★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇ワレーズ&リグットによるシューマン:ヴァイオリンソナタ第1番/第2番

2020-06-29 09:48:18 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

シューマン:ヴァイオリンソナタ第1番/第2番

ヴァイオリン:ジャン・ピエール・ワレーズ

ピアノ:ブルーノ・リグット

発売:1975年

LP:キングレコード SLA 6013
 
 シューマンは、全部で3曲のヴァイオリンソナタを作曲している。それらの曲は、このLPレコードに収録されている第1番と第2番、それにシューマンが第2楽章と第4楽章を作曲したFAEソナタである。FAEソナタのFAEとは、ブラームスのヴァイオリン協奏曲の初演を行ったことで後世に名を残すことになったヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒム(1831年ー1907年)のモットーであった「自由だが孤独に(Frei aber einsam)」に基づいて書かれたためで、シューマンのほかに第1楽章がディートリヒ、第3楽章がブラームスが担当して作曲された。いずれのヴァイオリンソナタも、シューマンの最晩年の1850年代に書かれている。シューマンは、“室内楽の年”や“歌の年”などのように、一つのジャンルの曲を集中的に作曲する傾向があったが、遺作のヴァイオリン協奏曲を含め、差し詰め最晩年は“ヴァイオリンの年”とでも言えようか。第1番と第2番のヴァイオリンソナタは、いずれも1851年の秋に作曲された。第1番のヴァイオリンソナタは、3つの楽章からなる比較的短い曲であるが、豊かなメロディーがロマンティックな効果を上げている曲であり、特にヴァイオリンとピアノのバランスが良く書かれた愛すべき作品。第2番は、4つの楽章からなる堂々とした本格的なヴァイオリンソナタ。ヨアヒムはこの第2番を同時代の中で最も優れた曲と高く評価したという。このLPレコードで演奏しているのは、ヴァイオリンがジャン・ピエール・ワレーズ、ピアノがブルーノ・リグット。ジャン・ピエール・ワレーズは、1939年にフランスで生まれる。1957年「ロン=ティボー国際コンクール」で優勝を果たす。1965年にフランスの若手演奏家によって結成されたフランス室内合奏団のリーダーとなったほか、パリ管弦楽団のコンサートマスターも務めた。ブルーノ・リグットは、1945年パリ生まれ。「ロン=ティボー国際コンクール」での優勝経験を持つが、名ピアニストであったサンソン・フランソワの唯一の弟子であったことでも知られる。このフランスの若きコンビによるシューマは、実に繊細で、優雅な雰囲気を持った演奏内容となった。第1番の演奏では、もともと愛らしい性格を持っているこの曲を、一層愛らしさが増したかような雰囲気を醸し出している。一方、第2番の演奏は、背筋をピーンと張ったかのように適度の緊張感を伴った演奏内容になった。いずれも、ドイツ人の演奏家とは一線を画したような、繊細な演奏ぶりであり、これらの曲から新鮮な一面を引き出すことに成功している。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇名指揮者オイゲン・ヨッフム指揮バイエルン放送交響楽団員のモーツァルト:「13楽器のためのセレナーデ」

2020-06-25 10:13:27 | 室内楽曲

モーツァルト:セレナーデ第10番「13楽器のためのセレナーデ」

指揮:オイゲン・ヨッフム

管楽:バイエルン放送交響楽団員

発売:1974年

LP:ポリドール KI 7306
 
 ディヴェルティメントが室内で演奏される曲を指すのに対して、セレナーデは屋外で演奏される曲を言う。両方とも、かつて貴族階級が催し物などを行う際に、その付随音楽としての意味合いを持ったものあり、通常は耳触りが良くて、気軽に聴ける作品がほとんどである。ところが、今回のLPレコードに収録されているモーツァルト:セレナーデ第10番「13楽器のためのセレナーデ」は、そんなセレナーデのイメージを一新するような充実した作品である。明るく、聴きやすいという点では、セレナーデの特徴を備えているが、内容は、何かの催しのバックグランド音楽などという範疇をはるかに超えて、一つの芸術作品として、コンサートホールで聴くのが一番似合うほどの作品に仕上がっている。モーツァルトはこの曲を25歳の時、ミュンヘンで作曲した。ミュンヘンの宮廷楽団の管楽器奏者のために作曲したのである。楽譜の表紙に“グラン・パルティータ(大きな組曲)”と書かれている通り(モーツァルトが書いたものではないようだが)、全部で7楽章からなり、演奏時間は40分を超える。これほど大規模なセレナーデともなると、通常なら一気に聴きと通すと飽きがくるものだが、モーツァルトの天分は、これほど長いセレナードでも、最後まで緊張感を持って聴き通すことができる曲に仕上げた。ここでの演奏は、オイゲン・ヨッフム指揮バイエルン放送交響楽団の管楽器奏者によるもの。バイエルン放送交響楽団は、ドイツ・バイエルン州ミュンヘン、ヘラクレス・ザールのホールに本拠を置く、バイエルン放送専属オーケストラ。設立は1949年と比較的歴史の浅いながら、現在ではドイツを代表オーケストラの一つとして、高い評価を受けている。この初代首席指揮者を務めたのがバイエルン出身のオイゲン・ヨッフム(1902年―1987年)で、ハンブルク国立歌劇場音楽総監督、バイエルン放送交響楽団首席指揮者、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団首席指揮者、バンベルク交響楽団首席指揮者などを歴任したほか、ロンドン交響楽団では桂冠指揮者も務めた。バイロイト音楽祭にもたびたび出演。オイゲン・ヨッフムの指揮ぶりは、地道な正統派であり、カラヤンのようなスター性はなかったように思う。要するに玄人好みの指揮者であった。このLPレコードでは、ヨッフムが天塩に掛けて育て上げたバイエルン放送交響楽団の管楽器奏者に対して、持ち味である正統的でがっちりとした構成美に基づいた指揮を繰り広げる。比較的ゆっくりとしたテンポで推移するが、特に管楽器の美しい音色が強く印象に残る演奏内容だ。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇クリスタ・ルートヴィッヒのマーラー:さすらう若人の歌/亡き子をしのぶ歌

2020-06-22 09:43:49 | 歌曲(女声)

マーラー:さすらう若人の歌
     亡き子をしのぶ歌

メゾ・ソプラノ:クリスタ・ルートヴィッヒ

指揮:エードリアン・ボールト(さすらう若人の歌)
   アンドレ・ヴァンデルノート(亡き子をしのぶ歌)

