ベートーヴェン:七重奏曲Op.20
弦楽五重奏のためのフーガop.137
演奏:ウィーン・フィルハーモニー室内アンサンブル
ゲルハルト・ヘッツェル/ヴイルヘルム・ヒューブナー(ヴァイオリン)
ルドルフ・シュトレンク/エトヴァルト・クドラック(ヴィオラ)
アダルベルト・スコッチ(チェロ)
ブルクハルト・クロイトラー(コントラバス)
アルフレート・プリンツ(クラリネット)
ディートマール・ツェーマン(ファゴット)
ローラント・ベルガー(ホルン)
録音:1975年11月19~22日、ウィーン
LP:ポリドール SE 7705(ドイツグラモフォン MG1060 2530 799)
このLPレコードで演奏している「ウィーン・フィルハーモニー室内アンサンブル」は、ウィーン・フィルのコンサートマスターのゲルハルト・ヘッツェルによって1970年に結成され、全員がウィーン・フィルのメンバーからなっている。以後、現在までその伝統は生かされ、来日公演を行っている(名称は「ウィーン室内合奏団」)。ゲルハルト・ヘッツェル(1940年―1992年)は、ユーゴスラビア出身で、ドイツ、オーストリアにおいて活躍したヴァイオリニスト。1956年、ベルリン放送交響楽団(現ベルリン・ドイツ交響楽団)のコンサートマスターを経て1969年には、オーストリア人以外では異例であったウィーン国立歌劇場およびウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターに就任したが、1992年、ザルツブルグ近郊で登山中に転落死した。ヘッツェル亡き後、同アンサンブルは、ヨゼフ・ヘルが師の意志を継ぎ、ウィーンの伝統の響きを現代に伝え、現在も活発な演奏活動を展開している。この録音は、同アンサンブル結成5年目にウィーンで行われたものだが、メンバーには、リーダーのヘッツェルのほか、ヴァイオリンのヒューブナー、ヴィオラのシュトレンク、そしてクラリネットのプリンツなど、昔懐かしい名前が並んでいる。ベートーヴェン:ヴァイオリン、ヴィオラ、クラリネット、ホルン、ファゴット、チェロ、コントラバスのための七重奏曲op.20は、若き日のベートーヴェンの傑作の室内楽として知られた曲で、オーストリア皇帝フランツⅡ世の妃マリア・テレジア皇后に献呈されている。これはベートーヴェンが、自らの自信作である七重奏曲を皇后に献呈することによって、ハプスブルグ宮廷に認められようとしたためと言われている。曲は全部で6つの楽章からなっているが、全体の印象は、若さが漲り、はつらつとした印象を強く受ける一方、青春のやるせないような感情も顔を覗かせている。一方、ベートーヴェン:弦楽五重奏のためのフーガop.137は、1817年に完成。ヴァイオリン、ヴィオラ各2、チェロのために書かれた作品で、わずか83小節の小品であるが、5声の対位法で書かれた見事なフーガ。ウィーン・フィルハーモニー室内アンサンブルの演奏は、実に落ち着いた、伸びやかで、しかも深みのある内容となってなっており、「これが本物のウィーン情緒だ」と言わんばかりの演奏で、さすがウィーン・フィルの名手達の演奏ではあると思わず唸らされる。(LPC)
トセリ:嘆きのセレナード
ブラーガ:天使のセレナード
グノー:セレナード
モシュコフスキー:セレナード
ハイドン:セレナード
ドリゴ:セレナード
ハイケンス:セレナード
レハール:フラスキータのセレナード
ロンバーグ:学生王子のセレナード
チャップリン:マンドリン・セレナード
トスティ:セレナード
モーツァルト:幻想曲とフーガ ハ短調 KV394
幻想曲 ハ長調 KV395
幻想曲 ハ短調 KV396
幻想曲 ニ短調 KV397
幻想曲 ハ短調 KV475
ピアノ:ワルター・クリーン
発売:1976年
LP:日本コロムビア OW‐7691‐VX
