★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇ギーゼキングのグリーグ:抒情小曲集より

2020-08-31 09:51:27 | 器楽曲(ピアノ)

グリーグ:抒情小曲集 

       第1集 作品12 第2番:ワルツ
       第2集 作品38 第1番:子守唄   
       第3集 作品43 第1番:ちょうちょう   
       第3集 作品43 第2番:孤独なさすらい人
       第3集 作品43 第3番:ふるさとで    
       第3集 作品43 第4番:小鳥   
       第3集 作品43 第5番:恋の曲
       第3集 作品43 第6番:春に
       第4集 作品47 第2番:音楽帖    
       第4集 作品47 第3番:メロディー    
       第4集 作品47 第4番:ハウリング    
       第5集 作品54 第4番:夜想曲    
       第5集 作品54 第6番:鐘の音
       第6集 作品57 第6番:郷愁    
       第7集 作品62 第3番:フランスのセレナード  
       第7集 作品62 第5番:まぼろし    
       第7集 作品62 第6番:家路
       第8集 作品65 第1番:青春の日々から   
       第8集 作品65 第2番:農夫の歌    
       第8集 作品65 第6番:トロルドハウゲンの婚礼の日    
       第9集 作品68 第5番:ゆりかごの歌

ピアノ:ワルター・ギーゼキング

LP:東芝EMI AB-8131

 このLPレコードでピアノ演奏しているのは、ドイツの名ピアニストのワルター・ギーゼキング(1895年ー1956年)である。ドイツ人といっても、ギーゼキングはドイツ人の両親のもと、フランスのリヨンに生まれた。このことが影響しているのか、ドイツ人ピアニストに多くみられる、ドイツ・オーストリア系作曲家への偏重はなく、例えば、ドビュッシーを弾けば、フランスのピアニストを凌ぐセンスを発揮する。ギーゼキングは、ラフマニノフのピアノ協奏曲を最初に録音したピアニストでもあり、この時、ラフマニノフと変わらぬテクニックで弾きこなしたというように、技巧的にも完璧な域に達していたピアニストであった。これらの前提にあるのは、ギーゼキングに対する“新即物主義”のピアニストという評価だ。“新即物主義”とは、それまでのロマン主義に根差したピアニストの恣意的な演奏表現とは異なり、あくまで楽譜に忠実に演奏する奏法を指す。このため、ドイツものだろうが、フランスものだろうが、ギーゼキングにとっては同じピアノ曲に映っていたのであろう。ただこれだけなら、別にそう驚くことはないかもしれないが、ギーゼキングの“新即物主義”的演奏は、同時に人間臭さも持ち合わせているところが、凡庸なピアニストとは大いに異なる。ただ機械的にピアノ演奏しているのでなく、何回も聴くうちに、ギーゼキングの息遣いまでもが聴き取れるのではないか、と思えるほど人間臭い演奏内容なのだ。その意味で、このLPレコードでギーゼキングが演奏しているグリーグ:抒情小曲集は、ギーゼキングの演奏の特徴が最も発揮された曲の一つであると言ってよかろう。実際、このLPレコードを聴き終えると、もう一度最初から聴き直したくなるほど完成度が高い録音に仕上がっている。言い表しがたい何ものかがあって、リスナーの心を捉えて離さないのだ。要するに、このLPレコードは、グリーグが北欧の自然を背景に、抒情味いっぱい書き上げた「抒情小曲集」に対する、ギーゼキングの共感で溢れかえったような演奏内容となっている魅力あふれるものなのだ。グリーグの「抒情小曲集」は、1867年から1903年にかけて作曲された、全66曲、全10集からなるからなるピアノ曲集。誰でも一度は聴いたことのある「蝶々」「春に寄す」「トロルドハウゲンの婚礼の日」などが含まれている。グリーグは、北欧を代表する作曲家としてその名は後期ロマン派の中でも、ひと際光り輝いている。ピアノ曲の中では、「ピアノ協奏曲」そしてこの「叙情小曲集」などがある。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ラファエル・クーベリック指揮ベルリン・フィルのシューマン:交響曲第1番「春」/第4番

