★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇ギーゼキング、ピアノ小品の名曲を弾く

2023-04-27 10:42:35 | 器楽曲(ピアノ)


~ギーゼキング・ポピュラー・アンコール~

モーツァルト:小さなジーグ
ショパン:子守歌
シューマン:ゆりかごの歌
       予言の鳥
       トロイメライ
メンデルスゾーン:春の歌
         グリーク:蝶々
         フランスのセレナード
         春に寄す
ドビュッシー:月の光
       ゴリウォーグのケークウォーク
       亜麻色の髪の乙女
       雨の庭
スクリアビン:詩曲Op.32の1
       前奏曲Op.15の4
ラヴェル:水の戯れ

ピアノ:ワルター・ギーゼキング

LP:東芝音楽工業 AB・8062

 ドイツの名ピアニストのワルター・ギーゼキング(1895年―1956年)は、ドイツ人の父親とフランス人の母親のもと、フランスのリヨンに生まれた。16歳の時、一家はドイツのハノーファーに移住し、ハノーファー音楽院で学ぶ。ここでギーゼキングはピアノの名教師カルル・ライマーに師事する。その後、ライマーとギーゼキングは有名な共著「現代ピアノ奏法」(1930年刊)を著わし、やがてギーゼキングは新即物主義のピアニストとして頭角を現していく。ライマーに師事したことが飛躍の原点となっていたのだろう。新即物主義とは、当時の新しい芸術運動に名付けられたもので、楽譜に忠実に演奏することに他ならない。現在、ギーゼキングの演奏を聴いてみても特別変わった演奏スタイルとは到底思えないが、当時はロマン主義的傾向が強く、多くのピアニストが恣意的な演奏スタイルをとっていたので、楽譜に忠実に演奏する新即物主義の演奏スタイルは、当時としては画期的なものであった。このため、一部に「ギーゼキングの演奏は冷たい」といった評価が下されることもあった。しかし、今聴いてみるとギーゼキングの感覚は、現在の我々の感覚にピタリと当て嵌まるものがある。ギーゼキングは、ベートーヴェンのピアノソナタ連続演奏会でデビューを飾ったというから、若い頃からただのピアニストでなかったことが推察される。レパートリーは非常に広く、バッハ、ヘンデル、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、メンデルスゾーン、ブラームス、グリーク、ドビュッシー、ラヴェルなどに及び、それらが全て得意というから、前代未聞の類まれなピアニストであったことが、そのレパートリー広さからも窺える。1953年に来日した時、生の演奏を聴いた小林俊之氏はこのLPレコードのライナーノートで「切れ味の鋭いテクニックの完璧さ、比較するものもない清冽な感覚の、冷ややかに澄み切ったタッチの閃きと、その微妙をきわめた音色の多彩な変化、粒がきれいに揃った一音、一音から響き出るソノリティの豊かさ」と、当時のギーゼキングの演奏の印象を書き記している。このLPレコードは、そんなギーゼキングの演奏の特徴が鮮やかに蘇る。清らかなモーツァルト、はてしない幻想のシューマン、くつろぎのメンデルスゾーンとグリーク、それに詩的なスクリアビンなど、このような小品集を弾かせたら、ギーゼキングの右に出るものはいないことを証明している。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇エド・デ・ワールト指揮ドレスデン国立管弦楽団のモーツァルト:行進曲K.237/セレナード第4番K.203

2023-04-24 09:40:07 | 管弦楽曲


モーツァルト:行進曲K.237
       セレナード第4番K.203

指揮:エド・デ・ワールト

管弦楽:ドレスデン国立管弦楽団

ヴァイオリン:ウト・ウギ

録音:1973年11月17日~23日、ドレスデン

発売:1981年

LP:日本フォノグラム(フィリップスレコード)

 このLPレコードで指揮をしているのが、オランダ出身のエド・デ・ワールト(1941年生まれ)である。エド・デ・ワールトは、名門アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団でオーボエ奏者として活躍。1964年「ミトロプーロス指揮者コンクール」で優勝した。その後、ニューヨーク・フィルでバーンスタインの副指揮者として1年間を過ごし、1973年にはロッテルダム・フィルの首席指揮者に就任。一方、ヴァイオリンのソロの演奏しているウト・ウギ(1944年生まれ)は、イタリア出身。ジョルジュ・エネスコに師事した後、キジアーナ音楽院で学ぶ。世界各地で演奏活動を行い、1980年に初来日している。イタリアにおいては、最も著名なヴァイオリニストの一人として知られ、イタリアのヴァイオリン流派の伝統の正統継承者としてみなされている。このLPレコードでは、セレナード第4番の第2、第3、第4楽章でのヴァイオリン独奏により、この曲全体がぐっと引き締まった印象をリスナーに与える。セレナード第4番は、「コロレド・セレナード」と呼ばれることがある。コロレド大司教はモーツァルトの才能にまったく気付かず、モーツァルトを一人の召使としか評価しなかったために、二人は最後には喧嘩をしてしまう。モーツァルトは、大司教側近のアルコ伯爵に、お尻をけとばされ、戸外へ突き出されてしまったというエピソードも残っている。そんなことで職を失ったモーツァルトは、貧困の生活を余儀なくされる。1774年に作曲された全部で8つの楽章からなるこのセレナードは、そんないわく付きの曲ではあるが、セレナード枠を越えたスケールの大きさと厳粛な雰囲気を漂わせた堂々としたセレナードとして知られる。また、第2、第3、第4楽章では、独奏ヴァイオリンがヴァイオリン協奏曲のような効果を発揮している点も注目される。もし、モーツァルトの作品でまだ“隠れた傑作”があるとするなら、その筆頭に挙げられてもおかしくないような内容の充実した作品に仕上げられている。このLPレコードでは、セレナード第4番の前に行進曲が収録されているが、これは当時、セレナードやディヴェルティメントの前後に行進曲を演奏して、聴衆の入退場をスムーズに行った名残である。エド・デ・ワールトの指揮は、そんなセレナードを誠に正統的に演奏しており、ウト・ウギのヴァイオリンのソロ演奏とともに、この曲の真価を知らしめることに見事成功しているのである。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇バリリ四重奏団とウィーン・コンツェルトハウス四重奏団によるモーツァルト:弦楽四重奏曲第14番/第15番

