★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇リヒテルのベートーヴェン:ピアノソナタ第28番/第30番(ライヴ録音盤)

2021-07-29 10:02:05 | 器楽曲(ピアノ)


ベートーヴェン:ピアノソナタ第28番/第30番

ピアノ:スヴャトスラフ・リヒテル

録音:1974年(ライヴ録音)

販売:1977年10月

LP:日本コロムビア OZ‐7541‐RC

 これは、リヒテルが1974年に行ったコンサートのライヴ録音のLPレコードである。年は分かるが、残念ながら何月何日、場所は何処という表記が見当たらない。LPレコードの場合、CDとは異なり、録音データ表記にかなり大らかところがあるので、単に記載もれだけの話なのかもしれない。いずれにしろ、リヒテルのライヴ録音盤は珍しく、しかも当時のライヴ録音としては比較的良い音質で録れており、特に第28番は、リヒテル特有の鍵盤を叩き付けるさまがリアルに聴け、まるで生でリヒテルの演奏会を聴いているような錯覚さえ受けるほど。リヒテルは、ドイツ人を父にウクライナで生まれた。リヒテルの名を聞くとロシア人と考えがちだが、ドイツ人の血が入っているのだ。そう考えるとあの武骨とも言える強固なピアノタッチのルーツは、ドイツ音楽にあったのかと合点がいく。当時は東西冷戦時代であり、西側にはリヒテルのLPレコードは発売されたが、その実像はなかなか伝わらなかった。1960年になってようやく西側での演奏を許可された。リヒテルが西側でどのような演奏活動を展開していたかについては、「リヒテルと私」(河島みどり著、草思社文庫)に詳しく書かれているので、興味がある方は読まれることをお勧めする。このLPレコードには、ベートーヴェン:ピアノソナタ第28番/第30番が収められている。ピアノソナタ第28番が作曲された少し前には、第7交響曲や歌劇「フィデリオ」が上演され、絶賛を受け、ベートーヴェンも大いに満足した頃であった。しかし、その後、弟のカールが亡くなり、その遺児の後見をめぐって、義妹ヨハンナとの訴訟が起こり、ベートーヴェンは精神的にも肉体的にも苦境に陥る。この曲は、そんな苦境にあった1816年5月~11月に書かれた。その結果、後期様式を切り開くピアノソナタとして現在高い評価を得ている第28番が生まれた。正に起死回生の曲となったのだ。このLPレコードでのリヒテルの演奏は、演奏会ということもあり、スタジオ録音とは異なり、その生々しい表現力には圧倒される。ピアノタッチの鋭いことはいつもの通りであるが、微妙に揺れ動く表現力でも、他のピアニストでは到底聴くことのできない巧みさを発揮する。このLPレコードのB面に収録されているベートーヴェン:ピアノソナタ第30番は、最後の3つのソナタの最初の曲で、巨大な変奏曲を最後に置き、その前に幻想的な楽章を配した構成となっている。ここでのリヒテルの演奏は、ベートーヴェンが最後に到達した心境を鋭く描き出す。こんな強靭で深遠な表現力は、私はこれまで聴いたことがない。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇現代音楽の旗手 シュトックハウゼンの「コンタクテ」「ルフラン」

2021-07-26 09:54:42 | 器楽曲


シュトックハウゼン:「コンタクテ」~エレクトロニック・サウンドと打楽器のための~
          「ルフラン」~三人の楽器奏者のための~

ピアノ/打楽器/木鐘      :アロイス・コンタルスキー
打楽器/ヴァイヴ/カウベル   :クリストフ・ジーベン
チェレスタ/監修        :カールハインツ・シュトックハウゼン

