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★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇クララ・ハスキルのドメニコ・スカルラッティ:ソナタ集

2025-05-01 10:45:38 | 器楽曲(ピアノ)


~ドメニコ・スカルラッティ:ソナタ集~

     嬰ハ短調 L.256(K.247)
     ト長調  L.388(K.2)
     ハ長調  L.457(K.132)
     ト短調  L.386(K.35)
     変ホ長調 L.142(K.193)
     ヘ短調  L.171(K.386)
     ヘ短調  L.475(K.519)
     イ長調  L.483(K.322)
     ロ短調  L.33 (K.87)
     ハ長調  L.255(K.515)
     ヘ長調  L.278(K.437)

ピアノ:クララ・ハスキル

LP:日本コロムビア(ウェストミンスター) OW-8057-AW
 
 これは、ドメニコ・スカルラッティ(1685年―1757年)のチェンバロのためのソナタ集を、名ピアニスであったクララ・ハスキル(1895年―1960年)がピアノで演奏したLPレコードである。ドメニコ・スカルラッティは、イタリアのナポリに生まれ、スペインのマドリードで没した作曲家。同年にはJバッハとヘンデルが生まれており、後にいずれもがバロック音楽の大輪の花を咲かせることになるが、ドメニコ・スカルラッティは、ナポリ楽派の祖とまで言われるまでになった人物。ドメニコ・スカルラッティは、ナポリで教会付き作曲家兼オルガン奏者となったが、音楽を教えていたポルトガルのバルバラ王女がスペイン王家に嫁いだため、ドメニコ・スカルラッティもマドリードへ行き、王妃の作曲家として騎士の位を受け、25年もの間をスペインで過ごすことになる。オペラや宗教曲も書いたが、チェンバロのための練習曲を数多く書いた。それらはソナタと呼ばれているが、ソナタといっても現在のピアノソナタとは大きく異なり、いずれも短い練習曲風小品といった趣の曲だ。これらの曲は、現代のピアノで弾いても、現代風に生き生きと光り輝くといった性格を持っている曲であるため、現在でもたびたび演奏される。一曲一曲が独特の個性を持ち、いずれも軽快なテンポで一気に弾かれる。こんなところが、現代人の感覚にも合うのかもしれない。これらのソナタは、1910年に、アレッサンドロ・ロンゴが整理番号を付けて出版したものがロンゴ版(L番号/545曲)、また、ラルフ・カークパトリックが整理番号を付けて出版したものが、カークパトリック版(K番号/555曲)として知られている。ピアノのクララ・ハスキルは、1895年にルーマニアのブカレストに生まれる。10歳でパリ音楽院に入学。15歳で最優秀賞を得て卒業した後、ヨーロッパ各地で演奏旅行を行う。フランスを活動の拠点としていたが、ユダヤ系であったためスイスに出国。第二次世界大戦後は、スイスとオランダを拠点とするようになった。 1950年以後に、脚光を浴び始める。豊かな感受性に加え、鋭い感受性がハスキルの演奏様式の特色となっていた。しかし、 ブリュッセルの駅で転落した際に負った怪我がもとで急死した。スイスでは1963年より「クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクール」が開かれている。ここでのクララ・ハスキルの演奏は、彼女の持ち味を存分に発揮し、天上の音楽を弾くがごとく、典雅にして美しく展開され、時が経つのも忘れるほど。リスナーは、夢幻の空間を彷徨うような、至福の一時を味わうことができる。(LPC)


◇クラシック音楽LP◇サンソン・フランソワのショパン:24の前奏曲/ 4つの即興曲

2025-04-10 09:39:49 | 器楽曲(ピアノ)