2023-04-20 09:40:43 | 室内楽曲(弦楽四重奏曲)


モーツァルト:弦楽四重奏曲第14番「春」
       弦楽四重奏曲第15番

弦楽四重奏:バリリ四重奏団(第14番)
      ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団(第15番)

発売:1964年

LP:キングレコード MR5049

 モーツァルトは生涯で23曲の弦楽四重奏曲を書いた。それらは、次のような4つのグループに分けられている。第2番~第7番=「ミラノ四重奏曲」、第8番~第13番=「ウィーン四重奏曲」、第14番~第19番=「ハイドン四重奏曲」、第21番~第23番=「プロシャ王四重奏曲」。これらのうち、第8番以降はすべてウィーンで書かれている。モーツァルトの弦楽四重奏曲の先生に当る人はハイドンである。ハイドンこそが弦楽四重奏曲の古典的形式を完成させたのである。それは1789年に書き上げた6曲からなる「ロシア四重奏曲」と名付けられている弦楽四重奏曲であり、これらは、それ以前の弦楽四重奏曲とは異なり、全く新しい特別の手法によって作曲れた。一方、ザルツブルクからウィーンに移ったモーツァルトは、ハイドンが新たに編み出した弦楽四重奏曲の手法を参考に6曲からなる弦楽四重奏曲を完成させ、ハイドンに献呈した。これが「ハイドン四重奏曲」であり、このLPレコードには、このうち、第14番(ハイドンセット第1番)と第15番(ハイドンセット第2番)が収められている。モーツァルトは、6曲のハイドンセットを完成させた翌日の1785年1月15日と2月12日に、ハイドンを自宅に招き、弦楽四重奏曲を披露したという。第14番は、ハイドンが編み出した新しい手法が、モーツァルトという天才を経過することによって、一層の高みにたどりついたことが聴き取ることができる作品となっている。実に落ち着いた弦楽四重奏曲に仕上がっており、均整の取れた構成は弦楽四重奏曲の醍醐味を存分に味わせてくれる。この作品を作曲した頃に、モーツァルトは交響曲第35番「ハフナー」や歌劇「後宮からの誘拐」などを作曲している。バリリ四重奏団の演奏は、深みのある中に、如何にもウィーン情緒が漂う洒落た趣も伝えてくれる。一方、第15番はニ短調の作品(モーツァルトは短調の弦楽四重奏曲を2曲書いた)で、深い諦観に覆われた中にも、起伏に富んだ軽快さが何とも心地良い弦楽四重奏曲であり、如何にもモーツァルトらしい天衣無縫さがさが横溢した作品となっている。この曲は、モーツァルトの妻コンスタンツェが最初の出産の最中に作曲されたという。演奏するのはウィーン・コンツェルトハウス四重奏団で、独特の透明感のある優雅な雰囲気が、何ともいえない雅な趣を演出して秀逸な演奏となっている。(LPC) 

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◇クラシック音楽LP◇アンドレ・クリュイタンスのベートーヴェン:交響曲第4番/第8番

2023-04-17 09:36:44 | 交響曲(ベートーヴェン)


