★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇全盛期のカラヤン指揮ベルリン・フィルのモーツァルト:ディヴェルティメント第17番

2020-01-30 09:44:46 | 管弦楽曲

モーツァルト:ディヴェルティメント第17番

指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1965年8月22日―23日、スイス、サン・モリッツ

LP:ポリドール(グラモフォンレコード) SE 7005
 
 ディヴェルティメント(喜遊曲)とは、18世紀中頃に現れた器楽組曲で、深刻さや暗い雰囲気を持たず、明るく、軽妙で楽しい曲調の曲を指す。貴族の食卓・娯楽・社交・祝賀などの場で演奏され、楽器編成は特に指定はない。同じような曲調にセレナードがあるが、セレナーデが屋外での演奏用であるのに対し、ディヴェルティメントは主に室内での演奏用作品を言う。今回のLPレコードのモーツァルトのディヴェルティメント第17番は管弦楽用で、全部で20数曲あるモーツァルトのディベルティメントの中でも最も人気のある作品となっている。全体は、全6楽章からなっているが、特に、第3楽章のメヌエットは、「モーツァルトのメヌエット」として親しまれ、ヴァイオリン独奏や、弦の重奏などで単独でもしばしば演奏され、広く愛好されているので、クラシック音楽リスナーならだれでもが一度は耳にしたことのある曲。作曲年代は不明だが、ザルツブルクの名門貴族ロービニヒ家の長男のジークムントのザルツブルク大学法学部卒業の祝いのために作曲された曲と言われている。このLPレコードでの演奏は、ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908年―1989年)指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。カラヤンは、1955年から1989年までベルリン・フィルの終身指揮者・芸術監督を務めていた。このLPレコードの録音は、1965年8月なので、両者の意気がぴたりと合い、”楽壇の帝王”と称されていた頃のカラヤンとベルリン・フィルの名コンビぶりをじっくりと聴くことができる。しかしその後、晩年を迎えたカラヤンは、金銭問題も絡んで、最後はベルリン・フィルと喧嘩別れをしてしまう。このLPレコードを録音した頃、両者は蜜月時代にあり、将来、離反するなどとは予想すらしなかったろう。今、改めてこのカラヤンの録音をじっくりと聴いてみると、限りなくゆっくりとしたテンポをとり、細部にわたって繊細で、微妙なニュアンスを保ち、しかも、確固とした構成力を持ったその音づくりには、甚だ感心させられる。こんなにベルリン・フィルを自由自在に操り、モーツァルトのディヴェルティメントの世界を余すところなくリスナーに伝えてくれる指揮者は、そう滅多にいるものではない。カラヤンに批判的な人もいることはいるが、このLPレコードを聴く限り、やはりカラヤンは、正統派の偉大な指揮者であったことが強く印象付けられるのだ。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ロストロポーヴィッチ&リヒテルのブラームス:チェロソナタ第1番/グリーグ:チェロソナタ(ライヴ録音盤)

2020-01-27 09:38:43 | 室内楽曲(チェロ)

ブラームス:チェロソナタ第1番
グリーグ:チェロソナタ

チェロ:ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ

ピアノ:スヴィアトスラフ・リヒテル

発売:1980年10月

LP:日本コロムビア OW‐7220‐BS(ライヴ録音)
 
 ブラームスのチェロソナタは2曲あるが、このLPレコードには第1番のみが収録されている。この第1番ホ短調のチェロソナタは、はじめの2楽章が1862年に、終楽章が1865年にそれぞれ完成し、3つの楽章は全て短調で書かれている。全体にほの暗い叙情性を持った曲調であり、如何にもブラームスらしい内省的な優美さに貫かれた曲だ。一方、グリーグのチェロソナタは、グリーグが残した唯一のチェロソナタである。このチェロソナタは、3歳年上の兄ヨーンのために作曲したという。この曲は、グリーグの曲にしては珍しく、暗い情熱を内に込めた曲想を持った曲であるが、ところどころにグリーグ特有の優美なメロディーが散りばめられており、グリーグの隠れた室内楽の名曲と言える曲だ。このLPレコードは、そんな2曲を、2人の巨匠、チェロのムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(1927年―2007年)とピアノのスヴィアトスラフ・リヒテル(1915年―1997年)が共演している。しかも、ライヴ録音である。面白いことに、ライナーノート以外に、このLPレコードのどこにもライヴ録音の表記が無い。これは多分、当時は、ライヴ録音であるとスタジオ録音に比べて音質が劣るため、表記を躊躇したためではないだろうか。しかし、このLPレコードの音質については、鑑賞に耐え得るレベルには達している。ロストロポーヴィチとリヒテルという当時の2大巨匠が残した、貴重なライヴ録音として後世に残す価値のあるLPレコードである。チェロソナタの演奏は、ともすればチェロが主役、ピアノが脇役といったケースが多いが、このLPレコードの2曲の演奏は、2人が対等の立場で演奏し、堂々と渡り合っている様が聴き取れる。一部分では、ライヴ録音特有のスリリングなやり取りに緊張感が走るほどである。このLPレコードのライナーノートで吉井亜彦氏は、2人の演奏について「この演奏は、実に美しいまとまりを身に付けたものだ。ただ、このまとまりの美しさは、あらかじめ計算してできるようなものとは、その性格が異なるものなのである。・・・それぞれ自立したふたつのものが自然にとけあって、予期しなかったようなものへと結晶していく。これは、そうした性格の演奏なのである」と書いている。このような演奏内容の記録は、とてもスタジオ録音では不可能であり、ライヴ録音によってはじめて後世に残すことができる。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ベイヌム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウのブラームス:交響曲第2番/第3番

