳が聞こえなくなってしまった」と書いたように、悲劇の名曲でもある。ラフマニノフ:「パガニーニの主題による狂詩曲」は、ピアノ協奏曲風の曲で、主題の曲はパガニーニの「無伴奏ヴァイオリンのための“カプリース”」の第24曲目から取り、24の変奏曲とした。グレゴリオ聖歌の「怒りの日」の旋律も取り入れ、壮大な感じの曲に仕上がっており、フリッチャイの劇的な効果も取り入れた、その指揮ぶりを存分に堪能することができる。フェレンツ・フリッチャイは、ドイツを中心にヨーロッパやアメリカで活躍したハンガリー出身の名指揮者。ブダペスト音楽院に入学し、ピアノ、ヴァイオリン、クラリネット、トロンボーン、打楽器などを学び、コダーイ、バルトークらに指揮と作曲を学ぶ。1949年ベルリン市立歌劇場音楽監督、RIAS交響楽団首席指揮者に就任。1953年ボストン交響楽団を指揮してアメリカ・デビューを果たす。1956年バイエルン国立歌劇場音楽監督に就任。1958年秋ごろより、白血病の症状が現れる。1960年ベルリン・ドイツ・オペラの初代音楽総監督就任の契約を交わすが、健康状態を理由に数週間後に辞退。そして、1962年2月20日、白血病の症状が悪化し、スイスのバーゼルの病院において、48歳の若さで生涯を終えることになる。同年3月のベルリン放送交響楽団による追悼コンサートでは、チェコ出身で同じ1914年生まれ、ラファエル・クーベリック(1914年―1996年)が指揮台に立った。フリッチャイの死後、フィッシャー=ディースカウ(1925年―2012年)がフリッチャイ協会を設立し、指揮者カール・ベーム(1894年―1981年)が名誉会長を務めた。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇アメリンクのモーツァルト:「踊れ、喜べ、幸な魂よ」/シューベルト:ゲーテ歌曲集

2023-01-19 09:44:47 | 歌曲(女声)


モーツァルト:モテット「踊れ、喜べ、幸な魂よ」
シューベルト:ゲーテ歌曲集

       ミニヨンの4つの歌

         君よ知るや南の国
         ただあこがれを知る者だけが
         私に言わせないで
         この装いを許したまえ
           
       恋人の手紙
       恋人のそばに
       野ばら
       美しい恋人

ソプラノ:エリー・アメリンク

オルガン:レスリー・ピアーソン

指揮:レイモンド・レパード

管弦楽:イギリス室内管弦楽団

ピアノ:ダルトン・ボールドウィン

発売:1975年

LP:日本フォノグラム(フィリップスレコード) PL‐1330(6598 114)

 エリー・アメリンク(1933年生まれ、本名:エリザベート・サラ・アーメリング)は、オランダのソプラノ歌手で、1996年に引退してしまったので、現在は、その歌声を聴くことはできないが、現役時代のその澄んだ歌声を、このLPレコードでは存分に聴くことができる。アメリンクは、ソプラノ歌手といっても、オペラではなく、リートやカンタータ、それにオラトリオといった分野で活躍した歌手であり、比較的地味な存在ではあった。当時、同じソプラノ歌手のシュワルツコップ(1915年―2006年)などは、オペラでの目を見張る活躍は、常に楽界の耳目を集めていた。一方、アメリンクの活動の場は、リートを中心としたものであったため、マスコミなどで派手に扱われることは、ほとんどなかったように記憶している。しかし、一方では熱烈なリート愛好家からは高く評価をされ、特にリートファンの多かった日本では、当時、シュワルツコップに劣らない人気を有していたと思う。シュワルツコップもリートのLPレコードを残しているが、あくまで正当性の高い、ある意味では裃を纏ったその歌唱力に圧倒されたように感じていた。それに対し、アメリンクの透明感の中に柔らか味のある歌声は、常に強い親近感が持てたように思う。何か自分のすぐ側にいて歌ってくれているような感じが常にしていたのである。また、コレギウム・アウレウムやイェルク・デムスなど、草創期の古楽器団体や古楽器奏者と共演して、バッハのカンタータやモーツァルトおよびシューマンのリートを録音した。このほか、山田耕筰や中田喜直などの日本の歌曲までも日本語で歌うという、当時としては稀有の存在の歌手でもあったのだ。アメリンクは、古楽界における女性歌手の第一人者カークビーの先駆けとも言うべき声の特徴から、明らかに古楽むきで、 ヘルムート・ヴィンシャーマン指揮のドイツ・バッハ・ゾリステンとバッハのカンタータで度々共演し、日本にも共に来日しCDも残している。そんなアメリンクが、誰もが知っているモーツァルト:モテット「踊れ、喜べ、幸な魂よ」と、有名な「野ばら」を含むシューベルト:ゲーテ歌曲集を歌ったのがこのLPレコードなのである。いずれの曲もアメリンクの暖かみ溢れた透明感漂う歌声に聴き惚れてしまう、珠玉のようなLPレコードに仕上がっている。モーツァルト:モテット「踊れ、喜べ、幸な魂よ」は、第3次イタリア旅行に旅立ったモーツァルトが、その期間中の1773年1月に、ローマのカストラートとラウッツィーニのために作曲した作品。初演は1773年1月17日、ミラノのテアーテ教会で行われた。このLPレコードに収められたシューベルトの歌曲の作曲年代は、次の通りとなる。君よ知るや南の国(1815年)、ただあこがれを知る者だけが(1826年)、私に言わせないで(1826年)、この装いを許したまえ(1826年)、恋人の手紙(1819年)、恋人のそばに(1815年)、野ばら(1815年)、美しい恋人(1815年)。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ベルリン・フィル八重奏団のモーツァルト:セレナード第13番/喜遊曲第15番