これは、モーツァルトの幻想曲全5曲を収めた珍しくも愛らしいLPレコードである。モーツァルトの幻想曲だけを集めた録音は、あるようでなかなかないものだ。これらの曲は、いずれも小品であるし、ピアノソナタと一緒に演奏されたりすることはあるが、独自の存在を強くアピールするような性格を持ち合わせていないからであろう。だからと言ってそれらが魅力がない作品かというと、決してそんなことはない。それは、このLPレコードを通して聴いてみれば即座に分る。即興的な趣が強く、さらに陰影のあるその曲調を聴くと、モーツァルトの魅力がこれらの曲の中にぎゅっと凝縮されているようでもあり、一度その魅力が理解できると、生涯忘れられない思い出深い曲に一挙に大変身を遂げるのである。「幻想曲とフーガハ短調KV394」は、1782年にウィーンで作曲された。アダージョの短い序奏の後、3つの部分と短いコーダが続き、半終止でフーガに入る。「幻想曲ハ長調KV395」は、1778年、滞在中のパリで書かれたという。トッカータ風の曲で、大きく3つに分けられ、3つ目がカプリチッョ。「幻想曲ハ短調KV396」は、1789年、ヴァイオリンソナタとして書き始めたが完成せず、それを基に2年後にピアノ曲として完成させた作品。「幻想曲ニ短調KV397」は、1782年にウィーンで作曲されたとされる美しい曲。最後の「幻想曲ハ短調KV475」は、ピアノソナタ第14番と組み合わせて演奏されることが多いことで知られる。1785年にウィーンの出版社から出版された時、両曲が合わさった形で出版されたためにそうなったようだ。これらの5つの幻想曲を演奏しているのがオーストリア、グラーツ出身のピアニストのワルター・クリーン(1928年―1991年)である。「ブゾーニ国際ピアノコンクール」および「ロン=ティボー国際コンクール」で入賞。クリーンの演奏の最大の特色は、音の透明な美しさにある。それと同時に強靭なピアノタッチも持ち合わせており、脆弱さや曖昧さとは縁遠い演奏を聴かせる。その透明感のあるピアノ演奏は、モーツァルトの作品にはぴったりと合うし、特に、これらの幻想曲の演奏には正に打って付けのピアニストと言える。ここでも、特徴であるみずみずしく、そしてきらめくような、類稀な演奏を披露しており、その演奏内容は、気品のある詩情味豊かなものとなっており、見事な出来栄えだ。(LPC)
グリーク:劇音楽「ペール・ギュント」
結婚行進曲
イングリッドの嘆き
山の魔王の殿堂にて
朝
オーゼの死
アラビアの踊り<第1番>
ソルベイグの歌
アニトラの踊り
ペール・ギュントの帰郷<嵐の情景>
子守歌
指揮:トーマス・ビーチャム
管弦楽:ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
ソプラノ:イルゼ・ホルヴェイグ
合唱:ビーチャム合唱協会
LP:東芝EMI(SERAPHIM) EAC‐30035
1874年、グリークはかねてから尊敬していたノルウェイの文豪イプセンから、自作の劇「ペール・ギュント」上演のための附随音楽の作曲を依頼された。当初、気の進まなかったグリークであったが、故郷であるベルゲンに帰り、作曲に没頭することになる。翌1875年の夏に、前奏曲、舞曲、独唱曲、合唱曲など全部で23曲からなるこの曲は完成した。1876年には初演され、そして劇も附随音楽も共に成功をおさめることができたのである。これに気を良くしたグリークは、この劇音楽の中から4曲を選び、管弦楽第1組曲(朝、オーゼの死、アニトラの踊り、山の魔王の殿堂にて)をつくり、さらに管弦楽第2組曲(イングリッドの嘆き、アラビアの踊り、ペール・ギュントの帰郷)もつくった。このLPレコードでは、普通演奏される第1組曲、第2組曲ではなく、劇附随音楽として独唱や合唱を交えた原曲の形で10曲が選ばれ、演奏されている。しかし、演奏される順序は劇と同一ではなく、指揮のトーマス・ビーチャムの考えによる、緩急ところを得た配列になっている。