2020-08-27 10:11:33 | 交響曲(シューマン)

シューマン:交響曲第1番「春」/第4番

指揮:ラファエル・クーベリック

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1963年2月18日~21日、ベルリン、イエス・キリスト教会

LP:ポリドール SE 7905(ドイツグラモフォン 2544 099)

 シューマンは、1841年、31歳の時、交響曲第1番を作曲した。1841年3月31日、ライプツィヒのゲヴァントハウスでメンデルスゾーンの指揮により初演が行われ、好評を得たという。シューマンは、ベットガーの詩に「谷に春は目ざめたり」という文を見て、第1番の交響曲の作曲を思い立った。もともとシューマンは、文芸作品への造詣が深く、それが作曲の動機づけになったケースが少なくない。つまり、第1番の交響曲に「春」とつけたのは、シューマン自身で、最初、各楽章には、「たそがれ」「ゆうべ」「楽しい遊び」「春たけなわ」という表題が付けられていた。一方、現在シューマン最高の交響曲とされる第4番の交響曲は、第1番のずっと後に作曲されたわけではなく、交響曲第1番を作曲した同じ年に並行して作曲された作品である。このため、第2交響曲として初演されたが、こちらは、評判が良くなく、出版を取り止めたという。そして、1851年になって改作され、出版された。初演は、1853年5月3日に作曲者自身の指揮で行われた。第4番の作品の内容は、第1番と打って変わって、ベートーヴェンの「運命交響曲」のような激情を込めた力強さに満ちた作品に仕上がっている。フルトヴェングラーが指揮したシューマン:交響曲第4番の名盤があるが、如何にもフルトヴェングラーが好みそうな作品である。このLPレコードでベルリン・フィルを指揮しているのがチェコ出身の名指揮者ラファエル・クーベリック(1914年ー1996年)である。1942年、チェコ・フィルの首席指揮者に就任したが、第2次世界大戦後のチェコの共産化に反対し、1948年に渡英、そのままイギリスへと亡命した。シカゴ交響楽団の音楽監督、コヴェント・ガーデン王立歌劇場の音楽監督を務め後、1961年にバイエルン放送交響楽団の首席指揮者に就任し、同楽団を世界レベルにまで押し上げた。1989年にチェコで民主化革命が起きたのを契機にイギリスから帰国し、チェコ・フィルより終身名誉指揮者の称号を受けた。このLPレコードでのラファエル・クーベリックは、至極正統的なもので、何の誇張もなく真正面からシューマンの交響曲を指揮する。しかし、ただ淡々と指揮をするだけではなく、内面からのシューマンへの敬愛が込められたかのような指揮なので、その一音一音が生き生きとした息遣いが込められているようでもあり、最後まで聴き終えたときとき初めて、「さすがラファエル・クーベリックに指揮だけのことはある」と納得させられるようなLPレコードである。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇バリリ四重奏団の弦楽四重奏曲第10番「ハープ」/第11番「厳粛」

2020-08-24 09:41:56 | 室内楽曲(弦楽四重奏曲)

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第10番「ハープ」
        弦楽四重奏曲第11番「厳粛」