ベートーヴェン:交響曲第4番/第8番

指揮:アンドレ・クリュイタンス

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

LP:東芝EMI(SERAPHIM) EAC‐30003

 アンドレ・クリュイタンス(1905年―1967年)は、ベルギー、アントワープ出身の名指揮者。20歳を過ぎてからの活躍が、フランスを中心であったことでフランスの指揮者というイメージが強い。現に、ラヴェルの管弦楽曲集、ビゼーの「アルルの女」組曲、ベルリオーズの幻想交響曲や序曲「ローマの謝肉祭」、フォーレの「レクイエム」などが、現在でも不朽の名盤として遺されている。しかし、当時から、ドイツ・オーストリア音楽のきっちりとした構成力に対する理解力とアプローチにも高い評価がなされていた。つまり、フランスものはもちろん、ドイツ・オーストリア音楽にも本場の指揮者以上の理解力を持ち合わせていた類まれな指揮者であった。このLPレコードでは、アンドレ・クリュイタンスは、ドイツ・オーストリア系指揮者に勝るとも劣らない、質の高いベートーヴェンの交響曲の演奏を聴かせる。アンドレ・クリュイタンスは、9歳からアントウェルペン王立音楽院でピアノ・和声・対位法を学んだ。同王立音楽院を卒業し、1922年に王立歌劇場の合唱指揮者となる。1927年には同歌劇場第一指揮者に任命された。1932年からはフランスの歌劇場でも活動を始める。1944年には、パリ・オペラ座の指揮者となり、1949年にはミュンシュの後任としてパリ音楽院管弦楽団の首席指揮者に就任する。以降1967年にクリュイタンスが逝去するまで、このコンビは黄金時代を築くことになる。それと並行してフランス国立放送管弦楽団、ベルギー国立管弦楽団の指揮も兼任した。1955年のバイロイト音楽祭での「タンホイザー」の指揮は、歴史的名演とも言われた。1964年には、パリ音楽院管弦楽団とともに来日し、日本の聴衆に多大な感銘を与えた。リュイタンスの死去の後、パリ音楽院管弦楽団は発展的解散を遂げ、現在のパリ管弦楽団へと改組された。アンドレ・クリュイタンスの指揮は、気品に満ち、優雅さをたたえた演奏が特徴だが、このLPレコードの第4番、第8番という、ベートーヴェンとしては比較的小ぶりの交響曲において、その特徴が如何なく発揮されているのが、この録音から聴いて取れる。2つの交響曲とも実に明るく、屈託なく演奏しており、その伸び伸びとした優雅な指揮ぶりは、どの指揮者とも比較できないほど、ベートーヴェンの一つの面を表現し切っており、聴き終えると実に爽やかな印象がリスナーに残る演奏内容となっている。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇デムスとスコダのモーツァルト:4手のためのピアノソナタヘ長調K.497/ハ長調K.521

2023-04-13 09:40:01 | 器楽曲(ピアノ)


モーツァルト:4手のためのピアノソナタヘ長調K.497
         4手のためのピアノソナタハ長調K.521

ピアノ(連弾):イェルク・デムス
        パウル・バドゥラ=スコダ

発売:1979年

LP:日本フォノグラム(amadeo)13PC-225(AVRS 6463)

 これは、モーツァルトの4手(連弾)のためのピアノソナタを4枚のLPレコードに収録した「モーツァルトの4手のためのピアノ作品全集」の中の第2集である。“4手のための”とあると連弾(1台のピアノを2人で演奏する)のほかに2台のピアノを2人で演奏する曲も含まれるが、ここでは、フリードリッヒ・グルダ(1930年―2000年)を含めて当時の日本で“ウィーンの三羽烏”と呼ばれていたイェルク・デムス(1928年—2019年)とパウル・バドゥラ=スコダ(1927年―2019年)の2人の名手が連弾の演奏をしている。連弾曲と聞くと、親しい2人が弾いて楽しむ曲といった趣が強いわけであるが、ここに収められた2曲は、それに留まらず、リスナーが聴いても十分楽しめる内容のある作品となっている。ヘ長調 K.497は、モーツァルトが30歳の時にウィーンで作曲、1786年8月1日に完成した。このLPレコードのライナーノートで栗山 和氏は「対位法様式が、まったく有機的に、和声や朗唱の効果と合致している。・・・音楽学はまさしくこのソナタをモーツァルトの最後の3つの交響曲の傑作のための理想的な前段階として認めている」と記している。一方、 ハ長調 K.521は、モーツァルトが31歳の時にウィーンで作曲、1787年5月に完成した。モーツァルトの親友ゴットフリートとピアノの弟子で美貌の才媛として知られたフランツィスカのジャカン兄妹に捧げられた。1787年5月28日の早朝にモーツァルトの父レオポルトが亡くなっているが、父の死を知らないモーツァルトはその翌日にこの曲を完成させたという。「このソナタほど、わずらわしさがなく、生命の喜びに満ちた作曲は見出し得ないだろう」と栗山 和氏も書いている通り、モーツァルトの伸び伸びとした明るさが全曲にわたって光り輝いているピアノソナタなのである。イェルク・デムスはオーストリア出身。11歳の時にウィーン音楽アカデミーに入学。1956年「ブゾーニ国際コンクール」で優勝、一躍脚光を浴びる。バッハ、モーツァルト、シューマンなどドイツ人作曲家を主なレパートリーとしていた。また室内楽や歌手の伴奏者も数多く務めた。パウル・バドゥラ=スコダもオーストリア出身。ウィーン音楽院に学び、1947年「オーストリア音楽コンクール」で優勝。ウィーン古典派、とりわけモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトを得意としていた。このLPレコードでの二人によるピアノ連弾は、息がぴたりと合い、一部の隙もなくモーツァルトの優美な世界を見事に描き切っている。(LPC)

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