★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇クララ・ハスキルのモーツァルト:ピアノ協奏曲第13番/ピアノソナタ第2番/「キラキラ星」の主題による変奏曲

2019-10-31 10:02:52 | 協奏曲(ピアノ)

モーツァルト:ピアノ協奏曲第13番
       ピアノソナタ第2番
       「キラキラ星」の主題による変奏曲

ピアノ:クララ・ハスキル

指揮:ルドルフ・パウムガルトナー

管弦楽:ルツェルン祝祭弦楽合奏団

録音:1960年5月5日~6日、ルツェルン、ルカ教会、ゲマインデザール

LP:ポリドール(ドイツグラモフォン) MGW5263

 クララ・ハスキル(1895年―1960年)は、ルーマニア出身の名ピアニスト。15歳でパリ音楽院を最優秀賞を得て卒業し、ヨーロッパ各地で演奏活動を展開するが、1913年に脊柱側湾の徴候を発症し、以後、死に至るまで病苦に苦しめられることになる。このために当初は正統な評価を受けることは少なかった。しかし、第二次世界大戦後の1950年を境に一躍脚光を浴び始め、カラヤンなど著名な指揮者や演奏家に支持されると同時に、フランスをはじめとするヨーロッパ諸国での演奏活動において、熱狂的な聴衆に支持され、その名声は世界的に広まるようになる。得意としたレパートリーは、古典派と初期ロマン派で、とりわけモーツァルトの演奏には定評があった。室内楽奏者としても活躍し、アルテュール・グリュミオーの共演者として高い評価を受けることになる。しかし、演奏会へ向かうブリュッセルの駅で転落した際に負った怪我がもとで死に至る。現在、その偉業を偲び「クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクール」が開催されていることはご存じの通り。そんなクララ・ハスキルが、このLPレコードにおいて、お得意のモーツァルトの初期の作品を演奏している。ピアノ協奏曲第13番は、第11番、第12番とともに、1783年にウィーンで作曲された曲。3曲のうち第13番だけ、管弦楽にトランペットとティンパニを加え、華やかさを備えている。ピアノソナタ第2番 ヘ長調 K.280は、ハイドンの影響が強い、最初期のピアノソナタの1つであるが、モーツァルトならではの個性がいち早く現れている作品。「キラキラ星」の主題による変奏曲は、1778年に作曲したピアノ曲で、当時フランスで流行していた恋の歌「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」 を基にした変奏曲。このLPレコードでのクララ・ハスキルの演奏は、これらモーツァルトの初期の作品を、誠に愛らしく、純粋に弾いている。クララ・ハスキル自身が、若き日のモーツァルトに同化したかのような演奏内容となっている。そこにあるのは、ただ一途に、音楽だけに奉仕するような、限りなく純粋な愉悦の世界が深く広がっている。これは、クララ・ハスキルが不世出のピアニストであったことが実感できるLPレコードであり、そして何よりモーツァルト弾きとしての真骨頂を存分に発揮していることを、聴いて取ることができるのである。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ショーソン:「果てしない歌」/「ピアノ、ヴァイオリンと弦楽四重奏のための協奏曲(コンセール)」

2019-10-28 09:43:15 | 室内楽曲

ショーソン:「果てしない歌」       
       「ピアノ、ヴァイオリンと弦楽四重奏のための協奏曲(コンセール)」

ピアノ:ピエール・バルビゼ

ヴァイオリン:クリスチャン・フェラス

弦楽四重奏:パレナン弦楽四重奏団           

            ジャック・パレナン(第一ヴァイオリン)             
            マルセル・シャルパンティエ(第二ヴァイオリン)             
            ドゥネス・マルトン(ヴィオラ)             
            ピエール・ペナスウ(チェロ)

