★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇ショーソン:交響曲変ロ長調/交響詩「祭りの夕べ」

2025-02-10 09:43:00 | 交響曲


ショーソン:交響曲変ロ長調
      交響詩「祭りの夕べ」

指揮:ミシェル・プラッソン

管弦楽:トゥールーズ市立管弦楽団

LP:東芝EMI EAC‐40184
 
 このLPレコードは、フランス人の作曲家エルネスト・ショーソンの2曲の作品を収めたものである。ショーソンというと「詩曲」が余りにも有名である反面、ショーソンのその他の作品を聴く機会が正直あまりなく、その作曲家像も我々日本人としては、いまいちピンとこないのではなかろうか。ショーソンは、大学で法律を学んだ後、24歳でパリ音楽院に入学する。叙情性と憂愁を含んだ独特の作風で作曲活動を展開し、ヴァイオリンとオーケストラのための「詩曲」、オーケストラ伴奏の歌曲「愛と海の詩」、交響曲変ロ長調のほか、多くの歌曲や室内楽曲を発表した。しかし、突然の事故で短い一生を終えることになる。それは、1899年6月にパリ郊外を自転車で散策中に柱に頭を打ち付けて即死したのだ。享年44歳であった。ショーソンは、セザール・フランクを師と仰ぐ、いわゆる“フランキスト”の一人であった。その頃、ショーソンはフランス音楽を広く知らしめるために設立された国民音楽協会の書記に就任している。ちなみに同協会の会長がフランク、書記がショーソンとダンディ、会計がフォーレであることで分かるとおり、フランス音楽の大御所が名を連ねている。この後フランスは、デュカス、ルーセル、オネゲル、ミヨーといった我々にもお馴染みの作曲家を輩出することになる。このLPレコードに収められているショーソン:交響曲変ロ長調は、あの有名なフランクの交響曲が書かれた直後に完成した作品で、全体が3楽章からなる交響曲という珍しいスタイルを取り、フランクの影響が強く反映されている。フランクの影響を受けた交響曲といっても、その陰鬱な抒情味と甘美なメロディーは、ショーソンなくしては成し得ない独自の世界を形作っていることも確か。基本的にはフランス音楽特有なエレガンスさには貫かれているものの、時にワーグナーを思わせる壮大な響きを奏でる場面やブルックナーの交響曲のように聴こえる一瞬もある。私個人としては甘美なメロディーに彩られた、如何にもフランスの作曲家の作品らしい微妙な彩を持った第2楽章に引き付けられる。交響詩「祭りの夕べ」は、交響曲変ロ長調の7年後に書かれた作品。イタリアの美しい自然の中において作曲されたこともあり、友人であったドビュッシーの作品にも似た、微妙な管弦楽の色合いの美しさが印象的な秀作。パリ出身のミシェル・プラッソン(1933年生まれ)指揮トゥールーズ市立管弦楽団の演奏は、ショーソンの叙情性と憂愁味を存分に表現し切っている。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ロストロポーヴィッチのショパン:チェロソナタ /ショスタコーヴィッチ:チェロソナタ(ライヴ録音盤)

2025-02-06 09:38:02 | 室内楽曲(チェロ)

ショパン:チェロソナタ
ショスタコーヴィッチ:チェロソナタ

チェロ:ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ

ピアノ:アレクサンダー・デデューヒン

発売:1977年4月

LP:日本コロムビア OZ‐7530‐BS(ライヴ録音盤)
 
 このLPレコードは、チェロの巨匠ロストロポーヴィッチ(1927年―2007年)が遺したライヴ録音という点で貴重な記録である。ロストロポーヴィッチは、「生の演奏でその真価を発揮するタイプの演奏家であった」と言われており、このLPレコードの存在価値は大きい。この辺のいきさつについて、このLPレコードのライナーノートで小石忠男氏が次のように書いている。「このレコードは、以上二人(ロストロポーヴィッチとデデューヒン)のコンビによる演奏会の実況録音で、聴衆のノイズや拍手、ちょっとした調弦の音までが収められている。この演奏がどこで収録されたものかはわからないが、ロストロポーヴィッチがデデューヒンと演奏していたのは、1974年の(米国)移住以前と思われるので、この録音も74年よりも前のものと推定される。このうちショスタコーヴィッチのチェロソナタは、かつてソ連で録音された作曲者との共演がレコード化されていたが、ショパンのチェロソナタは、現在までカタログにない」。ムスティスラフ・ロストロポーヴィチはアゼルバイジャン(旧ソビエト連邦)出身のチェリスト・指揮者である。モスクワ音楽院で学び、「全ソビエト音楽コンクール」金賞受賞などの輝かしい受賞歴を持つほか、1951年と1953年に「スターリン賞」を、1963年に「レーニン賞」を、さらに1966年 に「人民芸術家」の称号を受けるなど、旧ソ連における国民的英雄であった。しかし、1970年に 社会主義を批判した作家アレクサンドル・ソルジェニーツィン(1918年―2008年)を擁護したことで旧ソビエト当局から「反体制者」とみなされ、国内での演奏活動の停止および外国での出演契約も破棄されてしまう。これに抗議して、ロストロポーヴィッチは1974年に米国に亡命。これにより一旦は国籍が剥奪されるが、1990年に旧ソ連で16年ぶりに凱旋公演を行い、国籍を回復する。この録音は、今から40年以上前のライヴ録音であるので、決して良い音質とは言えない。しかし、2曲の演奏とも実際の演奏会での録音なので、コンサートの緊張感がそのままリスナーに伝わって来る。ここでのロストロポーヴィッチの演奏は、うねるように起伏を大きく取り、しかも、いとも軽々とチェロを弾きこなす。これにより、ショパン:チェロソナタは、深遠さとスケールの大きな曲へと変身を遂げる。そして、ショスタコーヴィッチ:チェロソナタは、細部まで克明に演奏されることにより、その美しさが魔法の如く生み出される。このLPレコードを聴き、ロストロポーヴィッチが不世出のチェリストであったことを再認識させられた。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ターリッヒ指揮チェコ・フィルによるドヴォルザーク:交響曲第8番/ヤナーチェク(ターリッヒ編曲):交響組曲「利口な女狐の物語」

2025-02-03 09:42:50 | 交響曲

ドヴォルザーク:交響曲第8番
ヤナーチェク(ターリッヒ編曲):交響組曲「利口な女狐の物語」

指揮:ヴァーツラフ・ターリッヒ

管弦楽:チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

発売:1997年7月

LP:日本コロムビア OW‐7704‐S
 
 これは、チェコの大指揮者のヴァーツラフ・ターリッヒ(1883年―1961年)を偲ぶLPレコードだ。どちらかと言えば“歴史的名盤”の範疇に入る録音なのかもしれないが、決して鑑賞に向かないほどでもなく、ターリッヒ指揮チェコ・フィルの名演を堪能することができる貴重な録音である。演奏しているチェコ・フィルは、最初に指揮をしたのがドヴォルザークであり、今日の世界的な一流オーケストラに育て上げたのがターリッヒであった。チェコの首都プラハには1881年に建てられたプラハ国民劇場があるが、同劇場のオーケストラのメンバーを中心として、チェコ・フィルハーモニー協会が設立され、その2年後の1896年に、ドヴォルザークが自作を指揮して、現在のチェコ・フィルが誕生したのであった。そして、1919年にターリッヒが常任指揮者に迎えられ、以後、22年間にわたってターリッヒは、チェコ・フィルの技能を大幅に向上させ、魅力的な音質と独特なリズム感を持った、世界でも有数のオーケストラへと育て上げたのである。ターリッヒの指揮の特徴は、現代的な合理的な感覚をベースとして、ボヘミアの民族的な香りを巧みに融合させたところにある。ヴァーツラフ・ターリヒは、モラヴィアの出身。プラハ音楽院を卒業後、ベルリン・フィルのコンサート・マスターに就任後、指揮者に転向。このLPレコードには、ターリッヒ指揮チェコ・フィルの演奏で、ターリッヒと同郷のドヴォルザークとヤナーチェクの作品が収められている。正調のドヴォルザークそしてヤナーチェックを聴くことができる歴史的録音とでも言えようか。ドヴォルザーク:交響曲第8番は、しばしば「イギリス」という愛称で呼ばれるが、これはただ単に最初にイギリスで出版されたので付けられただけで深い意味はない。有名な新世界交響曲の4年前に書き上げられ、ドヴォルザークの“田園交響曲”とでも言えるほどボヘミアの民族色が反映された曲で、哀愁に満ちたそのメロディーを聴いたら二度と忘れられない魅力を秘めている。ここでのターリッヒ指揮チェコ・フィルの演奏は、民族の共感に溢れ、心の底に響くような熱い情熱と、明快な圧倒される表現力でリスナーを魅了して止まない。一方、ヤナーチェク:交響組曲「利口な女狐の物語」は、ヤナーチェクの歌劇「利口な女狐の物語」をターリッヒが交響組曲に編曲した作品。普段はあまり演奏されない曲ではあるが、“チェコの真夏の夜の夢”とも言われる幻想的な曲だ。豊かなボヘミヤの自然の息吹が肌で感じられるような心地良い演奏に仕上がっている。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ベルリン弦楽四重奏団員によるベートーヴェン:弦楽三重奏曲第2番/第3番/第4番

2025-01-30 09:36:56 | 室内楽曲

ベートーヴェン:弦楽三重奏曲第2番 ト長調Op.9‐1
              第3番 ニ長調Op.9‐2
              第4番 ハ短調Op.9‐3

弦楽三重奏:ベルリン弦楽四重奏団員
          
          カール・ズスケ(ヴァイオリン)
          カール=ハインツドムス(ヴィオラ)
          マティアス・プフェンダー(チェロ)

LP:日本コロムビア(eurodisc) OQ‐7112‐K

発売:1976年4月

 ベートーヴェンは、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロによる作品として、弦楽三重奏曲4曲とセレナーデ1曲の合計5曲を遺している。これらはいずれもベートーヴェンの20歳代の初期の作品に当る。これらの中で、1798年に完成したOp.9の3曲は、初期の作品とはいえ、モーツァルトの世界から抜け出し、いよいよベートーヴェンらしい顔を覗かし始めた頃の作品である。この3曲の弦楽三重奏曲は、中期から後期にかけてベートーヴェンが作曲した傑作の森の陰に隠れ、あまり話題に上ることもなく、また、演奏の機会も決して多くはない。しかし、改めてこの3曲を聴いてみると、後年花開くベートーヴェンの才能の最初の萌芽が聴き取れ、実に興味深い作品であることに気づく。ベートーヴェンは、以後弦楽三重奏曲は書かず、もっぱら弦楽四重奏曲に傾倒する。これは、ベートーヴェンが、より深い音色を弦楽器の求めた結果であることが推測される。弦楽三重奏曲第2番ト長調Op.9‐1は、隅々まで眼の行き届いたがっちりとした構成力が印象に残る初期の力作。同第3番ニ長調Op.9‐2は、詩的な雰囲気を漂わせ、哀愁味も持ったロマン的な作品。そして、同第4番ハ短調Op.9‐3は、初期の器楽作品の中でも傑作と目される曲で、緊張感が全体を包み込み、曲の盛り上げ方も非凡なものが感じ取れる。これら3曲を、このLPレコードで演奏しているのは、ベルリン弦楽四重奏団員のヴァイオリン:カール・ズスケ、ヴィオラ:カール=ハインツドムス、チェロ:マティアス・プフェンダーの3人である。ベルリン弦楽四重奏団とは、1965年に、ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターを経て、ベルリン国立管弦楽団の第1コンサートマスターを務めていたカール・ズスケ(1934年生まれ)を中心に結成された旧東ドイツ屈指のカルテットのこと。当初は、ズスケ弦楽四重奏団と称していたが1970年に改称し、以後ベルリン弦楽四重奏団として活躍することになる。1973年には来日も果たしている。カール・ズスケは、モーツァルトのヴァイオリンソナタなどの名録音も遺しているが、音色に透明感があり、常にきっちとした構成美で演奏し、日本でも多くのファンを持っていた。このLPレコーでの演奏は、卓越した演奏技術に貫かれた安定感のある演奏内容となっており、それに加えて、音色が美しく、爽やかな印象を醸し出し、実に魅力的な演奏だ。それにしても今後、ベートーヴェン初期の、これら3曲の魅力的な弦楽三重奏曲の演奏機会が増えることを願うばかりだ。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇クレメンス・クラウス指揮ウィーン交響楽団のモーツァルト:セレナード第7番「ハフナー」

2025-01-27 09:46:42 | 管弦楽曲

モーツァルト:セレナード第7番「ハフナー」 KV250(248b)
         
         1.アレグロ・マエストーソ~アレグロ・モルト
         2.アンダンテ
         3.メヌエット
         4.ロンド・アレグロ
         5.メヌエット・ガランテ
         6.アンダンテ
         7.メヌエット
         8.アダージョ~アレグロ・アッサイ

指揮:クレメンス・クラウス

管弦楽:ウィーン交響楽団

録音:1951年

LP:ワーナー・パイオニア H-5061V
 
 モーツァルトのセレナード第7番は、「ハフナー」という愛称で親しまれ、一般的に「ハフナー・セレナード」で通用している。初演は1776年で、ザルツブルクの富豪で、市長でもあったハフナー家の結婚披露宴のためにモーツアルトが作曲した作品。後年、モーツァルトはハフナー家のためのセレナードをもう1曲作曲しており、その曲は、交響曲第35番「ハフナー」に使われている。このLPレコード指揮をしているのは、ウィーン出身の名指揮者クレメンス・クラウス(1893年―1954年)である。クレメンス・クラウスは、ウィーン・フィルが毎年1月1日に楽友協会大ホールで行う、「ニューイヤーコンサート」を1939年に開始したことでも知られている。ニューイヤーコンサートのプログラムは、主にヨハン・シュトラウス一家のワルツやポルカで構成される。クレメンス・クラウスの死後は、、ウィーン・フィルのコンサートマスターであったウィリー・ボスコフスキー(1909年―1991年)に引き継がれ、現在では、世界の有力な指揮者たちによって持ち回りで行われている。クレメンス・クラウスの父は、オーストリア皇室と姻戚関係がある大貴族。母は、後にウィーン・フォルクスオーパーの舞台監督を務めた女優でソプラノ歌手であった。1929年にウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任。さらに翌年、フルトヴェングラーの後任としてウィーン・フィルの常任指揮者に就任。1935年にベルリン国立歌劇場の音楽監督、また1937年にはバイエルン国立歌劇場の音楽監督に就任することになる。第二次世界大戦後は、ナチスに協力した容疑で演奏活動の停止を命じられたりしたが、暫くしてウィーン・フィルに復帰、さらにバイロイト音楽祭などでも活躍した。しかし、戦前のように重要なポストに就くことはなかった。このことが、フルトヴェングラーや同世代の指揮者のカール・ベームなどに較べ、知名度が高くない原因なのかもしれない。そんな実力派のクレメンス・クラウスが遺した数少ないモーツァルトの録音が、このモーツァルトの「ハフナー・セレナード」である。ここでのクレメンス・クラウスの指揮ぶりは、誠に明快そのものだ。リズミカルで明るく、颯爽とした曲づくりは、モーツァルトの「ハフナー・セレナード」の演奏には正に打って付け。ハフナー家の華やかな結婚披露宴が目の前に浮かび上がってくるようだ。フルトヴェングラーやベームの録音が大量にCD化されているのに比べ、この録音がCD化されることもなく、永久にお蔵入りとなるのは残念至極。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇スメタナ弦楽四重奏団のシューベルト:弦楽四重奏曲第14番「死と少女」 /ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲「アメリカ」

2025-01-23 09:53:17 | 室内楽曲(弦楽四重奏曲)

シューベルト:弦楽四重奏曲第14番「死と少女」
ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲「アメリカ」

弦楽四重奏:スメタナ弦楽四重奏団

録音:1954年(「死と少女」)/1958年(「アメリカ」)

発売:1977年7月

LP:日本コロムビア OW-7708-S
 
 このLPレコードで演奏しているスメタナ弦楽四重奏団は、1943年にプラハ音楽院の学生のリベンスキー(第1ヴァイオリン)、コステツキー(第2ヴァイオリン)、ノイマン(ヴィオラ)、コホウト(チェロ)の4人により、最初プラハ音楽院四重奏として結成され、1945年になり、スメタナ弦楽四重奏としてデビューを果した。得意のチェコ音楽をはじめ、モーツァルト、ベートーベン、ハイドン、ブラームスやドビュッシーなど、幅広いレパートリーを持ち、世界各地での演奏活動によって多くのファンを魅了した。確固とした技巧に裏付けられた、その流れるような美しい表現力は、当時のカルテットの中でも一際抜きんでた存在であった。全員が暗譜で演奏するそのスタイルでも話題をさらったものだ。1958年には初来日し、その優れた演奏を聴かせ、以後16年間に渡り日本での演奏活動を行い、日本の多くのファンから愛されたカルテットであった。1988年最後の日本ツアーが行なわれ、翌年の1989年に解散した。スメタナ弦楽四重奏団の演奏は、全てが自然な流れの中に身を置くような演奏スタイルであり、聴いていて何の抵抗感がない。かと言って、当然ただ漠然と演奏するわけではなく、微妙なニュアンスを大切にし、幽玄の美といったような至高の芸術にまで高めることに真骨頂があった。どこか、日本的な要素もあり、日本のクラシック音楽ファンにとっては、非常に親近感が湧くカルテットではあった。そんなスメタナ弦楽四重奏団の演奏で、弦楽四重奏曲の古今の名曲「死と少女」と「アメリカ」の2曲が聴けるのが、このLPレコードである。シューベルト:弦楽四重奏曲第14番「死と少女」で、スメタナ弦楽四重奏団は、精緻を極めた演奏を繰り広げる。何と豊かで、同時にこのカルテットでしか表現しえないような静寂さが込められている演奏となっている。少しも表面的な表現に流されることはなく、常に精神の内面を覗き込むような強靭な求心力を秘めた演奏となっている。一方、ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲「アメリカ」の演奏は、シューベルトの時とはがらりと演奏スタイル変え、明るく、歌うように演奏を盛り上げる。もうこうなると、「この四重奏曲は我々の曲」とでも言いたげな雰囲気さえ醸し出す演奏だ。スメタナ弦楽四重奏団の根底には、どうも民族的音楽の情熱がたぎっているように私には聴こえる。今もって、スメタナ弦楽四重奏団を超える叙情味溢れる演奏を聴かせてくれるカルテットは存在していないと言っても間違いなかろう、と私は思う。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇バックハウス・カーネギー・ホール・リサイタル(1954年3月30日)第2集

2025-01-20 09:40:39 | 器楽曲(ピアノ)


~バックハウス・カーネギー・ホール・リサイタル(1954年3月30日)第2集~

ベートーヴェン:ピアノソナタ第32番
        ピアノソナタ第25番「かっこう」
シューベルト:即興曲Op.142-2
シューマン:幻想小曲集Op.12より第3曲「なぜに?」
シューベルト(リスト編曲):ウィーンの夜会第6番
ブラームス:間奏曲Op.119-3

ピアノ:ウィルヘルム・バックハウス

録音:1954年3月30日、ニューヨーク、カーネギー・ホール

発売:1972年

LP:キングレコード(ロンドン・レコード) MZ 5099
 
 このLPレコードは、ドイツの大ピアニストのウィルヘルム・バックハウス(1884年―1969年)が、ニューヨークのカーネギー・ホールで行ったコンサートのライヴ録音の第2集(第1集は別掲)である。この夜のコンサートは、バックハウスのアメリカにおける実に28年ぶりの演奏であった。実際のコンサートでの演奏曲順は、このLPレコードとは異なり、ベートーヴェン:ピアノソナタ第25番に続き、ピアノソナタ第32番が演奏され、最後にアンコールに応えて4曲の小品が演奏された。一般的に言って、当時のライヴ録音は音質が悪く、鑑賞には向かないものが多いが、このLPレコードは、ライヴ録音ながら何とか鑑賞に耐え得る音質となっている。バックハウスは、ドイツ・ライプツィヒ出身(1946年にスイスに帰化)。16歳(1900年)の時にデビュー。1905年、パリで開かれた「ルビンシュタイン音楽コンクール」のピアノ部門で優勝を果たす。第二次世界大戦中は、ヒトラーがバックハウスのファンであったためにナチスの宣伝に利用され、これが戦後に禍し、ナチ協力者として米国でバックハウスの来演を拒否する動きが起こった。このことが、このLPレコードの「アメリカにおける実に28年ぶりの演奏」の真相であったのだ。そう思ってこのLPレコード聴くと、聴衆の熱狂の真の意味を理解することができる。このニューヨークでのコンサートの後、同年4月5日~5月22日に訪日を果たし、日本のファンの熱烈な歓迎を受けることになる。バックハウスは、1969年6月28日にオーストラリアでのコンサート演奏中に心臓発作を起こす。しかし、医師の忠告を聞かず、最後まで弾き終え、運ばれた病院で亡くなった。このコンサートの最後に弾いたのが、このLPレコードにも収められているシューベルト:即興曲Op.142-2であった。バックハウスは、よく“鍵盤の獅子王”と言われるが、バックハウスの技巧の素晴らしさを言い表したもの。このLPレコードのA面に収められているベートーヴェン:ピアノソナタ第32番は、正に“鍵盤の獅子王”に相応しく、威風堂々と曲に真正面から取り組み、スケールの大きな表現でこのベートーヴェン後期の大作が持つ、深い精神性を余すところ無く表現し尽している。一方、第25番は、ベートーヴェンの中期の比較的簡素なピアノソナタであるが、バックハウスは、決して手を抜くことはせず、全力で一気呵成に弾きこなす。こんなところがバックハウスの魅力なのでろう。アンコールで弾いた4曲は、いずれもこれらの曲に込められたバックハウスの深い愛情が聴き取れる優れた演奏となっている。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ロベール・カザドシュのサン=サーンス:ピアノ協奏曲第4番/フォーレ:ピアノと管弦楽のためのバラード、前奏曲第1番/第3番/第5番

2025-01-16 09:59:20 | 協奏曲(ピアノ)

サン=サーンス:ピアノ協奏曲第4番

フォーレ:ピアノと管弦楽のためのバラード
     前奏曲より第1番/第3番/第5番

ピアノ:ロベール・カザドシュ

指揮:レナード・バーンスタイン

管弦楽:ニューヨーク・フィルハーモニック

録音:1961年10月30日/12月14日、ニューヨーク

発売:1978年

LP:CBS/SONY 13AC 400

 このLPレコードは、フランスを代表する作曲家サン=サーンスとフォーレの曲を、フランスの名ピアニストであったロベール・カザドシュ(1899年―1972年)が演奏し、フランスの香りが馥郁とするところが魅力となっている。カサドシュは、パリ音楽院で学び、1913年に首席で卒業。以後、世界を舞台に演奏活動を行う。ギャビー夫人と息子ジャンとの共演により、モーツァルトの「2台ピアノのための協奏曲」や「3台ピアノのための協奏曲」のLPレコードも遺されている。かつて、パリ音楽院やエコール・ノルマルからは、アルフレッド・コルトー、マルグリット・ロン、イブ・ナット、サンソン・フランソワ、ディヌ・リパッティそしてロベール・カザドシュと、“フランス・ピアノ楽派”とでも言える一連の優れたピアニストを輩出し続けた。ロベール・カザドシュは、この“フランス・ピアノ楽派”の最後を飾る大ピアニストであったのだ。その演奏は、フランス音楽の粋を徹底して極めたもので、デリケートであり、抒情味溢れたもので、しかも透明感が際立っていた。少しも無骨なところは無く、印象派の絵画を思わせるような、全体に光が散りばめられたような演奏内容は、一度聴くと忘れられない。ただ、演奏スタイルそのものは、古典的でオーソドックスなもので、この意味では、今聴くと一種の古さを感じるかもしれない。しかし、それを上回る優雅さや品のよさは、今聴いても万人を納得させる説得力を持っている。サン=サーンスは、全部で5曲のピアノ協奏曲を作曲したが、ピアノ協奏曲第4番は、サン=サーンスが作曲家として最も充実した時期に書かれた作品。2楽章構成で、さらに各楽章が2つの部分に分かれた構成を取っている。次のフォーレ:ピアノと管弦楽のためのバラードは、オリジナルは1880年に出版されたピアノ曲で、翌年フォーレの手によって管弦楽を伴う形に編曲された。最後のフォーレ:前奏曲は、全部で9つある曲から第1番、第3番、第5番が録音されている。フォーレの前奏曲は、あまり知られた曲ではないが、コルトーは「苦も無く千変万化するピアノの多様性で人の心を奪う」と高く評価している。これら3曲を演奏するロベール・カザドシュは、その持ち味である正統的で端正な切り口を持った演奏を存分に聴かせる。あたかも抒情詩を朗読でもするかのように、一つ一つ味わうように演奏するすスタイルは、今ではほとんど聴くことができないものだけに、貴重な録音である。バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルの伴奏も深みがあって聴き応え充分。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ジャン・マルティノンのボロディン:交響曲第2番/リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲 、歌劇「サルタン皇帝の物語」から行進曲

2025-01-13 09:36:00 | 交響曲


ボロディン:交響曲第2番
リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲
            歌劇「サルタン皇帝の物語」から行進曲

指揮:ジャン・マルティノン

管弦楽:ロンドン交響楽団

発売:1980年

LP:キングレコード GT 9351

 このLPレコードでロンドン交響楽団を指揮しているのが、フランスの名指揮者ジャン・マルティノン(1910年―1976年)である。マルティノンは、リヨンに生まれ、パリ音楽院でヴァイオリン、作曲、指揮を学ぶ。パリ音楽院管弦楽団、ボルドー交響楽団などの首席指揮者などを歴任した後、シカゴ交響楽団音楽監督を経て、1968年からはフランス国立放送管弦楽団の音楽監督に就任する。しかし、これからという66歳で世を去ってしまう。マルティノンは、何と言ってもフランス音楽を振らせたら、右に出る者はいないと言われたぐらいフランス音楽との相性が抜群に良い指揮者であった。中庸を得た明快な指揮ぶりと、知的でセンスのある繊細な音づくりには定評があった。そんな特徴を持つマルティノンにロシア音楽を振らせたらどういうことになるのか?既に紹介したチャイコフスキーの「悲愴交響曲」では、幾多あるこの曲の録音の中でも、今もって上位にランクされるほどの名演奏を聴かせてくれた。さて、このLPレコードのボロディンとリムスキー=コルサコフの二人のロシア作曲家の曲をマルティノンはどう指揮するのであろうか?ボロディンとリムスキー=コルサコフは、19世紀後半に活躍した“ロシア五人組”のメンバーである(あとの3人は、バラキレフ、キュイそれにムソルグスキー)。その中の一人、ボロディンは、大学教授と作曲家の二足の草鞋を履いた生活を送ったため、作品の数はそう多くはないが、歌劇「イーゴリ公」やこのLPレコードの交響曲第2番などの名曲を今に遺している。交響曲第2番は、古典的な交響曲の手法に基づきながら、スラブ的な民族色を打ち出した曲として今でも多くのリスナーから愛好されている曲。一方、リムスキー=コルサコフは、若い頃海軍士官の経歴を持ち、後に作曲家に転じ、晩年は、音楽院の院長として後輩の育成にも貢献した。このLPレコードでのマルティノンの指揮ぶりは、ボロディン:交響曲第2番では、実にメリハリに利いた明快な表現力が実に魅力的だ。30年以上前の録音とは思えないほど、現在でも通用するような表現力の驚かされる。リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲は、マルティノンのセンスのいい指揮振りが一際印象に残る。リズム感に溢れたその演奏は、自身が持つ資質を存分に発揮した演奏と言えよう。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇若き日のアシュケナージのシューベルト:ピアノソナタ第18番「幻想」

2025-01-09 09:42:29 | 器楽曲(ピアノ)


シューベルト:ピアノソナタ第18番「幻想」D.894(Op.78)

ピアノ:ウラディーミル・アシュケナージ

録音:1970年、ロンドン・オペラ・センター

発売:1977年

LP:キングレコード SLA 1131
 
 シューベルトのピアノソナタ第18番は、初版譜に“幻想曲”と書かれていたことから「幻想ソナタ」と呼ばれている。この曲はシューベルトのピアノソナタの中でも、内容的に優雅で、完成度も高い曲である。しかし一方、「冗長度が高く、演奏効果を出し難いピアノソナタ」という評価を下す向きもあることも事実。このLPレコードは、そんなシューベルトのピアノソナタを、ピアニスト時代の若き日のウラディーミル・アシュケナージ(1937年生まれ)が弾いた録音である。アシュケナージは、旧ソ連出身のピアニスト&指揮者である。1956年に「エリザベート王妃国際音楽コンクール」に出場して優勝を果たし、一躍その名を世界に知らしめ、その後の欧米各国での演奏旅行で、その実力が認められるに至った。1962年には「チャイコフスキー国際コンクール」で優勝。しかし、1963年に、ソヴィエト連邦を出国し、ロンドンへ移住し、以後実質的な亡命生活を送ることになる。1970年頃からは指揮活動にも取り組み始め、現在では指揮者としての活動が中心となっている。現在、スイスのルツェルン湖畔に居を構え、ここを拠点として、シドニー交響楽団およびEUユース管弦楽団の音楽監督として世界的な活動を展開している。2004年から2007年までNHK交響楽団の音楽監督を務め、2007年からは桂冠指揮者を務めているので、今やアシュケナージの名を聞くとピアニストとしてより指揮者のイメージの方が定着している。このLPレコードの録音は、1970年、ロンドン・オペラ・センターで行われたので、アシュケナージ33歳の時のピアノ演奏ということになる。アシュケナージのピアノ演奏は、超人的な演奏技能により、どんな難曲でも難なく弾きこなす凄さに加え、抒情的な表現でも並外れた才能を発揮する。このLPレコードではそんなアシュケナージの抒情的な演奏の冴えを存分に味合うことができる。シューベルトのピアノソナタは、ベートーヴェンのそれとは異なり、多くの曲が歌曲のように美しいメロディーに埋め尽くされているが、そんなシューベルトのピアノソナタの特徴が、もっとも多く盛り込まれたピアノソナタが、この第18番「幻想」なのである。特に、第1楽章に、この曲の持つ叙情性と歌曲性とが集約されているわけであるが、アシュケナージは、ものの見事にこの二つの側面を表現しており、改めてピアニストとしてのアシュケナージの実力の高さに、眼を見張らされる思いがする。何か、アシュケナージの指から、こんこんと音楽が湧き出してくるような、不思議な体験をさせられるLPレコードである。(LPC)

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