ショパン:24の前奏曲
     4つの即興曲

ピアノ:サンソン・フランソワ

発売:1971年

LP:東芝音楽工業 AA‐8047

 ショパンが作曲した前奏曲は、「24曲の前奏曲」からなる作品に加え、独立曲2曲を合わせた合計26曲ある。このLPレコードに収録されているのは、「24の前奏曲」作品28である。これら24の作品は、いずれも小さな曲で、24の長短調すべてに対応する曲が含まれている。これは、バッハの平均律クラヴィーア曲集にある前奏曲に基づいたものと言われている。この24曲の前奏曲は、1839年1月にマジョルカ島で完成している。24曲全曲を通して聴いても少しの飽きが来ないのは、ショパンの天才の成せる業であろう。抒情的な曲や愛らしい曲に挟まれ、ショパンの激情が一挙にほとばしる曲もある。“ショパンのピアノ曲は花束の陰に大砲が潜んでいる”と言われることがあるが、この「24の前奏曲」を聴くと、「なるほど」と納得させられる。一方、B面に収められた4つの即興曲は、即興的に浮かんだ楽想をもとに作られたピアノ独奏曲用の曲である。ショパンは全部で4曲の即興曲を遺している。ショパンには、バラード、スケルツォ、ノクターン、ワルツなどの作品があるがこれらに比べ、4つの即興曲の芸術的評価は必ずしも高くはない。しかし、よく聴くと、ショパンの才能が随所にほとばしり、4曲ともなかなか味わいのある小品であることが分る。1曲ごとにアンコールピースとして弾かれることが多く、4曲を続けて演奏される機会は意外に少ない。このLPレコードでこれらの曲を弾いているのは、第二次世界大戦後のフランスを代表的なピアニストの一人、サンソン・フランソワ(1924年―1970年)である。1938年にはパリ音楽院に入学後はマルグリット・ロン、イヴォンヌ・ルフェビュールに師事。1940年に音楽院を首席で卒業し、1943年に第1回「ロン=ティボー国際コンクール」で優勝。以後、世界各国で演奏活動を展開し、世界的名声を得る。特に、当時“ショパンを弾かせたらフランソワの右に出る者はいない”とまで言われていた。このLPレコードでのフランソワの演奏は、正に“詩人”の成せる演奏とでも言えようか。24の前奏曲の一曲一曲に魂が宿り、リスナーは、あたかも詩の朗読を聴いているごとき気分を味わえる。もう、こうなると、リスナーはピアノの演奏が巧いとか、どうとかいう範疇を遥かにはるかに超え、フランソワの高い芸術性に、ただただ胸を打たれるばかりだ。現在、改めてこのLPレコードを聞き直して見ると、現在のピアニストには欠けている、個性的な演奏内容に感銘を受ける。4つの即興曲集の演奏にも同じことが言えるし、フランソワの語り口の巧さが一段と光り輝く。(LPC)


◇クラシック音楽LP◇ワルター&ベアトリス・クリーン夫妻によるフランス4手ピアノ作品集

2025-03-20 09:40:20 | 器楽曲(ピアノ)


ミヨー:“スカラムーシュ”(2台ピアノ)
フォーレ:“ドリー”(ピアノ連弾)
ビゼー:“子供の遊び”(ピアノ連弾)

