★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇フルトヴェングラー指揮&ピアノ伴奏と3人の名歌手たちによるライヴ録音

2024-06-13 09:40:47 | 歌曲(男声)


①マーラー:さすらう若人の歌
  
  バリトン:ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ

  指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
  管弦楽:ベルリン、フィルハーモニー管弦楽団
      録音:1953年8月12日、ザルツブルク・フェスティヴァル(ライヴ録音)

②R.シュトラウス:森の幸福
         愛の賛歌
         誘惑
         冬の恋
  
  テノール:ペーター・アンダース
 
   指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
   管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
   録音:1942年2月15日、17日、ベルリン(ライヴ録音)

③ヴォルフ:春に
      アナクレオンの墓
      私を花で覆って下さい
      私のふさふさした髪の陰で
      意地悪な人たちはみな
      ジプシーの娘
  
  ソプラノ:エリーザベト・シュワルツコップ
  
  ピアノ:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
  録音:1953年8月12日、ザルツブルク・フェスティヴァル(ライヴ録音)

発売:1981年9月

LP:日本コロムビア OS‐7071‐BS
 
 このLPレコードは、フルトヴェングラー(1886年―1954年)がベルリン・フィルを指揮して歌曲の伴奏するコンサートのライヴ録音に加え、フルトヴェングラーが自らピアノ伴奏を買って出たコンサートのライヴ録音が収められた、誠に貴重なLPレコードなのである。最初の録音は、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの伴奏で、バリトンのディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(1925年―2012年)によるマーラー:さすらう若人の歌で、1951年8月19日、ザルツブルク・フェスティヴァルのライヴ録音。当時、フィッシャー=ディースカウは、デビューからまだ3年という、新進気鋭の26歳のバリトン歌手であった。両者のマーラー:さすらう若人の歌の録音は、1952年の録音盤が有名であるが、その1年前のこの録音は、音質こそ少々劣るが、若々しいディースカウの歌声とライヴ録音ならではの迫力に満ちたものになっており、貴重な歴史の証言として今でもその存在意義は失われてはいない。次のR.シュトラウスの歌曲集は、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの伴奏で、1942年、ベルリンにおいて行われたテノールのペーター・アンダース(1908年―1954年)のコンサートのライヴ録音。ペーター・アンダースは、日本ではあまり馴染みのない歌手でるが、当時美声のリリック・テノールとして絶大な人気を誇っていた。ここでのペーター・アンダースは、持てる美声を最大限に発揮させ、R.シュトラウスの陶酔的な官能の世界を存分に感じさせてくれる。フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの伴奏も誠に奥深く、R.シュトラウスの世界を巧みに表現することに成功している。最後のヴォルフ歌曲集は、ソプラノのエリーザベト・シュワルツコップ(1915年―2006年)の伴奏をフルトヴェングラー自身が買って出て実現した、1953年8月12日のザルツブルク・フェスティヴァルのライヴ録音。その年はヴォルフ没後50周年記念に当る年。ここでのシュワルツコップは、名ソプラノと謳われた名に恥じることなく、堂々とヴォルフの歌の世界をリスナーに存分に披露してくれる。フルトヴェングラーのピアノ伴奏は、メリハリの利いたもので、シュワルツコップの美しい歌声を最大限に発揮させている。フルトヴェングラーは、ピアノ伴奏者としても当時一流であったことを認識させられる貴重な録音。(LPC)
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◇クラシック音楽LP◇エーリッヒ・クンツのドイツ愛唱歌集

2024-05-27 10:05:25 | 歌曲(男声)

 

~エーリッヒ・クンツのドイツ愛唱歌集~

シューマン:二人のてき弾兵
ブラームス:眠りの精
シューベルト:笑いと涙
リスト:愛の夢
レーがー:マリアの子守歌
シューベルト:音楽に寄す
シューマン:くるみの木
ベートーヴェン:自然における神の栄光
ジルヒャー:ローレライ リスト:ローレライ
モーツァルト:すみれ
ベートーヴェン:君を愛す
ヴォルフ:主顕祭
ヴォルフ:眠れる幼な児イエス
ブラームス:セレナード
シューベルト:シルヴィア寄す

