★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルのチャイコフスキー:交響曲第5番

2024-06-20 09:37:01 | 交響曲(チャイコフスキー)

 

 チャイコフスキー:交響曲第5番

指揮:エフゲニ・ムラヴィンスキー

管弦楽:レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1960年11月9日~10日、ウィーン・ムジークフェライン・ザール

LP:ポリドール(ドイツ・グラモフォン) SE 7910 

 エフゲニー・ムラヴィンスキー(1903年―1988年)は、旧ソ連時代に活躍したロシアの大指揮者。1924年レニングラード音楽院に入学し、作曲と指揮を学ぶ。同音楽院を1931年に卒業後、レニングラード・バレエ・アカデミー・オペラ劇場(現マリインスキー劇場)で指揮者デビューを果たす。1938年ソ連指揮者コンクールに優勝後、直ちにレニングラード・フィルハーモニー交響楽団の常任指揮者に就任。当時、低迷していた同オーケストラの立て直しに着手し、最終的には同オーケストラを一流のオーケストラに生まれ変わらせた。以後、50年間にわたってその地位に君臨する。1946年「スターリン賞」受賞、1954年「人民芸術家」、1973年「社会主義労働英雄」の称号を授与される。1956年にモーツァルト生誕200年祭でウィーンを訪れたのを契機として、以後約25年に渡って3度の来日を含む外国公演を行っている。それにより名声は世界に轟いた。その指揮ぶりは、厳格を極め、ダイナミックレンジが大きく、一糸乱れぬ演奏は、当時、トスカニーニを髣髴とさせるとも言われていた。チャイコフスキーの交響曲第5番ホ短調 作品64は、1888年に作曲され、現在では交響曲第6番「悲愴」と並ぶ人気の曲となっている。 チャイコフスキーは1877年に交響曲第4番を作曲したあと、「マンフレッド交響曲」を作曲したほかは、交響曲から遠ざかっていた。しかし、1886年にヨーロッパに演奏旅行した後、交響曲への意欲を取り戻した。このLPレコードのチャイコフスキー:交響曲第5番の録音は、1960年11月9日~10日に行われたもので、丁度、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルのコンビが、円熟味を発揮し出した頃のものである。そのため、その後の晩年の録音で見せる、寸分の隙もない演奏に比べ、第3楽章までは、ところどころに牧歌的な雰囲気も漂わせているのが興味深い。とはいってもそこはムラヴィンスキー、最終楽章に入ると、剃刀のような鋭さが徐々に徐々に増して行き、最後はスケールの限りなく大きい、慟哭とも言えるような激しい感情の昂ぶり見せ、リスナーを圧倒する。なお、旧ソ連崩壊によって、1991年に街の名称がレニングラードからサンクトペテルブルクへと変えられたことに伴い、楽団名もレニングラード・フィルハーモニー交響楽団から、現在のサンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団に改称された。(LPC) 

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◇クラシック音楽LP◇エーリッヒ・クライバー指揮パリ音楽院管弦楽団のチャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

2024-05-30 09:38:31 | 交響曲(チャイコフスキー)


チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

指揮:エーリッヒ・クライバー

管弦楽:パリ音楽院管弦楽団

録音:1953年11月

発売:1975年

LP:キングレコード SOL 5013

 クライバーという名前を聞けば、多くの人は指揮者のカルロス・クライバー(1930年―2004年)のことを思い浮かべるであろう。カルロス・クライバーは、 名指揮者として高い評価を受けていたから当然であるが、今回のLPレコードの指揮者のクライバーは、カルロス・クライバーの父親のエーリッヒ・クライバー(1890年―1956年)なのである。エーリッヒ・クライバーは、オーストリアのウィーン出身で、1920年代から30年代にかけての10年以上もベルリン国立歌劇場の音楽監督を務めた歴史上の大指揮者。ヤナーチェックの「イエヌーファ」やベルクの「ヴォツェック」を初演するなど、当時の現代音楽にも積極的であった。1935年のザルツブルク音楽祭出演の後、妻と当時5歳のカルロスらを伴ってアルゼンチンに移住した。1939年~1945年にテアトロ・コロンの首席指揮者を務めた。第二次世界大戦後は、再度、ベルリン国立歌劇場に招かれた後、ウィーンを中心に活躍した。同年代の指揮者と言えば、フルトヴェングラー、クレンペラー、ワルターなどの大指揮者の名を挙げることができる。これらの指揮者の録音は、現在でも発売され多くの愛好家を楽しませているが、それに比べエーリッヒ・クライバーは、過去の指揮者として忘れかけられている、と言ってもいいほどであり、誠に残念なことではある。ロンドン・レコードには、ウィーン・フィルとの名演「フィガロの結婚」「ばらの騎士」などの録音が残されているはずなのだが・・・。このLPレコードは、エーリッヒ・クライバーが唯一遺したパリ音楽院管弦楽団(現在のパリ管弦楽団の前身)とのチャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」である。今回、再度聴いてみて、エーリッヒ・クライバーという指揮者が如何に偉大な存在であったかを再認識させられた。チャイコフスキーの「悲愴」は、ムラヴィンスキーのようなロシア風土に根差した演奏か、あるいはジャン・マルティノンのような都会的に洗練された演奏のいずれかに分類されるが、エーリッヒ・クライバーの演奏は、そのいずれにも属さず、この曲に真正面から堂々と向き合い、キリリと引き締まった演奏を展開する。このため、これまでチャイコフスキーの「悲愴」の演奏からは、なかなか引き出せなかった純音楽的な像がリスナーの前に明らかになり、聴いていて興味が尽きることのない出来に仕上がっている。是非ともこの録音のCDでの発売を実現してもらいたいものである。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ジャン・マルティノン指揮ウィーン・フィルのチャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

2024-04-29 09:52:40 | 交響曲(チャイコフスキー)

 

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

指揮:ジャン・マルティノン

管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

発売:1977年

LP:キングレコード GT 9099

 ウィーン・フィルは、どうもチャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」の録音は、昔からあまりしていなかったようだが、今回のLPレコードは、この曲の録音の中でも最も優れたものとして、現在でも光彩を放っている一枚だ。ウィーン・フィルの年間の演奏曲目で、多分、チャイコフスキーの曲が取り上げられる回数は少ないのではないか。どことなくウィーンとチャイコフスキーとは相性がいいとは言えないように思う。チャイコフスキーの曲は、何処かにうら悲しさがあり、ロシアの土着の暗い雰囲気がついて回るのだ。一方、ウィーンと言えばウィンナーワルツを直ぐに連想するように、粋で陽気で貴族的雰囲気を漂わす。だから、チャイコフスキーの曲の指揮には、ムラヴィンスキーなどの雰囲気がぴたりと当て嵌まる。今回のLPレコードの指揮者のジャン・マルティノン(1910年―1975年)は、生粋のフランス人である。パリ音楽院で学び、ヴァイオリン科を1等で卒業し、シャルル・ミュンシュに就いて指揮法を学んだ。第2次世界大戦後、ラムルー管弦楽団常任指揮者、1962年シカゴ交響楽団常任指揮者に就くなど、ミュンシュ亡き後のフランスの名指揮者として世界にその名を轟かした。そんなマルティノンが、ウィーン・フィルを指揮してチャイコフスキーの「悲愴」を演奏するとどうなるのか。その答えはこのLPレコードにある。結論を言うと、これまで聴いたことが無いような、優雅であると同時に、隅々まで目の届いた、限りなくシンフォニックな色彩を帯びた「悲愴」を描き出すことにマルティノン指揮ウィーン・フィルは、ものの見事に成功したのである。それまではチャイコフスキーの「悲愴」が、こんなにも詩的で、色彩感溢れた交響曲であるということに、誰も気づいていなかったのではないかと思う。その意味から、マルティノン&ウィーン・フィルの遺したこのLPレコードは、チャイコフスキーの「悲愴」演奏史上、今後もその輝きを失うことはないであろう。チャイコフスキーは、周りの人々に「この曲は、私の全ての作品の中で最高の出来栄えだ」と語るほどの自信作だったという。1893年10月16日に作曲者自身の指揮によりサンクトペテルブルクで初演された。その9日後、チャイコフスキーはコレラが原因で急死しまう。同年11月18日に行われたチャイコフスキーの追悼演奏会では、作曲家の急逝を悼む聴衆の嗚咽で満たされたそうだ。 (LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ピエール・モントゥー指揮ボストン交響楽団のチャイコフスキー:交響曲第5番

2024-03-04 09:38:14 | 交響曲(チャイコフスキー)


チャイコフスキー:交響曲第5番

指揮:ピエール・モントゥー

管弦楽:ボストン交響楽団

発売:1976年

LP:RVC(RCA) RGC‐1008

 このLPレコードのライナーノートに門馬直美氏は「このレコードで、モントゥーのすばらしく偉大な才能を改めてしのんではどうだろう」と書いているが、正に正鵠を射た言葉だ。このLPレコードでのモントゥーの指揮ぶりは、隅々まで気配りが行き届くと同時に、チャイコフスキーらしい雄大さも持ち合わせた演奏内容になっている。そして、ボストン交響楽団の楽団員達を奮い立たせ、恐ろしいほどのエネルギーをそこから引き出すことに成功しているのだ。指揮者とオーケストラの隔たりを取リ払い、指揮者とオーケストラとが混然一体化したような演奏である。メリハリのあるリズム感も誠に聴いていて心地良い。あらゆる面からみてバランス感覚に優れている演奏だ。通常、バランス感覚に優れてた演奏である場合、「欠点はないのだが、どうも強烈に引き付ける何かに欠ける」といったケースが多いのだが、モントゥーの場合にはこれが当て嵌まらない。モントゥーの指揮はリスナーをぐいぐいと引き付けて決して離さない。特に、このLPレコードでの“チャイコフスキー節”の演出効果は抜群の出来だ。この録音はリスナーを泣かせること請け合いだ。今でもチャイコフスキー:交響曲第5番の録音の中でトップを争う演奏内容だと私は思う。ピエール・モントゥー(1875年―1964年)はフランス出身の指揮者。パリ音楽院でヴァイオリンを学ぶ。1911年からはディアギレフのロシア・バレエ団で指揮を担当し、ストラヴィンスキーの「春の祭典」「ペトルーシュカ」、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」、ドビュッシーの「遊戯」など、20世紀の名作バレエ音楽の初演を数多く手掛けたことで知られる。米国メトロポリタン歌劇場、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、パリ交響楽団、ボストン交響楽団、サンフランシスコ交響楽団などで指揮を行い、1961年にロンドン交響楽団の首席指揮者となり、死去するまでその地位にあった。1963年にはロンドン交響楽団を率いて来日している。モントゥーは、フランス出身なので当然フランス音楽に長じると同時に、ドイツ・オーストリア系の曲の演奏においても一目置かれていた。さらに当時の現代音楽の初演を手掛けるなど、正にスーパーマン的活躍を見せ、不世出の名指揮者だった。チャイコフスキー:交響曲第5番は、チャイコフスキー48歳の時の1888年8月に完成した交響曲で、有名な悲愴交響曲の5年前に当たる。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇マイケル・ティルソン・トーマス指揮ボストン交響楽団のチャイコフスキー:交響曲第1番「冬の日の幻想」

2023-11-06 09:53:06 | 交響曲(チャイコフスキー)


チャイコフスキー:交響曲第1番「冬の日の幻想」
             
指揮:マイケル・ティルソン・トーマス

管弦楽:ボストン交響楽団

録音:1970年3月、ボストン、シンフォニー・ホール

LP:ポリドール(グラモフォンレコード) MGW5155

 チャイコフスキーは、最初の管弦楽曲である序曲が好評であったため、交響曲を書くことを思い立ち、師のアントン・ルービンシュタインとニコラウス・ザレンバに指導を仰ぎ、交響曲第1番「冬の日の幻想」を完成させた。チャイコフスキー自身、この曲を生涯愛していたという。伝統的な4楽章からなるこの交響曲は、第1楽章と第2楽章だけに「冬の旅の夢想」と「陰気な土地、薄暗い土地」という副題が付けられているが、どのような意味であるのかは明らかにはなってはいないが、ロシアの寒い冬の大地を暗示するようでもある。この曲は、そう度々演奏されることはないが、その後のチャイコフスキーの交響曲の要素が素材のまま曲の中に凝縮されているようでもあり、一度聴くと、後になって気になる交響曲であることには間違いない。全4楽章を通して豊かで美しいメロディーが散りばめられており、聴きやすい構成となっている。この曲には「冬の日の幻想」という副題が付けられている通り、ロシアの寒々とした空気がオーケストラの音色から聴き取れ、民族色の濃い曲でもあることから、チャイコフスキー自身が終生愛した曲であることが分るような気がする。このLPレコードでボストン交響楽団の指揮をしているのが、米国出身のマイケル・ティルソン・トーマス(1944年生まれ)である。ロサンゼルス、ハリウッドで生まれ、南カリフォルニア大学で化学と作曲を学ぶ。さらにロサンゼルスにおいて現代音楽を中心にピアノと指揮を学ぶ。1969年にボストン交響楽団ンのアソシエート指揮者に招かれ、同年のニューヨーク公演で急病のスタインバーグの代役を務めて成功を収め、翌年ロンドンでもデビューを果たす。1971年バッファロー・フィルハーモニーの音楽監督、同時にニューヨーク・フィルハーモニックの青少年コンサートの指揮者も務めた。1988年にクラウディオ・アバドの後任として、ロンドン交響楽団の首席指揮者に抜擢され、1995年まで務める。この間、ボストンのタングルウッド音楽祭をはじめ、各地で客演活動を重ね、好評を得る。1995年からは、現在に至るまでサンフランシスコ交響楽団の音楽監督を務め、同楽団の長期音楽監督の記録を塗り替えた。このLPレコードでは、持ち前の分りやすく、軽快な指揮ぶりを披露しており、充分聴き応えのある録音に仕上がっている。録音の音質も秀逸。(LPC)

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