★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇ジノ・フランチェスカッティのサン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番/ショーソン:「詩曲」/ラヴェル:ツィガーヌ

2021-10-28 10:00:44 | 協奏曲(ヴァイオリン)

   

サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番
ショーソン:「詩曲」
ラヴェル:ツィガーヌ

ヴァイオリン:ジノ・フランチェスカッティ

指揮:ディミトリー・ミトロプーロス

指揮:レナード・バーンシュタイン

管弦楽:ニューヨーク・フィルハーモニック

LP:CBS・ソニーレコード SOCL 77

 ヴァイオリンのジノ・フランチェスカッティ(1902年―1991年)は、フランス、マルセイユ出身の名ヴァイオリニスト。1924年にパガニーニのヴァイオリン協奏曲第一番を弾いて、パリ・デビューを飾る。1939年に渡米しニューヨーク・フィルと共演した後は、ニューヨークに定住することとなった。パガニーニやサン=サーンスなどラテン系の演奏を得意とし、今回のサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番のLPレコードは、当時名盤(今回聴き直してみたが、ほんとに凄い名演だ)として名高かったもの。演奏内容は、燦然とした輝かしさに溢れたものであり、ジノ・フランチェスカッティは、いわゆる巨匠風の演奏を行うヴィルティオーゾと呼ばれたヴァイオリニストの一人であった。日本のクラシック音楽界は、今日までドイツ・オーストリア楽派を中心に展開される傾向にあるが、馴染みの比較的薄いラテン系あるいはフランス音楽界の重鎮としてのジノ・フランチェスカッティの存在意義は、当時非常に重かったことを思い出す。このLPレコードのジノ・フランチェスカッティの演奏を聴くと、胸が高鳴るといおうか、一点の曇りもない青空を眺めているようでもあり、何の衒いもないその演奏スタイルを聴くと、かつて如何に多くのファンを引き付けたがよく理解できる。サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番は、サン=サーンス最後のヴァイオリン協奏曲でロマン派の重要なヴァイオリン協奏的作品の一つに数えられるほどの名曲。完成は1880年で、初演者のパブロ・デ・サラサーテに献呈された。曲想は、古典主義の協奏曲と言える作品であるが、難技巧の部分も含まれており、これが結果的に華やかな効果を生み出し、官能的と言ってもいいほどの美しい旋律が随所に盛り込まれている。ショーソンの「詩曲」は、ゆっくたりとした静かなメロディーが印象的な最もショーソンらしい曲。瞑想曲と名付けてもいいほどの細やかな表情の変化にリスナーの多くが引き付けられる。ラヴェルのツィガーヌは、自身「ハンガリー狂詩曲風に書かれたヴァイオリン独奏曲」と語っている通り、ジプシー音楽のチャルダッシュの形式をとっている。早い部分とゆったりとした部分は、ジプシー音楽そのものだが、ラヴェルはそれを芸術的に高めたところにこの曲の真価がある。これらの3曲を弾くジノ・フランチェスカッティのヴァイオリン演奏は、現代風の感覚に満ち溢れ、知的で、優雅の中にも力強さがその根底にあるため、単に感情に溺れることもなく、リスナーに訴える力は非常に強いものがある。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇オーマンディのレスピーギ:交響詩「ローマの噴水」「ローマの松」「ローマの祭り」

2021-10-25 09:44:04 | 管弦楽曲

 