トーマス・ビーチャム(1879年―1961年)は、イギリスの名指揮者で、シベリウスやグリークを振らせたら右に出る者はいないとまで言われた人。このLPレコードでもその本領を遺憾なく発揮している。きりりと締まったその演奏は、思わず目の前で劇が上演されているような錯覚すら覚えるほど迫力満点。ダイナミックさに加え、揺れ動く陰影を持ったロマンの香りを漂わせる指揮ぶりは、さすが伝説の指揮者と納得させられる。ソプラノのイルゼ・ホルヴェイグの歌声もグリークの曲に誠に相応しく、この録音を一層盛り上げている。録音の状態がすこぶる良く、LPレコードの美しい音色に暫し聴き惚れるほど。トーマス・ビーチャムは、イギリス出身の指揮者。学校での音楽の専門的教育は受けなかったが、アマチュア・オーケストラの指揮者などを経て、1899年にハンス・リヒターの代役でハレ管弦楽団を指揮し、プロの指揮者としてデビューを飾った。1915年イギリス・オペラ・カンパニーを創設し、しばらくはオペラ指揮者として活動したが、1932年ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を創設。また同年にロイヤル・オペラ・ハウスの音楽監督に就任し、オペラを上演。1946年新たにロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を創設、生涯にわたり英国音楽界に多大なる貢献をした。(LPC)
バッハ:前奏曲 ハ短調 BWV999
フーガ ト短調 BWV1000
組曲 ホ長調 BWV1006aより ルール/ガヴォット/メヌエット1&2/ジーグ
組曲 イ長調 BWV1007
組曲 ホ短調 BWV996より アルマンド/ブーレ
リュート:ヴァルター・ゲルヴィッヒ
録音:1964年4月、8月ハンブルク市ブランケネーゼ・ティーンハウス&ロース音楽スタジオ
LP:日本コロムビア OW‐7796‐MC
リュートは、人類が生み出した楽器の中でも最も古いものの一つである。ギターと同じく撥弦楽器の一種に数えられ、主に中世からバロック期にかけてヨーロッパで用いられた古楽器群の総称を指し、ひとまとめにしてリュート属とも呼ばれる。元来はアラビア起源の楽器が中世にヨーロッパに伝来し独自に発達し、リュートの原型となった。日本や中国の琵琶とも祖先を同じくするという。10世紀以来ヨーロッパに入り、ムーア人たちによって各地に普及した。中世の文献にリュートがしばしば登場し、16世紀~17世紀には家庭の楽器として広く愛好され、18世紀に至るまでリュート音楽は、立派な音楽として尊重されたようである。しかし、1780年頃を境に、リュートは没落して行く。そして、20世紀になるとリュートが復活し、現在では古楽器ブームの影響もあり、完全に定着した。わが国でも日本リュート協会が設立されるほど、愛好者は多い。バッハは、自分でもリュートを弾いていたことが想像され、自ら作曲した器楽曲用の曲をリュート用に編曲している。このLPレコードでリュートを弾いているのは、当時“リュート界の重鎮”と言われたヴァルター・ゲルヴィッヒ(1899年―1965年)で、録音時にはケルン国立音楽大学のリュート専攻科の主任教授の地位にあった。ゲルヴィッヒは当初、合唱指揮者としてスタートしたのだが、このことがリュート演奏において、豊かな音色を紡ぎ出す源になったと思われる。「前奏曲ハ短調」BWV999は、バッハが最初からリュートの曲として作曲したもので、ケーテン時代(1717年―1723年)につくられた。「フーガト短調」BWV1000は、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番の第2楽章からの転曲。