★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇ゲザ・アンダ&フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団のバルトーク:ピアノ協奏曲第2番/第3番

2024-05-23 09:37:04 | 協奏曲(ピアノ)


バルトーク:ピアノ協奏曲第2番/第3番

ピアノ:ゲザ・アンダ

指揮:フェレンツ・フリッチャイ

管弦楽:ベルリン放送交響楽団

録音:1959年9月10日、15日、16日(第2番)/1959年9月7日~9日(第3番)、ベルリン、イエス・キリスト教会

LP:ポリドール SE 7102(ドイツ・グラモフォン MG 2221)

  バルトークは、生涯で3曲のピアノ協奏曲を作曲したが、このLPレコードにはそのうち第2番と第3番とが収められている。第2番は、1930年から1931年にかけて作曲された曲。ロマン派のピアノ協奏曲に慣れた耳には、最初に聴くと違和感に捉われるが、何回か聴いていくとピアノを打楽器のように扱う面白さや飛び跳ねるような軽快なリズム感に共感を覚えるようになってくる。ロマン派のピアノ協奏曲では朗々としたメロディーが奏でられ、それがアピール点に繋がっている曲がほとんどであるが、このバルトークのピアノ協奏曲第2番は、断片的なメロディーが、手を変え品を変え、現れては消え、また現れるといった具合で、一時も気を休める暇はない。この曲は、ピアノ演奏の最高度の技法を必要とするそうであるが、リスナーだってうかうかとしていられない。バルトークの才気あふれる楽想に付いて行こうとするなら、とてもぼんやりとは聴いてはいられないのだ。しかし、全3楽章を聴き通してみると、これほど音楽の可能性にチャレンジして、そして成果を挙げたピアノ協奏曲は滅多にないことを実感できる。第3番のピアノ協奏曲は、1945年の春から書き始められた。バルトークの死は1945年9月26日であるから、作曲当時、既に重い白血病におかされ、最後の17小節は遂に書くことが出来なかった。この第3番は、第2番とは趣がらりと変わり、ロマン派のピアノ協奏曲を思わせる朗々とした美しいメロディーに彩られている。一般的には第3番の方が聴きやすい曲であると言える。このためバルトークが古典へ回避したと非難する向きがないわけではないが、曲自体はそんな俗論をはねのけるような精神性の高みに立った内容を持つ。白鳥の歌とも言える深い孤独感や音楽に対する純粋性などから、バルトーク最高の傑作とする見方すらある。ピアノのゲザ・アンダ(1921年―1976年)は、卓越した技巧で、この2曲の真髄を見事に弾き分けており、見事というほかない。フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団も、その持てる力を存分に出し切った白熱の演奏内容で応える。バルトークの曲は、その多くはとっつき易いとはとても言えないが、音楽的な充実度では、他に比肩するものがないほどの高みに達している。そのことは、このLPレコードを聴けば、誰でもが納得することができる。(LPC)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽LP◇ルドルフ・ゼルキンのベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番/第2番

2024-04-22 09:51:09 | 協奏曲(ピアノ)

 

 

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番/第2番

ピアノ:ルドルフ・ゼルキン

指揮:ユージン・オーマンディ

管弦楽:フィラデルフィア管弦楽団

録音:1965年1月14日

LP:CBS/SONY 18AC 747

 ベートーヴェンは、全部で5曲のピアノ協奏曲を遺しているが、この中で第3番、第4番、第5番が有名であり、演奏会でもしばしば取り上げられている。それらに対し、このLPレコードに収録されている第1番と第2番は、人気の点でもイマイチであり、演奏会でもそう取り上げられることも無い。どちらかというと日陰の存在の曲とでも言ったらいいのであろうか。ところが、改めてこの2曲をじっくりと聴いてみると、何故人気が無いのかわからいほど、内容が充実しており、何よりも若き日のベートーヴェンの心意気がストレートにリスナーに伝わってきて、聴いていてその良さがじわじわと感じられるのが何よりもいい。このことは、宇野功芳氏も「新版 クラシックCDの名盤」(文春新書)の中で、「たしかにベートーヴェンの個性は第3番で花開いているが、魅力の点では第1番、第2番の方が上だと思う」と書いていることでも分ろう。作曲されたのは第2番が最初で、その後に第1番がつくられたと言われているが、曲の雰囲気は2曲とも似ており、いずれもモーツァルトのピアノ協奏曲を彷彿とさせるようなところがベースとなり、その中に後年のベートーヴェンを思わせるような、強固な意志の強さが各所で顔を覗かせる。つまり、モーツァルトのピアノ協奏曲が典雅な趣と憂愁の美学に貫かれているのに対し、このベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番と第2番は、その上にさらに男性的な強固な意思の力強さが全体を覆う。このLPレコードで演奏しているルドルフ・ゼルキン(1903年―1991年)は、そんな2曲のピアノ協奏曲を演奏するのに、これ以上のピアニストはあり得ないとでも言ってもいいような充実した演奏を披露している。あくまで背筋をぴんと伸ばしたような演奏であり、新即物的表現に徹し、決して情緒に溺れずに、ベートーヴェンの持つ力強さを余すところ無く表現し切っている。ユージン・オーマンディ(1899年―1985年)指揮フィラデルフィア管弦楽団も、メリハリの利いた伴奏でこれに応える。この2曲を聴き終えて、久しぶりに若き日のベートーヴェンの世界を、思う存分満喫することができた。ルドルフ・ゼルキンは、ボヘミアのエーゲル(ヘプ)出身。1915年、12歳でウィーン交響楽団とメンデルスゾーンのピアノ協奏曲を共演してデビュー。1939年、アメリカに移住、カーティス音楽院で教鞭をとる。1951年、マールボロ音楽学校と同音楽祭を創設した。(LPC)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシックLP◇シフラのリスト:ピアノ協奏曲第1番/第2番

