★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇ルドルフ・ケンペ 指揮ロイヤル・フィルのスメタナ:歌劇「売られた花嫁」からの音楽(「序曲」「ポルカ」「ブリアント」「道化師の踊り」)ほか

2023-10-30 09:42:22 | 管弦楽曲


スメタナ:歌劇「売られた花嫁」からの音楽(「序曲」「ポルカ」「ブリアント」「道化師の踊り」)

       指揮:ルドルフ・ケンペ
     
       管弦楽:ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

エネスコ:ルーマニア狂詩曲第1番/ドヴォルザーク:スラブ舞曲第10番

       指揮:ギーカ・ズドラフコヴィッチ

       管弦楽:ベルグラード・フィルハーモニー管弦楽団

LP:東芝EMI(SERAPHIM) EAC‐30192

 指揮のルドルフ・ケンペ(1910年―1976年)は、ドイツのドレスデン近郊の生まれ。ドレスデン音楽大学で学ぶ。1929年、ゲヴァントハウス管弦楽団のオーボエ奏者を務め、その後、歌劇場の指揮者となる。1950年ドレスデン国立歌劇場の音楽監督、1952年バイエルン国立歌劇場の音楽監督に就任。その後、バイロイト音楽祭に登場。さらに、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の各首席指揮者に就任し、最後は、BBC交響楽団の常任指揮者を務めた。来日は一度も果たさなかったが、録音により日本でも多くのファンを有していた。その指揮ぶりは、ドイツの正統的なものであり、少しの誇張もない。このため、一面では特徴に乏しい指揮ともみられることがあり、必ずしも高い評価ばかりではなかった。しかし、遺された録音より、最近になって、そのドイツの正統的な演奏ぶりが再評価され、話題を集めたことは記憶に新しい。ケンペは、このLPレコードでは、スメタナの歌劇「売られた花嫁」からの音楽(「序曲」「ポルカ」「ブリアント」「道化師の踊り」)を指揮している。歌劇「売られた花嫁」は、ボヘミアの農村を舞台に若者の恋愛を扱った作品でチェコの代表的な国民オペラ作品として名高い。序曲が特に有名で、単独で演奏会に採り上げられることも多い。台本作者はカレル・サビナ。3幕(第1幕:ボヘミアの春祭りの最中のボヘミア地方の農村の広場/第2幕:村の居酒屋/第3幕:村の広場)からなるオペラ・ブッファ。作曲は1863年から開始され1866年に完成し、その年に初演された。このLPレコードにおいてケンペは、スメタナという民族音楽の代表的作曲家の作品でも、ドイツの作曲家の作品のように、実に堂々ときっちと気品のある指揮ぶりをみせており、自らの持てる特徴を存分に発揮した演奏と言うことができる。一方、ドヴォルザーク:スラブ舞曲第10番とエネスコ:ルーマニア狂詩曲第1番を指揮しているギーカ・ズドラフコヴィッチ(1914年生まれ)は、ユーゴ・スラヴィアの指揮者。最初は、オーケストラでオーボエを演奏しながら、ベオグラード音楽アカデミーで作曲と指揮を学び、チェコに留学して名指揮者ヴァツラフ・ターリッヒに師事。帰国後は、母校の教授を務めるとともに、ベオグラード・フィルの指揮者を務めた。このLPレコードでは躍動的で、そして優美な演奏を披露している。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇シュワルツコップ&ギーゼキングのモーツァルト歌曲集

2023-10-26 09:45:47 | 歌曲(女声)


~モーツァルト歌曲集~

モーツァルト:静けさがほほえみながら K.152
       鳥よ、年ごとに K.307
       さびしい森で K.303
       かわいい紡ぎ娘 K.531
       ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いた時 K.520
       夕べの想い K.523
       子供の遊び K.598
       老婆 K.517
       隠しごと K518
       すみれ K.476
       魔法使い K.472
       春のはじめに K.597
       満足 K.349
       夢のすがた K.530
       別れの歌 K.519
       クローエに K.524
       春へのあこがれ K.596