「組曲ホ長調」BWV1006aは、無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番からの4つの舞踏曲から取られ、ヴァルター・ゲルヴィヒの編曲。「組曲イ長調」BWV1007は、無伴奏チェロ組曲第1番から取られ、ヴァルター・ゲルヴィヒの編曲。「組曲ホ長調」BMV996は、後代の誰かの手でリュート風楽器用(バッハが作らせたリュート・チェンバロのことではないかと言われている)という但し書きが書かれている。このLPレコードでは、ゲルヴィッヒが如何にリュートから深い味わいを引き出して弾いていることを聴き取ることができる。ギターとも一味違う優雅な音色に、暫し時の経つのも忘れ、古の音色に聴き惚れてしまう。(LPC)
ショパン:ピアノ協奏曲第1番
ピアノソナタ第2番
ピアノ:サンソン・フランソワ
指揮:ルイ・フレモー
管弦楽:モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団
発売:1967年
LP:東芝音楽工業 AB‐8044
このLPレコードは、フランス出身の名ピアニストであったサンソン・フランソワ(1924年―1970年)が遺した録音の一つで、今でもあらゆるショパンの録音の中でも一際光彩をはなっている名盤である。若い頃のフランソワの演奏を聴くと実に男性的で集中したエネルギーの激しさは、比類ないものであった。同時に瞬間的な閃きで演奏しているような即興的演奏は、ショパンをはじめ、ドビュッシーやラヴェルなど、ラテン系に属する作曲家の作品を演奏させたら右に出るものはいなかったと言っても過言ではないほどの優れたピアニストであった。このLPレコードは、そんなフランソワの若い時代の演奏とは、大きく印象が異なる。ショパン:ピアノ協奏曲第1番の演奏では、抒情的な演奏が印象的で、テンポも比較的ゆっくりと運んでおり、若い時のような一気に弾き切るといった雰囲気はない。その代わり、ショパンがポーランドを離れるに当たり、祖国への愛着と惜別の念を込めて作曲した作品を再現するには、丁度よい抒情味を巧みに再現し、若き日のショパンのほろ苦い感情を巧みに表現することに成功していると言ってよいであろう。ルイ・フレモー指揮モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団も、フランソワのピアノ演奏にピタリと合わせた伴奏ぶりを聴かせている。ショパン:ピアノソナタ第2番は、この曲の持つ暗い情熱を引き出すかのように、フランソワも、一部若き頃のエネルギーを鍵盤に叩き付けるような奏法に変えている。これが、この曲の持つ何とも言えない鬱積した表情を十二分に表現し切って実に見事だ。時折見せる儚い恋心にも似た心情の表現は、フランソワの即興的演奏によってより一層効果的なものになっている。ピアノのサンソン・フランソワは、フランス人の両親の間にドイツで生まれる。1934年一家でニースに戻った時、アルフレッド・コルトーに見出されて1936年にエコールノルマル音楽院に入学、1938年にはパリ音楽院に入学。1943年第1回「ロン=ティボー国際コンクール」で優勝し一躍その名が世界に知られる。ショパン、ドビュッシー、ラヴェルなどを得意としていた。指揮のルイ・フレモー(1921年―2017年)は、フランスの出身。モンテカルロ歌劇場管弦楽団(モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団)の首席指揮者を務めた後、バーミンガム市交響楽団の音楽監督に就任。第二次世界大戦後はシドニー交響楽団の首席指揮者を務めた。(LPC)
ラモー:クラヴサン、フルート、チェロのためのコンセール集(第1コンセール~第5コンセール)
第1コンセール:①ラ・クゥリカン②ラ・リヴリ③ル・ヴェジネ
第2コンセール:①ラ・ラボルド②ラ・ブーコン
③扇情的な女④ムニュエ(メヌエット)第1、