2020-01-23 09:41:00 | 交響曲(ブラームス)

ブラームス:交響曲第2番/第3番

指揮:エドゥアルト・ファン・ベイヌム

管弦楽:アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

録音:1954年5月17日~19日(第2番)/1956年9月24日~25日(第3番)、アムステルダム・コンセルトヘボウ

発売:1975年

LP:日本フォノグラム(フィリップスレコード) PC‐1583
 
 このLPレコードは、巨匠エドゥアルト・ファン・ベイヌム(1901年―1959年)が、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮し、ブラームス:交響曲第2番/第3番を録音したもの。ブラームスは、交響曲第1番の作曲に20年もの歳月を使ったのに対し、交響曲第2番の作曲は、僅か4ヶ月という短期間で書き上げてしまった。これは、第1番の評判が良く、大いに自身を深めたことによると思われる。作曲した場所は、オーストリアのアルプス山麓のウェルター湖畔にある寒村ペルチャッハであった。ブラームスは、この地を甚く気に入ったようで、そこでの楽しい生活で得た霊感と美しい自然から受けた感動を基に、いわば即興的に書き上げたのが交響曲第2番である。この交響曲は、よく“ブラームスの田園交響曲”と呼ばれる。これは、ベートーヴェンの“田園交響曲”から名付けられたもの。一方、交響曲第3番も、避暑地(ウィスバーデン)で6ヶ月という短期間で書き上げられた。やはり、これもブラームスの当時の生活状態が甚だ順調であったからだろうと推測できる。この交響曲第3番は、よく“ブラームスの英雄交響曲”と呼ばれる。これはベートーヴェンの“英雄交響曲”になぞらえたもの。このLPレコードで指揮をしているエドゥアルト・ファン・ベイヌムは、オランダ出身の名指揮者。1938年からはメンゲルベルクとともにアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者に就任したが、メンゲルベルクがナチスへの協力でスイスに追放されると、ベイヌムは音楽監督兼終身指揮者に就任した。このほかにロンドン・フィルの首席指揮者、ロサンゼルス・フィルの終身指揮者としても活躍した。しかし、ブラームスの交響曲第1番のリハーサル中に心臓発作で倒れ、急逝した。57歳という若さであった。その指揮ぶりはあくまで正統派であり、力強さと構成力の雄大さでは、一際抜きん出た存在であった。特にベートーヴェンやブラームスなどの指揮では、他の追随を許さないものがあった。このLPレコードでも、その本領を遺憾なく発揮しており、真正面から曲に向かい、曖昧さは些かもなく、実に力強く、奥行きの限りなく深い名演を聴かせる。今は、ベイヌムのような正統派の指揮者は少なくなってしまった。残念なことではある。それだけにこの録音は一層貴重なものに思えてくる。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ボーザールトリオのシューマン:ピアノ三重奏曲第1番/第2番

2020-01-20 09:42:34 | 室内楽曲

シューマン:ピアノ三重奏曲第1番/第2番

ピアノ三重奏:ボザール・トリオ
            
          メナヘム・プレスラー(ピアノ)
          イシドーア・コーエン(ヴァイオリン)
          バーナード・グリーンハウス(チェロ)