レスピーギ:交響詩「ローマの噴水」
         「ローマの松」
         「ローマの祭り」

指揮:ユージン・オーマンディ

管弦楽:フィラデルフィア管弦楽団

LP:CBS/SONY 13AC 126

発売:1976年

 このLPレコードは、ユージン・オーマンディ(1899年―1985年)の指揮とフィラデルフィア管弦楽団の名コンビで、レスピーギの“ローマ三部作”として親しまれている交響詩「ローマの噴水」「ローマの松」「ローマの祭り」を録音したもの。曲目と演奏者とが、他に比較するものがないと言っていいほど、その相性の良さは抜群だ。実際このLPレコードを聴いてみると、リスナーは、その絢爛豪華な音の饗宴に酔いしれる。あたかも、リスナーの目の前にローマの“噴水”“松”“祭”の映像が鮮やかに再現されるかのようだ。それはユージン・オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団とが、互いに信頼し切って、その持てる能力をフルに発揮しているからである。このLPレコードは、ユージン・オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団のコンビが、史上最高のコンビであったことを如実に示している。ユージン・オーマンディは、ハンガリー出身のアメリカ人指揮者。ブダペスト王立音楽院で学ぶ。同音楽院を卒業後、ヴァイオリニストとして本格的な演奏活動を開始。1921年にニューヨーク・キャピトル劇場オーケストラのヴァイオリン奏者となり、さらにコンサートマスターに就任。1924年、同オーケストラの指揮者としてデビュー。1931年ミネアポリス交響楽団(現・ミネソタ管弦楽団)の常任指揮者に就任。さらに1938年、ストコフスキーの後任としてフィラデルフィア管弦楽団音楽監督に就任し、以後、1980年に勇退するまで42年の長期にわたって音楽監督を務めた。ユージン・オーマンディは、オーケストラの統率力に優れ、巨匠風の演奏を行う。その表現は、知性的な一方で、色彩感に溢れたものになっている。音は、原色のような輝きを持っているが、それが独特なトーン・カラーで知られる“フィラデルフィア・サウンド”なのである。レスピーギの“ローマ三部作”は、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院の作曲家教授となった1913年、34歳の時に、作曲された一連の交響詩だ。「ローマの噴水」は、ローマの心とまで言われて親しまれている噴水に託して表現しようとした作品で、第1部 夜明けのジュリアの谷の噴水、第2部 朝のトリトンの噴水、第3部 真昼のトレヴィの泉、第4部 黄昏のメディチ荘の噴水からなる。「ローマの松」は、「ローマの噴水」の成功の8年後に書かれた作品で、古代ローマへの郷愁と幻想が、古い教会旋法を用いて効果的に描き出されている。「ローマの祭り」は、三部作最後の作品で、古代ローマ、ロマネスク、ルネサンスそれに現代のローマの祭りを四部にまとめている。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ダヴィッド・オイストラフ&レフ・オボーリンのシューベルト:ヴァイオリンソナタ第4番「デュオ」 /グリーグ:ヴァイオリンソナタ第2番

2021-10-21 09:38:51 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

 

