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★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇ワルターの名盤 モーツァルト:交響曲第40番/第41番「ジュピター」

2025-04-28 09:48:44 | 交響曲(モーツァルト)


モーツァルト:交響曲第40番/第41番「ジュピター」

指揮:ブルーノ・ワルター

管弦楽:ニューヨーク・フィルハーモニック

録音:1953年2月23日(交響曲第40番)/1956年3月5日(交響曲第41番)

LP:CBS・ソニー SOCF 110
 
 このLPレコードは、ワルターが遺した数多くの録音の中でも、1、2を争うような優れたもので、現在でもこの録音を聴かずしてモーツァルトの交響曲演奏は語れない、と断言できるほどの名盤中の名盤である。交響曲第40番の演奏がアポロ的とするなら、さしずめ第41番「ジュピター」の演奏は、ディオニソス的な演奏と言ってもよかろう。ワルターは、これら2つの交響曲を指揮するに当たり、それまでの他の指揮者の演奏を聴き続けたのではないか。そして、2つの交響曲の演奏は、こうあらねばならないという深い信念に基づいて指揮したように私には聴こえる。一般的に第40番は、“悲しみの疾走”と表現されるように、テンポを早めに、劇的に演奏されることがほとんど。それに対しワルターは、テンポを柔軟に操ることによって、この曲の持つ真の魅力を引き出すことに見事成功している。そして、そこには、明るく大らかな世界が開けているのだ。ワルターは、決して“悲しみの疾走”を一方的にリスナーに押し付けるようなことなどは決してしない。それによって、神々しくも輝かしい第40番を新たに創造したのだと言ってもいいほどだ。一方、第41番は、実に堂々とした男性的なモーツァルトをつくりあげている。全てのぜい肉をはぎ取って、筋肉質で見事なバランスある演奏内容だ。単にこけおどし的な大きさを狙うのではなく、内省さが絡み合った雄大さであるので、聴いていて充実感に満たされる。このLPレコードのライナーノートにおいて、宇野功芳氏は、このワルターの第40番のレコードを最初に聴いた時の印象を、次のように記している。「ヴィオラの何というふっくらとしたさざ波、そしてそのリズムの上に、たっぷりと漸強弱をつけられた第1主題が心ゆくまで歌われる。もう駄目だ。陶酔と満足感のうちに、自分の身体が溶けていくのではないかと思われた」。それにしても、このLPレコードのニューヨーク・フィルの団員達の自発性に富んだ厚みのある響きは、正に特筆ものではある。ブルーノ・ワルター(1876年―1962年)は、ウィーン国立歌劇場音楽監督、バイエルン国立歌劇場音楽総監督、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団楽長、ニューヨーク・フィルハーモニック音楽監督、ベルリン・ドイツ・オペラ音楽監督を務めた、フルトヴェングラー、トスカニーニと並び称された巨匠中の巨匠である。第二次世界大戦が勃発するとスイスからアメリカへと逃れた。アメリカでは、カリフォルニア州ビバリーヒルズに居を構え、ニューヨーク・フィルハーモニックやメトロポリタン歌劇場などを指揮した。(LPC)


◇クラシック音楽LP◇モーツァルト:フェレンツ・フリッチャイ指揮ウィーン交響楽団のモーツァルト:交響曲第29番/第39番

2025-03-31 09:54:00 | 交響曲(モーツァルト)