ピアノ:ワルター・クリーン
    ベアトリス・クリーン

LP:ワーナー・パイオニア H‐4529V
 
 このLPレコードは、ワルター・クリーン&ベアトリス・クリーン夫妻による“フランス4手ピアノ作品集”である。ワルター・クリーン(1928年―1991年)は、オーストリアのグラーツに生まれ、ウィーン音楽アカデミーで学び、またイタリアではミケランジェリに師事した。1951年「ブゾーニ国際コンクール」で入賞を果たす。1953年ウィーンでデビューし、同年「ロン=ティボー国際コンクール」で入賞。また、1953年には「ベーゼンドルファー賞」を受賞している。1969年アメリカでデビュー。初来日は1980年2月。モーツァルトやブラームスのピアノ独奏曲全集のほか、シューベルトのピアノソナタの全曲録音などの録音を遺している。夫人のベアトリス・クリーンは、アルゼンチン出身のピアニスト。ウィーンで学び、ヨーロッパ各国で活躍した。このLPレコードの最初の曲は、ミヨー:“スカラムーシュ”。この2台のピアノのための“スカラムーシュ”は、3曲からなる小規模なピアノ曲。簡明でありながら機知に富んだ色彩感覚溢れる曲想が、今に至るまで広く愛好されている。スカラムーシュとは、もともと7世紀のナポリに生まれた喜劇役者の名前だが、彼の死後、普通名詞のように使われるようになったという。1曲目は、民族的な色彩をもつ道化の踊りをイメージさせる。2曲目は、牧歌的な叙情性が印象的。3曲目は、ミヨーが体験した中南米的なリズム感が特徴。次のフォーレの4手用(連弾でも2台でもよい)ピアノ曲“ドリー”は、フォーレが40歳代の後半に書いた曲。後にドビュッシー婦人となったエンマ・バルダックの子供で、エレーヌという少女に贈られている。エレーヌの愛称である“ドリー”が曲の名前に付けられた。①子守歌②ミアウ(猫の言葉のこと)③ドリーの庭④キティのワルツ⑤優しさ⑥スペインの踊り―の6曲からなっている。如何にもフォーレらしい、優しい愛情のこもった曲集となっており、現在でも愛好者を多く持つ曲として知られる。最後のビゼー:“子供の遊び”は、5曲からなる管弦曲として知られるが、もともとは12曲からなるピアノ連弾用の曲。管弦曲版は色彩豊かな曲だが、もとのピアノ連弾版では、素朴な味わいと機知に富んだ雰囲気を漂わせる。これらの曲を弾くワルター&ベアトリス・クリーンは、二人の息がぴたりと合い、明るく、明快な表現がリスナーを魅了して止まない。どの曲の演奏も、二人のそれらの曲に対する愛情が、キメ細かく表現されているところが素晴らしい。(LPC)


◇クラシック音楽LP◇マスネのピアノの“秘曲”をアルド・チッコリーニが弾く

2025-02-13 09:39:36 | 器楽曲(ピアノ)


マスネ:4手のためのピアノ曲集:「過ぎ去りし年」(第1集~第4集)

         第1集「夏の午後」
         第2集「秋の日々」
         第3集「冬の夕暮れ」
         第4集「春の朝」
    
    4手のためのピアノ曲:3つの行進曲
                聖母マリア―ガレリアの踊り
                第1組曲
                2つの子守歌
      
ピアノ:アルド・チッコリーニ

録音:1979年1月22日、3月15日、6月26日、12月13日

LP:東芝EMI EAC‐50012
 
 このLPレコードは、名ピアニストのアルド・チッコリーニ(1925年―2015年)による、フランスの作曲家のマスネ(1842年―1912年)の“秘曲”とでもいうべき、いずれも4手のためのピアノ曲が収録されている。マスネというと直ぐに「タイスの瞑想曲」を思い浮かべるリスナーが多いのではないだろうか。マスネは、オペラ作曲者として19世紀末から20世紀の初めにかけて大変人気があったが、現在では「マノン」と「ウェルテル」などを除き、そのほとんどが忘れ去られてしまっている。マスネは、1853年、11歳でパリ国立高等音楽学校へ入学し、1862年には、カンタータ「ダヴィッド・リッツィオ」で世界的に有名な作曲賞の「ローマ賞」を受賞。オペラ作品の成功作としては、1884年の「マノン」、1892年の「ウェルテル」それに1894年の「タイス」が挙げられる。マスネは、オペラの他には、バレエ、オラトリオ、カンタータ、管弦楽作品、ピアノ曲さらに200以上の歌曲を作曲している。このLPレコードで演奏しているアルド・チッコリーニは、イタリア・ナポリ出身で、フランスで活躍した名ピアニスト。1949年パリの「ロン・ティボー国際コンクール」に優勝。1969年にはフランスに帰化している。パリ音楽院で教鞭を執ったこともあり、フランス近代音楽の解釈者として世界的にもに著名である。80歳を超えても第一線のピアニストとして活躍し、高齢にもかかわらず来日し、日本の聴衆に深い感銘を与えた。このLPレコードに収録された曲は、通常では滅多に聴くことのない曲ではあるが、いずれの曲もフランス風の洗練された感覚が魅力になっている。マスネの曲は、特にメロディーが美しいことで知られているが、これらのピアノ曲も例外でなく、いずれも甘美とも言える美しいメロディーに覆い尽くされている。4手のためのピアノ曲集:「過ぎ去り年」は、マスネ版「四季」とも呼べる作品で、第1巻から順に夏・秋・冬・春と辿り、1年が巡るようになっている。題名の「過ぎ去り年」とは、遠く去った昔の年月ではなく、自分が過ごしてきたこの1年を意味している。作曲年代は、パリ音楽院の作曲科の教授を退いた1896年、54歳の時で、作曲家として脂の乗り切った頃の作品。この曲は、全曲を演奏するのに30分近くを要し、いかにもマスネらしい、美しい旋律に溢れた佳曲。アルド・チッコリーニは、これらの“秘曲”を愛情を持って弾いている。通常ではあまり聴くことができないが、今後、これらのマスネの優れたピアノ曲が聴かれる機会が増えてほしいものだ。(LPC)