2024-02-26 09:37:22 | 協奏曲(ピアノ)

 

リスト:ピアノ協奏曲第1番/第2番

ピアノ:ジョルジ・シフラ

指揮:アンドレ・ヴァンデルノート

管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団

LP:東芝EMI(SERAPHIM) EAC‐30040

 リストは、ピアノ協奏曲を2曲遺しているが、このLPレコードにはこれら2曲が、“リストの再来”と当時言われた伝説のピアニストのジョルジ・シフラ(1921年―1994年)によって録音されている。第1番と第2番とは、共に技巧的なピアノ協奏曲ではあるが、現在では圧倒的に第1番の人気が高く、第2番が演奏される機会は少ない。第1番は、当時ピアニストとしての名声が高かったリストが1830年頃から作曲を開始し、ワイマールに定住し、作曲に専念するようになった1849年に完成した。初演は、1852年、ワイマールの宮廷演奏会において、ベルリオーズの指揮、リスト自身のピアノで行われたというから、当時さぞや話題を集めたであろうことが想像される。最終的に現在の曲となったのは1857年という。この曲は4つの楽章からなるが、全体は途切れることなく演奏される。第2番は、1839年に作曲されたが、その後何回かの改訂が行われ、一応の完成をみたのが1849年。初演は1857年にワイマールにおいて、リストの指揮、弟子のハンス・フォン・ブロンサントのピアノで行われた。しかし、その後も改訂が行われ、現在の形になったのは1863年という。全体は6つの部分からなるが、第1番と同様、全体は途切れることなく演奏される。今回、改めて第2番を聴いたが、なかなか技巧的な曲であり、完成度も高く、もっと演奏されてしかるべき協奏曲だと私は思うのだが・・・。このLPレコードでピアノ独奏をしているのが、超絶技巧で一際名高い、ハンガリー出身のピアニストのジョルジュ・シフラである。シフラは、ブダペストにてロマの家系に生まれる。要するにシフラには、もともとジプシーの血が流れていたのである。このLPレコードでも、シフラの持ち味が最大限に発揮されており、第1番の演奏では、ゆくりとした独特のテンポで、まるでオペラ歌手がアリアを歌うが如く、ピアノを弾いているのが聴き取れる。シフラの演奏には、高い技巧の奥に、常に何かほの暗い情念みたいものが、纏わりついているかのような印象を受ける。このことがジプシー精神そのものであろうことに、このLPレコードでリストの2曲の協奏曲を聴き終わったリスナーは、自然と納得させられるに違いない。指揮をしているのは、ベルギー、ブリュッセル出身のアンドレ・ヴァンデルノート(1927年―1991年)。1960年にモネ劇場の音楽監督になり、1974年からベルギー国立管弦楽団の音楽監督を務めた。(LPC)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽LP◇リヒテルのチャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番/ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番

2024-02-19 09:41:42 | 協奏曲(ピアノ)

 

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番

ピアノ:スヴャトスラフ・リヒテル

指揮:エフゲム・ムラヴィンスキー(チャイコフスキー)     
   クルト・ザンデルリンク(ラフマニノフ)