モーツァルト:交響曲第29番/第39番

指揮:フェレンツ・フリッチャイ

管弦楽:ウィーン交響楽団

録音:1961年3月13、23、25日、ウィーン、ムジークフェラインザール

LP:ポリドール(ドイツグラモフォン) MGW 5177
 
 モーツァルトの交響曲第29番は、1773年の暮れからから翌年の春にかけて作曲された9曲の交響曲の中の一曲。5曲目までがイタリア風序曲の形式であるのに対し、残りの4曲はウィーン風の4楽章で構成され、第29番はこの3番目の曲として、ザルツブルクで作曲された。当時、この地にいたハイドンの5歳年下の弟のヨハン・ミヒャエル・ハイドン(1737年―1806年)の影響を強く受けた作品と言われている。ヨハン・ミヒャエル・ハイドンは、宮廷及び大聖堂オルガニストを務め、交響曲もモーツァルトと同じく40曲あまり遺している。交響曲第29番は、若きモーツァルトの傑作交響曲と目され、将来のモーツァルト像を予見することができる作品として、現在でもしばしば演奏されている。一方、1788年に作曲された交響曲第39番は、明るくおおらかな交響曲として、この曲も現在でもしばしば演奏される名曲。当時モーツァルトは、極端な貧困に陥っていたことを忘れるほど、ウィーン情緒満点の優美さを備えた交響曲ではあるが、時折、明るさのかげに暗いかげが忍び寄っていることも聴き取れる。このモーツァルトの2曲の傑作交響曲を演奏するのが、フェレンツ・フリッチャイ指揮ウィーン交響楽団。フェレンツ・フリッチャイ(1914年―1963年)は、第二次世界大戦後を代表する指揮者の一人。ハンガリーのブタペストに生まれ、ブタペスト音楽院でコダーイとバルトークに師事する。1949年からベルリンの市立歌劇場とRIAS交響楽団の首席指揮者を務める。1961年からはベルリン・ドイツ・オペラの総監督に就任するが、これから円熟期に入ろうとする1963年2月20日に48歳という若さで亡くなってしまう。フリッチャイの指揮ぶりは、求心力があり、力強くてスケールの大きい構成力が身上であるが、このLPレコードの交響曲第29番の指揮では、従来のフリッチャイのイメージを一新させるように、優雅で軽々と軽快なテンポで演奏している。特にオーケストラの自主性に期待しているかのような指揮のため、第29番特有の楽しさがリスナーにストレートに伝わってくる。一方、交響曲第39番の演奏は、従来のフリッチャイの特徴に戻り、スケールを大きく構え、集中力を高めた演奏となっており、聴き終わった後、リスナーは大きな満足感に浸ることができる。それでも、ここでのフリッチャイの指揮は、いつもよりは抑え気味に進行させているように私には聴こえる。このことが結果的に、第39番の持つウィーン情緒を色濃く前面に出すことに成功しているようだ。この2曲の代表的名盤であり、録音状態も素晴らしい。(LPC)


◇クラシック音楽LP◇カラヤン指揮ベルリン・フィルのモーツァルト:交響曲第40番/交響曲第41番

2023-08-14 09:40:12 | 交響曲(モーツァルト)