◇クラシック音楽LP◇バックハウス・カーネギー・ホール・リサイタル(1954年3月30日)第2集

2025-01-20 09:40:39 | 器楽曲(ピアノ)


~バックハウス・カーネギー・ホール・リサイタル(1954年3月30日)第2集~

ベートーヴェン:ピアノソナタ第32番
        ピアノソナタ第25番「かっこう」
シューベルト:即興曲Op.142-2
シューマン:幻想小曲集Op.12より第3曲「なぜに?」
シューベルト(リスト編曲):ウィーンの夜会第6番
ブラームス:間奏曲Op.119-3

ピアノ:ウィルヘルム・バックハウス

録音:1954年3月30日、ニューヨーク、カーネギー・ホール

発売:1972年

LP:キングレコード(ロンドン・レコード) MZ 5099
 
 このLPレコードは、ドイツの大ピアニストのウィルヘルム・バックハウス(1884年―1969年)が、ニューヨークのカーネギー・ホールで行ったコンサートのライヴ録音の第2集(第1集は別掲)である。この夜のコンサートは、バックハウスのアメリカにおける実に28年ぶりの演奏であった。実際のコンサートでの演奏曲順は、このLPレコードとは異なり、ベートーヴェン:ピアノソナタ第25番に続き、ピアノソナタ第32番が演奏され、最後にアンコールに応えて4曲の小品が演奏された。一般的に言って、当時のライヴ録音は音質が悪く、鑑賞には向かないものが多いが、このLPレコードは、ライヴ録音ながら何とか鑑賞に耐え得る音質となっている。バックハウスは、ドイツ・ライプツィヒ出身(1946年にスイスに帰化)。16歳(1900年)の時にデビュー。1905年、パリで開かれた「ルビンシュタイン音楽コンクール」のピアノ部門で優勝を果たす。第二次世界大戦中は、ヒトラーがバックハウスのファンであったためにナチスの宣伝に利用され、これが戦後に禍し、ナチ協力者として米国でバックハウスの来演を拒否する動きが起こった。このことが、このLPレコードの「アメリカにおける実に28年ぶりの演奏」の真相であったのだ。そう思ってこのLPレコード聴くと、聴衆の熱狂の真の意味を理解することができる。このニューヨークでのコンサートの後、同年4月5日~5月22日に訪日を果たし、日本のファンの熱烈な歓迎を受けることになる。バックハウスは、1969年6月28日にオーストラリアでのコンサート演奏中に心臓発作を起こす。しかし、医師の忠告を聞かず、最後まで弾き終え、運ばれた病院で亡くなった。このコンサートの最後に弾いたのが、このLPレコードにも収められているシューベルト:即興曲Op.142-2であった。バックハウスは、よく“鍵盤の獅子王”と言われるが、バックハウスの技巧の素晴らしさを言い表したもの。このLPレコードのA面に収められているベートーヴェン:ピアノソナタ第32番は、正に“鍵盤の獅子王”に相応しく、威風堂々と曲に真正面から取り組み、スケールの大きな表現でこのベートーヴェン後期の大作が持つ、深い精神性を余すところ無く表現し尽している。一方、第25番は、ベートーヴェンの中期の比較的簡素なピアノソナタであるが、バックハウスは、決して手を抜くことはせず、全力で一気呵成に弾きこなす。こんなところがバックハウスの魅力なのでろう。アンコールで弾いた4曲は、いずれもこれらの曲に込められたバックハウスの深い愛情が聴き取れる優れた演奏となっている。(LPC)