ソプラノ:エリザベート・シュワルツコップ

ピアノ:ワルター・ギーゼキング

発売:1967年

LP:東芝音楽工業 AA‐8109

 ドイツの名ソプラノ歌手、エリーザベト・シュヴァルツコップ(1915年―2006年)は、ベルリン音楽大学で学んだ後、1938年、ベルリン・ドイツ・オペラでデビューを果す。1943年にカール・ベームに認められ、ウィーン国立歌劇場と契約し、コロラトゥーラ・ソプラノとして活躍を開始。第二次世界大戦後は、 バイロイト音楽祭やザルツブルク音楽祭にも出演し、カラヤンやフルトヴェングラーとも共演。イギリスのコヴェント・ガーデン王立歌劇場、ミラノ・スカラ座に、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場などでデビューし、名声を得る。1952年にはスカラ座において、R.シュトラウス:歌劇「ばらの騎士」の元帥夫人役をカラヤンの指揮で歌い、成功を収め、以来、この役は彼女を代表する役柄として知られるようになった。一方、リートのリサイタルでも定評があり、LPレコードにも数々のリート集を録音している。中でもこのLPレコード「モーツァルト歌曲集」は、エドウィン・フィッシャーがピアノ伴奏をした「シューベルト歌曲集」と共に名盤として知られている。このLPレコードでは、名ピアニストのワルター・ギーゼキングが伴奏し、「静けさがほほえみながら」(K.152)から「春へのあこがれ」(K.596)まで、モーツァルトの歌曲が全部で17曲を収めてある。モーツァルトの歌曲は、実にシンプルでありながら、それぞれの曲の主題を的確に表現したものに仕上がっており、愛好家も少なくない。ここでのエリザベート・シュワルツコップの歌声は、誠に麗しく、そのコロラトゥーラ・ソプラノの歌声は、ため息がでるほどの美しさに彩られている。そして、全ての曲で、その気品ある歌声を聴き取ることができる。一曲一曲を実に丁寧に歌っており、モーツァルトの歌曲の特徴を最大限に引き出すことに成功している。これらは、ピアノ伴奏のギーゼキングの存在抜きには到底考えられないことは、言うまでも無いことだ。ピアノのワルター・ギーゼキング(1895年-1956年)は、ドイツ人の両親のもと、フランスのリヨンに生まれた。ハノーファー音楽院で学ぶ。そのピアノ奏法は、“新即物主義”と言われ、当時の主流だった恣意的な奏法とは異なり、楽譜に忠実に演奏されたものであった。卓越した演奏技巧と抜群の暗譜力を持ち、新曲も軽く目を通しただけで演奏ができたという。レパートリーはドイツの作曲家やフランスの作曲家で、ベートーヴェンやモーツァルト、ラヴェルやドビュッシーを得意としていた。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルハーモニックのシューマン:交響曲第3番「ライン」

2023-10-23 10:12:31 | 交響曲(シューマン)


シューマン:交響曲第3番「ライン」

指揮:ブルーノ・ワルター

管弦楽:ニューヨーク・フィルハーモニック

LP:CBS・ソニーレコード SONC 15016

 シューマンは、生涯で4つの交響曲を作曲している。ただ、作曲時期は番号とは異なり、第1番、第4番、第2番、それに今回のLPレコードである第3番の順に作曲された。つまり、第3番は、シューマンの最後の交響曲である。この交響曲は、ケルンにある寺院から受けた印象から楽想を得て作曲されたようで、「ライン」の愛称も、ライン河沿いの街であるケルンから付けられたという。この曲は、1850年12月に、作曲者自身の指揮で初演されている。シューマンの自身の話では「ケルンの大司教が枢機卿に昇進した祝典の光景を思い描いて作曲した」という。なるほど、それなら、この曲が他の3つの交響曲とは異なり、何か華やかで、大らかで、希望に満ちていることが、自ずと理解できよう。ここでのワルターの指揮は、この交響曲の性格を、ものの見事にオーケストラ豊かな響きとして我々リスナーの前に提示してくれており、数ある「ライン」交響曲の録音の中でも、未だにその存在価値を失っていない。ワルターは人間として性格が暖かく、多くの人から好かれていたようであるが、この演奏は、そんな暖かみのあるワルターの人間性が演奏の隅々に沁みわたっており、聴いていて、ほのぼのとした気分に浸ることができる。しかし、一方では、そのスケールの大きい指揮ぶりが聴き進むうちにじわじわと伝わってきて、聴き終わる頃には、この「ライン」交響曲が、雄大なスケールで書かれた交響曲であることを改めて思い知らされる。よく、シューマンの交響曲は演奏するのが難しいとも言われる。ただ漠然と演奏しては効果が出ないし、逆に、いじり過ぎるとシューマンらしさ無くなってしまう。その点、ここでのワルター指揮ニューヨーク・フィルの演奏は、「シューマンの交響曲は、こう演奏すると最も効果的だよ」とでも言っているように私には聴こえる。音質は、現在の録音水準と比べものにならないが、ワルターの心のこもった指揮ぶりがLPレコードの盤面から直接伝わってくる、今となっては貴重な録音ではある。指揮のブルーノ・ワルター(1876年―1962年)は、ドイツ、ベルリン出身。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後、ピアニストとしてデビューしたが、後に指揮者として活躍。モーツァルトやマーラーを得意とし、20世紀を代表する指揮者の一人。バイエルン国立歌劇場音楽総監督、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団楽長、ニューヨーク・フィルハーモニック音楽監督などを歴任した。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇イエルク・デムス&バリリ四重奏団員のブラームス:ピアノ四重奏曲第1番/第3番

2023-10-19 09:38:09 | 室内楽曲


ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番/第3番

ピアノ:イエルク・デムス

弦楽三重奏:バリリ四重奏団員
       
        ワルター・バリリ(ヴァイオリン)
         ルドルフ・シュトレング(ヴィオラ)
        エマヌエル・ブラベッツ(チェロ)

