モーツァルト:交響曲第25番/第29番
指揮:ブルーノ・ワルター
管弦楽:コロンビア交響楽団
録音:交響曲第25番(1954年12月10日)/交響曲第29番(1954年12月29日~30日)
LP:CBS・ソニー 15AC 660
巨匠ブルーノ・ワルター(1876年―1962年)の残した録音は、若い頃のウィーンを中心に活躍した時代、円熟期のニューヨーク・フィル時代、それに晩年のコロンビア交響楽団と3つの時代分けられるが、このLPレコードは、コロンビア交響楽団との録音である。コロンビア交響楽団とはいったいどんな楽団だったのであろうか。1950年代のアメリカ西海岸のハリウッドは、映画の都として、その黄金時代を謳歌していたが、演奏家も、全米あるいはヨーロッパから一流の奏者が集まり、ワーナー・ブラザース交響楽団、パラマウント交響楽団、ハリウッド交響楽団など、映画会社お抱えのオーケストラの一員として活躍していた。しかし、そんな映画のサウンド・トラック演奏だけでは飽き足らない演奏家達が、音楽監督カーメン・ドラゴンのもとに結集して創設されたのが、グレンデール交響楽団である。同楽団は、録音の際は、それぞれ別名で録音していた。このためグレンデール交響楽団の名はほとんど知られることはなかった。つまり、同楽団がCBSへの録音の際に使用した名称がコロンビア交響楽団ということにほかならない。若い頃のワルターは、典雅この上ない指揮ぶりであった。それに対しニューヨーク・フィルとコンビを組んだ時代は、がらりとその指揮ぶりが変わり、力強く、スケールの大きいものに変貌した。それらに対しコロンビア響との時代は、これまで指揮者として歩んできた道程を振り返るような、一段と高い立場で巨匠が晩年に到達した心境が綴られている。モーツァルトの交響曲第25番は、1773年夏のウィーン旅行から帰って、同年末にザルツブルグで完成した。後期の第40番と酷似していることから、”小ト短調交響曲”とも呼ばれている。曲全体が緻密な構成力と緊迫感に包まれている。これは、ウィーン旅行における“シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)”に強い影響を受けたことによるものと考えられる。第29番は、第25番を書いてすぐ、1774年初めに作曲された。第25番が「暗」とするなら、第29番は、生の歓喜が零れ落ちるような魅力的な旋律に彩られた「明」の交響曲と位置づけられよう。このLPレコードの第25番の指揮は、若い頃のワルターの力強さをまだ十分に残していることが聴きとれる。曲の出だしから猛烈な迫力で、聴くものを圧倒する。この時、ワルター78歳。一方、第29番はの方は、静かにモーツァルトと向き合い、淡々とモーツァルトの世界を描いており、ワルターが晩年に到達した心境を覗く思いがする。(LPC)