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★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇グリュミオー&ハスキルの名コンビによるモーツァルト:ヴァイオリンソナタ選集

2025-05-29 10:10:14 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

モーツァルト:ヴァイオリンソナタ 変ロ長調 K.378
                 ホ短調 K.304
                 ヘ長調 K.376
                 ト長調 K.301
                 変ロ長調 K.454
                 イ長調 K.526

ヴァイオリン:アルテュール・グリュミオー

ピアノ:クララ・ハスキル

LP:日本フォノグラム(フィリップス・レコード) SFL‐9662~63

 このLPレコードは、ヴァイオリンのアルテュール・グリュミオー(1921年―1986年)とピアノのクララ・ハスキル(1895年―1960年)の名コンビによるモーツァルト:ヴァイオリンソナタ選集である。ジャケットを見ると晩年のクララ・ハスキルの姿が大きく配置され、アルテュール・グリュミオーの姿は見えない。これはこのLPレコードが、“クララ・ハスキルの遺産”というシリーズの第4集に当たるため。それに、モーツァルトのヴァイオリンソナタは、当時の一般的な傾向として、ヴァイオリンソナタという名前は付いているが、実際にはヴァイオリンとピアノが対等か、あるいは、ピアノが主役でヴァイオリンが伴奏役に回ることも珍しくない。このLPレコードのライナーノートで、小石忠男氏は「ハスキルとグリュミオーの個性はかなり違いがあり、普通ならこれほど美しい二重奏は成立しなかったのではないかと思われる」と書いている。これを見て私は一瞬目を疑った。しかし、よく考えてみると、小石氏の言わんとすることを理解できた。アルテュール・グリュミオーは、フランコ・ベルギー楽派の正統的な後継者である。フランコ・ベルギー楽派は、ヴァイオリンを輝かしく響かせ、美しい旋律を優雅に演奏するスタイルをとる。つまり、演奏効果が常に外向きであり、きらびやかさが身上である。これに対し、クララ・ハスキルのピアノ演奏は、精神性の高いもので、どちらかというと演奏効果は、内向きになる傾向がある。普通、そんな二人がコンビを組んでも良い効果は出にくいと思われる。しかし、ハスキルとグリュミオーのコンビは、それが逆に作用し、互いの特徴を一層際立たせる効果をもたらす。そのことは、二人が一番知っていることを、このLPレコードを聴くとよく分かる。このLPレコードは、全部でモーツァルト:ヴァイオリンソナタ6曲が2枚に収録されているが、いずれの曲も甲乙を付け難いほど完成度の高い演奏内容となっている。ある意味で、モーツァルト:ヴァイオリンソナタ演奏の決定版的な録音であり、このコンビを上回ることは至難の技と言えよう。しなやかに歌うように奏されるグリュミオーのヴァイオリンを、ハスキルのピアノがやさしく見守るように、限りなく美しも流麗に弾かれ、二人の演奏は、聴いていて時が経つのも忘れそうになる。グリュミオーは、来日時のインタビューで「あなたの一番好きなレコードは」と問われ、即座に「ハスキルと共演したモーツァルトのヴァイオリンソナタ」と答えたそうである。(LPC)


◇クラシック音楽LP◇ブルーノ・ワルター晩年の名盤 ブラームス:ドイツ・レクイエム

2025-05-26 10:00:08 | 宗教曲


ブラームス:ドイツ・レクイエム
  
  第1曲 悲しんでいる人々は幸いである(マタイによる福音書、詩篇) 
  第2曲 人は皆草のごとく
       (ペテロの第1の手紙、ヤコブの手紙、ペテロの第1の手紙、イザヤ書) 
  第3曲 主よ、我が終わりと、我が日の数の(詩篇、ソロモンの智恵) 
  第4曲 万軍の主よ、あなたの住まいは(詩篇) 
  第5曲 このように、あなた方にも今は
       (ヨハネによる福音書、ベン・シラの智恵、イザヤ書) 
  第6曲 この地上に永遠の都はない
       (ヘブルスへの手紙、コリント人への手紙、ヨハネの黙示録)
  第7曲 今から後、主にあって死ぬ死人は幸いである(ヨハネの黙示録)   

