★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇ロジェストヴェンスキー指揮モスクワ放送交響楽団のシベリウス:交響曲第6番/第7番

2021-04-15 09:42:37 | 交響曲

シベリウス:交響曲第6番/第7番

指揮:ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー

管弦楽:モスクワ放送交響楽団

録音:1974年、モスクワ

LP:VICTOR VIC-4005

 今回はゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(1931年―2018年)が、モスクワ放送交響楽団を指揮した「シベリウス:交響曲全集」の中から、第6番/第7番を収録したLPレコードを取り上げる。ロジェストヴェンスキーは、1931年モスクワ出身の指揮者。20歳の時、ボリショイ劇場でチャイコフスキーのバレエ音楽「るみ割り人形」を指揮して一躍注目を浴びる。当時の旧ソ連政府は、ソ連文化省交響楽団を創設するのに際し、ロジェストヴェンスキーを音楽監督に就かせたことでも分かる通り、旧ソ連国内では確固たる地位を固めていた。初来日は、1957年。以後、度々日本を訪れ、1990年には読売日本交響楽団の名誉指揮者となる。さらに、長年ロシア音楽の普及に務めた功績により、2001年勲三等旭日中綬章を受章するなど、日本とは深いつながりを持つ指揮者だ。モスクワ放送交響楽団、ロイヤル・ストックホルム・フィル、BBC交響楽団、ウィーン交響楽団の各首席指揮者を歴任してきた、ロシアを代表する巨匠であった。シベリウスは、生涯で合計7曲の交響曲を作曲した。第6番は、第7番という最高傑作の橋渡し的交響曲という位置づけをされることもある。手法的にも内容的にも第7番に似ている曲とされることも否定できない。しかし、その一方では、田園的な楽想と抽象的な楽想の見事な統一という、独自性を兼ね備えた交響曲とも取れる。一方、交響曲第7番は、シベリウスが交響曲で到達した至高の境地が盛り込められた最高傑作という評価が下されている作品。単一楽章からなり、その内容も、第1番の交響曲から積み上げてきた、それまでの楽想の集大成といった趣が強い作風となった。このLPレコードでのロジェストヴェンスキーの第6番の指揮ぶりは、その出だしから北欧の田園的田園風景を思い起こさせるような、透明感と優雅さが込められており、引きつけられる。どことなく心躍るようにユーモラスに指揮する部分もあり、シベリウス特有の魅力がしばしば顔をもたげる。この録音は、シベリウスの後期の交響曲は難解だという、紋切型鑑賞法に一石を投じる内容だ。オケもロジェストヴェンスキーの指揮に敏感に反応する。一方、第7番は、深みを込めた指揮ぶりが全面を覆いつくし、シベリウスの心の底を除き込むような、壮絶さがリスナーにひしひしと伝わる。世界各地での紛争が絶えない人類へ対しての、何か祈りのようにも感じられる。これは、人類が到達した交響曲の最高峰の一つであり、そして、その演奏でもあり、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーの指揮の凄味の一端に触れた気がする。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇バルトーク四重奏団のバルトーク:弦楽四重奏曲第1番/第2番

2021-04-12 09:40:24 | 室内楽曲(弦楽四重奏曲)

 

バルトーク:弦楽四重奏曲第1番/第2番

弦楽四重奏:バルトーク四重奏団

発売:1975年

LP:RVC(ΣRATO) ERA‐2050(STU‐70396)

