★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン・フィルのベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」

2024-01-08 09:36:02 | 交響曲(ベートーヴェン)


ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」

指揮:フェレンツ・フリッチャイ

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

独唱:イルムガルト・ゼーフリート(ソプラノ)
   モーリン・フォレスター(アルト)
   エルンスト・ヘフリガー(テノール)
   ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)

合唱:聖ヘトヴィッヒ大聖堂聖歌隊

発売:1974年

LP:ポリドール(HELIODOR) MH 5006

 「おお、友よ、このような音ではない!もっと心地のよい、もっと喜びに満ちた歌をうたおうではないか!」(フリードリッヒ・フォン・シラー:「歓喜の頌歌」より、渡辺譲・訳)で始まる、「第九」の第4楽章の独唱&合唱を毎年、暮れに聴かないと年が明けないという人が、日本には少なからずいる。この現象は、どうも日本だけのようだが(ベルリン・フィルだけは毎年、大晦日に「第九」の演奏会をやっているようだが)、年の締めくくりと、来たるべき年を迎えるには、やはりベートーヴェンの「第九」をおいてほかにはない、と考える人が日本にはとりわけ多い。ベートーヴェンの交響曲は、全てが「頑張って生き抜こう」という人生の応援歌の精神に貫かれているが、とりわけこの「第九」にはその傾向が強く、正月を神聖なものとして迎える多くの日本人にとっては、誠に相応しい曲といえよう。今回のLPレコードは、数ある「第九」の中でも、取って置きともいうべき録音を紹介したい。49歳という若さで急逝したハンガリー生まれの名指揮者フェレンツ・フリッチャイ(1941年―1963年)がベルリン・フィルを指揮したもの。フェレンツ・フリッチャイは、ドイツを中心にヨーロッパやアメリカで活躍し、ハンガリー国立交響楽団音楽監督、ヒューストン交響楽団音楽監督、ベルリン・ドイツ交響楽団首席指揮者、ベルリン・ドイツ・オペラ音楽監督、バイエルン国立歌劇場音楽総監督などを歴任した。ここでのフリッチャイの指揮ぶりは、深みのある大きな空間の創造と同時に、フリッチャイ独特のリズム感を持った演奏を聴かせており、ベートーヴェンの独唱と合唱を伴ったこの前代未聞の交響曲を演奏するのには正に適役だ。フリッチャイの指揮は、フルトヴェングラー(深遠さ)とトスカニーニ(明快さ)とを足し合わせたかのような指揮ぶりは、現在の指揮者のルーツと言っても過言でないように思われる。それと日本にも馴染深かったスイスのテノールのエルンスト・ヘフリガー(1919年―2007年)、ドイツのソプラノのイルムガルト・ゼーフリート(1919年―1989年)、日本でも絶大なる人気を誇り、惜しくも2012年5月に亡くなったドイツのバリトンのディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(1925年―2012年)、それにカナダのアルトのモーリン・フォレスター(1930年―2010年)と、豪華な顔ぶれの独唱陣が、魅力的な歌声を披露してくれているのも、何とも懐かしも嬉しいことではある。

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◇クラシック音楽LP◇カラヤン指揮ベルリン・フィルのベートーヴェン:交響曲第1番/第2番

2023-12-04 09:54:53 | 交響曲(ベートーヴェン)


ベートーヴェン:交響曲第1番/第2番

指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1961年12月27日~28日(第1番)/1961年12月30日、1962年1月22日(第2番)、ベルリン、イエス・キリスト教会

LP:ポリドール(グラモフォンレコード) MG4001(2535 301)

 このLPレコードの録音記録を見ると、ベートーヴェン:交響曲第1番が1961年12月27日~28日、同第2番が1961年12月30日、1962年1月22日とある。場所は、ベルリンのイエス・キリスト教会である。この頃、カラヤンはどのような指揮活動を展開していたのであろうか。カラヤンが生まれたのが1908年であるから、この当時、53歳と指揮者としては正に円熟期を迎えたときの録音となる。カラヤンは第2次世界大戦後、1948年にウィーン交響楽団の首席指揮者に就任。1951年には、戦後再開したバイロイト音楽祭の主要な指揮者として抜擢されている。そしてフルトヴェングラーが急逝した翌年、1955年にベルリン・フィルの終身首席指揮者兼芸術総監督に就任し、1989年まで34年もの長期間この地位にとどまった。1957年には同楽団と初の日本演奏旅行を行う。また、1956年にはウィーン国立歌劇場の芸術監督に就任(1964年に辞任)し、正に“帝王”の名をほしいままにしていた。このLPレコードの録音は、丁度その頃行われたもので、カラヤンの“帝王”ぶりが、いかんなく発揮された演奏内容を聴くことができる。第1番の第1楽章は、ゆっくりと始まる。実に恰幅のいい演奏である。こんな堂々とした「第1番」は滅多に聴けるものではない。何かこれから始まるベートーヴェンの傑作交響曲の出現を預言するかのような指揮ぶりだ。一般にベートーヴェンの交響曲第1番は軽く、軽快に演奏されることが多いが、カラヤンとベルリン・フィルは、軽く、軽快には演奏しない。カラヤンもベルリン・フィルもその真逆を行くのだ。第2楽章は、静かな広がりが印象的。第3楽章になって、ようやく軽快なベートーヴェンの足取りが聴き取れるようになる。第4楽章におけるベルリン・フィルの演奏技術の巧みさとカラヤンの演出力の確かさには脱帽だ。特に交響曲第2番は、カラヤンとベルリン・フィルの本領発揮の録音。第1楽章は、張りつめた緊張感がひしひしとリスナーに伝わってくる演奏内容だ。第2楽章の、この輝かしさと美的感覚のバランスの良い名演奏ぶりはどうだ。第3楽章は、伸び伸びと機智に飛んだ演奏とでも表現したらいいのか。そして第4楽章は、ベートーヴェンとカラヤンとベルリン・フィルの心が一つとなって、音楽を楽しんでもいるかのような、厚みのある音と盛り上がりがとにかく素晴らしい。これは、巨匠カラヤンの存在感を存分に見せつけた録音だ。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇フリッチャイ指揮ベルリン・フィルのベートーヴェン:交響曲第7番