2023-01-16 09:39:18 | 室内楽曲


モーツァルト:セレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
       ディヴェルティメント第15番

演奏:ベルリン・フィルハーモニー八重奏団

発売:1974年

LP:日本フォノグラフ(フィリップス・レコード) X-5536(839 708)

 モーツァルト:セレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は、1787年に完成された。この頃モーツァルトは、歌劇「ドン・ジョバンニ」の作曲に取りかかっていた。モーツァルト自身が自作の目録に「小さな夜の曲」(ドイツ語で、それぞれ「Eine=冠詞(英語でいうa)」「kleine=小さい」「Nacht=夜」「Musik=音楽」という意味)という題名を付けたこのセレナードは、もともと全部で5楽章あったものが、いつの間にか第2楽章メヌエットが除かれ、その後どこに行ったかも不明のままだ。そんなミステリアスなセレナードではあるが、いかにも快活なモーツァルトの作品であるところから、現在でも人気のある曲としてしばしば演奏会で取り上げられる。器楽用の多楽章のセレナーデは当時流行していて、モーツァルトはセレナーデを多く作曲したが、この「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」はどのような機会のために作曲されたのかははっきりしていない。一方、ディヴェルティメント第15番は、1777年に書かれた。もともとディヴェルティメント(喜遊曲)は、気晴らしや娯楽を意味する言葉で、これも当時大いに流行った音楽スタイル。モーツアルトのディヴェルティメント第15番は、基本的には気軽に聴くことのできる音楽なのだが、モーツァルトはそれをさらに一歩踏み込んで、大変内容が充実した作品に仕上げており、モーツァルトの隠れた名曲と言ってもいいほどの名品となっている。楽器編成は、サロン向きにヴァイオリン2、バス(チェロとコントラバス)、ホルン2という比較的小さな編成となっている。1777年にザルツブルグで書かれた。これはアントニオ・ロドロン伯爵夫人のためにつくった作品で、第2楽章と終楽章の主題に民謡を用いて全体が親しみやすい感じに仕上がっているのが特徴と言える。演奏しているベルリン・フィル八重奏団は、1928年に結成され、以後メンバーを変えながら、現在でも活発な演奏活動を行っている。このLPレコードでは、ヴィオラ奏者として土屋邦雄(1933年生まれ)が名を連ねている。土屋邦雄は、東京芸術大学で学んだ後、NHK交響楽団に入団。その後、ドイツに渡り、1959年、ベルリン・フィルの試験を受け合格。以後ベルリン・フィルのメンバーとなる。2001年、ベルリンフィルを退団後、本拠をベルリンに置きながら、日本にほんにおいて音楽活動を展開している。このLPレコードでのベルリン・フィルハーモニー八重奏団の演奏は、セレナードは非常にゆっくりとしたテンポで、室内楽的な緻密な演奏を繰り広げる一方、ディヴェルティメントにおいては、テンポの速い躍動感に重点を置いた演奏をしており、リスナーは、モーツァルトの世界を十二分に堪能することができる演奏内容となっている。(LPC)

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