 これは、バルトーク四重奏団によるバルトーク:弦楽四重奏曲全集(3枚組)の中から、第1集目のLPレコードである。弦楽四重奏曲第1番は、1907年―08年に作曲され、3つの楽章が切れ目なく続けて演奏される。バルトークが教職にあったブダペスト音楽アカデミーで女学生マルタ・ツィーグラーと出会い、結婚した頃の作品。バルトークの作品においては、「オーケストラのための二つの肖像」「ピアノのためのバガテル」「二つのルーマニア舞曲」などと、「四つの悲歌」の間に当たる作品で、歌劇「青ひげ公の城」に3年先んじている。曲全体は、ドイツ・ロマン派の影響を強く受けていた時代の作品であり、美しい旋律が印象的で、バルトークの弦楽四重奏曲の中では、とっつきやすい作品に仕上がっている。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番作品131との類似性を指摘されることもある。ドイツ・ロマン派的な土台に立って、さらに一部分マジャールやルーマニアの民族音楽的要素も導入されており、バルトークとしては、過渡期的な曲と位置づけられている。ここでのバルトーク四重奏団の演奏は、美しさが際立つ名演を聴かせる。ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲を思わせるような濃密さを込めた演奏内容だ。一方、弦楽四重奏曲第2番は、1915年から17年の間に作曲された。この頃になるとバルトークは、民族音楽をさらに広範囲に追い求め、スロヴァキア、ルーマニア、ウクライナ、アラブにまで及び始めたいたが、第2楽章にはアラブ的な要素が取り入れられていると指摘されている。曲は、モデラート、アレグロ・モルト・カプリッチョーソ、レントの3つの楽章からなっている。このような構成をバルトーク自身は「第1楽章は、通常のソナタ形式であり、第2楽章は、中心部に綿密に構成された部分がある一種のロンド形式である。最終楽章は、一番定義しにくいが、要するに拡張化されたA-B-A形式とも言うべきものだ」と語っている。3つの楽章の構成は、中庸-急-緩となっており、伝統的な構成とは逆になっている。緊張が次第に高まり、悲痛な暗い性格を持ったレントで終わる。つまり、最初は上昇し、次いで下降する曲線を描く。一方の岸から別の岸へと導くようだ。ここでのバルトーク四重奏団の演奏は、精緻を極め、この曲以降に出てくるバルトークらしいデリケートで、ぐいぐいと食い込むような内向的な傾向を、巧みに表現することに成功している。これらの表現は、優れた録音技術が大いに貢献しているようだ。(LPC)。

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◇クラシック音楽LP◇フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルのシューマン:交響曲第4番/ハイドン:交響曲第88番

2021-04-08 09:43:00 | 交響曲

 

シューマン:交響曲第4番
ハイドン:交響曲第88番

指揮:ウイルヘルム・フルトヴェングラー

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

LP:日本グラモフォン LGM‐1012

 シューマン:交響曲第4番は、第1交響曲「春」の完成後直ぐに着手された作品で、本来なら第2交響曲となるはずであった。そして、その初演時には「交響的幻想曲」と記されていたという。しかし、初演で、第1交響曲ほどの反響が得られなかったため、出版するのを控え、2つの交響曲を書いた後の1851年に、主として金管の部分を改作して出版された。このため第4交響曲となってしまったという経緯がある。そして、1853年には、改作の初演が、作曲者自身の指揮で行われた。初演時に「交響的幻想曲」と書かれていたことで分かるように、この交響曲は、あたかもシューベルトの「さすらい人幻想曲」を思い起こさせるような独特な構成をしている。4つの楽章からなってはいるが、それらは途切れることなく演奏され、曲全体が、動機や主題が一つの楽章から、次の楽章に変形して引き継がれるような、循環形式となっているのである。つまり、シューマンはここで古典的交響曲からの範疇を大きく踏み出し、独創的で革新的な交響曲を創造したということができよう。シューマンの持つロマンの雰囲気はベースとしては持っているが、ベートーヴェン的な力強さ、さらにシューベルトの曲のような自由な発想の世界を、一つの交響曲の中に閉じ込めたのである。この意味では、交響曲史上画期的な作品と言っても過言でなかろう。しばしば「シューマンの交響曲は構成力が弱い」といった批判がされるが、新しい交響曲の創造という観点に立てば、この曲は、より近代的に脱皮を遂げた交響曲といった位置づけがされよう。このLPレコードで演奏しているのは、ウイルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルである。このLPレコードでのフルトヴェングラーの指揮ぶりは、シューマンの幻想的でロマン溢れる美しさの表出に加え、ベートーヴェンの交響曲を思い浮かべるような力強さに溢れた名演を聴かせる。各楽章の情感の変化を巧みに操りながら、地底から絞り出すような低音の響きを、ベルリン・フィルの弦から見事に引き出している。何か、ものに取りつかれたような凄味が漂う演奏だ。この演奏を一度でも聴いたら「シューマンの交響曲は構成力が弱い」などという言葉はニ度と発せられなくなるであろう。この録音は、現在シューマン:交響曲第4番の録音の中で最高峰に位置づけられる演奏内容と言える。ハイドン:交響曲第88番の演奏内容は、手堅く、がっちりとした構えのこの曲を、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルは、細部にも目を充分に行き届かせ、重厚さの中にも、軽快に演奏を進める。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ウィーン・アルバンベルク弦楽四重奏団のアルバン・ベルク:弦楽四重奏曲op.3/弦楽のための抒情組曲

