★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇エーリッヒ・クライバー指揮パリ音楽院管弦楽団のチャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

2024-05-30 09:38:31 | 交響曲(チャイコフスキー)


チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

指揮:エーリッヒ・クライバー

管弦楽:パリ音楽院管弦楽団

録音:1953年11月

発売:1975年

LP:キングレコード SOL 5013

 クライバーという名前を聞けば、多くの人は指揮者のカルロス・クライバー(1930年―2004年)のことを思い浮かべるであろう。カルロス・クライバーは、 名指揮者として高い評価を受けていたから当然であるが、今回のLPレコードの指揮者のクライバーは、カルロス・クライバーの父親のエーリッヒ・クライバー(1890年―1956年)なのである。エーリッヒ・クライバーは、オーストリアのウィーン出身で、1920年代から30年代にかけての10年以上もベルリン国立歌劇場の音楽監督を務めた歴史上の大指揮者。ヤナーチェックの「イエヌーファ」やベルクの「ヴォツェック」を初演するなど、当時の現代音楽にも積極的であった。1935年のザルツブルク音楽祭出演の後、妻と当時5歳のカルロスらを伴ってアルゼンチンに移住した。1939年~1945年にテアトロ・コロンの首席指揮者を務めた。第二次世界大戦後は、再度、ベルリン国立歌劇場に招かれた後、ウィーンを中心に活躍した。同年代の指揮者と言えば、フルトヴェングラー、クレンペラー、ワルターなどの大指揮者の名を挙げることができる。これらの指揮者の録音は、現在でも発売され多くの愛好家を楽しませているが、それに比べエーリッヒ・クライバーは、過去の指揮者として忘れかけられている、と言ってもいいほどであり、誠に残念なことではある。ロンドン・レコードには、ウィーン・フィルとの名演「フィガロの結婚」「ばらの騎士」などの録音が残されているはずなのだが・・・。このLPレコードは、エーリッヒ・クライバーが唯一遺したパリ音楽院管弦楽団(現在のパリ管弦楽団の前身)とのチャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」である。今回、再度聴いてみて、エーリッヒ・クライバーという指揮者が如何に偉大な存在であったかを再認識させられた。チャイコフスキーの「悲愴」は、ムラヴィンスキーのようなロシア風土に根差した演奏か、あるいはジャン・マルティノンのような都会的に洗練された演奏のいずれかに分類されるが、エーリッヒ・クライバーの演奏は、そのいずれにも属さず、この曲に真正面から堂々と向き合い、キリリと引き締まった演奏を展開する。このため、これまでチャイコフスキーの「悲愴」の演奏からは、なかなか引き出せなかった純音楽的な像がリスナーの前に明らかになり、聴いていて興味が尽きることのない出来に仕上がっている。是非ともこの録音のCDでの発売を実現してもらいたいものである。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇エーリッヒ・クンツのドイツ愛唱歌集

2024-05-27 10:05:25 | 歌曲(男声)

 

~エーリッヒ・クンツのドイツ愛唱歌集~

シューマン:二人のてき弾兵
ブラームス:眠りの精
シューベルト:笑いと涙
リスト:愛の夢
レーがー:マリアの子守歌
シューベルト:音楽に寄す
シューマン:くるみの木
ベートーヴェン:自然における神の栄光
ジルヒャー:ローレライ リスト:ローレライ
モーツァルト:すみれ
ベートーヴェン:君を愛す
ヴォルフ:主顕祭
ヴォルフ:眠れる幼な児イエス
ブラームス:セレナード
シューベルト:シルヴィア寄す