指揮:ブルーノ・ワルター

管弦楽:ニューヨーク・フィルハーモニック

ソプラノ:イルムガルト・ゼーフリート
バス・バリトン:ジョージ・ロンドン

合唱団:ウェストミンスター合唱団

録音:1954年12月20、28、29日

LP:CBS・ソニーレコード SONC 10445
  
 これは、巨匠ブルーノ・ワルター(1876年―1962年)が、ニューヨーク・フィルを指揮し、イルムガルト・ゼーフリート(ソプラノ)、ジョージ・ロンドン(バス・バリトン)、それにウェストミンスター合唱団と、当時の最高級クラスの演奏家が集まり、ブラームスの傑作ドイツ・レクイエムを録音した記念碑的LPレコードである。ブルーノ・ワルター78歳の時の録音だ。このLPレコードのライナーノートの冒頭には、「このレコードは、このたびの<ブルーノ・ワルター大全集>の企画にあたり、世界に先駆けてCBS・ソニーレコードから発売するものです。ジャケットの裏表紙の写真は、スイス・ルガノ近郊サン・アボンディオ墓地にあるブルーノ・ワルターの墓碑。ここにワルターは夫人や愛嬢たちと永遠の眠りについている。(撮影 大賀典雄)」と記されている。これを読んだだけでこのLPレコードが、通常のLPレコードとは一線を画した特別なものであることを窺わせる。ブラームスのドイツ・レクイエムは、オーケストラと合唱、およびソプラノ・バリトンの独唱によった演奏会用の宗教曲。全7曲で構成され、1868年に完成し、翌年1869年初演された。通常、レクイエムは、死者の安息を神に願う典礼の音楽のことであり、教会で演奏され、ラテン語の祈祷文で歌われる。しかし、ブラームス自身がプロテスタントであることから、レクイエムを作曲するに当たり、マルティン・ルターがドイツ語に訳した、1537年初版の新約と旧約の聖書および聖書外典から、ブラームス自身が選んだテキストを歌詞に使っている。これがドイツ・レクイエムと言われる所以である(ブラームスが付けた正式な名称は「聖書の言葉を用いたドイツ語のレクイエム」)。キリストの復活にかかわる部分は省かれており、レクイエムといっても、通常のレクイエムとは異なる。つまり死者というより現生人のための演奏会用のレクイエムなのである。このLPレコードの演奏内容は、ブルーノ・ワルターがその音楽人生の最後に到達した心境を深く反映したものとなっており、聴き進むうちに精神的な高みをひしひしと感じとることができる。ワルター独特の温かみのある表現力が魅力的であるし、これに加えニューヨーク・フィルの深みのある響きは、ワルターの思いを的確に表現し切っており、見事な演奏というほかない。独唱、合唱陣も全身全霊で歌っている。ブルーノ・ワルターは、ドイツ・レクイエムの限りなく豊かな、人間味に溢れた名演奏を、このLPレコードで我々に遺してくれた。感謝というほかない。惜しむらくは音がぼけ気味なことだ。(LPC)


◇クラシック音楽LP◇バリリ四重奏団らによるモーツァルト:弦楽五重奏曲第3番

2025-05-22 09:47:27 | 室内楽曲


モーツァルト:弦楽五重奏曲第3番ハ長調K.515

弦楽五重奏:バリリ四重奏団

        ワルター・バリリ(第1ヴァイオリン)
        オットー・シュトラッサー(第2ヴァイオリン)
        ルドルフ・シュトレンク(ヴィオラ)
        エマヌエル・ブラベッツ(チェロ)   

      ウィルヘルム・ヒューブナー(第2ヴィオラ) 