LP:東芝EMI(ウェストミンスター名盤シリーズ) IWB‐60025

 ブラームスは、生涯に歌劇を一曲なりとも書かなかった。書かなかったという意味は、書こうとしても書けなかったのか、そもそも最初から書く意志がなかったのであろうか?多分、華やかな歌劇場の雰囲気は、自分の性分に合わないと頭から考えていたのではなかろうか。大学祝典序曲などは、ブラームスにしては、比較的歌劇的な要素の多い曲だが、このほかの曲でで歌劇を連想させ作品は思い至らない。これに対して、室内楽については、ブラームスは強烈な執着心を持って作曲し、名曲を数多く遺している。室内楽は、自分の心の内面との対話といった趣が強く、歌劇とは正反対な性格を有している。つまり、室内楽こそブラームスが本当に作曲したかったジャンルであり、こここそがブラームスの奥座敷であると言ってもいい。その奥座敷のそのまた奥に位置づけられるのが、今回のLPレコードのピアノ四重奏曲第1番/第3番であろう。室内楽が好きな人にとっては、誠に聴き応えがする曲であり、ここにこそブラームスの本音が語られているということを聴き取ることができる。ピアノ四重奏曲の第1番と第3番では性格が異なる。第1番はブラームス中期の重要な作品と評価されることも多く、一見地味な曲想に見えて実は、交響曲を連想させるようなスケールの大きさが垣間見れ、青年作曲家ブラームスの意欲が溢れ出ている佳作。実際、シェーンベルクによってオーケストラ版に編曲され、演奏会でも時々取り上げられている。実際「この曲の第1楽章は、ベートーヴェンの第9交響曲の第1楽章以後に書かれたもっとも独創的で感銘を与える悲劇的な作品」(ドナルド・フランシス・トヴェイ)と高い評価も受けている。最初の公開演奏は、1861年にハンブルグでクララ・シューマンのピアノで行われた。一方、第3番は、この曲を作曲中に、ブラームスの師でもあるシューマンの投身自殺という悲劇に直面し、そのためか暗い思いが曲全体を覆う。それを聴くリスナーも居たたまれなくなるような悲痛さに直面して、うろたえてしまうほど。でも、そこには、ある意味、人生の真の姿が投影されており、全曲を聴き終えた満足感は、計り知れないものがあるのも事実だ。ウィーン生まれの名ピアニト、イエルク・デムス(1928年―2019年)とバリリ四重奏団員の演奏は、そんなブラームスの曲を、重厚さと同時にロマンの色濃く演奏しており、ブラームスの心情を一つ一つ解き放ってくれるかのような名演奏を披露してくれる。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルのブルックナー:交響曲第9番

2023-10-16 09:43:20 | 交響曲


ブルックナー:交響曲第9番(原典版)

指揮:ウィルヘルム・フルトヴェングラー

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

LP:日本グラモフォン LGM‐1133

 このLPレコードには、“歴史的名盤”という記載があるだけで、録音日の記載が無く、渡辺 護氏もライナーノートに「このレコードはいつ頃の録音か明らかでないが」と書いている(宇野功芳著「フルトヴェングラーの全名演名盤」<講談社+α>によると1944年10月7日に行われた演奏会のライヴ録音)。普通ならそのような録音は、今、無理に掘り起こす必要もなさそうであるが、このLPレコードだけは別格だ。確かに最初にこのLPレコードを聴くと、現在の録音レベルからすると相当貧弱な音しか聴こえてこない。しかし、暫く聴いているとそんな音質の貧弱なことなぞ、何処かへ飛んでいってしまい、一切気にならなくなり、ブルックナーの最後の大作である交響曲第9番が放つ、深遠なオーケストラの響きに、リスナーは釘付けとなること請け合いだ。このLPレコードを聴いた後では、果たして録音の音質の良さ、悪さとは一体何なのだろう、とさえ考え込んでしまう。それだけ、この録音におけるフルトヴェングラーとベルリン・フィルの意気込みは、他のブルックナー:交響曲第9番の録音を遥かに凌駕している。この交響曲第9番は、未完で終わっており、第4楽章はスケッチが遺されているのみ。ブルックナーは、第4楽章が未完なことが気になっていたらしく、代わりに「テ・デウム」を演奏することを指示したという。このため、演奏会では、交響曲第9番に続けて「テ・デウム」が演奏されることがある。この交響曲を作曲中にブルックナーは「愛する神に捧げるつもりで」と書いており、自分の死期が近いことを悟っていたようだ。それだけにこの交響曲は、全体が緊張感に包まれ、聴くだけで疲れてしまうほど、内容の限りなく深い作品に仕上がっている。第1楽章<荘重に、神秘的に>、第2楽章スケルツォ<活発に、快活に>、第3楽章アダージョ<荘重に>からなる。フルトヴェングラーはこの曲をディオニュソス的(陶酔的、創造的、激情的)に演奏しており、この結果として深い感動をリスナーに与えることになる。フルトヴェングラーはドイツ・ブルックナー協会の総裁を務めるほどブルックナーに傾倒していたが、「この音楽の言葉の敬虔さ、深さ、純粋さは、一度体験したことのある人にとっては、もはやそれから逃れることのできぬものである」とも語っている。この録音は、この言葉を忠実に音で再現したような、極めて深い内容を持つ優れた演奏となっている。(LPC)

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