ト長調―ムニュエ(メヌエット)第2、ト短調
第3コンセール:①ラ・ラ・ポブリエール②内気な女
③タンブラン第1、イ長調―タンブラン第2、イ短調
第4コンセール:①ラ・バントミム②無分別な女③ラ・ラモー
第5コンセール:①ラ・フォルクレー②ラ・キュピス③ラ・マレ
フルート:ジャン=ピエール・ランパル
クラブサン:ロベール・ヴェイロン=ラクロワ
チェロ:ジャック・ネイ
発売:1977年8月
LP:日本コロムビア OW‐7728‐MU
ジャン=フィリップ・ラモー(1687年―1764年)は、フランス・バロック音楽の作曲家。青年時代をイタリアやパリにすごした後に、クレルモン大聖堂の教会オルガニストに就任。その後、パリに定住し、フランスの指導的な作曲家にまで上り詰める。「イッポリットとアリシー」「優雅なインドの国々」「カストルとポリュックス」「ダルダニュス」「プラテ」「ピグマリオン」「ゾロアストロ」など、歌劇の作曲には特に力を入れ、「ナヴァールの姫君」によって「フランス王室作曲家」の称号を得ることになる。このほかの作品では「クラヴサン小曲集」や今回のLPレコードのクラヴサン、フルート、チェロのためのコンセール集(第1コンセール~第5コンセール)などを作曲している。クラヴサンとは、イタリア語でいうチェンバロのことで、英語ではハープシコード。この作品では、クラヴサン、フルート、チェロの3つの楽器が、対等の立場で合奏するスタイルをとっており、聴いていて実に安定感のある音楽を楽しむことができる。バロック時代のいわゆるトリオ・ソナタとも、古典派時代以降のピアノ三重奏曲とも異なった一種独特な楽曲のジャンルを形成しており、クラヴサンのパートが、競奏的な要素をかなり強く持っている点に特徴がある。大部分が表題を持った舞曲調の曲であり、舞曲の形式を反映して、2部形式のものが多いが、なかには幾分発展して、ソナタ形式に近づいているもの、さらにロンド一形式のものもみられるが、第5コンセール:①ラ・フォルクレーだけは、例外的にフーガ形式をとっている。バッハなどのドイツのバロック音楽とは違い、フランスのバロック音楽であるこの曲は、情緒的な雰囲気が曲全体を覆い、優雅な雰囲気が、聴いていて誠に心地良い。第1~第5の各コンセールは3つの楽章からなっており、曲にはそれぞれ固有名詞が付けられているが、それらはラモーと関係のある人名や地名、あるいはラモー自身の名さえ付けられている。また、「扇情的な女」「内気な女」「無分別な女」などの名称が付けられている楽章があるが、何か謎めいていて面白い。演奏しているフルート:ジャン=ピエール・ランパル(1922年―2000年)、クラブサン:ロベール・ヴェイロン=ラクロワ(1922年―1991年)、チェロ:ジャック・ネイは、当時のフランスが誇っていた名手たちであり、その演奏内容は、実のしっかりとした構成感に加え、しっとりとした情感が何ともいえない優雅な雰囲気を醸し出している。(LPC)
マーラー:「大地の歌」
指揮:ブルーノ・ワルター
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
コントラルト:カスリーン・フェリアー
テノール:ユリウス・パツァーク
発売:1964年
LP:キングレコード MR 5036