発売:1965年

LP:キングレコード(ウエストミンスター) MH5198
 
 モーツァルトには、優れた室内楽作品があるが、中でもクラリネット五重奏曲と弦楽五重奏曲の第3番と第4番は、それらの中でも一際優れたものに数え上げられる。モーツァルトは弦楽四重奏曲においても傑作を残しているが、何故弦楽四重奏曲に飽き足らず、ヴィオラを加えた弦楽五重奏曲を6曲も作曲したのであろうか?考え得るのは、ヴィオラを加えることによって弦楽四重奏曲では得られない、内声部の充実を実現できるためであろう。このほかの理由を挙げるとしたら、外部から弦楽五重奏曲の作曲の依頼があったということであろう。このLPレコードは、当時クァルテットの王者であったバリリ四重奏団に、第2ヴィオラにウィルヘルム・ヒューブナーが加わった豪華メンバーによる録音である。メンバー全員が当時のウィーン・フィルのメンバーであり、気心が知れあった者同士の演奏だ。なお、このLPレコードのジャケットには、モーツァルト:弦楽五重奏曲「第4番」ハ長調K.515と印刷されているが、これは、第1番に、偽作とされる変ロ長調k.46を入れているためで、現在では、一般に弦楽五重奏曲「第3番」ハ長調K.515となっている。第1楽章の出だしから、実に重厚な響きが耳に飛び込んでくる。そして、あの懐かしいウィーン情緒たっぷりのゆったりとしたテンポに身を委ねる。何という安定感なのであろう。細部も克明に演奏されているが、少しも神経質そうなところはなく、逆に堂々とした構成美は例えようがないほど素晴らしい。このLPレコードを聴いていると、何故モーツァルトが弦楽四重奏曲以外に弦楽五重奏曲を作曲したのかが理解できるような気がする。この弦楽五重奏曲第3番ハ長調K.515は、徹底してアポロ的精神の追求にある曲であるのに対し、徹底してディオニソス的精神に貫かれているのが弦楽五重奏曲第4番ト短調K.516である。つまりこの2曲の弦楽五重奏曲は対になっている曲であり、2曲を聴き比べることによって、それぞれの曲の特徴ををより深く理解することができるのだ。バリリ四重奏団は、ウィーン・フィルのコンサートマスターを務めていたワルター・バリリ(1921年―2022年)が、1942年に結成したクァルテットで、メンバー全員がウィーン・フィルの各パートの首席奏者を務めていた。バリリ四重奏団の演奏の特徴は、ウィーン情緒をたっぷりと漂わすところにあるのではあるが、決して情緒に押し流されることはなく、がっちりとした構成力がその背景にあるところが、他のクァルテットとは一線を画していた。(LPC)


◇クラシック音楽LP◇ヨゼフ・カイルベルト指揮ベルリン・フィルのブラームス:交響曲第2番/大学祝典序曲

2025-05-19 09:46:24 | 交響曲(ブラームス)

ブラームス:交響曲第2番
      大学祝典序曲

指揮:ヨゼフ・カイルベルト

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(交響曲第2番)
    バンベルク交響楽団(大学祝典序曲)

発売:1978年

LP:キングレコード GT 9174
 
 このLPレコードは、名指揮者ヨゼフ・カイルベルト(1908年―1968年)がベルリン・フィルを指揮したブラームス:交響曲第2番とバンベルク交響楽団を指揮したブラームス:大学祝典序曲の2曲が収められている。このLPレコードのライナーノートに音楽学者の渡辺 護氏は次のように書いている。「1968年の夏、筆者はイタリアからミュンヘンに旅行をした。7月22日ミュンヘンの宿に着いて、新聞を開いて見ると、そこにカイルベルトの突然の死が大きく報ぜられていたのである。『トリスタンとイゾルデ』や『サロメ』を見ることを楽しみに来たのだが、それも不可能になった。カイルベルトは7月20日、国立歌劇場で『トリスタン』を指揮している最中、突然大きな音を立てて倒れ、そのまま他界したのである。ベーム、カラヤンと共にドイツ指揮界の最巨峰であったカイルベルトはその時まだ60歳。今後の活躍がまだまだ大きく期待できる時であった。彼は極めてドイツ的な指揮者で、表面的な美しさや情緒におぼれることなく、確固たる構築性やしっかりしたリズム感に優れていた。レパートリーは広くないが、ドイツ音楽にかけては、他の追随を許さない」。ブラームスの交響曲は、クラシック音楽に中でも最も多くの指揮者が録音している曲であろう。そんな数多くあるブラームス:交響曲第2番の録音の中でも、この録音は、特筆ものの録音であり、私としては、これまでのあらゆる録音の中で、ベスト1かベスト2の録音に挙げたいほど。ブラームス:交響曲第2番は、他の3曲とは異なり、かなりロマンの香りが漂う作品だ。つまり、やたらに力ずくで指揮してもダメだし、逆に平穏に指揮しても、ただつまらなく聴こえてしまう。ある意味で、指揮者の力量がはっきりと表れる交響曲である。ここでのカイルベルトの指揮は、流れるような自在な表現力のある指揮ぶりを存分に発揮する。自然と湧き起ってくるようなオーケストラの響きは、最後までリスナーを引きつけて離さない。また、ベルリン・フィルの奏でる音は、何という味わいの深さだろう。そんなベルリン・フィルの音をカイルベルトは自在に操り、リズム感たっぷりに表現する。この演奏を聴いていると、思わずこんこんと湧き出す泉を思い出す。何もかもが、流れるように、自然なたたずまいの中にある。それに加え、遠近法を駆使したような構成美が加わる。ブラームスの“田園交響曲”と言われる所以がよく分かる演奏だ。この録音はCDでも入手できるようなので、機会があれば是非一度聴いてみてほしい。(LPC)