LP:ワーナー・パイオニア H‐4403V

 これは、現代音楽の旗手の一人であったカールハインツ・シュトックハウゼン(1928年-2007年)の2つの作品「コンタクテ」「ルフラン」を、演奏を含めて、シュトックハウゼン自身の監修で収録したLPレコードである。カールハインツ・シュトックハウゼンは、ドイツ出身の現代音楽作曲家。ケルン音楽大学で学んだ後、1952年にはフランスに移り、パリ国立高等音楽院に入学。この時、世界で初めての電子音楽を作曲。第二次世界大戦後の前衛音楽の時代において、ピエール・ブーレーズ、ルイジ・ノーノらと共に、12音技法から発展した音楽である「ミュージック・セリエル」の主導的な役割を担った。1977年から2003年まで、7つのオペラから構成される長大な連作「光(LICHT)」の創作に携わり、最終作である「日曜日」の第3場面「光‐絵」が、2005年の来日の際に、東京の夏音楽祭で演奏されたこともある。一方、1998年からは毎年キュルテンで「シュトックハウゼン講習会」を開催し、後進の指導にも取り組んでいた。シュトックハウゼンは、第2次世界大戦後、急速に勃興した現代音楽のリーダーの一人であり、当時その名は、広く浸透していた。今回、シュトックハウゼン:コンタクテとルフランを改めて聴いてみて、その作品の新鮮な感覚に引き付けられた。シュトックハウゼンは電子音楽の祖であり、この2つの作品も、電子音楽あるいはミュージック・コンクレート (1940年代の後半にフランスでピエール・シェフェールによって作られた現代音楽のひとつのジャンルで、音響・録音技術を使った電子音楽の一種)的雰囲気を持ったの作品である。シュトックハウゼンの作品は、どこで始まろうが、どこで終わろうか、関係ないような音楽だ。何かの思想が込められているわけでもない。どちらかと言えば絵画のような曲だ。絵画は、部屋の中にずっとあり、始めも終わりもない。それでいてある存在感があるのだ。シュトックハウゼンのこの2曲の作品を聴いていると、深い森の奥で自然が発する音の調和を聴いているようにも聴こえるし、あるいは宇宙の果てに行って、そこで奏でられる自然が発する音を聴いているようでもある。あるいはまた、戦争の惨禍の余韻が漂う、無人となった戦場に一人佇んでいるようでもある。要するに、その作品から受ける印象は、リスナー一人一人で全く違うと考えた方が、多分正解なのだろう。シュトックハウゼン:コンタクテとルフランは、これからの時代の中で、一層光り輝く何かを包含しているように思えてならない。今、再評価されるべき作品であると考えるが、どうであろうか。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇サンソン・フランソワのショパン:バラード/スケルツォ全曲

2021-07-22 09:40:06 | 器楽曲(ピアノ)