マーラーは、交響曲としては、1~10番(第10番は未完の遺作)のほかに「大地の歌」を書き遺している。本来は全部で11の交響曲となるのだが、「大地の歌」だけには交響曲としての連番が付けられていない。つまり、「大地の歌」は、交響曲か否かという疑問が残る。この「大地の歌」の楽譜の副題は「テノールとコントラルト(またはバリトン)独唱と管弦楽のための交響曲」と書かれているが、ウニヴェルザール出版社から出版されている決定版総譜には「大地の歌」とだけ記されていて、「交響曲」とは記されていない。このため現在は「大地の歌」だけの表記が一般的だ。「大地の歌」のテキストは、中国の詩集をドイツ語訳した「支那の笛」と題した本から取っている。マーラーは、それまで「さすらう若人の歌」「亡き子をしのぶ歌」「リュッケルトの詩による歌曲」など、管弦楽付きの歌曲を作曲してきた実績を持つ。では、どうして「大地の歌」も管弦楽曲付き歌曲に終わらせなかったのであろうか。多分、中国の詩人が書いた詩というエキゾチックな雰囲気に浸るうち、歌曲以上に管弦楽のパートに力が入ってしまい、気が付くと交響曲がで出来上がっていた、といった風にも取れる。このLPレコードでの指揮は、マーラーの直弟子で、ロマン的な曲を指揮させれば当時、右に出るものはいなかった指揮者のブルーノ・ワルター(1876年―1962年)。そして、管弦楽演奏は、マーラー自らが指揮したウィーン・フィルという黄金コンビ。それに加え、独唱陣がコントラルトのカスリーン・フェリアー(1912年―1953年)、テノール:ユリウス・パツァーク(1898年―1974年)と当時考えられる最高の歌手を揃えている。カスリーン・フェリアーの深く思慮深い歌声は、中国の詩人の歌を歌わせればぴったりだし、ユリウス・パツァークの明るく澄み切った歌声は、中国の詩人たちの伸びやかな詩の世界の表現にこれほどのものはなく、共に説得力は充分だ。このため、今でもこの録音は、数ある交響曲「大地の歌」の録音の中でも、ベストワンに数え上げられているほどの名演となっている。コントラルトのキャスリーン・フェリアは、イギリス、ランカシャー州出身。正式な音楽教育を受けてはいなかったが、後に本格的音楽教育を受けた。作曲家のブリテンは、彼女のために多くのパートを作曲した。テノールのユリウス・パツァークは、ウィーン出身。クレメンス・クラウスに見いだされ、ドイツやオーストリアを中心に活躍した。(LPC)
~ミッシャ・エルマン ヴァイオリン愛奏集~
マスネー:タイスの冥想曲
アレンスキー:セレナード
シューマン:トロイメライ
キュイ:オリエンタル
ドリーゴ:花火のワルツ
サラサーテ:チゴイネルワイゼン
シューベルト:アヴェ・マリア
ドヴォルザーク:ユモレスク
ゴセック:ガヴォット
ショパン:夜想曲変ホ長調
シューマン:予言鳥
ベートーヴェン:ト調のメヌエット
チャイコフスキー:メロディ
ヴァイオリン:ミッシャ・エルマン
ピアノ:ジョセフ・セーガー
発売:1980年
LP:キングレコード(VANGUARD) SLL 1010
これは、かつて“エルマントーン”と謳われ、熱烈なファンを持っていたミッシャ・エルマン(1891年―1967年)が、1958年12月10日に行われた、“エルマン・アメリカ・デビュー50周年記念コンサート”を飾るために録音・発売されたLPレコードである。ミッシャ・エルマンは、南ロシアのタルノーイェで生まれた。オデッサ王立音楽学校を経て、12歳でペテルブルグ音楽院に学ぶ。1904年にベルリンでデビューを果たし、この時“神童の出現”としてセンセーションを巻き起こした。さらに1908年には、ニューヨークへ渡る。エルマンは、小柄で、手が大きい方ではなく、指も短かったそうで、大曲をヴィルトオーソ風に弾くよりも、このLPレコードに収められているような小品を弾く方が、その本領を発揮したようである。このLPレコードからも充分に聴き取れるが、官能的でその明るいその響きは、一度聴くと耳に残って離れない。ビブラートを存分に利かせたその奏法は、独特なものであり、何かジプシーの音楽を彷彿とさせるものがある。よく演歌などで使われる「こぶし」にも似た奏法なのである。つまり音から音へ移る間に挟みこむ「節(メロディー)」を、ここぞとばかりに多用して聴衆の心をわしづかみして離さない。これが“エルマントーン”の正体なのであるが、これはミッシャ・エルマンが弾くから様になるわけであって、同じことを他のヴァイオリニストがやったら醜悪なものになりかねないだろう。