バリトン:エーリッヒ・クンツ

指揮:アントン・パウリク

管弦楽:ウィーン国立歌劇場管弦楽団

発売:1982年

LP:キングレコード(VANGUARD) K18C‐9294

 エーリッヒ・クンツ(1909年―1995年)の名前を聴くと我々の世代は、ウィーン国立歌劇場のバリトン歌手という肩書きより、「ドイツ学生の歌 大全集」(SLE1034~8)の5枚組みのLPレコードを吹き込んだバリトン歌手といった方がぴんと来る。何故、当時、ドイツ学生の歌が流行ったのか、今となっては知る由もないが、多分、その当時は戦前の旧制高等学校の気風がまだ残っていて、何処となくドイツ学生の歌を聴いていると、旧制高等学校の雰囲気を思い出し、青春のノスタルジーに浸る人が多く居たのが一つの原因ではなかったからではないだろうか。エーリッヒ・クンツは、ウィーン生まれのオペラ歌手で、特にモーツァルトに作品を得意としていた。1940年からウィーン国立歌劇場には所属し、フィガロ役、パパゲーノ役、レポレロ役では記録的な出場回数を誇っていた。ウィーン国立歌劇場の戦後分だけで、フィガロ役が249回、パパゲーノ役が338回、レポレ役がロ211回という記録を打ち立てている。1959年にウィーン国立歌劇場員公演の際に来日した。同時にエーリッヒ・クンツは、ドイツ学生歌やドイツ民謡についても数多くの録音を残している。それらの録音の一部が日本で「ドイツ学生の歌 大全集」として発売されヒットし、そして、その延長線上にあるのが、今回のLPレコードの「ドイツ愛唱歌集」なのである。これらの曲目を見ると、そのほとんどが日本人にとっても馴染みのある曲であり、理屈ぬきに楽しめるLPレコードとなっているのが、何とも嬉しい。第1曲目のシューマン:二人のてき弾兵を聴いただけで、昔の情景が眼前に広がり、懐かしい気持ちにしてくれる。シューマン:二人のてき弾兵は、昔はラジオからしょっちゅう流れてきて、あたかもクラシック音楽の代名詞のような曲になっていたことを思い出す。今はあまりこの曲を聴くことはなくなった。少々大時代ががっているからだろうか。第2曲目のブラームス:眠りの精になると、今度はエーリッヒ・クンツの歌い方は情緒たっぷりにがらりと変わる。この辺の絶妙の変わり身が、当時のリスナーに大受けしたのだろう。エーリッヒ・クンツの音質は、柔らかく、暖かい。そう言えば思い出した。当時は「歌声喫茶」の全盛時代であり、このLPレコードを聴いていると肩を組み合って歌う、「歌声喫茶」の想い出が蘇る。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇夭折した名テノール:ヴンダーリッヒのシューベルト:歌曲集「美しき水車小屋の娘」

2024-04-18 09:38:08 | 歌曲(男声)

