霊能力があるかないかに関係はなく授業をさせていただいております。
霊能力にこだわるとそれ以上に伸び率が無くなってしまいますので。
霊という枠ではなく、生徒さん自身の能力を育ててあげたいと思っております。
それは勘というカタチでもあり、その人によっては画像や音で出てくる場合もあります。
霊能者ということにあこがれをいただく気持ちもわからないではありませんが、ある意味霊にとらわれて、求めているカタチでなければ満足できなくなり、他の事柄でわかっているのにそれを否定してしまったりすることも多いのです。
自分で見たいものを見たい・・
それは事実ではなく想像や空想になっていきやすいので。
50代の方のお話です。
元々仏教のお勉強をされていて、その内容は私以上の経歴をお持ちの方でした。
日々、お不動様や経本を持ち歩き、その経典はボロボロになっている状態のものでした。
当然信仰心は厚く、毎日のお経はかかさず、手を合わせ日々の感謝と共に暮らされていました。
ある日、彼女がアルバイトで働いて居る職場に一人の女性が入社されました。
その女性は同じく信仰心が厚く、二人で仏教の話をするぐらいになったのです。
仲良くなると話が深くなり、遠慮や控えめにしていたことが薄くなり、当然・・考え方で食い違うことが起きます。
(本来、仏教徒なら自分の考えで会話ではなく、お釈迦様の教えの会話になるはずなのですがそこは残念ながら・・)
そしてある日から背中や肩が痛くなり、ひどくなると強烈な傷みで起きれなくなったりすることがありました。
「この傷みの原因はあの同僚の女性のせいだと思いましたので、お祓いに行きました」というお話から始まり・・
お祓いを受けて楽になるのはなるのですが、その後も同じ症状がでて困っているということでした。
彼女を見ていると確かにその答え。
でも
「それを引き寄せているのはご自分だということもわかっておられますよね?」と言うと
「もちろんです。自分が彼女の機嫌を損ね、招いた結果です。もっと距離を取って考え方や行動を控えめにしたらここまでひどくはならなかったと思います。
ただ本当に彼女に攻撃されているのかどうか自分で確かめる方法が知りたいのです」と言われました。
希望は霊視ができるようになりたい。
しかし私は「霊視は危険ですよ」という答え。
つまり“また引き寄せてしまう”と思ったのです。
見る、見られる、覗かれているのを知られる・・・
ほら、普通に生きている人でも見られている感覚は不思議にあるでしょう?
会社でも
「あれ?この人私を見ている?」とか。
それが相手側に知られたら、怒りは当然普通のものより大きいと思います。
それで霊視ではなくて他の方法を。
やり方をおしえてあげました。
そして・・あの女性もいましたが、他の人も存在していました。
彼女は反省しました。
正しい反省の仕方などをお伝えさせていただきました。
自分が日々どういうことで引き寄せてしまっているのか。
自分の希望が欲というカタチまでに変化することが自分にとっては普通のことですが、大きく変形、ゆがんでしまうことに気がつかず膨らんでいくことがどれだけ怖いか。
正しいは・・正しいのです。
でも他人からみるとその正しさが怒りに触れることがあるのです。
人の念の怖さがここにあります。
正しく反省されると進歩が早いのです。
そして埋もれていた才能の芽も出てきます。
これからが楽しみ、と私は思っています。
きっと正しく進めますし、ますます仏教が深くなれると思っています。