◇クラシック音楽LP◇ワレーズ&リグットによるシューマン:ヴァイオリンソナタ第1番/第2番

2025-05-15 09:43:33 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

シューマン:ヴァイオリンソナタ第1番/第2番

ヴァイオリン:ジャン・ピエール・ワレーズ

ピアノ:ブルーノ・リグット

発売:1975年

LP:キングレコード SLA 6013
 
 シューマンは、全部で3曲のヴァイオリンソナタを作曲している。それらの曲は、このLPレコードに収録されている第1番と第2番、それにシューマンが第2楽章と第4楽章を作曲したFAEソナタである。FAEソナタのFAEとは、ブラームスのヴァイオリン協奏曲の初演を行ったことで後世に名を残すことになったヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒム(1831年ー1907年)のモットーであった「自由だが孤独に(Frei aber einsam)」に基づいて書かれたためで、シューマンのほかに第1楽章がディートリヒ、第3楽章がブラームスが担当して作曲された。いずれのヴァイオリンソナタも、シューマンの最晩年の1850年代に書かれている。シューマンは、“室内楽の年”や“歌の年”などのように、一つのジャンルの曲を集中的に作曲する傾向があったが、遺作のヴァイオリン協奏曲を含め、差し詰め最晩年は“ヴァイオリンの年”とでも言えようか。第1番と第2番のヴァイオリンソナタは、いずれも1851年の秋に作曲された。第1番のヴァイオリンソナタは、3つの楽章からなる比較的短い曲であるが、豊かなメロディーがロマンティックな効果を上げている曲であり、特にヴァイオリンとピアノのバランスが良く書かれた愛すべき作品。第2番は、4つの楽章からなる堂々とした本格的なヴァイオリンソナタ。ヨアヒムはこの第2番を同時代の中で最も優れた曲と高く評価したという。このLPレコードで演奏しているのは、ヴァイオリンがジャン・ピエール・ワレーズ、ピアノがブルーノ・リグット。ジャン・ピエール・ワレーズは、1939年にフランスで生まれる。1957年「ロン=ティボー国際コンクール」で優勝を果たす。1965年にフランスの若手演奏家によって結成されたフランス室内合奏団のリーダーとなったほか、パリ管弦楽団のコンサートマスターも務めた。ブルーノ・リグットは、1945年パリ生まれ。「ロン=ティボー国際コンクール」での優勝経験を持つが、名ピアニストであったサンソン・フランソワの唯一の弟子であったことでも知られる。このフランスの若きコンビによるシューマは、実に繊細で、優雅な雰囲気を持った演奏内容となった。第1番の演奏では、もともと愛らしい性格を持っているこの曲を、一層愛らしさが増したかような雰囲気を醸し出している。一方、第2番の演奏は、背筋をピーンと張ったかのように適度の緊張感を伴った演奏内容になった。いずれも、ドイツ人の演奏家とは一線を画したような、繊細な演奏ぶりであり、これらの曲から新鮮な一面を引き出すことに成功している。(LPC)