モーツァルト:交響曲第40番
       交響曲第41番「ジュピター」

指揮:ヘルベルト・カラヤン

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

LP:東芝音楽工業 EAA‐101

 モーツァルトは、41曲の交響曲を作曲したが、最後の第39番、第40番、第41番の3つの交響曲は、1788年の夏から、たった2カ月間のうちにつくられたというから驚きだ。この3曲の最後の交響曲は、内容が特別に充実しているところから世にモーツァルトの“三大交響曲”と言われている。今回のLPレコードは、この“三大交響曲”のうち、40番と41番の2曲が、カラヤン指揮ベルリン・フィルの演奏で収められている。40番は、かつて小林秀雄が「モオツァルトのかなしさは疾走する」と表現したように、淡い悲壮感が全曲を覆い、私が最初にこの曲を聴いたときなどは、何ともやるせない想いが心の底から湧きあがって来たのを思い出す。モーツァルトの短調を主調とする作品の一つで、ト短調で書かれている。ここには、いつもの快活明朗なモーツァルトの姿はなく、曲全体に悲壮感がこれでもかとばかり漂う。しかし、このような短調の作品があるからこそモーツァルトの音楽の世界が大きな広がりを持つことになるのだと思うと、貴重な曲であることを再認識させられる。一方、41番は、実に堂々とした構成を持ち、モーツァルトの交響曲の最後を飾るのに、誠に相応しい奥行きのある大作である。ニックネームの「ジュピター」は後世の誰かが「ジュピター神を思わせる神々しい力強さを連想させる」と言ったことから付けられたようだ。カラヤンの指揮ぶりは、数多く存在するこの2曲の録音の中でも、一際突出した出来栄えを示している。ここでのカラヤンの指揮は、いつもの豪華絢爛一辺倒のイメージとは懸け離れ、むしろ控えめで緻密な演奏に終始する。カラヤンらしさを求めて聴くと肩透かしを食うかもしれない。40番の第1楽章の出だしなどは、耳を澄まして聴かねばならないほどの静寂さだ。全曲この雰囲気の演奏で終始するが、徐々に聴き進むうちに、モーツァルトの音とカラヤンの指揮とが渾然と一体化され、その悲しさが内面から自然に湧き上がって来るのだ。一方、41番「ジュピター」は、40番とがらりと変わり、実に奥行きが深い、恰幅のいい大きな構成力を持った演奏内容だ。ここでも従来我々が持っているカラヤンの印象とは異なり、モーツァルトの厚みのある音の響きが、ゆっくりとしたテンポでずしりと迫ってくる。ベルリン・フィルも柔軟性を持った演奏に終始し、素晴らしい演奏を聴かせる。“アンチ・カラヤン”のリスナーにも一度は聴いてほしい名録音なのである。(LPC)


◇クラシック音楽LP◇ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルのモーツァルト:交響曲第39番/ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ミューズの神を率いるアポロ」(ライブ録音盤)

2023-05-22 09:41:36 | 交響曲(モーツァルト)


モーツァルト:交響曲第39番
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ミューズの神を率いるアポロ」

指揮:エフゲニー・ムラヴィンスキー

管弦楽:レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1965年2月モスクワ音楽院大ホール(ライブ録音)

発売:1977年

LP:ビクター音楽産業 VIC-5069

 このLPレコードは、1965年2月モスクワ音楽院大ホールにおけるライブ録音である。ロシアの名指揮者エフゲニー・ムラヴィンスキー(1903年―1988年)の遺した数ある録音の中でもライヴ録音は珍しく、巨匠のナマの演奏を聴くことができる貴重な録音だ。ムラヴィンスキーは、実に50年(1938年―1988年)にわたってレニングラード・フィルハーモニー交響楽団首席指揮者を務めたが、レパートリーは、主にショスタコーヴィチやチャイコフスキーなどロシアものを得意とした。ムラヴィンスキーの指揮は、オーケストラに一糸乱れることのない演奏をさせ、リスナーはそのことに釘づけになるが、ムラヴィンスキーの真の偉大さは、それだけで終わらないところにある。その曲の本質をぐっと握りしめ、それをリスナーの前に明確に示すことによって、感動をリスナーに共感させることにある。つまり、単なる音の羅列でなく、作曲家が楽譜に込めた思いが、ムラヴィンスキーの棒を通して伝わってくる。これは例え幾多の指揮者がいようが、ムラヴィンスキーしかなしえない神業なのだ。このLPレコードのモーツァルト:交響曲第39番は、そんなムラヴィンスキーの特徴を十二分に聴いて取れるライブ録音なのである。ゆっくりとしたテンポの中に、実に奥行きの深い演奏に仕上がっている。それでいて、とっても温かみのある演奏なのだから、一度聴いたらたちまちのうちにムラヴィンスキーファンになるということが少しも不思議には感じられない。静寂の中に熱い思いを込めた指揮ぶりは、何度繰り返し聴いても飽きることはない。もっとも体調が悪いときはムラヴィンスキーの指揮は聴かない方がいいかもしれない。その理由は、聴くこと自体がムラヴィンスキーと共感することになるので、聴くことがあたかもリスナー自身が指揮者になることを意味し、聴き終わったときはぐったりと疲れ果ててしまうからだ。もっとも、これは心地よい疲れなのだが・・・。B面に収容されているストラヴィンスキー:バレエ音楽「ミューズの神を率いるアポロ」は、ストラヴィンスキーが新古典主義の作風に入った時の曲だけに聴きやすく、聴いていて心地よい作品だ。ここでのストラヴィンスキーの指揮ぶりは、モーツァルトやチャイコフスキー、それにベートーヴェンなどを指揮する時とはがらりと様相を変え、実に楽しげに指揮をしている。ムラヴィンスキーの別の一面が垣間見えて、楽しい一時を過ごすことができる。(LPC)