管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団

録音:1958年10月18日~19日、ロンドン、EMIスタジオ

LP:東芝EMI EAC‐40095
 
 マーラーと歌曲は、切っても切れない関係にある。交響曲にも歌を取り入れ、ベートーヴェンが切り開いた交響曲と歌の組み合わせスタイルを、さらに発展させることに成功した。マーラーの歌曲単独の作品としては「子供のふしぎな角笛」や、今回のLPレコードに収録された「さすらう若人の歌」「亡き子をしのぶ歌」などが知られている。この2曲は、男性歌手でも女性歌手でも歌われるが、「さすらう若人の歌」は男性歌手が、「亡き子をしのぶ歌」は女性歌手が、歌うことが多いようである。「さすらう若人の歌」は、当時カッセル歌劇場の補助指揮者であったマーラーが、23歳の時に書いた、自作の詩による4つの連作歌曲集である。第1曲は、愛するものを失った若者の悲しみ、第2曲は、陽光を浴びた万物の喜びと、すべての幸福から取り残された者の悲しみ、第3曲は、激しい前奏に続いて、胸を灼く苦痛が激情的に歌われ、第4曲は、夢破れてさすらう若者の悲しみが歌われる。一方、「亡き子をしのぶ歌」は、ウィーン宮廷歌劇場時代の1900年から1902年にかけて作曲された。テキストは、リュッケルトの同名の詩による。この曲は、時々、マーラーが自身の子供の死を歌った作品と紹介されるが、実際は、子供の死の前に書かれた。この辺の経緯を、このLPレコードのライナーノートで西野茂雄氏は、「マーラーの愛児の死を動機として生まれたものではない。あまりに生々しい素材であり、おそらくマーラー自身の言葉のように“当時子供があったとしたら到底書けなかった”ような作品」と記している。しかし皮肉にも、マーラーは、この曲を作曲した後、短い間に2人の幼い娘を亡くしてしまうのである。このLPレコードで、これらの2曲を歌っているのは、ベルリン生まれのメゾソプラノ歌手クリスタ・ルートヴィヒ(1928年生まれ)である。1962年にオーストリア宮廷歌手の称号を受け、1994年に引退した。その歌声は、実に暖かく、しかも安定感に富んでいて、安心して聴くことができる歌手の一人だ。このLPレコードでもその長所を如何なく発揮している。「さすらう若人の歌」においては、若者の苦悩を実に巧みに表現することに成功している。大上段に構えるのではなく、若者の心情を心の底からの共感で歌い込む。一方、「亡き子をしのぶ歌」では、愛するわが子を失った母親の悲しみが、リスナーにひしひしと伝わってくる。この曲でも、クリスタ・ルートヴィッヒは、淡々とした表情で歌い通す。しかし、それは深い悲しみへの共感に貫かれたものだけに、悲しみが何倍にも膨らんでリスナーに届く。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇バレンボイム指揮イギリス室内管弦楽団のシェーンベルク:浄夜/ワーグナー:ジークフリート牧歌/ヒンデミット:ヴィオラと弦楽合奏のための葬送音楽

2020-06-18 09:38:39 | 管弦楽曲

シェーンベルク:浄夜
ワーグナー:ジークフリート牧歌
ヒンデミット:ヴィオラと弦楽合奏のための葬送音楽

指揮:ダニエル・バレンボイム

管弦楽:イギリス室内管弦楽団

ヴィオラ:セシル・アロノヴィッツ(ヒンデミット)

LP:東芝EMI EAC‐30336
 
 このLPレコードの1曲目はシェーンベルク:浄夜。この曲は、1899年、シェーンベルクが25歳の時にウィーンで作曲した弦楽六重奏曲が元の曲。リヒャルト・デーメルの、月下の男女の語らいが題材となっている同名の詩「浄夜」に基づいて作曲されている。シェーンベルクというと無調音楽や12音階音楽の創始者というイメージが強いが、この作品は後期ロマン派、とりわけワーグナーやブラームスから影響を受けた作品で、半音階や無調の要素を取り入れはいるものの、いわゆる現代音楽とは程遠い作品だ。全体はデーメルの詩に対応した5つの部分からなる、30分ほどの単一楽章からなっている。つまり、この曲は、完全に表題音楽であり、しかも室内楽曲という非常に珍しい形態の曲だ。この曲を聴くには、デーメルの詩「浄夜」をあらかじめ読んでおく必要がある。このLPレコードには、その一節が54行にわたって紹介してある(入野義朗訳)ので、鑑賞には打って付けである。シェーンベルクは、この曲を、1917年に自ら弦楽合奏用に編曲した。2曲目は、ワーグナー:ジークフリート牧歌。この曲は、室内オーケストラのための作品で、妻コジマへの誕生日の贈り物として作曲されたもの。1870年12月25日に、スイスのルツェルン湖畔の自宅のコジマの寝室の傍らの階段に陣取った15人の楽士と作曲者自身の指揮で演奏された。それを聴いた妻のコジマは大変感激したと言われている。3曲目は、ヒンデミット:ヴィオラと弦楽合奏のための葬送音楽。この曲は、8分ほどの短い曲。ちょうどヒンデミットがロンドンに滞在していた時に、国王のジョージ5世が崩御され、哀悼の曲として作曲されたもので、ヒンデミットは、徹夜をして一晩で仕上げたという。全体は、4つの部分からなるが、全楽器が弱音器をつけて演奏する終曲は、コラール「我汝の玉座の前に立つ」の旋律に基づいている。このLPレコードは、まずこれら3曲の選曲のセンスの良さが光る。それと、名ピアニストであるダニエル・バレンボイムが、指揮者としても超一流の腕を持っていることを証明した初期の頃の録音内容だ。イギリス室内管弦楽団とバレンボイムとが一体化し、芳醇な音質に加え、微妙なニュアンスの表現が一際優れている。とりわけ、シェーンベルク:浄夜では、緊迫した男女のやり取りを巧みに表現し尽して、同曲の録音の中でも最高のレベルに位置づけられよう。ワーグナー:ジークフリート牧歌では穏やかな表現力が光るし、ヒンデミット:ヴィオラと弦楽合奏のための葬送音楽では、鎮魂の思いがよく表現されている。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇クララ・ハスキルのドメニコ・スカルラッティ:ソナタ集