ソプラノ:アンドレエ・エストポジート

LP:東芝EMI EAC‐40125 

 フランスの作曲家であるエルネスト・ショーソン(1855年―1899年)は、我々日本人にとっては、フォーレほどは馴染はないのかもしれないが、「詩曲」の作曲家と言えば、「あの曲の作曲家なのか」と誰もが頷くことになる。それは「詩曲」を一度聴けば、その繊細で、夢の中を歩いているかのような、文字通り“詩的”な音楽との出会いに、誰もが一度は感激したことを思い出すからであろう。ショーソンは、24歳でパリ音楽院に入り、マスネ、フランクなどに作曲を学んだ後に、バイロイトでワーグナーの影響を強く受けたりもした。44歳で亡くなるまで、交響曲、室内楽、歌曲、歌劇など幅広い分野での作曲を手がける。その中でも、1896年(41歳)のときに作曲したヴァイオリンと管弦楽のための「詩曲 」が有名である。そのほか、交響曲 変ロ長調 や「愛と海の詩」などの曲で知られる。このLPレコードには、ソプラノの独唱にピアノと弦楽四重奏団が伴奏をする「果てしない歌」と「ピアノ、ヴァイオリンと弦楽四重奏のための協奏曲(コンセール)」が収められている。この2曲は、「詩曲 」ほど有名ではないが、その内容の充実度からすると、「詩曲 」に比肩し、むしろフランス音楽的な詩情に関しては、一層濃密さを湛えた、隠れた名曲という位置づけがされても少しもおかしくない優れた作品だ。「果てしない歌」は、シャルル・クロスの、失われた愛に対する切々たる心情を吐露した詩によるもので、ソプラノのアンドレエ・エスポジートの澄んだ歌声が実に印象的であり、その繊細極まりない伸びやかな歌声を、ピアノのピエール・バルビゼとパレナン弦楽四重奏団が巧みにエスコートする様は、聴いていて、自然にため息が出てくるほど詩的情緒が溢れ出すといった演奏内容となっている。一方、「ピアノ、ヴァイオリンと弦楽四重奏のための協奏曲(コンセール)」は、協奏曲という名称が付けられてはいるが、実質的には、室内楽の「六重奏曲」に相当する曲。全体は4つの楽章からなり、ピアノとヴァイオリンがリードしながら、6つの楽器全体が巧みに融合された、優れた室内楽作品に仕上がっている。ピエール・バルビゼのピアノ、クリスチャン・フェラスのヴァイオリン、それにパレナン弦楽四重奏の、デリケートなリリシズムに貫かれた演奏内容にリスナーは酔い痴れる。このようなフランス音楽の室内楽を静かに味わうにはLPレコードほど適したものはない。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ヘンリック・シェリングのブラームス:ヴァイオリン協奏曲

2019-10-24 09:35:45 | 協奏曲(ヴァイオリン)

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲

ヴァイオリン:ヘンリック・シェリング

指揮:アンタル・ドラティ

管弦楽:ロンドン交響楽団

録音:1962年、ロンドン

発売:1980年

LP:日本フォノグラム(フィリップスレコード) 13PC‐267(6570 304)

 幾多の名盤がひしめくブラームス:ヴァイオリン協奏曲の中でも、このLPレコードは、今でも一際、その大きな存在感を示している名盤中の名盤と言っていいだろう。ヴァイオリンのヘンリック・シェリング(1918年―1988年)と指揮のアンタル・ドラティ(1906年―1988年)のコンビによる演奏は、ドイツ音楽の正統派の頂点に立つ存在と言って過言でない。このLPレコード聴いていると、最近の演奏が如何にこじんまりと纏まり過ぎているかを痛感せずにはいられない。このLPレコードでの悠揚迫らざる態度で演奏する様を聴いていると、このヴァイオリン協奏曲の奥に潜んだ、原石の持つ魅力を最大限に表現しようとする情熱を痛切に感じないわけには行かない。小手先の技巧には決して走らず、曲の持つ奥深さやスケールの大きさを最大限に表現して余り無い。第1楽章の全体にわたる実にゆったりとした表現は、ヘンリック・シェリングのヴァイオリンの美しい音色を聴かせるには丁度よいテンポだ。アンタル・ドラティ指揮ロンドン交響楽団の伴奏は、決して表面に立つことはせずに、ヘンリック・シェリングのヴァイオリンの演奏のサポート役に徹しているわけであるが、さりとて単なる裏方ではなく、引き締めるところはきちっと引き締め、ヴァイオリン演奏を巧みに盛り上げて、見事の一言に尽きる。ヘンリック・シェリングのヴァイオリン演奏は、シゲティの後継者とも言われていたように、表面的な表現より、曲の核心をぐいっと掴み取る表現力の凄みのようなものが感じられ、印象に強く焼き付く。第2楽章に入ると、この傾向がさらに深まる。そして何より考え抜かれた叙情的表現の美しさは例えようもない。知的な叙情味とでも言ったらいいのであろうか。テンポも第1楽章よりさらにゆっくりと運んでいるようにも感じられる。時折点滅するような、陰影感をたっぷりと含んだ表現力がリスナーに対して堪らない魅力を発散する。第3楽章は、一転して心地良いテンポに一挙に様変わりる。そして、ブラームスの曲特有の分厚く、しかも重々しい響きが辺り一面を覆い尽くす。しかもヘンリック・シェリングのヴァイオリン演奏は、最期まで恣意的な解釈を排して、曲の核心から離れることは一切ない。正統的てあるのに加えて、温かみのあるその演奏内容は、多くのファンの心を掴んで離さない。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇オイストラフ&オボーリンの名コンビによるベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第8番/第2番/第4番

2019-10-21 09:41:45 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第8番/第2番/第4番