ミッシャ・エルマンのヴァイオリン奏法は、純粋で、聴衆に少しも媚びることはなったからこそ、熱烈な支持を受けのだと思う。それだけ、その背景には正統的な音楽があった、ということにも繋がる。そんな“エルマントーン”を聴きながら、「エルマンの前にエルマンなし、エルマンの後にエルマンなし」というフレーズがふと脳裏をかすめる。このLPレコードの最初の曲は、マスネー:タイスの冥想曲。マスネーが1894年に発表した歌劇「タイス」の第2幕の第1場と第2場の間に演奏される間奏曲である。「宗教的瞑想曲」と題されており、ヴァイオリンにより旋律が歌われるために、独奏曲として演奏されることが多い。そして、このLPレコードの最後の曲は、チャイコフスキー:メロディ。この「メロディ」は、数少ないチャイコフスキーのヴァイオリン独奏用の曲の一つで、1878年に作曲された「なつかしき思い出」(作品82)という3曲からなるヴァイオリンのための曲集の最後の曲。(LPC)
ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」
指揮:フェレンツ・フリッチャイ
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
LP:ポリドール MH5009(SE 7211)
ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」ほど録音の数が多い交響曲も滅多にあるまい。それだけ多くのリスナーに愛されている曲であることの証明にもなろう。ドヴォルザークはニューヨークの国民音楽院の院長の就任のため招かれ、アメリカに滞在している時に聴いたアメリカン・インディアンなどの民謡が、この交響曲作曲の切っ掛けであるという。ドヴォルザークの生まれ故郷のハンガリーやボヘミアは、優れた音楽土壌に恵まれた土地柄であり、その土壌をベースとして、当時「新世界」と言われていたアメリカの民謡とが、巧みなオーケストレーションによって、新しい交響曲として誕生したのである。このため、多くのリスナーにとって分りやすい曲想であることが人気の源となっているようだ。このようにドヴォルザークは、常に民謡など国民音楽を重視する姿勢に貫かれているが、ただ単に民謡を真似て作曲するのではなく、「一旦それを昇華させ、作曲家の独自のものとして新たな構想の下に作曲されるべきだ」という持論を持ち、自ら実践した人であり、そしてその最も成功した曲の一つが「新世界交響曲」なのである。このLPレコードでベルリン・フィルを指揮しているのが、49歳の若さで世を去ったハンガリー出身の名指揮者フェレンツ・フリッチャイ(1914年―1963年)である。ハンガリー国立交響楽団音楽監督、ヒューストン交響楽団音楽監督、ベルリン・ドイツ交響楽団首席指揮者 、ベルリン・ドイツ・オペラ音楽監督、バイエルン国立歌劇場音楽総監督などを歴任。フリッチャイは、フルトヴェングラー亡き後のドイツ指揮界をカラヤンと二人で支えた実力者であり、当時の聴衆もフリッチャイの将来に大きな希望を抱いていた。その指揮ぶりは、常に躍動的であり、ダイナミックな表現力に優れ、聴く者に圧倒的なインパクトを与えずには置かないものがあった。晩年になり、その傾向はますます深まり、そのスケールの大きな指揮ぶりは、巨匠と呼ばれるに相応しいところに到達した、と皆が感じた正にその時に、白血病のため多くの人々に惜しまれつつこの世を去ってしまったのだ。このLPレコードには、晩年のフリッチャイの特徴である、スケールが大きく、陰影が濃く、そして深い精神性に支えられた、類稀なる演奏内容が収録されている。「新世界交響曲」の代表的録音として永遠の生命力を有している、と言っても過言でない。録音状態も良い。(LPC)