バリトン:エーリッヒ・クンツ

指揮:アントン・パウリク

管弦楽:ウィーン国立歌劇場管弦楽団

発売:1982年

LP:キングレコード(VANGUARD) K18C‐9294

 エーリッヒ・クンツ(1909年―1995年)の名前を聴くと我々の世代は、ウィーン国立歌劇場のバリトン歌手という肩書きより、「ドイツ学生の歌 大全集」(SLE1034~8)の5枚組みのLPレコードを吹き込んだバリトン歌手といった方がぴんと来る。何故、当時、ドイツ学生の歌が流行ったのか、今となっては知る由もないが、多分、その当時は戦前の旧制高等学校の気風がまだ残っていて、何処となくドイツ学生の歌を聴いていると、旧制高等学校の雰囲気を思い出し、青春のノスタルジーに浸る人が多く居たのが一つの原因ではなかったからではないだろうか。エーリッヒ・クンツは、ウィーン生まれのオペラ歌手で、特にモーツァルトに作品を得意としていた。1940年からウィーン国立歌劇場には所属し、フィガロ役、パパゲーノ役、レポレロ役では記録的な出場回数を誇っていた。ウィーン国立歌劇場の戦後分だけで、フィガロ役が249回、パパゲーノ役が338回、レポレ役がロ211回という記録を打ち立てている。1959年にウィーン国立歌劇場員公演の際に来日した。同時にエーリッヒ・クンツは、ドイツ学生歌やドイツ民謡についても数多くの録音を残している。それらの録音の一部が日本で「ドイツ学生の歌 大全集」として発売されヒットし、そして、その延長線上にあるのが、今回のLPレコードの「ドイツ愛唱歌集」なのである。これらの曲目を見ると、そのほとんどが日本人にとっても馴染みのある曲であり、理屈ぬきに楽しめるLPレコードとなっているのが、何とも嬉しい。第1曲目のシューマン:二人のてき弾兵を聴いただけで、昔の情景が眼前に広がり、懐かしい気持ちにしてくれる。シューマン:二人のてき弾兵は、昔はラジオからしょっちゅう流れてきて、あたかもクラシック音楽の代名詞のような曲になっていたことを思い出す。今はあまりこの曲を聴くことはなくなった。少々大時代ががっているからだろうか。第2曲目のブラームス:眠りの精になると、今度はエーリッヒ・クンツの歌い方は情緒たっぷりにがらりと変わる。この辺の絶妙の変わり身が、当時のリスナーに大受けしたのだろう。エーリッヒ・クンツの音質は、柔らかく、暖かい。そう言えば思い出した。当時は「歌声喫茶」の全盛時代であり、このLPレコードを聴いていると肩を組み合って歌う、「歌声喫茶」の想い出が蘇る。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ゲザ・アンダ&フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団のバルトーク:ピアノ協奏曲第2番/第3番

2024-05-23 09:37:04 | 協奏曲(ピアノ)


バルトーク:ピアノ協奏曲第2番/第3番

ピアノ:ゲザ・アンダ

指揮:フェレンツ・フリッチャイ

管弦楽:ベルリン放送交響楽団

録音:1959年9月10日、15日、16日(第2番)/1959年9月7日~9日(第3番)、ベルリン、イエス・キリスト教会

LP:ポリドール SE 7102(ドイツ・グラモフォン MG 2221)

  バルトークは、生涯で3曲のピアノ協奏曲を作曲したが、このLPレコードにはそのうち第2番と第3番とが収められている。第2番は、1930年から1931年にかけて作曲された曲。ロマン派のピアノ協奏曲に慣れた耳には、最初に聴くと違和感に捉われるが、何回か聴いていくとピアノを打楽器のように扱う面白さや飛び跳ねるような軽快なリズム感に共感を覚えるようになってくる。ロマン派のピアノ協奏曲では朗々としたメロディーが奏でられ、それがアピール点に繋がっている曲がほとんどであるが、このバルトークのピアノ協奏曲第2番は、断片的なメロディーが、手を変え品を変え、現れては消え、また現れるといった具合で、一時も気を休める暇はない。この曲は、ピアノ演奏の最高度の技法を必要とするそうであるが、リスナーだってうかうかとしていられない。バルトークの才気あふれる楽想に付いて行こうとするなら、とてもぼんやりとは聴いてはいられないのだ。しかし、全3楽章を聴き通してみると、これほど音楽の可能性にチャレンジして、そして成果を挙げたピアノ協奏曲は滅多にないことを実感できる。第3番のピアノ協奏曲は、1945年の春から書き始められた。バルトークの死は1945年9月26日であるから、作曲当時、既に重い白血病におかされ、最後の17小節は遂に書くことが出来なかった。この第3番は、第2番とは趣がらりと変わり、ロマン派のピアノ協奏曲を思わせる朗々とした美しいメロディーに彩られている。一般的には第3番の方が聴きやすい曲であると言える。このためバルトークが古典へ回避したと非難する向きがないわけではないが、曲自体はそんな俗論をはねのけるような精神性の高みに立った内容を持つ。白鳥の歌とも言える深い孤独感や音楽に対する純粋性などから、バルトーク最高の傑作とする見方すらある。ピアノのゲザ・アンダ(1921年―1976年)は、卓越した技巧で、この2曲の真髄を見事に弾き分けており、見事というほかない。フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団も、その持てる力を存分に出し切った白熱の演奏内容で応える。バルトークの曲は、その多くはとっつき易いとはとても言えないが、音楽的な充実度では、他に比肩するものがないほどの高みに達している。そのことは、このLPレコードを聴けば、誰でもが納得することができる。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇フランスの名ピアニスト ヴラド・ペルルミュテルのショパン:ワルツ集(全14曲)

2024-05-20 09:44:43 | 器楽曲(ピアノ)


 ショパン:ワルツ集(全14曲)                

       第5番「大ワルツ」/第7番/第8番/第1番「華麗な大ワルツ」/
       第9番「別れのワルツ」/第4番「華麗なワルツ」/第13番/第3番/
       第14番/第10番/第11番/第12番/ 第6番「子犬のワルツ」/
       第2番「華麗なワルツ」