シューベルト:歌曲集「美しき水車小屋の娘」

テノール:フリッツ・ヴンダーリッヒ

ピアノ:フーベルト・ギーゼン

録音:1966年7月2日―5日、科学アカデミー

LP:ポリドール(ドイツ・グラモフォン) 2544 093

 このLPレコードで歌う、当時、一世を風靡した名リリック・テノールのフリッツ・ヴンダーリッヒ(1930年―1966年)は、36歳という若さでこの世を去った。この死は病死ではなく、1966年9月17日に階段から転落した際に、頭部を打ったことが原因で急死した事故によるものものだったのだ。当時ヴンダーリッヒが所属していたミュンヘンのバイエルン国立歌劇場総監督のハルトマンは、「オペラ芸術にとって最大の損失」と語り、また、名バリトンのフィッシャー=ディースカウ(1925年―2012年)も、ヴンダーリッヒの卓越した才能を称え、「限りない衝撃であり悲しみである」と、その突然の死に対して、最大限の弔辞を捧げている。ヴンダーリッヒは、それほど多くに人達から将来を嘱望されていた歌手であったのだ。このLPレコードの記録によると、「録音は、1966年7月2日~5日、科学アカデミーにおいて行われた」と記されているので、ヴンダーリッヒの死の2カ月ほど前ということになる。その意味ではヴンダーリッヒの最後の歌声を後世に残すことになる大変貴重な録音なのだ。ヴンダーリッヒが世界的に注目されたのは、1950年代の後半からで、それ以後ミュンヘンを中心に世界的な活躍を展開するが、それも僅か10年足らずで途絶えてしまうことになる。リリック・テノールという言葉通り、ヴンダーリッヒは、限りなく美しい声の持ち主であり、現在、果たして同じような声の持ち主が居るかと問われると、返答に窮するほどである。そんな不世出の美声の持ち主であるヴンダーリッヒの歌った、このシューベルト:歌曲集「美しき水車小屋の娘」は、絶品というほかない仕上がりとなっている。限りなく伸びやかなテノールの独特の輝きに満ちた歌声が、リスナーを夢心地に誘う。歌劇が得意らしかったことは、その語り掛けるような歌唱法からも読み取れる。シューベルト:歌曲集「美しき水車小屋の娘」は、正にヴンダーリッヒのために作曲されたのではないか、という思いにさせられるほどの名録音なのだ。フリッツ・ヴンダーリッヒは、ドイツ出身。1950年から55年にかけて、フライブルク音楽大学において、初めにホルンを、後に声楽を学んだ。シュトゥットガルト州立歌劇場、ミュンヘンのバイエルン州立歌劇場で活躍。1959年以降はザルツブルク音楽祭に定期的に出演。1966年、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場デビューを数日後に控え、死去。(LPC) 

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◇クラシック音楽LP◇ハンス・ホッターのドイツ歌曲集(シューベルト/シューマン/R.シュトラウス)

2023-12-14 09:54:00 | 歌曲(男声)


シューベルト:楽に寄す
         夕映えに
         セレナード(歌曲集「白鳥の歌」より)
          別離(歌曲集「白鳥の歌」より)
          春に
         菩提樹(歌曲集「冬の旅」より)
          くちづけを贈ろう
          旅人の夜の歌
         ひめごと

シューマン:月の夜(「リーダークライス」より)
      誰がお前を悩ますのだ(「ケルナーの詩による12の歌曲集」より)
      古いリュート(「ケルナーの詩による12の歌曲集」より)
      新緑(「ケルナーの詩による12の歌曲集」より)
      二人のてき弾兵

R.シュトラウス:ああ悲し、不幸なるわれ
        私は愛を抱いている

バリトン:ハンス・ホッター

ピアノ:ジェラルド・ムーア

LP:東芝EMI(SERAPHIM) EAC‐30197

 ハンス・ホッター(1909年―2003年)は、ドイツ出身の名バリトン歌手。その歌声は、深い思慮に満ちたもので、音質で言うとバスに近いバス・バリトンが正確であろう。ハンス・ホッターは、ワーグナー歌手として特に名高く、「ニーベルングの指環」のヴォータン、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のハンス・ザックス、また、「パルジファル」のグルネマンツなどにおいて高い評価を受けていた。同時にホッターは、シューベルト、シューマンやR.シュトラウスさらにヴォルフなどのドイツ歌曲についても定評があった。特にシューベルトの「冬の旅」「白鳥の歌」を歌わせれば右に出るものがないほどの歌唱を聴かせた。度々の来日で日本での人気も絶大であったが、特にシューベルトの「冬の旅」と言えばハンス・ホッターといったイメージが定着し、他の歌手を寄せ付けなかったほど。多分唯一対抗できた歌手は、フィッシャー・ディスカウ(1925年―2012年)ぐらいであったろう。そんな大歌手のハンス・ホッターが、お得意のドイツ・リートの選りすぐりの名曲を歌ったのが、このLPレコードである。どの曲を聴いても、ホッターの厚みのある歌声が実に気持ちいい。その存在感は、他に比較する者がないほどだが、さりとて、自分勝手な世界に埋没するするのはでなく、むしろ一曲一曲を実に丁寧に歌い込む姿勢がひしひしとリスナーに伝わる。この辺の真摯な歌う姿勢が、日本で人気が高かったことの原因の一つであろう。この“マイ・フェイバリット・ソング”とも言うべきハンス・ホッターのこのLPレコードは、常に手元に置き、聴きたい時に直ぐ聴けるのが一番の幸せというのが私の素直な感想。ハンス・ホッターとの息がぴたりと合ったジェラルド・ムーア(1899年-1987年)のピアノ伴奏がこれまた絶品。バリトンのハンス・ホッターは、 ドイツ、オッフェンバッハ・アム・マイン出身。ミュンヘン音楽大学で学ぶ。1930年「魔笛」でオペラデビュー。1950年メトロポリタン歌劇場にデビューし、ヴァーグナー作品をを演ずる。1952年バイロイト音楽祭に出演、以後15年にわたり主要なワーグナー作品に出演し、高い評価を受ける。1972年 「ワルキューレ」のヴォータンを最後にオペラの舞台を引退。ピアノのジェラルド・ムーアは、英国ハートフォード州ウォトフォード生まれで、カナダのトロントで育つ。ピアノ独奏者としてより、ピアノ伴奏者としてその名を知られた。1954年に大英勲章(OBE)を受賞。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ハンス・ホッターのシューベルト:歌曲集「白鳥の歌」