◇クラシック音楽LP◇パブロ・カザルス指揮マールボロ音楽祭管弦楽団のモーツァルト:交響曲第38番「プラーハ」/ 交響曲第39番

2022-01-10 09:45:25 | 交響曲(モーツァルト)


モーツァルト:交響曲第38番「プラーハ」
       交響曲第39番

指揮:パブロ・カザルス

管弦楽:マールボロ音楽祭管弦楽団

録音:1968年7月7日&14日(第38番)/1968年7月12日(第39番)、米国マールボロ(ライヴ録音)

LP:CBS/SONY 13AC 947

 このLPレコードは、マールボロ音楽祭(米国バーモント州)における “チェロの神様” パブロ・カザルス(1876年―1973年)が指揮したライヴ録音盤である。カザルスは、スペインのカタルーニャ地方の出身で、チェロの近代的奏法を確立したことで知られる。その演奏内容は、深い精神性に根差したもので、20世紀最大のチェリストとも言われる。特に、「バッハの無伴奏チェロ組曲」(全6曲)の価値を再発見し、広く知らしめたことで知られる。また、カザルスは平和活動家としても名高く、あらゆる機会を捉え、音楽を通じて世界平和を訴え続けた。最晩年の1971年10月24日には、ニューヨーク国連本部においてチェロの演奏会を行い、「私の生まれ故郷カタロニアの鳥は、ピース、ピース(平和)と鳴くのです」と語り、「鳥の歌」を演奏したことが、当時大々的に報道され、日本でも大きな話題を呼んだ。カザルスはその2年後、96年の生涯を終えている。指揮はいつ頃から開始したかというと、1908年(32歳)からのようだ。マールボロ音楽祭は、1951年にピアノの巨匠ルドルフ・ゼルキンらによって始められたが、このLPレコードでのカザルスの指揮は、これまでのモーツァルトの音楽の概念を一掃してしまう程、実に堂々とした構成美で貫かれている。流麗なモーツァルトでなく、男性的な力強いモーツァルト像を描き出す。第38番「プラーハ」は、ゆっくりとしたテンポと軽快なテンポを相互にからみつかせて、実に爽やかなモーツァルト像を描く。一方、第39番は、どの指揮者よりもスケールが大きく、雄大なモーツァルトの音楽を構築しており、モーツァルトがこの曲に投入したエネルギーの全てを、カザルスは我々の前に余す所なく再現してくれている。私は、こんなに堂々とした第39番をこれまで聴いたことがない。いずれの録音も演奏中のカザルスの肉声が入っていることでも分る通り、カザルスはその音楽性をこの演奏に全て投入したことが歴然と分る演奏内容だ。他に較べるものがないくらい風格のある演奏であり、同時に記念碑的な貴重な録音でもある。このLPレコードのライナーノートに諸井 誠(1930年―2013年)は、「カザルスはモーツアルトのシンフォニーを、遠慮会釈なくドラマチックに表現してみせる。時にはグロテスクなほどに・・・。そこには、これまで私の知らなかったモーツァルト像がある。 ・・・それにもかかわらず、超絶の人、パブロカザルスは、依然として私を敬虔な気持ちにさせるのである」と書いている。(LPC)