弦楽四重奏:バリリ四重奏団

発売:1965年 

LP:キングレコード MR5094

 これは、往年の名カルテットのバリリ四重奏団が録音した、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲全集のLPレコードの中の1枚で、弦楽四重奏曲第10番「ハープ」と弦楽四重奏曲第11番「厳粛」が収められている。バリリ四重奏団は、1954年に創設された弦楽四重奏団であり、第1ヴァイオリンは、ウィーン・フィルのコンサートマスターを務めたワルター・バリリ、第2ヴァイオリンは、ウィーン・フィルの第2ヴァイオリンの首席奏者を務めたオットー・シュトラッサー、ヴィオラは、創設時のモラヴェッツから、ウィーン・フィルのヴィオラの首席奏者を務めたルドルフ・シュトレンク、そして、チェロは、創設時のクロチャックさらにエマヌエル・ブラベッツがそれぞれ担当している。いずれもウィーン・フィルの有力メンバーであり、彼らが演奏するスタイルは、ウィーン情緒たっぷりなところが大きな特徴となっている。しかしながら、単にウィーン情緒に流されることはなく、その曲の持つ本質をずばりと言い当てる能力は、他の弦楽四重奏団を大きく凌駕していた。弦楽四重奏曲第10番「ハープ」は、第1楽章の随所に現れるピッツィカートの動機から「ハープ」という愛称を持つ。この幸福感に満たされた作品をバリリ四重奏団は、本来持っているウィーン情緒をふんだんにちりばめた内容の演奏を繰り広げる。しかも、表面的なウィーン情緒とは無縁な奥深い感情が込められた演奏なので、この作品が持つ伸びやかさが鮮やかに表現尽される結果となっている。一方、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第11番「厳粛」は、1810年5月に劇音楽「エグモント」を完成させた後に着手された。何故「厳粛」と名づけられたかというと、草稿に「真面目なる四重奏曲。1810年10月ズメスカに捧ぐ。10月その友人これを書く」ということから来ているようだ。もっとも「真面目なる(セリオーソ)」という言葉は出版に際しては削除されたという。この曲は、規模は小さいものの、「内容の充実度ではベートーヴェンの弦楽四重奏曲の中でも一番」とする評論家がいるほど優れた作品に仕上がっている。第10番「ハープ」の後に続けて聴くと、第11番「厳粛」の内省的で厳格さとの落差に驚かされるが、こちらの方が本来のベートーヴェンの弦楽四重奏に近い性格の曲だ。ここでのバリリ四重奏団の演奏は、第10番「ハープ」の大らかな演奏をがらりと変え、ベートーヴェンの内省的で激しい闘争心を的確に捉え表現する。それでも、ぎすぎすした感情表現ではなく、深淵さを感じさせるところはさすがバリリ四重奏団である。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ヨーゼフ・シゲティとアンタル・ドラティ指揮ロンドン交響楽団のベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲

2020-08-20 09:39:42 | 協奏曲(ヴァイオリン)

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲

ヴァイオリン:ヨーゼフ・シゲティ

指揮:アンタル・ドラティ

管弦楽:ロンドン交響楽団

録音:1961年6月、ワトフォード

発売:1975年

LP:日本フォノグラム(フィリップスレコード) PC‐1304(SR‐90358)

 ベートーヴェンは、9曲のヴァイオリンソナタを書き終えた後、1806年にこの唯一のヴァイオリン協奏曲を書いた。ベートーヴェンのヴァイオリンと管弦楽のための作品は、このほか2曲の小品「ロマンス」と途中で未完に終わった協奏曲があるだけだ。ピアノ協奏曲ならともかく、ヴァイオリン協奏曲ともなると、オーケストラの中でヴァイオリン独奏を際立たせるのは、ベートーヴェンといえどもよう容易なことではなかったことを窺わせる。1曲に集中した分、完成したヴァイオリン協奏曲は、その内容の充実度は高く、メンデルスゾーン、およびブラームスの作品とともに“三大ヴァイオリン協奏曲”とも称されている古今のヴァイオリン協奏曲の傑作が完成した。 この作品は、実に伸びやかで、詩情豊かな色合いが濃く、他のベートーヴェンの作品のような闘争心は剥き出しにはなっていない。しかし、ベートーヴェンの中期を代表する傑作であることには間違いない。このレコードでヴァイオリン独奏をしているのは、ハンガリー出身の大ヴァイオリニストのヨーゼフ・シゲティ(1892年ー1973年)である。シゲティは、ヴァイオリンは父親から手ほどきを受けたようで、後にブダペスト音楽院の名ヴァイオリニストのフーバイに師事。13歳でベルリンとドレスデンでデビューを果たす。レパートリーは古典から現代音楽まで幅広いが、表面的な技巧の曲には手を出さなかったという。イザイエ、ブロッホ、バルトーク、プロコフィエフ、などの大作曲家がシゲティのために曲を献呈していることから、当時、如何に評価が高かったヴァイオリニストであったかが分かる。曲の本質にぐいぐいと迫る演奏内容が特徴だ。そのため、美音とか優美さをそのヴァイオリン演奏から求めることはできない。あくまでその曲の骨格を丸裸にするような演奏で、ちょっと聴くと武骨な感じさえする。これは、当時、芸術全般に流行した新則物主義の影響を受けたからではなかろうか。1931年に初来日を果たし、その翌年にも日本に来ている。1960年からは、スイスに居を移し、海野義雄、潮田益子、前橋汀子らを教え、1973年ルツェルンで死去した。このレコードでのシゲティの演奏は、アンタル・ドラティ指揮ロンドン交響楽団が、雄大な雰囲気の伴奏を奏でていても、それには一切お構いなしに、自己の特徴とする曲の本質へ切り込むような鋭さを武器に、一心にぐいぐいと突き進む。そこには、普段、我々リスナーが聴き馴染んでいるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の世界とは異なる、別次元の世界が広がる。これはもう、シゲティが没入した世界に、リスナーが迷い込むような状態に立ち至る。そこには、一切表面的な音楽表現は拒否し、求心的な音楽のみがある、シゲティではなくては到底演奏不可能な世界が果てしなく広がる。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ウィーン・コンツェルトハウスのシューベルト:弦楽四重奏曲第13番「ロザムンデ」