シューベルト:ヴァイオリンソナタ第4番「デュオ」
グリーグ:ヴァイオリンソナタ第2番

ヴァイオリン:ダヴィッド・オイストラフ

ピアノ:レフ・オボーリン

発売:1975年

LP:ビクター音楽産業 MK-1070

 これは、旧ソ連の名ヴァイオリニストのダヴィッド・オイストラフ(1908年―1974年)と名ピアニストのレフ・オボーリン(1907年―1974年)の黄金のコンビによるシューベルトとグリークのヴァイオリンソナタを収録したLPレコードである。シューベルトは、19歳の年に3曲のピアノのとヴァイオリンのための作品を作曲した。これらの曲は簡潔な作風で、ソナタと呼ばれるより、ソナチネと呼ばれることが多く、これらの作品自体、愛すべき曲に仕上がっている。その翌年に書かれたピアノのとヴァイオリンのための作品は、もはやソナチネとは呼べない立派な構成の曲になっており、そのため、一般的にはシューベルトのヴァイオリンソナタ第4番と呼ばれている。ヴァイオリンとピアノが対等の位置関係で作曲されているため「二重奏曲(Duo)」という愛称を持つ。一方、グリーグは、1865年に作曲したヴァイオリンソナタ第1番から2年を経た1867年に、ヴァイオリンソナタ第2番を作曲した。第1番と同じく短期間で完成されたこの曲は、24歳の時にノルウェーに戻ってから作曲された。第1番から僅か2年しか経っていないながら、内容的には大きく進歩している。優雅で美しい北欧舞曲の第3楽章は、もともとチェロとピアノのための作品として構想されていたものという。いずれにせよこの曲は、グリーグの美しい旋律の魅力が存分に詰まった作品と言える。2曲ともいかにも室内楽らしい静かな雰囲気を漂わせた佳品である。こんな愛すべき作品の録音にはLPレコードがぴったりと合う。ダヴィッド・オイストラフは、ロシア派ヴァイオリニストの中心的存在であった。軽やかで抑揚に富むその表現力は、格調高い演奏内容を持っていた。真正面から曲に取り組み、その健康で明るく、しかも上っ面を撫でるのではなく、曲の本質をがっちりと掌握し、分りやすい表現力は、多くのファンの心を掴んで離さなかった。それらは高い技術力に裏付けられたものであり、さらに日頃の修練からもたらされたであろうことが、リスナーにひしひしと伝わってくる。オボーリンとの素晴らしいアンサンブルに中に、絶えず自分の解釈を表現し、芸術的な高みを極めようとする姿勢を崩すことは決してない。このLPレコードでもこれらのダヴィッド・オイストラフの特徴が最大限発揮されている。今考えるとダヴィッド・オイストラフやレフ・オボーリンが活躍していた頃の旧ソ連のクラシック音楽界は、多くの名演奏家がひしめき合い、そして光り輝いていた。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ジャン=ピエール・ランパルのモーツァルト:フルート協奏曲第1番/同第2番/フルートと管弦楽のためのアンダンテ

2021-10-18 09:38:31 | 協奏曲


モーツアルト:フルート協奏曲第1番KV313/第2番KV314
       フルートと管弦楽のためのアンダンテKV315

フルート:ジャン=ピエール・ランパル

指揮:テオドール・グルシュバウアー

管弦楽:ウィーン交響楽団

LP:RCV E-1009

 これは、モーツァルトのフルート協奏曲を、20世紀最大のフルート奏者であったジャン=ピエール・ランパル(1922年-2000年)が録音したLPレコードだ。2曲といっても、第1番は、1778年マンハイムで作曲されたのに対し、第2番はオーボエ協奏曲をフルート協奏曲に編曲したもの。つまり、モーツァルトはフルート協奏曲を1曲だけしか書かなかったことになる。同じ年に作曲したフルートとハープのための協奏曲と同様、第1番、第2番共に実に流麗な曲であり、思わずフルートの音色に聴き惚れてしまう。同じことはフルートと管弦楽のためのアンダンテにも言える。それにしてもモーツァルトは1778年、1年だけでフルートの曲を作曲することをどうして止めてしまったのであろうか?一説には当時のフルートの性能が今ほどよくなかったという説があるのだが・・・。ランパルは、我々の世代は“フルート=ランパル”といった図式を思い描くほどの神様的存在だった。その優美でたおやかな音色を一度でも聴くとたちまちランパルの信者になってしまうほど。そしてその音色を聴くにはLPレコードが一番良い。ランパルは、マルセイユに生まれ、18歳で医科大学に進んだが、1943年にパリ音楽院に入学し、音楽の道を歩むことになる。1947年にジュネーブ国際コンクールで優勝しソロで活動を開始。1956年からは、パリ・オペラ座管弦楽団の首席奏者に就任。1962年に同楽団を退団後は、世界各地で演奏旅行を行った。また、アイザック・スターンやムスティスラフ・ロストロポーヴィチと室内楽の演奏も行なった。現在、権威あるフルートの国際コンクールとして「ジャン=ピエール・ランパル国際フルートコンクール」が催されている。モーツアルト:フルート協奏曲第1番は、1778年の1月または2月に、マンハイム作曲されたものと推定されている。第2楽章のアダージョは、かなり難しということで、後に代わりの第2楽章を作曲した。「フルートと管弦楽のためのアンダンテ」は、第1番のフルート協奏曲の第2楽章のアダージョの代わりに作曲された作品ではないか、という見方もされている。フルート協奏曲第1番は、オランダ人のドゥ・ジャンのために書かれた曲だが、この「フルートと管弦楽のためのアンダンテ」は、ドゥ・ジャンのために書かれた2番目のフルート協奏曲という見方もある。このLPレコードでのランパルの演奏は、流麗極まりないものであり、そのフルートの音色を聴くとたちまちのうちに誰もがランパルの虜になってしまう(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇若き日のポゴレリッチ、1980年10月第10回「ショパン国際ピアノコンクール」の”伝説のライヴ録音”