2021-04-05 09:39:33 | 室内楽曲(弦楽四重奏曲)

アルバン・ベルク:弦楽四重奏曲 op.3
         弦楽のための抒情組曲

弦楽四重奏:ウィーン・アルバンベルク弦楽四重奏団
          
           ギュンター・ピヒラー(第1ヴァイオリン)
           クラウス・メッツル(第2ヴァイオリン)
           ハット・バイエルレ(ヴィオラ)
           ヴァレンティン・エルベン(チェロ)

発売:1977年

LP:キングレコード SLA 6301

 シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンの3人は、新ウィーン楽派と呼ばれる。これは、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの古典ウィーン楽派に倣って名付けられたもの。古典ウィーン楽派が、調性音楽の土台を築いたとするなら、新ウィーン楽派は、20世紀の初めに生まれた新しい音楽技法として一世を風靡した、12音技法に基づいた12音音楽をその土台とした。このLPレコードは、12音音楽華やかなりし1977年に発売となった盤で、新ウィーン楽派の一人、ベルクの弦楽四重奏曲を2曲を収録してある。アルバン・ベルク(1885年ー1935年)は、当初、公務員となるが2年で辞職し、ウィーン国立音楽院で正規の音楽教育を受けることになる。1907年、本格的に作曲家としてのデビューを飾る。そして、1925年に完成した歌劇「ヴォツェック」によって、ベルクの作曲家としての名声は揺るがぬものとなって行く。しかし、1933年にナチス・ドイツ政権が発足すると、師シェーンベルクと共にベルクの音楽は、“退廃音楽”のレッテルが貼られてしまう。今でもしばしば演奏されるヴァイオリン協奏曲を完成させた後、歌劇「ルル」を未完のままに、ベルクはこの世を去ってしまう。弦楽四重奏曲op.3は、高度な対位法と、無調性が自在に駆使された作品で、2つの楽章から成っている。一方、弦楽のための抒情組曲は、1925年から1926年にかけて作曲された弦楽四重奏曲で、ベルクが12音技法を用いて作曲した最初の大曲。全体は6つの楽章からなっており、12音音楽と無調音楽が1楽章ごとに交互に現れる構成となっている。このLPレコードで演奏しているアルバン・ベルク弦楽四重奏団は、1970年、ウィーン国立音楽大学教授でありウィーン・フィルのコンサートマスターを務めていたギュンター・ピヒラーが同僚ともに結成したもので、名称については、アルバン・ベルク未亡人ヘレネから許諾を得て付けたという。現代音楽に積極的に取り組み、1980年代には世界を代表するカルテットと評されたが、残念ながら2008年に解散してしまった。このLPレコードに収められたベルクの2曲の弦楽四重奏曲の演奏において、アルバン・ベルク弦楽四重奏団は、完璧なまでに精緻な演奏内容に徹しており、ベルクの不安げな気分が横溢する曲想を巧みに表現し切っている。そこには現代音楽にありがちなとげとげしさは少しもなく、ベルクの音楽そのものに対する深い共感が強く滲み出ている。これは、ベルクの音楽を論ずるときには欠かせない録音であることは間違いあるまい。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇アンタール・ドラティ指揮ロンドン交響楽団のシベリウス:交響詩「ルオンノタール」/「伝説」/「夜の騎行と日の出」/「波の娘」