2023-07-03 09:35:33 | 交響曲(ベートーヴェン)


ベートーヴェン:交響曲第7番

指揮:フェレンツ・フリッチャイ

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1960年10月、ベルリン、イエス・キリスト教会

LP:MH 5068(2548 107)

 ベートーヴェンの第7交響曲は、ワーグナーが”舞踏の聖化”と呼び、「メロディーとハーモニーは、あたかも人体組織のごとく活気あるリズムの形象をもって淀みなく流れ・・・」と評したように、全体に躍動感が漲った名曲である。このことは、1814年2月27日の初演当時から評判となり、楽聖の名を一層高めることになった。しかし、ベートーヴェン自身は、耳の悪化に加え、ナポレオン軍のウィーン攻撃に脅かされていたわけで、状況は決して良いわけではなかった。ベートーヴェンは、むしろ対に書かれた第8交響曲の方が気に入っていたようで、第7番の人気に戸惑いを見せたとも言われている。これは第7番が時代を先取りし、現代にも通じる感覚を纏っていたからほかあるまい。そのベートーヴェンの第7交響曲を、名指揮者フェレンツ・フリッチャイ(1914年―1963年)がベルリン・フィルを指揮したのがこのLPレコードである。フェレンツ・フリッチャイは、ハンガリー、ブダペスト出身。ブダペスト音楽院でコダーイ、バルトークらに指揮と作曲を学ぶ。卒業後、ブダペスト国立歌劇場、ハンガリー国立交響楽団(現ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団)の音楽監督を歴任。1949年からはベルリン市立歌劇場の音楽監督およびRIAS交響楽団の首席指揮者に就任。1956年バイエルン国立歌劇場の音楽監督に就任。1958年から、白血病の症状が現れ、長期の休養を余儀なくされるが、ベルリン放送交響楽団(RIAS交響楽団から名称変更)の首席指揮者に復帰。1962年に白血病の症状が悪化し、1963年2月20日、スイスのバーゼルの病院で48歳の若さで他界した。フリッチャイは、いつもは躍動感たっぷりに情熱的に演奏する指揮者なので、このLPレコードでもそうなのかと聴いてみると、確かに躍動感を充分に秘めた指揮ぶりなのではあるが、ここではむしろ内面に向かうかのような、心の中の音楽として第7交響曲を演奏している。これは、フリッチャイの死の3年前の録音なので、体調が優れなかったことが何か影響していたのであろうか。しかし、このことは、逆にこの録音をさらに価値あるものしていると私は思う。これほどまでに陰影に富んで、精神性に深みがある第7交響曲の演奏は、そう滅多に聴かれるものではない。フリッチャイは、自分の心と対話しながら指揮をしているようでもある。その意味からこれは、不世出の名指揮者フリッチャイが残した貴重な録音であるとも言える。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇アンドレ・クリュイタンスのベートーヴェン:交響曲第4番/第8番

2023-04-17 09:36:44 | 交響曲(ベートーヴェン)