ピアノ:ヴラド・ペルルミュテル

録音:1962年10月、ジュネーヴ

LP:日本コロムビア OW‐7874‐PK

 このLPレコードでピアノを弾いているフランス出身のヴラド・ペルルミュテル(1904年―2002年)は、若い頃にラヴェルに直接師事したこともあることから、“ラヴェル弾き”といった評価をされるケースが多かった。このことは、1950年代(モノラル)と1970年代(ステレオ)の2度にわたり、ラヴェルの全ピアノ曲をレコーディングしていることからも裏付けられる。同時に、アルフレッド・コルトーからショパンの教えを受け、“ショパン弾き”とも呼ばれていた。しかし、ペルルミュテルは、日本において、必ずしも“ショパン弾き”として正統な評価を受けていたとは言えなかった。その原因は、当時の日本では、“ショパン弾き”と言えば、コルトーを筆頭に、ディヌ・リパッティ、サンソン・フランソワ、クララ・ハスキルなどのピアニストの知名度が高く、ペルルミュテルの名前が知られていなかったことが挙げられる。今もそうだが、わが国のクラシック音楽界は、ドイツ・オーストリア系の音楽が主流であり、フランス系音楽は、あまり正統な評価がされないことに起因するのであって、演奏そのものを比較して評価が下されたものではない。フランス人のコルトーは、ペルルミュテルのことを「彼は単なるピアニストではなく、偉大な芸術家だ」と称えたことからも分るとおり、ペルルミュテルは、名ピアニストというだけの位置づけだけでなく、フランス・ピアノ楽派の最も正統な継承者として評されていたのである。それは、1950年にローザンヌ音楽院のピアノ科教授、1951年にパリ音楽院の教授になったことからも裏付けられる。このLPレコードでのペルルミュテルの演奏は、ショパンの演奏の本道を行くもので、気品があり、優雅な雰囲気を漂わせたものだ。単なる情緒纏綿たる演奏とは程遠い、きっちりとした形式美に貫かれた演奏であり、「本来ショパンの演奏はこうあらねばならない」という思いに至る。世の中には手を入れ過ぎたショパン演奏があまりにも多すぎる。ペルルミュテルの演奏を一度は聴かないと、ショパンの真価は到底分らない。今、ペルルミュテルのこのLPレコードを聴き直してみて、つくづくと感じた。ペルルミュテルは、13歳でパリ音楽院に入学し、アルフレッド・コルトーに師事。ディエメ賞などを受賞。1966年に初来日し、以後、数回にわたって来日を果たした。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団のモーツァルト:喜遊曲K.136/K.137/K.138/セレナータ・ノットゥルナK.239

2024-05-16 09:38:13 | 室内楽曲


モーツァルト:喜遊曲K.136          
       喜遊曲K.137          
       喜遊曲K.138  
       セレナータ・ノットゥルナK.239

指揮:ネヴィル・マリナー

弦楽合奏:アカデミー室内管弦楽団

発売:1980年

LP:キングレコード K15C‐8060

弦楽合奏:アカデミー室内管弦楽団

 このLPレコードに収められたモーツァルトが作曲したK.136、K.137、K.138の3つの喜遊曲は、モーツァルトが第2回目のイタリア旅行(1771年8月13日~1771年12月16日)から帰って、第3回目の旅行(1772年12月24日~1773年3月13日)に持参すべく用意された作品だとも言われている。一方、このLPレコードのライナーノートで向坂正久氏は、「モーツァルトは、イタリア旅行のみやげ話をこれらの喜遊曲にまとめ、モーツァルト16歳の誕生日(1月27日)に集まった人々の前で演奏するために用意された曲ではないか」という説を披露している。いずれにせよ、この3曲の喜遊曲は、1曲づつ聴いても、それぞれ持ち味が違って楽しめるが、3曲を一気に聴くとそれはそれで、一つのまとまった喜遊曲でもあるかのように聴こえるのだから面白い。当時、流行っていたシンフォニアでもなく、また弦楽四重奏曲でもなく、喜遊曲独特の味わいを持ち合わせた、弦楽合奏の楽しい曲として、現在でも少しもその存在価値は失われていない。一方、 セレナータ・ノットゥルナK.239は、1776年1月、モーツァルト20歳の作とされる。ちょうどこの年には、有名な「ハフナー・セレナード」も書かれており、その頃、モーツァルトが関心を持っていたフランス風のギャラントなスタイルに影響を受けた作品となっている。このLPレコードで演奏しているのが、指揮者のネヴィル・マリナーとマリナーによって結成されたアカデミー室内管弦楽団である。ネヴィル・マリナー (1924年―2016年)は、英イングランドのリンカン出身。王立音楽大学に学んだ後、パリ音楽院に留学した。1959年にアカデミー室内管弦楽団を結成し、長年その指揮者を務めてきた。さらに、1979年から1986年までミネソタ管弦楽団、1983年から1989年までシュトゥットガルト放送交響楽団の音楽監督を務めた。1985年にはナイト号を授与されている。このLPレコードでの演奏は、典雅この上ない演奏に徹しており、同時に躍動感溢れ、聴いていると18世紀の宮殿の中の演奏会にタイムスリップしたかのような感覚に捉われる。それでいて、少しも古臭さを感じさせないのは、ひとえにネヴィル・マリナーとアカデミー室内管弦楽団の現代感覚に溢れた演奏によるものだ。このような演奏は、特にLPレコードで聴かないとその真の良さがなかなか伝わってこない。(LPC)

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