2021-04-01 09:36:27 | 管弦楽曲

シベリウス:交響詩「ルオンノタール」(ソプラノと管弦楽のための/フィンランド語)
      交響詩「伝説」
      交響詩「夜の騎行と日の出」
      交響詩「波の娘」

指揮:アンタール・ドラティ

管弦楽:ロンドン交響楽団

ソプラノ:ギネス・ジョーンズ

LP:東芝EMI EAC‐30353

 これは、アンタール・ドラティ指揮ロンドン交響楽団の演奏で、シベリウスの交響詩4曲を1枚に収めたLPレコードである。シベリウスの交響詩というと、すぐに「フィンランディア」を思い出すが、1892年の「伝説」から1925年の「タピオラ」まで、約30年にわたって12曲ほどの交響詩を作っており、シベリウスと交響詩との相性がいかにいいかを窺わせる。これらの多くは、フィンランドの叙事詩文学である「カレワラ」に基づいていることでも知られている。第1曲目の交響詩「ルオンノタール」は、独唱パートが付いた交響詩ということが特徴の曲だ。第4交響曲の完成直前の1910年ごろに作曲された。ソプラノの歌のテキストは「カレワラ」からとられている。「カレワラ」は、フィンランドの庶民によって口伝によって語り伝えられてきた大韻律詩による英雄物語。第2曲目の交響詩「伝説」は、シベリウスの初期の傑作としてコンサートでもしばしば取り上げられている曲。シベリウスは、1892年に作曲した「クレルヴォ交響曲」で大成功を収め、楽壇にデビューを果たが、当時の大指揮者のカヤヌスは、シベリウスにアンコールピースの作曲を依頼して、完成したのがこの交響詩「伝説」。第3曲目の交響詩「夜の騎行と日の出」は、1907年に完成した作品で、あまり有名な曲ではないが、初めて聴くとその内容の充実さに驚かされる。第4曲目の交響詩「波の娘」は、シベリウスとしては珍しく、フィンランドの伝承文化には基づいてはおらず、ホメロスの神話から取られている。このLPレコードの第1曲目の交響詩「ルオンノタール」で歌っているギネス・ジョーンズ(1936年生まれ)は、イギリスのソプラノ歌手。指揮者のアンタール・ドラティ(1906年―1988年)は、ハンガリー出身。1947年にアメリカ合衆国に帰化。ミネソタ管弦楽団首席指揮者、デトロイト交響楽団音楽監督・首席指揮者などを歴任した。「ルオンノタール」でのギネス・ジョーンズの歌唱は、シベリウス特有な精緻な世界を、その歌唱力で巧みに表現して、聴き応え十分。次の「伝説」でのドラティの指揮は、明快で同時に力強く、リスナーの耳によく馴染む快演。一方、「夜の騎行と日の出」では、その精緻な指揮ぶりが一際光輝き、この名曲の全容をリスナーに余すところなく伝えてくれる名演となっている。最後の「波の娘」では、シベリウス特有の透明であると同時に静寂感に包まれた感覚が前面に打ち出され、当時のドラティ指揮ロンドン交響楽団の演奏の質の高さに脱帽させられる。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇デムス&スコダのモーツァルト:4手のためのピアノ作品集(ソナタ K.186c(358)/アンダンテと5つの変奏曲 K.501/幻想曲 K.608/ソナタ K.19d)

2021-03-29 10:08:08 | 器楽曲(ピアノ)

<モーツァルト:4手のためのピアノ作品集‐3>

モーツァルト:ソナタ 変ロ長調 K.186c(358)
               アンダンテと5つの変奏曲 ト長調 K.501
       幻想曲 ヘ短調 K.608
       ソナタ ハ長調 K.19d