2021-10-14 09:40:22 | 器楽曲(ピアノ)


ショパン:ポロネーズ op.44
     エチュード op.10-10
     プレリュード op.45
     スケルツォ第3番 op.39
     3つのマズルカ op.59-10~12

ピアノ:イーヴォ・ポゴレリッチ

録音:1980年10月

LP:CBSソニー 28AC 1258

 “伝説の録音”と呼ぶのに最も相応しいのがこのLPレコードである。私は、イーヴォ・ポゴレリッチが来日した時、サントリーホールでリサイタルを聴いたことがあるが、その個性的なショパンの演奏に、思わず腰を抜かすほど驚いたことを思い出す。その時、「これがホントにショパンの音楽なのか?」とさえ思った程ユニークな演奏であった。そのルーツとも言えるのが、このLPレコードに収録されている。1980年10月に行われた「第10回ショパン国際ピアノコンクール」でのポゴレリッチ(当時22歳)のライヴ録音だ。この時のポゴレリッチの審査に関して2つの騒動が巻き起こった。第1次予選を通過して、42人が第2次予選に進んだのだが、この中にポゴレリッチがいることにイギリスの審査員が抗議して帰国してしまったのだ。そしてその後、ポゴレリッチは第3次予選に進んだが、最後の本選には選ばれなかった。今度は、これに怒って、その時の審査員であったマルタ・アルゲリッチが帰国してしまったのである。それほどポゴレリッチのショパン演奏は個性的で、審査員の間でも評価が分かれるピアニストなのである。このLPレコードのライブ録音の演奏は、現在のポゴレリッチの演奏のルーツとも言うべきものを聴き取ることができる。すなわち、誰にも真似できない個性的な演奏によって、ショパン音楽の核心を見事に抉り出しているのである。特にスケルツォ第3番の演奏は、凄いの一言だ。イーヴォ・ポゴレリチ(1958年生まれ)は、ユーゴスラビアの首都ベオグラード出身。モスクワ中央音楽学校に留学。その後チャイコフスキー音楽院で学ぶ。1978年イタリア、モンテルニの「アレッサンドロ・カサグランデ国際コンクール」第1位。1980年「モントリオール国際コンクール」第1位。そしてこのLPレコードのライヴ録音に記録された、1980年のポーランドでの第10回「ショパン国際ピアノコンクール」での本選で落選へと至る。しかし、そこはポゴレリッチのこと、本選落選になるも審査員特別賞受賞は受賞するのである。1981年11月には初来日を果たしている。以後、度々日本を訪れ、現在に至るまで、その個性的な演奏を日本のファンの前に披露している。ポゴレリチは、ユネスコの親善大使を務めた経験を持つほか、「クロアチア・ヤング・ミュージシャンズ・フェローシップ」「イーヴォ・ポゴレリチ音楽祭」「イーヴォ・ポゴレリチ国際ソロ・ピアノ・コンクール」「サラエヴォ・チャリティ財団」を設立するなど、ピアニスト以外の分野でも多彩な活動を展開してことでも知られる。(LPC)

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