管弦楽:レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

発売:1974年

LP:日本フォノグラフ(フォンタナ・レコード) FG-229 MONC

 このLPレコードのA面に収められたチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番は、数多くあるこの協奏曲の録音の中でも、決定盤と言っても過言ではない程の名盤中の名盤である。リヒテルのチャイコフスキーのピアノ協奏曲の録音では、一般的にはカラヤンとの共演盤が広く知られているが、録音状態はともかく、演奏内容では、このムラヴィンスキーとの共演盤の方が一歩上を行く。リヒテルの恐るべき確信に溢れたピアノ演奏は、聴いていると背筋が凍りつほどである。スケールは限りなく大きく、同時に細部に渡って一部の隙もない演奏は、見事というほかはない。地底から響き渡るような力強さは、男性的な演奏の典型的なものであると同時に、一転して詩的な情緒が、一面に香り立つ様な見事な演奏によって、リスナーはこの名協奏曲の真髄に存分に浸ることができる。ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルの伴奏も見事なもので、決して前面に出ることはないが、リヒテルのピアノ演奏の精神と一体化し、この協奏曲を一層奥深いものにすることに成功している。一方、B面のラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番は、演奏そのものは、ほぼチャイコフスキーの協奏曲とほぼ同じことが言えるが、チャイコフスキーの協奏曲の完成度ほどまでには至っていないように私には聴こえる。スヴャトスラフ・リヒテル(1915年―1997年)は、ドイツ人を父にウクライナで生まれる。1960年にアメリカ各地でコンサートを行い、センセーショナルな成功を収めた。その卓越した演奏技術から“20世紀最大のピアニスト”とも称された。1970年に初来日。それ以降はたびたび来日してリサイタルを開き、日本の音楽ファンにもなじみ深い存在であった。ところで、私は、このLPレコードのライナーノートの解説者の名に「藤田晴子」と記載されているのを見つけて、懐かしい思いが自然と込み上げてきた。藤田晴子(1918年―2001年)は、自身ピアニストであると同時に、当時音楽評論家としても広く知られ多存在で、昭和21年、女性で初めて東京大学法学部に入学。法学者として選挙制度審議会委員なども務めた多彩な能力の持ち主であった。私がクラシック音楽のリスナーとして目覚め始めたころ、藤田晴子が書いた著作物を読んだり、ラジオの解説などを聞いたりした記憶がある。2009年には、故人の功績を称え、岩手県八幡平市に「藤田晴子記念館」が開館された。(LPC)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

◇クラシック音楽LP◇ゲザ・アンダのモーツァルト:ピアノ協奏曲第26番「戴冠式」/第12番

2024-02-05 09:37:53 | 協奏曲(ピアノ)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番「戴冠式」K.537/第12番K.414

ピアノ&指揮:ゲザ・アンダ

管弦楽:ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団

録音:1965年5月17日~22日、ザルツブルク、祝典小劇場

LP:ポリドール(ドイツ・グラモフォン) SE 7902

 このLPレコードには、名ピアニストのゲザ・アンダが名声を得る切っ掛けとなったザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団を弾き振りし、モーツァルトの名作であるピアノ協奏曲第26番「戴冠式」と第12番が収められており、正に夢の共演盤といったところ。モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番「戴冠式」は、1790年2月にウィーンのオーストリア帝ヨーゼフ二世が亡くなり、その秋に新帝レオポルト二世の戴冠式が行われ、集まった貴族のお金を目当てに作曲され作品で、今日「戴冠式」として親しまれている。一方、1781年、25歳のモーツァルトは、ザルツブルクの大司教と決裂し、新たな生活をウィーンで過ごすと同時にコンスタンツェ・ウェーバーと結婚したこともあり、お金を稼ぐ必要性に迫られていた。そこで、演奏会を企画し、新たなピアノ協奏曲第12番を作曲したのである。こちらの曲も、清新な生命力を持った傑作として知られている。どうもモーツァルトの作曲の切っ掛けとなるのは、お金がらみが多いように思われる。それでも、これらの曲に傑作が多いのは、さすが天才モーツァルトといったところか。このLPレコードで演奏しているゲザ・アンダ(1921年―1976年)は、ハンガリーのブタペスト生まれの名ピアニスト。ブタペスト音楽院を卒業後、メンベルベルクやフルトヴェングラーとの共演で話題となる。第二次世界大戦後に本格的な活動を開始。バルトーク、それにこのLPレコードでも共演しているザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団との共演によるモーツァルトの演奏活動などで名声を得る。残念ながら、これから円熟の境に入ろうという55歳でこの世を去ってしまった。現在では、20世紀の偉大なピアニストの一人に数えられおり、1979年からは若いピアニストに多くの演奏の機会を与える「ゲザ・アンダ国際ピアノコンクール」が開催されている。このLPレコードに収められた演奏からは、ゲザ・アンダとザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団との一身同体化した名演を聴くことができる。実に、緻密な演奏でありながら、如何にもモーツァルトらしい大らかさが全体に溢れれている。ゲザ・アンダのピアノの音色は秋空のように澄みわたり、それが真綿のようなザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団の弦が包み込んで、理想的なモーツァルトの世界を創りあげている。音楽を演奏する者と、それを聴く者とが渾然と一体化できる稀有な録音である。(LPC)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする