★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇新ウィーン楽派の3人(シェーンベルク/ベルク/ウェーベルン)の編曲によるヨハン・シュトラウスのワルツ集

2024-06-27 10:14:19 | 室内楽曲


ヨハン・シュトラウス:皇帝円舞曲(シェーンベルク編曲)                
           南国のばら(シェーンベルク編曲)
           酒、女、歌(ベルク編曲)            
           宝石のワルツ(ウェーベルン編曲)

室内楽:ボストン交響楽団室内アンサンブル

        ジョーゼフ・シルヴァースタイン(第1ヴァイオリン)         マックス・ホバート(第2ヴァイオリン)      
        バートン・ファイン(ヴィオラ)      
        ジェール・エスキン(チェロ)      
        ジェローム・ローズン(ハルモニウム)      
        ギルバート・カリッシュ(ピアノ)      
        ドリオ・アントニー・ドワイアー(フルート)      
        ハロルド・ライト(クラリネット)

録音:1977年4月3日、ボストン、シンフォニー・ホール

LP:ポリドール(ドイツ・グラモフォン) 2530 977(MG1194)

 これは、大変愉快なLPレコードだ。というのは、あのヨハン・シュトラウスのワルツの名曲を、何とシェーンベルク、ベルク、ウェーベルンの3人の新ウィーン楽派の作曲家達が編曲をした曲を、ボストン交響楽団のメンバーが演奏したものだからだ。新ウィーン楽派とは、主に1900年代初頭にかけて、ウィーンで活躍した作曲家の集団で、先生役のシェーンベルク (1874年―1951年)と、ウェーベルン(1883年―1945年)およびベルク(1885年―1935年)の2人の弟子の3人を中心とした作曲家集団のことをいう。彼らは、無調音楽や十二音技法などの現代音楽を確立したことで知られる。一見すると、ワルツ王ヨハン・シュトラウスと新ウィーン楽派とは、水と油の関係のように感じられるが、意外や意外、シェーンベルクは、ヨハン・シュトラウスをはじめ、オッフェンバッハ、ガーシュインなどの新しい傾向の曲を高く評価していたのだという。当時、新ウィーン楽派は、従来からクラシック音楽の主流を占めていた権威主義的な傾向を厳しく批判していた。一方、ヨハン・シュトラウスの曲はというと、大衆に根差した音楽であり、決して権威主義的な曲ではない、というところを、どうも評価したようである。シェーンベルクは、現代音楽の普及団体「ウィーン私的演奏協会」の会長を務めていたが、ここでの演奏会では、しばしば自分達が編曲した曲を演奏し、さらに、その編曲した楽譜を販売していたというから、なかなかのものである。このLPレコードの石田一志氏のライナーノートによると、ベルク編曲の「酒、女、歌」が5,000クローネ、ウェーベルン編曲の「宝石のワルツ」が7,000クローネ、シェーンベルク編曲の「南国のばら」が1万7,000クローネで売られたという(ちなみに現在はというと、1クローネ=23円)。私は、このLPレコードの最初のシェーンベルク編曲の「皇帝円舞曲」を最初に聴いたときは、大いに驚いたことを思い出す。ヨハン・シュトラウスの曲には違いないのであるが、そこは、それ、シェーンベルク流のワルツに巧みに仕上がっていることには唖然とする。これはシェーンベルクの歌曲「月に憑かれたピエロ」の手引書のような役割を持った編曲ではないかと石田一志氏は指摘する。一度、これらの編曲を聴かれることをお勧めする。現代音楽への見方が変わるかもしれないのである。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇名メゾ・ソプラノ クリスタ・ルードヴィッヒのブラームス/ワーグナー/マーラー歌曲集

2024-06-24 09:55:40 | 歌曲(女声)

ブラームス:「アルト・ラプソディー」

ワーグナー:「ヴェーゼンドンクの五つの詩」                       
         
            天使           
            とまれ!           
            温室で           
            苦悩           
            夢

マーラー:「五つの歌」                     

            わたしはこの世に忘れられて           
            真夜中に           
            うき世の暮らし           
            ほのかな香り           
            美しいトランペットの鳴り渡るところ

メゾ・ソプラノ:クリスタ・ルートヴィッヒ

指揮:オットー・クレンペラー

管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団

合唱:フィルハーモニア合唱団(ブラームス)

録音:1962年3月21日、23日(ブラームス)     
   1962年3月22日、23日(ワーグナー)     
   1962年2月17日、18日(マーラー)

LP:東芝EMI EAC‐40118

 ブラームスの通常言われる「アルト・ラプソディー」の正式な名称は「アルトと男声合唱とオーケストラのためのラプソディー」であり、ブラームス36歳の作品。テキストは、ゲーテの詩「冬のハルツの旅」から取った。この詩は全部で11節からなるが、この中からブラームスは第5節~第7節目を用いた。この詩は、全体が厭世観に満ちたものであり、その中でも悲歌とも言える部分を採用したのは、当時、ブラームス自身が失恋から来る、厭世観に打ちのめされていたからとも言われる。そのような曲であり、全体は暗く、陰鬱な気分で覆われている。この曲を歌い、その真価をリスナーに伝えるには、歌手自体に力がないと到底不可能なことになってしまう。この点、クリスタ・ルートヴィッヒ(1928年―2021年)は、メゾ・ソプラノの声の特質を存分に発揮し、深みのある、荒涼とした神経描写を的確に表現しており、見事な仕上がりを見せる。さらに、これを支える指揮者のオットー・クレンペラー(1885年―1973年)の棒捌きが誠に見事であり、曲全体の効果を何倍にも高めている。全体は3つの部分に分けられるが、第3部ではそれまでの陰鬱な気分を払い取るかのような、リスタ・ルートヴィッヒの滑らかで、力強い明るい歌唱力に、暫し聴き惚れてしまう。次のワーグナー:「ヴェーゼンドンクの五つの詩」は、マチルデ・ヴェーゼンドンクの詩を基にした作品で、1857年~58年に作曲された。この曲の第3曲と第5曲に“トリスタンとイゾルデのための習作”と書かれている通り、楽劇「トリスタンとイゾルデ」が書かれた時期と重なる。また、ワーグナーがマチルデ・ヴェーゼンドンク夫人との恋愛に溺れた時期でもあり、精神の異常な高ぶりが、この作品を生んだとも考えられる。そんな甘美な感情をクリスタ・ルートヴィッヒは、静かに、しかも押し殺したような表現で歌い挙げており、ワーグナーの官能的な世界を見事に表現し切っている。ここでもオットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団は、抜群の演出効果を挙げている。最後のマーラー:「五つの歌」は、「リュッケルトによる五つの歌」と「子供のふしぎな角笛」からの抜粋された曲。この時期(1902年)には、同じくリュッケルトの詩による歌曲集「亡き子をしのぶ歌」がつくられている。ここでもクリスタ・ルートヴィッヒの歌声は、マーラー独特の甘美で夢幻的な世界へとリスナーを誘ってくれる。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルのチャイコフスキー:交響曲第5番

2024-06-20 09:37:01 | 交響曲(チャイコフスキー)

 

 チャイコフスキー:交響曲第5番

指揮:エフゲニ・ムラヴィンスキー

管弦楽:レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1960年11月9日~10日、ウィーン・ムジークフェライン・ザール

LP:ポリドール(ドイツ・グラモフォン) SE 7910 

 エフゲニー・ムラヴィンスキー(1903年―1988年)は、旧ソ連時代に活躍したロシアの大指揮者。1924年レニングラード音楽院に入学し、作曲と指揮を学ぶ。同音楽院を1931年に卒業後、レニングラード・バレエ・アカデミー・オペラ劇場(現マリインスキー劇場)で指揮者デビューを果たす。1938年ソ連指揮者コンクールに優勝後、直ちにレニングラード・フィルハーモニー交響楽団の常任指揮者に就任。当時、低迷していた同オーケストラの立て直しに着手し、最終的には同オーケストラを一流のオーケストラに生まれ変わらせた。以後、50年間にわたってその地位に君臨する。1946年「スターリン賞」受賞、1954年「人民芸術家」、1973年「社会主義労働英雄」の称号を授与される。1956年にモーツァルト生誕200年祭でウィーンを訪れたのを契機として、以後約25年に渡って3度の来日を含む外国公演を行っている。それにより名声は世界に轟いた。その指揮ぶりは、厳格を極め、ダイナミックレンジが大きく、一糸乱れぬ演奏は、当時、トスカニーニを髣髴とさせるとも言われていた。チャイコフスキーの交響曲第5番ホ短調 作品64は、1888年に作曲され、現在では交響曲第6番「悲愴」と並ぶ人気の曲となっている。 チャイコフスキーは1877年に交響曲第4番を作曲したあと、「マンフレッド交響曲」を作曲したほかは、交響曲から遠ざかっていた。しかし、1886年にヨーロッパに演奏旅行した後、交響曲への意欲を取り戻した。このLPレコードのチャイコフスキー:交響曲第5番の録音は、1960年11月9日~10日に行われたもので、丁度、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルのコンビが、円熟味を発揮し出した頃のものである。そのため、その後の晩年の録音で見せる、寸分の隙もない演奏に比べ、第3楽章までは、ところどころに牧歌的な雰囲気も漂わせているのが興味深い。とはいってもそこはムラヴィンスキー、最終楽章に入ると、剃刀のような鋭さが徐々に徐々に増して行き、最後はスケールの限りなく大きい、慟哭とも言えるような激しい感情の昂ぶり見せ、リスナーを圧倒する。なお、旧ソ連崩壊によって、1991年に街の名称がレニングラードからサンクトペテルブルクへと変えられたことに伴い、楽団名もレニングラード・フィルハーモニー交響楽団から、現在のサンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団に改称された。(LPC) 

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◇クラシック音楽LP◇ラフマニノフ自作自演の歴史的名盤

2024-06-17 09:59:03 | 器楽曲(ピアノ)

 

~ラフマニノフ自作自演集 赤盤復刻シリーズ~

ラフマニノフ:前奏曲Op.3の2       (1928年4月4日)         
       前奏曲Op.33の7      (1940年3月18日)         
       前奏曲Op.32の7      (1940年3月18日)         
       前奏曲Op.32の6      (1940年3月18日)         
       前奏曲Op.23の10     (1940年3月18日)         
       ユーモレスクOp.10の5   (1940年4月9日)         
       W.R.のポルカ        (1928年4月4日)         
       セレナードOp.3の5     (1936年1月3日)         
       メロディOp.3の3      (1940年4月9日)         
       楽興の時Op.16の2      (1940年3月18日)         
       前奏曲Op.32の3      (1940年3月18日)         
       練習曲Op.32の2      (1940年3月18日)         
       ひなげしOp.38       (1940年3月18日)         
       オリエンタル・スケッチ     (1940年3月18日)         
       音の絵Op.39の6       (1925年12月16日)

ピアノ:セルゲイ・ラフマニノフ

発売:1979年

LP:RVC(RCA RECORDS)

 ラフマニノフ(1873年―1943年)は、今でこそピアノ協奏曲第2番や交響曲第2番などの名曲を数多く世に送り出した作曲家として知られているが、ラフマニノフが活躍していた時代には、作曲家に加えピアニストとしても超一流の名声を得ていたということを忘れがちになる。モスクワ音楽院に在学中にピアノ協奏曲第1番を作曲するなど、若くして作曲家としての才能を開花させていたラフマニノフだが、そこに思わぬ大事件が勃発するのである。1917年のロシア革命である。貴族出身のラフマニノフは、ソビエト政権を嫌いパリに亡命後、アメリカに渡り、永住することになる。勿論、作曲活動も続けたが、生活のためには、ピアニストとしての活動を余儀なくさせられる羽目に陥る。ところがこのピアニストの活動が大きな話題を呼び、以後ラフマニノフは名ピアニストとしての名声を得ることになる。作曲家に加えピアニストとしての成功にも関わらず、故郷のロシアに戻りたいという願いは、第二次世界大戦の勃発で叶わず、70歳でカリフォルニア州のビバリー・ヒルズで生涯を閉じることになる。このLPレコードは、ラフマニノフが20年にわたり、おもにRCAに自作を録音したSPレコードを基に作成されたもの。そのため、今の録音技術からすれば、音質は比べようもないが、当時としては最新の録音技術を駆使したものと考えられ、現在聴いてみると、音色は硬質であり聴きやすいとは言えないものの、音そのものはしっかりと捉えられており、当時のラフマニノフのピアノ演奏の雰囲気は感じることができる。ラフマニノフのノスタリジックな演奏を聴いていると、あたかもラフマニノフが現代に蘇り、リスナーの直ぐ側でピアノ演奏をしているかのような錯覚に陥るほど。もうそうなると、音質の問題などあまり気にならなくなるから不思議だ。このLPレコードを通して聴こえるラフマニノフのピアノ演奏によって、リスナーは、現代のピアニストとは比較にならないほど雄大なスケールを持ち、そして、何処までもロマンの香りが馥郁と漂う、古き良き時代の気分を存分に味わうことができるのである。ラフマニノフの作品の愛好家は一度、ラフマニノフの自作自演のピアノ演奏の録音を聴いておいて欲しいものである。ラフマニノフの見方が多少なりとも変わってくるかもしれない。なお、このジャケットは、SPレコード時代のものを使用。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇フルトヴェングラー指揮&ピアノ伴奏と3人の名歌手たちによるライヴ録音