ピアノ:イェルク・デムス
    パウル・バドゥラ=スコダ

 これは、全4巻からなるイェルク・デムスとパウル・バドゥラ=スコダによる、モーツァルト:4手のためのピアノ作品集の第3巻目のLPレコード。1曲目の「ソナタ 変ロ長調 K.186c(358)」は、1774年4月から5月にかけてザルツブルクで作曲した4手用ソナタの第3番目の作品。第1楽章と第3楽章は、生き生きと颯爽としたテンポで弾かれるのに対し、第2楽章は、平静さを込めた流れが美しい。この作品を、モーツァルトは、義理の妹のアロイジア・ウェーバーや妻のコンスタンツェと一緒に弾き楽しんだようだ。第2曲目の「アンダンテと5つの変奏曲 ト長調 K.501」は、1786年11月4日にウィーンで書かれ、当初は2台のピアノ(チェンバロ)のために書かれた。第3曲目の「幻想曲 ヘ短調 K.608」は、最初は自動オルガンのための作品として書かれた。自動オルガンは、音楽家が演奏するのではなく、自動で音楽を演奏するオルガン。注文主は、蝋人形館を開いて機械仕掛けの楽器のコレクションを展示し、楽器の自動演奏を聴かせていたヨーゼフ・ダイム伯爵。1791年の3月3日にウィーンで作曲され、モーツァルトの生涯で最後の作品となる3つの中の一つ。第4曲目の「ソナタ ハ長調 K.19d」は、モーツァルトの4手のためのピアノ作品としては、最初の曲と考えられており、1765年5月初旬にロンドンで作曲されたとされる。このLPレコードでピアノを弾いているは、いずれも日本のファンには馴染み深かったイェルク・デムス(1928年―2019年)とパウル・バドゥラ=スコダ(1927年―2019年)である。イェルク・デムスは、オーストリア出身のピアニストで、11歳の時にウィーン音楽アカデミーに入学、1945年に卒業した後はパリでイヴ・ナットに師事。その後ザルツブルク音楽院でギーゼキングに教えを請うなどして研鑽を積んだ。1956年の「ブゾーニ国際コンクール」で優勝し、世界的にその名が知られるようになる。一方のパウル・バドゥラ=スコダも、オーストリア出身のピアニスト。ウィーン音楽院で学び、1947年に「オーストリア音楽コンクール」で優勝。名ピアニストのエトヴィン・フィッシャーに師事。自筆譜や歴史的楽器の蒐集家としても有名で、「新モーツァルト全集」においては校訂者も務めた。このLPレコードでの2人は、息がピタリと合い、その自然なリズム感が聴いていて誠に心地良い。単にムードにおぼれることなく、陰影感を程よく含ませ、メリハリが利いたその豊かな演奏内容は、ウィーンで育った二人であるからこそ実現可能だと言っても過言ではないだろう。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ヘンリック・シェリングのバッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番/第1番/2つのヴァイオリンのための協奏曲

2021-03-25 09:43:04 | 協奏曲(ヴァイオリン)

バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番/第1番
    2つのヴァイオリンのための協奏曲

ヴァイオリン:ヘンリック・シェリング(指揮・第1ヴァイオリ)
       ペーター・リバール(第2ヴァイオリ)

管弦楽:ヴィンタートゥール音楽院合奏団

録音:1965年3月27日~28日、スイス、ヴィンタートゥール

発売:1977年

LP:日本フォノグラム(フィリップスレコード) PL‐1028

 ヘンリク・シェリング(1918年ー1988年)は、ポーランド出身で、その後メキシコに帰化した世界的な名ヴァイオリニスト。パリ音楽院に入学し、ジャック・ティボーなどに師事。1937年、同校を首席で卒業する。第二次世界大戦中は、ポーランド亡命政府のために通訳を行う一方で、連合国軍のために慰問演奏も行った。この時、メキシコシティにおける慰問演奏がきっかけで同地の大学に職を得る。さらに、1946年にはメキシコ市民権も取得。暫くは教育活動に専念していたが、メキシコ・シティで大ピアニストのアルテュール・ルービンシュタインと出会い、ルービンシュタインの勧めで再びヴァイオリニストとしての活動の道を歩み始めることになる。このLPレコードでシェリングは、バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番/第1番と2つのヴァイオリンのための協奏曲を演奏し、同時に指揮も行っている。バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番は、バッハの死後、一時バッハの作品が忘れ去られた時でも、この曲だけは演奏されたという根強い人気を誇るヴァイオリン協奏曲である。作風が近代的感覚であり、独奏楽器の個性が生かされ、メロディーも豊かなところが好かれたようである。バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番は、第2番に次いで今でも人気のある作品。バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲は、それまでの合奏協奏曲の流れをくむ作品であるが、さらに発展させ、独奏部と合奏部が互いに絡み合い、合奏部が独奏部の伴奏をするという合奏協奏曲を一歩進めた様式が特徴。特に、その第2楽章は“美しい姉妹の仲睦まじい語らい”とも称され、その美しい調べが印象に残る作品。この3つのバッハのヴァイオリン協奏曲でのシェリングの演奏は、内面を重視した演奏に終始する。それによりバッハの精神性の深さを、リスナーは思う存分聴くことができる。全体がゆっくりと安定したテンポで演奏されるので、一つ一つの音が実に明瞭に聴き取れるのだ。これら3つの曲は、通常、速いテンポで、歯切れよく演奏されることがほとんど。このため、バッハの音楽が持つ本来の美しさを聴き取ることがなかなか難しい。それらに比べると、このLPレコードでのシェリングの演奏は、一つ一つのフレーズを、じっくり吟味しながら弾き進めるので、その全体像がリスナーの目の前にくっきりと浮かび上る。このLPレコードは、ヘンリク・シェリングが単に技巧だけで演奏するヴァイオリニストでなく、深い精神性を持った“魂のヴァイオリニスト”であったことを如実に物語っている。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇マルグリット・ロンなど名手たちによるフォーレ:ピアノ四重奏曲第2番他

2021-03-22 09:33:25 | 室内楽曲

フォーレ:ピアノ四重奏曲第2番

     即興曲第5番
     夜想曲第4番/第6番
     舟歌第6番

ピアノ:マルグリット・ロン

ヴァイオリン:ジャック・ティボー

ヴィオラ:モーリス・ビュー

チェロ:ピエール・フルニエ

録音:ピアノ四重奏曲第2番(1940年5月)
   即興曲第5番(1933年)/夜想曲第4番(1937年5月)/
   第6番(1936年7月)/舟歌第6番(1937年)

LP:東芝音楽工業 GR‐81

 このLPレコードは、EMIが20世紀前半に活躍した名演奏家の決定盤と言われているSPレコードを、LPレコード化した“世紀の巨匠たち(Great Recordings of the Century=GRシリーズ)”の中の1枚で、ピアノ:マルグリット・ロン(1874年―1966年)、ヴァイオリン:ジャック・ティボー(1880年―1953年)、ヴィオラ:モーリス・ビュー、チェロ:ピエール・フルニエ(1906年―1986年)という豪華メンバーを揃えたもの。フォーレ:ピアノ四重奏曲第2番においては、以下に書く録音時の状況を知っておかねばならないであろう。フォーレの室内楽曲としては、ヴァイオリンソナタ第1番が一番有名であるが、それに次いで、ピアノ四重奏曲第1番と第2番がよく知られている。ピアノ四重奏曲第2番が作曲されたのは、1866年、フォーレ41歳のときである。第1番から7年が経っており、有名なレクイエムの作曲の前年に当たる。全部で4つの楽章からなるこの曲は、第1番より個性的で、精緻な完成度を誇っている。しかし、全体に地味な印象があるためか、人気では第1番に一歩譲ることになる。このLPレコードでの演奏内容は、幻想的で、しかもどこか息詰まるような、切迫感に包まれた演奏内容である。この理由は、次のマルグリット・ロンの手記を読めば直ちに氷解する。「フォーレのピアノ四重奏曲第2番は、1940年6月10日の午後録音された。ちょうどその日は、ドイツ軍がオランダに侵入した日だったので、悲痛な気分がスタジオを支配していた。私には、ティボーの胸を締め付ける、世にも切ない苦しみがよくわかった。なぜなら、彼の長男のロジェがその方面の最前線に出陣しているのを知っていたからである。私たちは、感動のあまり、根限りの情熱と誠実さで演奏した。その翌日、―ロジェは名誉の戦死を遂げた・・・」。つまり、このフォーレ:ピアノ四重奏曲第2番の演奏は、通常の状態とは異なり、安定感欠けたところはあるが、逆に、言い知れない不安感とか、研ぎ澄まされた感覚が全体を覆い、通常のフォーレの音楽とは異なる、異次元の深みに立ち入った境地が感じられるのである。そんな時でもマルグリット・ロンのピアノ演奏は、冷静さを失うことなく、深く、静かに、時には激しくフォーレ特有の世界を描き切り、演奏の中心的役割を見事に果たしている。ピアノ四重奏曲第2番の後には、フォーレのピアノ独奏曲4曲が、マルグリット・ロンの演奏で録音されている。ここでのロンの演奏は、これらすべての曲において、フォーレの世界のむせぶような味わいが聴き取れる名演と言える。(LPC)。 

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◇クラシック音楽LP◇クララ・ハスキルのモーツァルト:ピアノ協奏曲第20番/第23番

2021-03-18 10:51:02 | 協奏曲(ピアノ)

モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番/第23番

ピアノ:クララ・ハスキル

指揮:ベルンハルト・パウムガルトナー(第20番)
         パウル・ザッヒャー(第23番)

管弦楽:ウィーン交響楽団

録音:1954年10月11日(第20番)/1954年10月8~10日(第23番)

LP:日本フォノグラム(フォンタナ・レコード) FG-211

 モーツァルトは、生涯で27曲のピアノ協奏曲を作曲した。ただし、第7番は3台のピアノ、第10番は2台のピアノのための協奏曲である。このLPレコードには、この中から第20番と第23番の2曲が、往年の名ピアニストのクララ・ハスキル(1895年―1960年)によって収録されている。第20番が作曲されたのは1785年、モーツァルト29歳の年である。第19番までのピアノ協奏曲は、モーツァルトの独自性は、あまり濃く反映されていないが、この第20番以降は、モーツァルトの個性が存分に盛り込まれた傑作群のピアノ協奏曲が書かれることになる。第20番はこれらの最初の曲といえる。この間の秘密は、作曲した年に起こったことに関連がありそうである。この年、モーツァルトは自宅にハイドンを招き、完成した弦楽四重奏曲集「ハイドン・セット」の演奏会を催した。つまり、これによってハイドンから高度な弦楽四重奏曲の技法の吸収を完全に終え、モーツァルト独自の世界を切り開く素地が完成したのである。この年、ピアノ協奏曲第20番と共に完成した曲には、ピアノ四重奏曲第1番や歌曲「すみれ」などがある。ピアノ協奏曲第23番は、第20番が完成した翌年、1786年、モーツァルト30歳の時の作品だ。この年には、歌劇「フィガロの結婚」が完成し、初演も行われている。ピアノ協奏曲第23番は、第20番に比べ、明るく伸び伸びとした曲想を持っており、どちらかというと、私的な演奏会を想定して作曲したようである。そこには、以前のモーツァルトの作品を一回り大きく飛翔させたようなスケール感が感じられる。このLPレコードでピアノ演奏しているのはルーマニア出身の名ピアニストのクララ・ハスキル。15歳で最優秀賞を得てパリ音楽院を卒業し、ヨーロッパ各地で演奏活動を行う。第二次世界大戦後になって、聴衆から熱狂的に支持され世界的名声を得る。録音を数多く残したため、今でも愛好者は少なくない。現在、その遺功を偲んで世界的音楽コンクール「クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクール」がスイスで開かれている。クララ・ハスキルのピアノタッチから紡ぎだされる音は輝きに満ち、純粋で天国的な美しさに覆われている。このLPレコードでの第20番の演奏内容は、ハスキルのほの暗い憂いの表現が、この曲の持つ曲想に、程良くマッチしたものに仕上がっている。第2楽章の憂いを含んだ表現が印象的。一方、第23番の演奏内容は、ハスキルの持つ純粋さが如何なく発揮されており、特に第3楽章の華やかさは秀逸。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇コンタルスキー兄弟によるモーツァルト:2台と4手のためのピアノ作品集(K.448(375a)/K.426/K.521)

2021-03-15 09:39:48 | 器楽曲(ピアノ)

モーツァルト:2台のピアノのためのソナタK.448(375a)
       2台のピアノのためのフーガK.426
       4手のためのソナタK.521

ピアノ:コンタルスキー兄弟(アロイス・コンタルスキー/アルフォンス・コンタルスキー)

日本コロムビア OW-7535-MC

録音:1963年4月、ハンブルグ市音楽堂小ホール

発売:1975年6月

 第1曲目の「2台のピアノのためのソナタK.448 (375a) 」は、モーツァルトが25歳の時にウィーンで作曲し、1781年11月に完成した曲。この曲は、モーツァルトと女性の弟子であったヨーゼファ・バルバラ・アウエルンハンマーためにつくられた。初演は、1781年11月23日に彼女の家で開かれたコンサート。この曲の内容は、純粋な協奏曲様式を保っており、そしてその特徴は“ガラント”そのものである。フィナーレのロンド(モルト・アレグロ)は、K.331のトルコ行進曲にどこか似ている。また、中間楽章は、抒情的・歌謡的でもあり、ピアノ協奏曲のそれといささかも劣るところはない。。第2曲目の「2台のピアノのためのフーガK.426」は、作曲は1783年12月である。4声で書かれ、119小節の最初から最後まで厳格な様式を持ち、最後だけ緊張が解けるという、「2台のピアノのためのソナタK.448 (375a)」 とは正反対の性格を持つ。対照的な主題の応答はモーツァルトに固有のものであると同時に、モティーフはバッハを連想させ、モーツァルトの対位法的創作の頂点をなすものと言える。第3曲目の「4手のためのソナタK.521」は、モーツァルトが31歳の時にウィーンで作曲したもので、1787年5月29日に完成した。最初は2台のクラヴィーア(ピアノ)のために作曲したらしい。モーツァルトの親友ゴットフリートとピアノの弟子で当時美貌の才媛として知られたフランツィスカのジャカン兄妹に捧げられた。この曲は、有名な「小夜曲」や「ドン・ジョヴァンニ」とも近しい関係があり、 4手のための連弾ピアノ音楽の最高峰に位置づけられており、シューベルトやウェーバーにも影響を与えた。このLPレコードでピアノを弾いているコンタルスキー兄弟は、兄のアロイス(1931年―2017年)と弟のアルフォンス(1932年―2010年)による、ドイツ出身のピアノ・デュオ。古典から現代曲まで、幅広いレパートリーを持っていた。ケルンの国立音楽大学およびハンブルクで教育を受け、1955年9月には、ドイツ連邦共和国放送局連合主催の「第4回国際音楽コンクール」のピアノ二重奏部門で優勝を果たしている。また、1962年からは、ダルムシュタットの「現代音楽のための国際夏期講習」の講師を務めた。1961年には初来日も果たしている。このLPレコードでのコンタルスキー兄弟の演奏は、二人の息がぴたりと合い、技術的にみても完璧で、一部の隙もない。しかも、歌わせるところは存分に歌わせ、少しもぎすぎすしたところはない名演奏を聴かせる。モーツァルトの魅力を再発見できる演奏内容といえる。(LPC)

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