チャイコフスキー:弦楽セレナード
幻想序曲「ロメオとジュリエット」
指揮:キリル・コンドラシン
管弦楽:ソビェト国立交響楽団(弦楽セレナード)
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団(幻想序曲「ロメオとジュリエット」)
LP:ビクター音楽産業 VIC‐5053
チャイコフスキーの弦楽セレナードは、初演当初から評価が高かった。チャイコフスキー自身も「これは名曲だ」と思っていたそうで、それだけ自信作なのだ。私もこれまでこの曲を何度聴いたか分からないほど数多く聴いてきたが、今でもこの曲を聴く度に「クラシック音楽っていいな」とつくづく思い知らされる名曲中の名曲だ。その情緒たっぷりの雰囲気は極上の味がする。そんなお馴染みの曲を、旧ソ連の名匠であるキリル・コンドラシン(1914年―1981年)が指揮したのがこのレコードだ。要するに本場もの”の演奏ではあるが、コンドラシンは、ロシア情緒たっぷりというより、基本に忠実な、きりっと引き締まった指揮を行い、リスナーを魅了して止まない。さらに幻想序曲「ロメオとジュリエット」では、弦楽セレナード以上にスケールの大きな、劇的な効果を挙げることに成功している。チャイコフスキーは、1879年から翌年の春にかけて、パリからローマへと南ヨーロッパの旅をしたが、その帰りにはすぐにはモスクワには向かわず、妹の嫁ぎ先のウクライナのカメンカに滞在した。このカメンカはチャイコフスキーのお気に入りの場所だったようで、弦楽セレナードは、大序曲「1812年」と一緒に、この時書かれた。一方、幻想序曲「ロメオとジュリエット」は、バラキエフの勧めでチャイコフスキーが書いた曲。シェイクスピアの書いた「ロメオとジュリエット」は、多くの作曲家たちの霊感を呼び起こしたが、チャイコフスキーもその中の一人。1870年に初演された時は、弦楽セレナードほどの評判は得られなかったらしい。その後、チャイコフスキーはこの曲を改定し、さらに10年後の1881年に再度手直しがされた。このことを見ても、いかにチャイコフスキーが幻想序曲「ロメオとジュリエット」拘っていたかが分かる。今、この曲を聴くと、若き日のチャイコフスキーの情熱がひしひしと伝わってくる。このレコードで指揮しているキリル・コンドラシンは、1960年モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任し、ショスタコーヴィチの交響曲第4番と第13番の初演を行っている。1978年アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の常任客演指揮者に就任。日本へは2度来日し、NHK交響楽団も指揮した。指揮者の岩城宏之は「コンドラシンが指揮したオーケストラへ行くと、オーケストラがすっかりきれいに掃除されている」と言っていたという。要するに、コンドラシンは、オーケストラの洗練された音づくりの名人であったのだ(LPC)。