ベートーヴェン:交響曲第4番/第8番

指揮:アンドレ・クリュイタンス

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

LP:東芝EMI(SERAPHIM) EAC‐30003

 アンドレ・クリュイタンス(1905年―1967年)は、ベルギー、アントワープ出身の名指揮者。20歳を過ぎてからの活躍が、フランスを中心であったことでフランスの指揮者というイメージが強い。現に、ラヴェルの管弦楽曲集、ビゼーの「アルルの女」組曲、ベルリオーズの幻想交響曲や序曲「ローマの謝肉祭」、フォーレの「レクイエム」などが、現在でも不朽の名盤として遺されている。しかし、当時から、ドイツ・オーストリア音楽のきっちりとした構成力に対する理解力とアプローチにも高い評価がなされていた。つまり、フランスものはもちろん、ドイツ・オーストリア音楽にも本場の指揮者以上の理解力を持ち合わせていた類まれな指揮者であった。このLPレコードでは、アンドレ・クリュイタンスは、ドイツ・オーストリア系指揮者に勝るとも劣らない、質の高いベートーヴェンの交響曲の演奏を聴かせる。アンドレ・クリュイタンスは、9歳からアントウェルペン王立音楽院でピアノ・和声・対位法を学んだ。同王立音楽院を卒業し、1922年に王立歌劇場の合唱指揮者となる。1927年には同歌劇場第一指揮者に任命された。1932年からはフランスの歌劇場でも活動を始める。1944年には、パリ・オペラ座の指揮者となり、1949年にはミュンシュの後任としてパリ音楽院管弦楽団の首席指揮者に就任する。以降1967年にクリュイタンスが逝去するまで、このコンビは黄金時代を築くことになる。それと並行してフランス国立放送管弦楽団、ベルギー国立管弦楽団の指揮も兼任した。1955年のバイロイト音楽祭での「タンホイザー」の指揮は、歴史的名演とも言われた。1964年には、パリ音楽院管弦楽団とともに来日し、日本の聴衆に多大な感銘を与えた。リュイタンスの死去の後、パリ音楽院管弦楽団は発展的解散を遂げ、現在のパリ管弦楽団へと改組された。アンドレ・クリュイタンスの指揮は、気品に満ち、優雅さをたたえた演奏が特徴だが、このLPレコードの第4番、第8番という、ベートーヴェンとしては比較的小ぶりの交響曲において、その特徴が如何なく発揮されているのが、この録音から聴いて取れる。2つの交響曲とも実に明るく、屈託なく演奏しており、その伸び伸びとした優雅な指揮ぶりは、どの指揮者とも比較できないほど、ベートーヴェンの一つの面を表現し切っており、聴き終えると実に爽やかな印象がリスナーに残る演奏内容となっている。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇フルトヴェングラーのベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」(足音入りライヴ盤)

2023-01-05 09:45:47 | 交響曲(ベートーヴェン)


ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」(足音入りライヴ盤)

指揮:ウィルヘルム・フルトヴェングラー

管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

独唱:エリザベート・シュワルツコップ(ソプラノ)
   エリザベート・ヘンゲン(アルト)
   ハンス・ホップ(テノール)
   オットー・エーデルマン(バス)

合唱:バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団

録音:1951年7月29日

発売:1965年

LP:キングレコード(ウエストミンスター) MR5089

 毎年12月ともなると日本中でベートーヴェンの「第九」が演奏され、日本における年中行事の一つとなってからかなりの年月が経つ。本家のヨーロッパではというと、ベートーヴェンの「第九」は、そう滅多に演奏される曲ではなさそうで、何か特別なイベントがあった際に演奏されるようである。逆に言うと、そのスケールの大きさや内容の深淵さ、さらに人類全体に呼びかけるような崇高な曲の性格を考えると、そう滅多に演奏されるべき曲ではない、といったような判断がその背景にはあるのかもしれない。今回のLPレコードは、数ある「第九」の録音の中でも折り紙付きのウィルヘルム・フルトヴェングラー(1886年―1954年)の名盤 “バイロイトの第九” である。これは、第二次世界大戦で中断していたバイロイト音楽祭の復活コンサート(1951年7月29日)でのライヴ録音なのである。フルトヴェングラーが指揮台へと向かう足音が捉えられていることで “足音入りの第九” としても知られた、正に記念碑的録音なのである。フルトヴェングラー自身、戦時中のナチとの関係を疑われ、戦後一時期演奏活動を中止せざるを得なかったこともあり、ここでの演奏は、これまでの抑圧から解放され、平和を聴衆と共にすることの喜びに心の底から共感した結果、「第九」演奏史上、稀に見る名演を遺す結果となったのだ。録音状態は鑑賞に際して特に支障はないといったところで、決して万全の状態ではないのであるが、当時のライヴ録音のレベルを考えるとしっかりと音を捉えている部類に属する。集中度を極限までに高め、心の奥底から振り絞ったような説得力ある演奏内容は、あたかもベートーヴェンの魂がフルトヴェングラーに乗り移ったかのようでもある。第1楽章、第2楽章の劇的な展開から一転して、第3楽章の深い安らぎに満ちた祈りの演奏であり、この世のものとも思われないような音楽がそこに忽然と現れるのである。そして第4楽章の「歓喜の歌」では、人類の平和と輝かしい未来への願いを一挙に爆発させ、フルトヴェングラーは、この記念碑的な演奏を終える。そして不世出の大指揮者フルトヴェングラーはこの録音の3年後に、この世を去ることになる。「第九」の録音はこれまで幾多の指揮者達によってなされ、そしてこれからも「第九」の録音は数多く輩出されるであろうが、そんな中にあって、このフルトヴェングラーの “バイロイトの第九” の録音は、これからも永遠の生命力を持ち続けることだけは疑いのないことである。(LPC)

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