◇クラシック音楽LP◇名指揮者オイゲン・ヨッフム指揮バイエルン放送交響楽団員のモーツァルト:「13楽器のためのセレナーデ」

2025-05-12 11:11:20 | 室内楽曲


モーツァルト:セレナーデ第10番「13楽器のためのセレナーデ」

指揮:オイゲン・ヨッフム

管楽:バイエルン放送交響楽団員

発売:1974年

LP:ポリドール KI 7306
 
 ディヴェルティメントが室内で演奏される曲を指すのに対して、セレナーデは屋外で演奏される曲を言う。両方とも、かつて貴族階級が催し物などを行う際に、その付随音楽としての意味合いを持ったものあり、通常は耳触りが良くて、気軽に聴ける作品がほとんどである。ところが、今回のLPレコードに収録されているモーツァルト:セレナーデ第10番「13楽器のためのセレナーデ」は、そんなセレナーデのイメージを一新するような充実した作品に仕上がっている。明るく、聴きやすいという点では、セレナーデの特徴を備えているが、内容は、何かの催しのバックグランド音楽などという範疇をはるかに超えて、一つの芸術作品として、コンサートホールで聴くのが一番似合うほどの作品に仕上がっている。モーツァルトはこの曲を25歳の時、ミュンヘンで作曲した。ミュンヘンの宮廷楽団の管楽器奏者のために作曲したのである。楽譜の表紙に“グラン・パルティータ(大きな組曲)”と書かれている通り(モーツァルトが書いたものではないようだが)、全部で7楽章からなり、演奏時間は40分を超える。これほど大規模なセレナーデともなると、通常なら一気に聴きと通すと飽きがくるものだが、モーツァルトの天分は、これほど長いセレナードでも、最後まで緊張感を持って聴き通すことができる曲に仕上げた。ここでの演奏は、オイゲン・ヨッフム指揮バイエルン放送交響楽団の管楽器奏者によるもの。バイエルン放送交響楽団は、ドイツ・バイエルン州ミュンヘン、ヘラクレス・ザールのホールに本拠を置く、バイエルン放送専属オーケストラ。設立は1949年と比較的歴史の浅いながら、現在ではドイツを代表オーケストラの一つとして、高い評価を受けている。この初代首席指揮者を務めたのがバイエルン出身のオイゲン・ヨッフム(1902年―1987年)で、ハンブルク国立歌劇場音楽総監督、バイエルン放送交響楽団首席指揮者、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団首席指揮者、バンベルク交響楽団首席指揮者などを歴任したほか、ロンドン交響楽団では桂冠指揮者も務めた。バイロイト音楽祭にもたびたび出演。オイゲン・ヨッフムの指揮ぶりは、地道な正統派であり、カラヤンのようなスター性はなかったように思う。要するに玄人好みの指揮者であった。このLPレコードでは、ヨッフムが天塩に掛けて育て上げたバイエルン放送交響楽団の管楽器奏者に対して、持ち味である正統的でがっちりとした構成美に基づいた指揮を繰り広げる。比較的ゆっくりとしたテンポで推移するが、特に管楽器の美しい音色が強く印象に残る演奏内容だ。(LPC)


◇クラシック音楽LP◇クリスタ・ルートヴィッヒのマーラー:さすらう若人の歌/亡き子をしのぶ歌

2025-05-08 09:59:28 | 歌曲(女声)

マーラー:さすらう若人の歌
     亡き子をしのぶ歌

メゾ・ソプラノ:クリスタ・ルートヴィッヒ

指揮:エードリアン・ボールト(さすらう若人の歌)
   アンドレ・ヴァンデルノート(亡き子をしのぶ歌)