ショパン:バラード 第1番~第4番
     スケルツォ 第1番~第4番

ピアノ:サンソン・フランソワ

LP:東芝EMI EAC‐70031

 これは、往年の名ピアニストのサンソン・フランソワ(1924年―1970年)が、ショパン:バラード第1番~第4番とスケルツォ第1番~第4番を1枚に収めたLPレコード。その閃きと核心をついた演奏内容は、これを凌駕する録音は、現在に至るまでないと言ってもいいくらい高い芸術性を備えた演奏に仕上がっている。ショパンのバラードは、全部で4曲あるが、それらは、21歳~31歳、ショパンの創作の絶頂期につくられている。第1番はポーランドの詩人ミッキェヴィッツの詩「コンラド・ワーレンロッド」をもとに、1831年~35年に書かれたもの。フランソワの演奏は、予想に反して曲に忠実に端正に弾き進む。こじんまりとした印象を与える演奏だが、逆にその分詩情豊かな演奏内容がリスナーの心に沁みわたる。第2番は、ミッキェヴィッツの詩「ウィリス湖」をもとに、1836年~39年につくられた。フランソワの演奏は、静寂さと劇的な動きが交差するような演奏内容で圧倒される。フランソワ特有の閃きに満ちた演奏だ。第3番は、ミッキェヴィッツの詩「ウィリス湖」をもとに、1840年~41年に書かれた。この曲の華麗な曲想に、フランソワの持ち味である幻想的な雰囲気がよくとけ合い、最大限の演奏効果を挙げることに成功している。第4番は、1842年に書かれた。ここでのフランソワの演奏は、持てる力を総動員しての力強い演奏内容。深く沈み込むような表現が巧みに生かされ、スケール大きい表現も印象的。一方、スケルツォもショパンは4曲遺した。第1番は、1831年~32年に書かれた。フランソワの演奏は、水を得た魚のように、生き生きと輝くような演奏を繰り広げる。この曲の持つ、渦巻くようなエネルギーの表現はフランソワが最も得意としていたもの。第2番は、4つのスケルツォで一番有名な曲で、1837年に書かれた。フランソワの演奏は、第1番以上に曲の核心をずばりとつく名演を披露する。一遍の演劇が目の前で演じられるようなリアルな演奏内容だ。第3番は、1839に書かれた。曲の内容は、たぎるような情熱をたたえ、表情の陰影が濃く、ショパンのスケルツォの中では、一番音楽的に充実しているという評価を得ている。フランソワは、ここでも独特の個性を発揮しており、深みに落ちていくような、スリリングな表現がリスナーの耳を奪う。第4番は、1842年の作。ここでのフランソワの演奏は、この曲の曲想に合わせ、他の3曲には見られない伸び伸びとした演奏内容となっている。そうはいってもフランソワ、陰影を付けた演奏内容は、他のピアニストの比ではない。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ダニエル・バレンボイム指揮&ピアノのモーツァルト:ピアノ協奏曲第21番/第19番

2021-07-19 09:54:48 | 協奏曲(ピアノ)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番/第19番

指揮&ピアノ:ダニエル・バレンボイム

管弦楽:イギリス室内管弦楽団

録音:1968年10月1日~2日、アビー・ロード・スタジオ(第21番)
   1972年4月23日、1973年3月24日、アビー・ロード・スタジオ(第19番)

LP:東芝EMI EAC‐85007

 このLPレコードは、指揮&ピアノ:ダニエル・バレンボイム、管弦楽:イギリス室内管弦楽団によるモーツァルト:ピアノ協奏曲全集の中の第21番/第19番を収めた一枚だ。バレンボイム(1942年生まれ)は、アルゼンチン出身のピアニスト・指揮者で、現在の国籍はイスラエル。ピアニストとしての名声を確固たるものとした後、1966年からイギリス室内管弦楽団とモーツァルトの交響曲録音を開始し、指揮者デビューを果たす。パリ管弦楽団音楽監督、シカゴ交響楽団音楽監督、ミラノ・スカラ座音楽監督を歴任。1992年からはベルリン国立歌劇場音楽総監督を務めている。モーツァルトは、1785年に第21番を含む3曲のピアノ協奏曲を作曲している。その前の年の1784年に6曲、後の年の1786年に3曲のピアノ協奏曲を書いており、この頃、集中的にピアノ協奏曲に取り組んだことが分かる。第20番のピアノ協奏曲が短調で書かれたのに対し、第21番はハ長調の明るく輝かしい趣を持った曲に仕上がっている。初演は、1785年3月12日にウィーンでモーツァルト自身のピアノ独奏で行われ、好評を得たことが姉ナンネルへの手紙に書かれている。モーツァルトのピアノ協奏曲は、この時期以降飛躍的に進展を見せ、ピアノとオーケストラが対等の立場に立ち、そのオーケストラは管楽器を活用することで、色彩感が色濃く付けられ、緩徐楽章の美しさが際立つようになっていく。その典型的な一つがピアノ協奏曲第21番。その第2楽章はスウェーデン映画「みじかくも美しく燃え」に使われた。ここでのバレンボイムのピアノ演奏は、曲に真正面から取り組み、その悠揚迫らざる演奏態度は、当代一のモーツァルト弾きであることを強く印象付ける。ゆっくりとしたテンポをとり、一音一音をかみしめるようにして弾き進む。華やかさに加え、堂々とした構えのある演奏内容となっている。この演奏を聴くと、第21番のピアノ協奏曲のすべてが語り尽くされたかのような印象すら受け、他のピアニストの演奏が、何かむなしいもの聴こえるほどの名演を聴かせる。一方、このLPレコードのB面に収められたピアノ協奏曲第19番は、1784年に書いた6曲のピアノ協奏曲の中の一曲。第20番以降の充実した内容のピアノ協奏曲に比べて、少々物足りない気もする曲だが、それ以前のピアノ協奏曲と比べると、大きな成長を見せている。ここでのバレンボイムは、第21番とはがらりと様相を変え、軽快そのものの演奏に徹しており、理屈抜きにモーツァルトを楽しむことができる演奏内容に仕上がっている。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇フェルナン・ウーブラドゥ指揮室内管弦楽団のモーツァルト:交響曲第31番「パリ」/バレエ音楽「レ・プティ・リアン」