2024-06-13 09:40:47 | 歌曲(男声)


①マーラー:さすらう若人の歌
  
  バリトン:ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ

  指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
  管弦楽:ベルリン、フィルハーモニー管弦楽団
      録音:1953年8月12日、ザルツブルク・フェスティヴァル(ライヴ録音)

②R.シュトラウス:森の幸福
         愛の賛歌
         誘惑
         冬の恋
  
  テノール:ペーター・アンダース
 
   指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
   管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
   録音:1942年2月15日、17日、ベルリン(ライヴ録音)

③ヴォルフ:春に
      アナクレオンの墓
      私を花で覆って下さい
      私のふさふさした髪の陰で
      意地悪な人たちはみな
      ジプシーの娘
  
  ソプラノ:エリーザベト・シュワルツコップ
  
  ピアノ:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
  録音:1953年8月12日、ザルツブルク・フェスティヴァル(ライヴ録音)

発売:1981年9月

LP:日本コロムビア OS‐7071‐BS
 
 このLPレコードは、フルトヴェングラー(1886年―1954年)がベルリン・フィルを指揮して歌曲の伴奏するコンサートのライヴ録音に加え、フルトヴェングラーが自らピアノ伴奏を買って出たコンサートのライヴ録音が収められた、誠に貴重なLPレコードなのである。最初の録音は、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの伴奏で、バリトンのディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(1925年―2012年)によるマーラー:さすらう若人の歌で、1951年8月19日、ザルツブルク・フェスティヴァルのライヴ録音。当時、フィッシャー=ディースカウは、デビューからまだ3年という、新進気鋭の26歳のバリトン歌手であった。両者のマーラー:さすらう若人の歌の録音は、1952年の録音盤が有名であるが、その1年前のこの録音は、音質こそ少々劣るが、若々しいディースカウの歌声とライヴ録音ならではの迫力に満ちたものになっており、貴重な歴史の証言として今でもその存在意義は失われてはいない。次のR.シュトラウスの歌曲集は、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの伴奏で、1942年、ベルリンにおいて行われたテノールのペーター・アンダース(1908年―1954年)のコンサートのライヴ録音。ペーター・アンダースは、日本ではあまり馴染みのない歌手でるが、当時美声のリリック・テノールとして絶大な人気を誇っていた。ここでのペーター・アンダースは、持てる美声を最大限に発揮させ、R.シュトラウスの陶酔的な官能の世界を存分に感じさせてくれる。フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの伴奏も誠に奥深く、R.シュトラウスの世界を巧みに表現することに成功している。最後のヴォルフ歌曲集は、ソプラノのエリーザベト・シュワルツコップ(1915年―2006年)の伴奏をフルトヴェングラー自身が買って出て実現した、1953年8月12日のザルツブルク・フェスティヴァルのライヴ録音。その年はヴォルフ没後50周年記念に当る年。ここでのシュワルツコップは、名ソプラノと謳われた名に恥じることなく、堂々とヴォルフの歌の世界をリスナーに存分に披露してくれる。フルトヴェングラーのピアノ伴奏は、メリハリの利いたもので、シュワルツコップの美しい歌声を最大限に発揮させている。フルトヴェングラーは、ピアノ伴奏者としても当時一流であったことを認識させられる貴重な録音。(LPC)
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