管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団

録音:1958年10月18日~19日、ロンドン、EMIスタジオ

LP:東芝EMI EAC‐40095
 
 マーラーと歌曲は、切っても切れない関係にある。交響曲にも歌を取り入れ、ベートーヴェンが切り開いた交響曲と歌の組み合わせスタイルを、さらに発展させることに成功した。マーラーの歌曲単独の作品としては「子供のふしぎな角笛」や、今回のLPレコードに収録された「さすらう若人の歌」「亡き子をしのぶ歌」などが知られている。この2曲は、男性歌手でも女性歌手でも歌われるが、「さすらう若人の歌」は男性歌手が、「亡き子をしのぶ歌」は女性歌手が、歌うことが多いようである。「さすらう若人の歌」は、当時カッセル歌劇場の補助指揮者であったマーラーが、23歳の時に書いた、自作の詩による4つの連作歌曲集である。第1曲は、愛するものを失った若者の悲しみ、第2曲は、陽光を浴びた万物の喜びと、すべての幸福から取り残された者の悲しみ、第3曲は、激しい前奏に続いて、胸を灼く苦痛が激情的に歌われ、第4曲は、夢破れてさすらう若者の悲しみが歌われる。一方、「亡き子をしのぶ歌」は、ウィーン宮廷歌劇場時代の1900年から1902年にかけて作曲された。テキストは、リュッケルトの同名の詩による。この曲は、時々、マーラーが自身の子供の死を歌った作品と紹介されるが、実際は、子供の死の前に書かれた。この辺の経緯を、このLPレコードのライナーノートで西野茂雄氏は、「マーラーの愛児の死を動機として生まれたものではない。あまりに生々しい素材であり、おそらくマーラー自身の言葉のように“当時子供があったとしたら到底書けなかった”ような作品」と記している。しかし皮肉にも、マーラーは、この曲を作曲した後、短い間に2人の幼い娘を亡くしてしまうのである。このLPレコードで、これらの2曲を歌っているのは、ベルリン生まれのメゾソプラノ歌手クリスタ・ルートヴィヒ(1928年―2021年)である。1962年にオーストリア宮廷歌手の称号を受け、1994年に引退した。その歌声は、実に暖かく、しかも安定感に富んでいて、安心して聴くことができる歌手の一人だった。このLPレコードでもその長所を如何なく発揮している。「さすらう若人の歌」においては、若者の苦悩を実に巧みに表現することに成功している。大上段に構えるのではなく、若者の心情を心の底からの共感で歌い込む。一方、「亡き子をしのぶ歌」では、愛するわが子を失った母親の悲しみが、リスナーにひしひしと伝わってくる。この曲でも、クリスタ・ルートヴィッヒは、淡々とした表情で歌い通す。しかし、それは深い悲しみへの共感に貫かれたものだけに、悲しみが何倍にも膨らんでリスナーに届く。(LPC)


◇クラシック音楽LP◇バレンボイム指揮イギリス室内管弦楽団のシェーンベルク:浄夜/ワーグナー:ジークフリート牧歌/ヒンデミット:ヴィオラと弦楽合奏のための葬送音楽

2025-05-05 10:02:10 | 管弦楽曲


シェーンベルク:浄夜
ワーグナー:ジークフリート牧歌
ヒンデミット:ヴィオラと弦楽合奏のための葬送音楽

指揮:ダニエル・バレンボイム

管弦楽:イギリス室内管弦楽団

ヴィオラ:セシル・アロノヴィッツ(ヒンデミット)