2021-07-15 10:03:57 | 交響曲(モーツァルト)


モーツァルト:交響曲第31番「パリ」K.297
       バレエ音楽「レ・プティ・リアン―序曲と13舞曲」K.追加Ⅰ‐10

指揮:フェルナン・ウーブラドゥ

管弦楽:フェルナン・ウーブラドゥ室内管弦楽団

録音:1955年10月~11月

LP:東芝EMI EAC‐30126

 これは、「パリのモーツァルト」と題されたシリーズのVOL.7に当たるLPレコード。モーツァルトは、1774年~1778年の、いわいるザルツブルグ時代の4年間には、交響曲を作曲しなかった。この4年間の沈黙の後、新しい創作期の口火を切って、1778年に書かれたのが、「パリ」と名付けられた、この交響曲第31番である。コンセール・スピリチュエルのル・グロの依頼で、1778年5月から6月の間にパリで作曲された。このためこの交響曲は、後に「パリ」という愛称で呼ばれるようになったのである。コンセール・スピリチュエルは、宗教的な声楽曲の演奏を目的に設立されたが、その後は次第に、世俗的なオーケストラ作品も取り上げるようになり、中でも、交響曲と協奏曲の分野に力を注いでいた。パリでテノール歌手として活躍していたル・グロ(1730年―1793年)が、1777年にコンセール・スピリチュエルの指導者として迎え入れられた翌年の1778年3月23日に、モーツァルトはパリに到着する。そこで、ル・グロは、6月18日の聖体の祭日(聖体祭)のコンサートのための新作をモーツァルトに依頼し、モーツァルトは6月12日にこれを完成させた。初演は、予定通り、6月18日のコンサートにおいて、ル・グロの指揮で演奏された。このLPレコードで指揮をしているフェルナン・ウーブラドゥ(1903年―1986年)は、フランスのファゴット奏者兼指揮者。パリ音楽院で学び、パリ音楽院管弦楽団およびパリ・オペラ座管弦楽団の首席ファゴット奏者として活躍。1939年には自ら、フェルナン・ウーブラドゥ室内管弦楽団を結成した。1941年からはパリ音楽院の室内楽科教授として、ジャック・ランスロやピエール・ピエルロらを育成したことでも知られる。このLPレコードでのウーブラドゥの指揮は、明快極まりないもので、若き日のモーツァルトを髣髴とさせるはつらつとした演奏に終始する。この交響曲の持つ華やかで、如何にも聖体祭を祝福するムードを存分に盛り上げるに相応しい演奏内容となっている。次に、モーツァルトは、パリでオペラ座のメートル・ド・バレエ(バレエ・マスター)に就任したノヴェール(1727年―1810年)に会い、バレエ音楽の作曲の依頼を受ける。そして完成したのが、序曲と13の舞曲からなるバレエ音楽「レ・プティ・リアン(些細なものという意味)」である。ここでのウーブラドゥの指揮は、あたかも目前でパリ・オペラ座の踊り子が、バレエを踊っているかのような、華やかで快活な雰囲気に終始する。パリの演奏家たちの、本場もののなせる技が光る。(LPC)

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