LP:日本フォノグラム(フィリップスレコード) 13PC‐165
 
 シューマンには、「歌曲の年」「交響曲の年」それに「室内楽の年」と呼ばれる年があり、それぞれのジャンルの曲を集中的に作曲した。「室内楽の年」と呼ばれる年は、1842年であり、この年に入ると、3曲の弦楽四重奏曲を一気に書き上げ、さらに、ピアノ五重奏曲、ピアノ四重奏曲という傑作を世に送り出している。しかし、ピアノ、ヴァイオリン、チェロによる「4つの幻想小曲」以外、この年には本格的なピアノ三重奏曲には手を染めていない。これは何故か?その理由は詳らかではない。私の推測にしか過ぎないが、シューマンのこの時期というと、過度とも言えるほどロマンの色濃い作品を書いていたわけで、なるべく弦の多い形式の曲に傾斜していたためではなかろうか。シューマンは、この5年後の1847年にピアノ三重奏曲第1番を書き上げ、さらに1851年までにあと2曲を書き加え、全3曲のピアノ三重奏曲を完成させている。この頃のシューマンは、若い頃からのロマンの雰囲気に加え、古典形式への傾斜も見せ、複雑な作曲環境の中にあり、さらに、徐々に神経障害の兆候も見られ、決して順調とは言えない環境にあった。このため、3曲あるピアノ三重奏曲のうち、現在、よく演奏されるのは早い時期に書かれた第1番であり、第2番、第3番は晦渋な作品としての位置づけが一般的であるようだ。しかし、よく聴くと第2番、第3番もシューマンでしか表現できないような、繊細さが込められた作品となっている。このLPレコードには、ボザール・トリオの演奏で第1番と第2番とが収められている。ボザール・トリオは、米国のピアノ三重奏団で、1955年にピアニストのメナヘム・プレスラーによって結成され、2008年のルツェルン音楽祭のコンサートをもって解散したが、その演奏内容は常に高い評価を勝ち得ていた。LPこのレコードでのボザール・トリオの演奏の演奏も、シューマン独特のロマンの色濃い雰囲気を最大限発揮させ、リスナーはその名演に釘付けとなる。3人の息がぴたりと合い、一部の隙のない演奏を聴かせる。第1番は、伸び伸びとしたロマン豊かな響きが、とりわけ魅力的な演奏だ。第2番は、一般的に言って晦渋な作品かもしれないが、シューマン愛好家にとってはお宝的作品。特に第2楽章、第3楽章の哀愁を帯びたボザール・トリオの演奏を一度でも聴いたら、二度と忘れられなくなる。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇巨匠ブルーノ・ワルターが最後に我々に残遺した珠玉のモーツァルト作品集

2020-01-16 09:36:43 | 管弦楽曲

モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク
        歌劇「劇場支配人」序曲
        歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」序曲
           歌劇「フィガロの結婚」序曲
        歌劇「魔笛」序曲
        フリーメースンのための葬送音楽

指揮:ブルーノ・ワルター

管弦楽:コロンビア交響楽団

録音:アイネ・クライネ・ナハトムジーク(1958年12月17日)
   4つの序曲(1961年3月29日、31日)
   フリーメースンのための葬送音楽(1961年3月8日)

LP:CBS/SONY SOCL1006

 このLPレコードは、巨匠ブルーノ・ワルター(1886年―1962年)が、最晩年に残した一連の録音の一枚である。コロンビア交響楽団とは、ワルターの録音を後世に残すために臨時に編成されたオーケストラの名称。このようなケースは他にあまり聞いたことがなく、それだけにワルターという指揮者は、当時別格の扱いを受けていた大指揮者であったということが分る。ワルターは、死去する数年前から、このコロンビア交響楽団とコンビを組み、録音だけの活動に終始した。この一連の録音活動の中でも、得意としたモーツァルトは最後の最後に収録されたわけである。そう思ってこのLPレコードを聴いていると、ワルターが、その長い指揮活動の最後に到達した境地が切々と語られているようでもあり、聴いていて何か背筋にぞくぞくしたものを感ずるほどである。ワルターのモーツァルトは、柔らかく、優雅に、そして大きく広がる空間のような包容力を持って描き出される。常にモーツァルトの音楽が歌うように流れているのである。このLPレコードは最晩年の録音だけに、何か枯淡の境地のような気分が、通常よりも横溢しているように感じられる。しかし、根底にはワルターのモーツァルトに対する熱い想いが常に潜んでいるわけであり、単なる枯淡の境地とはいささか異なる。このLPレコードのライナーノートで大井 健氏も「モーツァルトの音楽はワルターの音楽性とかたく結びついており、モーツァルトとワルターの間には、普遍的な精神の交流が存在しているのではないだろうかと考えられるほどです。そして、ワルターはモーツァルトをこよなく愛し、尊敬しており、そこにまさに、たとえようもないモーツァルトの音楽の美しさが生まれているのです」と書いている。「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は、ワルターのモーツァルトへの深い想いがその根底に流れていることが手に取るように分る演奏だ。ゆっくりとしたテンポの中に、愛惜の情が溢れ出ていることが聴き取れる。ワルターが最後に行き着いたモーツァルト像がそこにはある。これとは打って変わって、4つの歌劇の序曲集は、実に若々しく機知に富んだ演奏内容で、心からモーツァルトの音楽を楽しんでいるかのようだ。そして、最後の「フリーメースンのための葬送音楽」では、ワルターがこの世との別れの挨拶でもするかのように、静かで、深く、澄み切った心情が余す所なく表現され尽くされている。(LPC)

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