LP:東芝EMI EAC‐30336
 
 このLPレコードの1曲目はシェーンベルク:浄夜。この曲は、1899年、シェーンベルクが25歳の時にウィーンで作曲した弦楽六重奏曲が元の曲。リヒャルト・デーメルの、月下の男女の語らいが題材となっている同名の詩「浄夜」に基づいて作曲されている。シェーンベルクというと無調音楽や12音階音楽の創始者というイメージが強いが、この作品は後期ロマン派、とりわけワーグナーやブラームスから影響を受けた作品で、半音階や無調の要素を取り入れはいるものの、いわゆる現代音楽とは程遠い作品だ。全体はデーメルの詩に対応した5つの部分からなる、30分ほどの単一楽章からなっている。つまり、この曲は、完全に表題音楽であり、しかも室内楽曲という非常に珍しい形態の曲だ。この曲を聴くには、デーメルの詩「浄夜」をあらかじめ読んでおく必要がある。このLPレコードには、その一節が54行にわたって紹介してある(入野義朗訳)ので、鑑賞には打って付けである。シェーンベルクは、この曲を、1917年に自ら弦楽合奏用に編曲した。2曲目は、ワーグナー:ジークフリート牧歌。この曲は、室内オーケストラのための作品で、妻コジマへの誕生日の贈り物として作曲されたもの。1870年12月25日に、スイスのルツェルン湖畔の自宅のコジマの寝室の傍らの階段に陣取った15人の楽士と作曲者自身の指揮で演奏された。それを聴いた妻のコジマは大変感激したと言われている。3曲目は、ヒンデミット:ヴィオラと弦楽合奏のための葬送音楽。この曲は、8分ほどの短い曲。ちょうどヒンデミットがロンドンに滞在していた時に、国王のジョージ5世が崩御され、哀悼の曲として作曲されたもので、ヒンデミットは、徹夜をして一晩で仕上げたという。全体は、4つの部分からなるが、全楽器が弱音器をつけて演奏する終曲は、コラール「我汝の玉座の前に立つ」の旋律に基づいている。このLPレコードは、まずこれら3曲の選曲のセンスの良さが光る。それと、名ピアニストであるダニエル・バレンボイムが、指揮者としても超一流の腕を持っていることを証明した初期の頃の録音内容だ。イギリス室内管弦楽団とバレンボイムとが一体化し、芳醇な音質に加え、微妙なニュアンスの表現が一際優れている。とりわけ、シェーンベルク:浄夜では、緊迫した男女のやり取りを巧みに表現し尽して、同曲の録音の中でも最高のレベルに位置づけられよう。ワーグナー:ジークフリート牧歌では穏やかな表現力が光るし、ヒンデミット:ヴィオラと弦楽合奏のための葬送音楽では、鎮魂の思いがよく表現されている。(LPC)


◇クラシック音楽LP◇クララ・ハスキルのドメニコ・スカルラッティ:ソナタ集

2025-05-01 10:45:38 | 器楽曲(ピアノ)


~ドメニコ・スカルラッティ:ソナタ集~

     嬰ハ短調 L.256(K.247)
     ト長調  L.388(K.2)
     ハ長調  L.457(K.132)
     ト短調  L.386(K.35)
     変ホ長調 L.142(K.193)
     ヘ短調  L.171(K.386)
     ヘ短調  L.475(K.519)
     イ長調  L.483(K.322)
     ロ短調  L.33 (K.87)
     ハ長調  L.255(K.515)
     ヘ長調  L.278(K.437)

ピアノ:クララ・ハスキル

LP:日本コロムビア(ウェストミンスター) OW-8057-AW
 
 これは、ドメニコ・スカルラッティ(1685年―1757年)のチェンバロのためのソナタ集を、名ピアニスであったクララ・ハスキル(1895年―1960年)がピアノで演奏したLPレコードである。ドメニコ・スカルラッティは、イタリアのナポリに生まれ、スペインのマドリードで没した作曲家。同年にはJバッハとヘンデルが生まれており、後にいずれもがバロック音楽の大輪の花を咲かせることになるが、ドメニコ・スカルラッティは、ナポリ楽派の祖とまで言われるまでになった人物。ドメニコ・スカルラッティは、ナポリで教会付き作曲家兼オルガン奏者となったが、音楽を教えていたポルトガルのバルバラ王女がスペイン王家に嫁いだため、ドメニコ・スカルラッティもマドリードへ行き、王妃の作曲家として騎士の位を受け、25年もの間をスペインで過ごすことになる。オペラや宗教曲も書いたが、チェンバロのための練習曲を数多く書いた。それらはソナタと呼ばれているが、ソナタといっても現在のピアノソナタとは大きく異なり、いずれも短い練習曲風小品といった趣の曲だ。これらの曲は、現代のピアノで弾いても、現代風に生き生きと光り輝くといった性格を持っている曲であるため、現在でもたびたび演奏される。一曲一曲が独特の個性を持ち、いずれも軽快なテンポで一気に弾かれる。こんなところが、現代人の感覚にも合うのかもしれない。これらのソナタは、1910年に、アレッサンドロ・ロンゴが整理番号を付けて出版したものがロンゴ版(L番号/545曲)、また、ラルフ・カークパトリックが整理番号を付けて出版したものが、カークパトリック版(K番号/555曲)として知られている。ピアノのクララ・ハスキルは、1895年にルーマニアのブカレストに生まれる。10歳でパリ音楽院に入学。15歳で最優秀賞を得て卒業した後、ヨーロッパ各地で演奏旅行を行う。フランスを活動の拠点としていたが、ユダヤ系であったためスイスに出国。第二次世界大戦後は、スイスとオランダを拠点とするようになった。 1950年以後に、脚光を浴び始める。豊かな感受性に加え、鋭い感受性がハスキルの演奏様式の特色となっていた。しかし、 ブリュッセルの駅で転落した際に負った怪我がもとで急死した。スイスでは1963年より「クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクール」が開かれている。ここでのクララ・ハスキルの演奏は、彼女の持ち味を存分に発揮し、天上の音楽を弾くがごとく、典雅にして美しく展開され、時が経つのも忘れるほど。リスナーは、夢幻の空間を彷徨うような、至福の一時を味わうことができる。(LPC)