ヴァイオリン:ダヴィド・オイストラフ

ピアノ:レフ・オボーリン

録音:1957年、パリ

発売:1977年

LP:日本フォノグラム(フィリップスレコード) X‐5690

 ヴァイオリンのダヴィド・オイストラフ(1908年―1974年)は、ロシアのオデッサ生まれ。オデッサ音楽院で学び、同音楽院を1926年に卒業後、直ぐに演奏活動を開始。1935年「ヴィエニアスキ国際コンクール」第2位、そして1937年には、「イザイ国際コンクール(現エリーザベト王妃国際音楽コンクール)」に優勝して、世界的にその名を知られることになる。1938年にはモスクワ音楽院の教授に就任。1949年までは旧ソ連内での活動に留まっていたが、1950年以降になると西欧各国での演奏活動を積極的に展開するようになる。その優れた技巧と音色、そしてスケールの大きな演奏により、西欧でも名声を不同なものとして行く。1974年10月に客演先のアムステルダムのホテルで逝去した。享年66歳。一方、ピアノのレフ・オボーリン(1907年―1974年)は、モスクワ生まれ。モスクワ音楽院で学び、1927年に同音楽院を卒業した翌年の1928年、第1回「ショパン国際ピアノコンクール」に優勝。以後西欧各国から招かれ、その第一級の腕を高く評価された。1935年にモスクワ音楽院教授に就任。ピアニストで今は指揮者として活躍しているアシュケナージも教え子の一人という。1938年からはオイストラフとコンビを組み二重奏の演奏を開始。さらにチェロのクヌシェヴィッキーを加えたトリオの演奏でも高い評価を得た。1974年1月にモスクワで死去。この2人のコンビでベートーヴェンのヴァイオリン全集が録音されたが、その中から3曲を収めたのが今回のLPレコードである。ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第8番は、中期を前にした曲で、明るくまとまりの良いヴァイオリンソナタとして知られる。第2番は、初期の作品であり、モーツァルトの影響も見られ、内容の充実度というよりは、新鮮な内容が特徴。第4番は、ベートーヴェン独自の個性が発揮され始めた頃の作品。2人によるこれら3曲の演奏内容は、いずれも緻密な計算の上に立ち、高い技巧で表現されているのが特徴。一部の隙のない演奏ではあるが、人間味のある暖かみがベースとなっているので、聴いていて自然に心が和んでくる。完成度の高さは極限まで追究している一方で、音楽の心は決して忘れてはいない。やはり、2人は不世出の名コンビだったということを、改めて思い知らされた1枚のLPレコードであった。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団のプロコフィエフ:交響曲第5番

2019-10-17 09:38:07 | 交響曲

プロコフィエフ:交響曲第5番

指揮:ジョージ・セル

管弦楽:クリーヴランド管弦楽団

録音:1959年10月24日、31日

LP:CBS/SONY 13AC 797

 セルゲイ・プロコフィエフ(1891年―1953年)は、現在のウクライナ生まれのロシア人作曲家。サンクトペテルブルク音楽院で学ぶ。ロシアが革命の嵐に包まれる中、1918年、プロコフィエフはアメリカへの移住を決意。シベリア・日本を経由してアメリカへ5回渡り、さらにパリに居を移す。20年近い海外生活の後、1936年に社会主義のソヴィエトへ帰国。このように何回も海外移住をを繰り返し、最期には祖国に帰還できたということは、プロコフィエフの行動を黙認するしかなかった、ということであろう。つまり、それほどプロコフィエフの世界的な名声が高かったことの証だ。1948年、プロコフィエフは、ジダーノフ批判の対象となるかとおもえば、1950年度のスターリン賞第2席を得るなど、当時のソ連政府のプロコフィエフへの評価は大きく揺らいでいたようだ。偶然ではあるがプロコフィエフの死は、スターリンの死と同年同月同日であった。「スターリンの死が国家的大事件であったのに比べ、プロコフィエフの死は誰も知らなかった」と、同じロシア出身で、亡命の経験を持つウラディーミル・アシュケナージは、プロコフィエフの晩年の淋しい死について語っていた。そんなプロコフィエフが作曲した交響曲の中で、第1番「古典交響曲」と並び人気の高い交響曲第5番を収めたのがこのLPレコードだ。1941年にヒトラーの率いるドイツ軍が独ソ不可侵条約を一方的に破棄してソ連に攻め入る現実を見て、かつてない祖国愛に目覚めて作曲したのが、この交響曲第5番と言われている。初演は1945年、モスクワのモスクワ音楽院大ホールにて、プロコフィエフ自身の指揮それにモスクワ国立交響楽団の演奏で行われ、ソヴィエト全域にラジオ放送で中継されたという。このLPレコードは、ハンガリー出身の名指揮者ジョージ・セル(1897年―1970年)がクリーヴランド管弦楽団を指揮した録音。ジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団のコンビは、1946年から1970年の24年間にも及んだが、この録音は1959年なので、その中間期の録音に当る。実際聴いてみると、重厚で威厳のある第1楽章、軽快でスケルツォ風の第2楽章、美しい旋律が次々と現れる叙情的な第3楽章、そして勇猛で力強い雰囲気に満ちた第4楽章からなる全4楽章を、実に流麗に、しかも内容がぎっしりと詰まった演奏を展開しており、聴くものの心を掴んで決して離さない魅力に富んだものとなっている。(LPC)

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