2022-12-12 10:05:29 | 歌曲(男声)


シューベルト:歌曲集「白鳥の歌」
          
         愛の便り
         兵士の予感
          春のあこがれ
         セレナード
         わが宿
         遠い国で
         別れ
         アトラス
         彼女の姿
         漁師の娘
         まち
         浜辺にて
         影法師
         鳩の使い

バリトン:ハンス・ホッター

ピアノ:ジェラルド・ムーア

発売:1967年

LP:東芝音楽工業 AB‐8009

 シューベルトの歌曲集「白鳥の歌」は、1828年、つまりシューベルトの死の年に作曲された個々のリート作品を集め、死の翌年に発刊されたもので、「美しき水車屋の娘」や「冬の旅」のように最初からまとまりを持った物語の連作詩に作曲されたものとは異なる。白鳥は死の前に美しい鳴き声で一声鳴くと言われていることから「白鳥の歌」と名付けられたもの。「白鳥の歌」は、「美しき水車屋の娘」と「冬の旅」と並び、シューベルトの三大歌曲集として昔から多くのリスナーから愛されているが、この有名な「白鳥の歌」を、このLPレコードでは、ドイツの名バリトンであったハンス・ホッター(1909年―2003年)が歌っている。ハンス・ホッターの歌声は、あくまで重厚で奥行きが深く、聴けば聴くほど味わいが出てくる。このため、その音質に合ったオペラ(例えばワーグナーの楽劇など)や内容の深いリートの曲に出会った場合は、どんな歌手もその足元にも及ばない優れた歌唱を聴かせてくれる。このためシューベルトの三部作「美しき水車屋の娘」「冬の旅」それに「白鳥の歌」の3つの歌曲集を考えた場合、ハンス・ホッターによる録音としては、どうしても「冬の旅」と「白鳥の歌」の2つに限られてしまうようだ。ここでのハンス・ホッターは、お得意の深く、重い感じの曲は言うに及ばず、抒情味を含んだ曲でも、その曲の情感を巧みに表現することに成功しており、「白鳥の歌」を論ずる時には欠かせない優れた録音となっている。これにはジェラルド・ムーア(1899年―1987年)の絶妙なピアノ伴奏があってこそ実現できたことを、付け加えておかねばならないであろう。ハンス・ホッターは、ドイツのオッフェンバッハ・アム・マインの生まれ。ミュンヘン音楽大学で学び、1930年オペラ・デビューを果たす。1937年バイエルン国立歌劇場の専属歌手となる。1952年にはバイロイト音楽祭に出演。以後15年にわたり主要なヴァーグナー作品に出演。とりわけ「ニーベルングの指環」のヴォータン、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のハンス・ザックス、「パルジファル」のグルネマンツ、オランダ人などホッターは、偉大なヴァーグナー歌いとして広く認められた。同時にホッターは、ドイツ・リートの歌い手としても定評があった。シューベルト、R.シューマンやヴォルフなど、その洞察力に富んだ解釈で聴衆に深い感動を与えた。1962年以来、たびたび来日し、日本でもリサイタルを行い、多くの聴衆から愛いされた。(LPC)

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