◇クラシック音楽LP◇ワルターの名盤 モーツァルト:交響曲第40番/第41番「ジュピター」

2025-04-28 09:48:44 | 交響曲(モーツァルト)


モーツァルト:交響曲第40番/第41番「ジュピター」

指揮:ブルーノ・ワルター

管弦楽:ニューヨーク・フィルハーモニック

録音:1953年2月23日(交響曲第40番)/1956年3月5日(交響曲第41番)

LP:CBS・ソニー SOCF 110
 
 このLPレコードは、ワルターが遺した数多くの録音の中でも、1、2を争うような優れたもので、現在でもこの録音を聴かずしてモーツァルトの交響曲演奏は語れない、と断言できるほどの名盤中の名盤である。交響曲第40番の演奏がアポロ的とするなら、さしずめ第41番「ジュピター」の演奏は、ディオニソス的な演奏と言ってもよかろう。ワルターは、これら2つの交響曲を指揮するに当たり、それまでの他の指揮者の演奏を聴き続けたのではないか。そして、2つの交響曲の演奏は、こうあらねばならないという深い信念に基づいて指揮したように私には聴こえる。一般的に第40番は、“悲しみの疾走”と表現されるように、テンポを早めに、劇的に演奏されることがほとんど。それに対しワルターは、テンポを柔軟に操ることによって、この曲の持つ真の魅力を引き出すことに見事成功している。そして、そこには、明るく大らかな世界が開けているのだ。ワルターは、決して“悲しみの疾走”を一方的にリスナーに押し付けるようなことなどは決してしない。それによって、神々しくも輝かしい第40番を新たに創造したのだと言ってもいいほどだ。一方、第41番は、実に堂々とした男性的なモーツァルトをつくりあげている。全てのぜい肉をはぎ取って、筋肉質で見事なバランスある演奏内容だ。単にこけおどし的な大きさを狙うのではなく、内省さが絡み合った雄大さであるので、聴いていて充実感に満たされる。このLPレコードのライナーノートにおいて、宇野功芳氏は、このワルターの第40番のレコードを最初に聴いた時の印象を、次のように記している。「ヴィオラの何というふっくらとしたさざ波、そしてそのリズムの上に、たっぷりと漸強弱をつけられた第1主題が心ゆくまで歌われる。もう駄目だ。陶酔と満足感のうちに、自分の身体が溶けていくのではないかと思われた」。それにしても、このLPレコードのニューヨーク・フィルの団員達の自発性に富んだ厚みのある響きは、正に特筆ものではある。ブルーノ・ワルター(1876年―1962年)は、ウィーン国立歌劇場音楽監督、バイエルン国立歌劇場音楽総監督、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団楽長、ニューヨーク・フィルハーモニック音楽監督、ベルリン・ドイツ・オペラ音楽監督を務めた、フルトヴェングラー、トスカニーニと並び称された巨匠中の巨匠である。第二次世界大戦が勃発するとスイスからアメリカへと逃れた。アメリカでは、カリフォルニア州ビバリーヒルズに居を構え、ニューヨーク・フィルハーモニックやメトロポリタン歌劇場などを指揮した。(LPC)