モーツァルト:弦楽五重奏曲第2番/第6番
演奏:スメタナ四重奏団
イルジー・ノヴァーク(第1ヴァイオリン)
リュボミール・コステツキー(第2ヴァイオリン)
ミラン・シュカンパ(第2ヴィオラ)
アントニーン・コホウト(チェロ)
ヨゼフ・スーク(第1ヴィオラ)
録音:1981年6月15日~21日、プラハ、芸術の家ドヴォルザーク・ホール
発売:1981年
LP:日本コロムビア OF‐7011‐ND
モーツァルトの弦楽五重奏曲は、有名な第3番と第4番を含んで全部で6曲ある。第1番は、モーツァルトが17歳の時のザルツブルグ時代の曲である。何故、モーツァルトが弦楽四重奏曲でなく、弦楽五重奏曲を作曲したのかは、未だもって明らかにはなっていない。五声部の曲にチャレンジをしたかったのか、あるいは誰からかの依頼を受けたのかもしれない。第2番はその14年後に作曲された、管楽器のためのセレナーデハ短調KV388を編曲した曲。そして名曲として名高い第3番、第4番が連なる。さらに、力強く活発な内容を持つ第5番を経て、死の年に作曲した洗練された美しさが特徴の第6番へと続く。このLPレコードでは、第2番と第6番とが収められている。弦楽五重奏曲第2番の原曲は、1782年に作曲された、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット各2本の管楽八重奏曲によるセレナードである。セレナードといっても当時のセレナード様式とは大分かけ離れた内容となっており、非娯楽的な要素が強い。弦楽五重奏曲への編曲は1787年に行われた。弦楽五重奏曲第1番は、1773年の作曲であり、この第1番から遅れること14年もの歳月が流れて、第2番の弦楽五重奏曲が完成したことになる。そのためか、第2番は第1番に比べて、内容が格段に充実したものになった。しかも、原曲となった管楽八重奏曲によるセレナードよりも優れたものに仕上がったことは、続く、弦楽五重奏曲の傑作である第3番および第4番の登場を予言する内容とも取ることができる。一方、弦楽五重奏曲第6番は、モーツァルトの死の年に当る1791年に作曲された曲。全部で6曲ある弦楽五重奏曲の中では、情緒的な雰囲気が排除され、内面的な求心力が勝ったような内容の曲と言える。最高度に洗練された美しさに覆われ曲となっている。演奏は、スメタナ四重奏団に第1ヴィオラとしてヨゼフ・スーク(1929年―2011年)が加わったメンバーによるもので、第3番/第4番に続いての録音。スメタナ弦楽四重奏団は、1945年から1989年まで存在したチェコの弦楽四重奏団。結成当初の名称はプラハ音楽院弦楽四重奏団で、1945年にスメタナ弦楽四重奏団と改称。このLPレコードでの演奏内容は、実に緻密そのものであり、流麗を伴った憂いを含んだ表情が印象に強く残る。モーツァルトの弦楽五重奏曲を、このように静寂さをもって演奏した例を私は他に知らない。(LPC)