2020-06-15 09:50:55 | 器楽曲(ピアノ)

~ドメニコ・スカルラッティ:ソナタ集~

     嬰ハ短調 L.256(K.247)
     ト長調  L.388(K.2)
     ハ長調  L.457(K.132)
     ト短調  L.386(K.35)
     変ホ長調 L.142(K.193)
     ヘ短調  L.171(K.386)
     ヘ短調  L.475(K.519)
     イ長調  L.483(K.322)
     ロ短調  L.33 (K.87)
     ハ長調  L.255(K.515)
     ヘ長調  L.278(K.437)

ピアノ:クララ・ハスキル

LP:日本コロムビア(ウェストミンスター) OW-8057-AW
 
 これは、ドメニコ・スカルラッティ(1685年―1757年)のチェンバロのためのソナタ集を、名ピアニスであったクララ・ハスキル(1895年―1960年)がピアノで演奏したLPレコードである。ドメニコ・スカルラッティは、イタリアのナポリに生まれ、スペインのマドリードで没した作曲家。同年にはJバッハとヘンデルが生まれており、後にいずれもがバロック音楽の大輪の花を咲かせることになるが、ドメニコ・スカルラッティは、ナポリ楽派の祖とまで言われるまでになった人物。ドメニコ・スカルラッティは、ナポリで教会付き作曲家兼オルガン奏者となったが、音楽を教えていたポルトガルのバルバラ王女がスペイン王家に嫁いだため、ドメニコ・スカルラッティもマドリードへ行き、王妃の作曲家として騎士の位を受け、25年もの間をスペインで過ごすことになる。オペラや宗教曲も書いたが、チェンバロのための練習曲を数多く書いた。それらはソナタと呼ばれているが、ソナタといっても現在のピアノソナタとは大きく異なり、いずれも短い練習曲風小品といった趣の曲だ。これらの曲は、現代のピアノで弾いても、現代風に生き生きと光り輝くといった性格を持っている曲であるため、現在でもたびたび演奏される。一曲一曲が独特の個性を持ち、いずれも軽快なテンポで一気に弾かれる。こんなところが、現代人の感覚にも合うのかもしれない。これらのソナタは、1910年に、アレッサンドロ・ロンゴが整理番号を付けて出版したものがロンゴ版(L番号/545曲)、また、ラルフ・カークパトリックが整理番号を付けて出版したものが、カークパトリック版(K番号/555曲)として知られている。ピアノのクララ・ハスキルは、1895年にルーマニアのブカレストに生まれる。10歳でパリ音楽院に入学。15歳で最優秀賞を得て卒業した後、ヨーロッパ各地で演奏旅行を行う。フランスを活動の拠点としていたが、ユダヤ系であったためスイスに出国。第二次世界大戦後は、スイスとオランダを拠点とするようになった。 1950年以後に、脚光を浴び始める。豊かな感受性に加え、鋭い感受性がハスキルの演奏様式の特色となっていた。しかし、 ブリュッセルの駅で転落した際に負った怪我がもとで急死した。スイスでは1963年より「クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクール」が開かれている。ここでのクララ・ハスキルの演奏は、彼女の持ち味を存分に発揮し、天上の音楽を弾くがごとく、典雅にして美しく展開され、時が経つのも忘れるほど。リスナーは、夢幻の空間を彷徨うような、至福の一時を味わうことができる。(LPC)

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