2020-08-17 09:44:57 | 室内楽曲(弦楽四重奏曲)

シューベルト:弦楽四重奏曲第13番「ロザムンデ」

弦楽四重奏:ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団

          アントン・カンパー(第1ヴァイオリン)
          カール・マリア・ティッツェ(第2ヴァイオリン)
          エーリッヒ・ヴァイス(ヴィオラ)
          フランツ・クヴァルダ(チェロ)

発売:1976年5月

LP:日本コロムビア OW‐8016‐AW

 シューベルトは、生涯に弦楽四重奏曲を20曲以上作曲したようだが、その中には楽譜が消失してしまったものもあり、正確な数字は分からない。このLPレコードは、「ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団/シューベルト弦楽四重奏曲全集」の中の1枚で、ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社の全集版によって演奏されている。この全集版には、シューベルトの自筆楽譜をもとに考証された15曲が収められている。初期の頃のシューベルトの弦楽四重奏曲は、家庭で演奏されるような作品であり、特別に深い内容は持っているわけではない。しかし、中期、後期と進むに従い、内容の濃い作品も作曲され始める。それらの作品に共通する特徴は、歌曲のように流れるような美しいメロディーが、次ぎから次へと湧き上がってくることで、如何にもシューベルトらしい弦楽四重奏の世界を形成しているのが特徴。弦楽四重奏曲第13番「ロザムンデ」は、1824年2月から3月にかけて作曲され、初演時には第3楽章がアンコールで演奏されたほど好評だったという。第1楽章の第1主題は、初期の歌曲「糸を紡ぐグレートヒェン」に基づいたもので、また第2楽章は、変奏曲の主題が劇音楽「ロザムンデ」から取られている。このため、この曲全体が「ロザムンデ」と呼ばれるようになった。ただ、この曲の中で中心をなす楽章は、第3楽章メヌエット:アレグレットの楽章と言われている。いずれにせよ、この第13番の弦楽四重奏曲は、1824年の第14番「死と乙女」、1826年の第15番と並び、シューベルトの弦楽四重奏曲の後期の3大作品を形成する作品であり、内容の充実した作品に仕上がっている。これらの3つの作品は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲のような深い精神性を持ったものというより、ロマン派の作品のような抒情味溢れるところが特徴となっている。歌曲のような流れるメロディーが魅力を発散させ、今でも多くのファンから支持を受けている曲。演奏しているのは、ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団。同四重奏団は1934年に創立され、ウィーンのコンツェルトハウスを舞台に演奏活動を展開していた。このLPレコードでは、創立当時のメンバーが演奏している。その後、第1ヴァイオリンのアントン・カンパー以外のメンバーの交代があり、1967年を最後に解散した。活動中は、全員がウィーン・フィルのメンバーであったことから、ウィーン情緒を強く反映した演奏内容に特徴があった。このLPレコードの演奏でも、どのクァルテットと比べても、抒情性が色濃く、深いロマンの味わいが表現された充実した演奏を聴かせてくれている。(LPC)

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