1591年2月に李舜臣は全羅左水使に任命された。これは柳成龍の推薦によるものだ。朝鮮半島の南の先端部分は西側が全羅道で東側が慶尚道という地域にわかれる。現在の行政区分では全羅道は南北に2つにわかれ全羅北道と全羅南道にわかれているが、朝鮮王朝時代では全羅道は東西にわかれ全羅右道(西)と全羅左道(東)に分けられる。全羅左水使は全羅左道にある水軍の司令官だ。当時、太閤秀吉による朝鮮出兵がうわさされていて、そのため前年の1590年3月に朝鮮から日本へ状況偵察のため通信使が派遣されていた。結果からみると名宰相の柳成龍が万一の戦争に備えて異例の昇進だが李舜臣を全羅左水使に推薦したと思われる。ただその直後の1591年3月に通信使が日本から戻ってきたが、正使は侵攻の可能性を報告し、副使は侵攻の可能性はないと報告した。国王は副使の意見を採用した。
ドラマではこの李舜臣の全羅左水使に就任前後をドラマチックに描いている。実はその直前に全羅左水使には元均が就任したばかりだった。全羅左水使の本営の庭では元均と配下の指揮官が集まって元均の就任祝いの宴会が開かれる。元均は北方での活躍で勇猛な指揮官で知られておりキャリアからして従三品の全羅左水使に就任してもおかしくない。そこへ井邑県監の李舜臣が現れる。居並ぶ武将たちは李舜臣が武官で同じ全羅道内の井邑県の首長であることは知っているが指揮する軍隊をも立たない純然たる牧民官(民生官)で全羅左水使の部下ではないので「あんたは指揮官ではないのにどうして来たの?」と不思議がる。元均は李舜臣が昔からの友人だと説明する。宴会の途中で王様の使いがきて、元均を全羅水使から解任するというのでみんなびっくりだ。
実は元均は全羅左水使にふさわしくないと進言したのは柳成龍だ。元均は勇猛だが、女真族の捕虜を勝手に殺したり、無辜の民をよく調べずに処刑したりしたことがあるので司令官にふさわしくないとの理由だ。そこで王様は解任と身を慎み反省せよという文書を送り届けたのだ。で、そのあと柳成龍の推薦で7階級特進により全羅左水使に任命されたのは李舜臣だ。元均は当然頭にきた。ここで元均と李舜臣の友情関係は消滅する。まあ北方にいる時も直接の接触はないけれど、元均は李舜臣の女真族の結集の懸念による兵力派遣要請とさらわれた人と捕虜との交換を女真族と交渉しようとする李舜臣の行動を批判していたけどね。
では柳成龍は元均が本当にふさわしくないと考えて解任を進言して、たまたま李舜臣が適任なのでそのあとに推薦したのだろうか、それとも李舜臣を全羅左水使にしたくて元均を解任させたのだろうか?僕は前者だと思う。というのは元均が攻撃は最大の防御だから準備がととのえて日本に攻め込み占領するぞと言っていたからだ。
ところで柳成龍は水軍の重要性と李舜臣の水軍指揮の能力を考えて全羅左水使に推薦したというより、とにかく李舜臣を出世させたかったみたいだ。この「不滅の李舜臣」というテレビドラマの原作の一つといわれる「孤将」という小説がある。あの蓮池薫さんの訳で新潮社から出ている。以前に買っていたがまだ読んではいなかった。小説自身は慶長の役の最後の頃の李舜臣の内面を一人称で描く純文学チックなものだ。その小説に付録で「李舜臣の年譜」が付いている。ちなみに李舜臣の最初の赴任先はドラマで話された宣伝官ではなくて咸鏡道の童仇非堡に権官となっていた。ドラマの話で出てくる宣伝官というのは新規採用者や白衣従軍明けの者の本来の勤務先が決まるまでの待機用のポストとして使われているから年譜には出てこないのかな?さてこの年譜には罰については触れていない。だから1586年に造山堡萬戸で品階が従四品だったのに1589年末にかなり下の従六品の井邑県監になった理由は年譜からはわからないとちょっと不親切。
話は柳成龍が李舜臣を何がなんでも出世させたかったのではないか、という話に戻ると。この年譜で驚くことは井邑県監から全羅左水使になる前に、李舜臣をやはり高官の従三品や正三品の役職への任命の発令が3回だされて3回ともすぐ取り消されているのだ。発令がすぐ取り消されるのは元均だけではなかったのだね。李舜臣への発令の3度の取り消しは司諫院の反対によるもの。司諫院とは王様が間違った行動をとったとき儒教の立場からいさめる役割をもつ役人のいる役所。儒教では君主への諫言が臣下の重要な役目で、朝鮮王朝では諫言を仕事とする役職がいくつかある。儒学者にとっては宰相になるより司諫院で働く方が名誉だと思うものも多いそうだ。司諫院の反対の理由は李舜臣の出世が早すぎるというものだそうだ。でも4度目の正直で正三品の全羅左水使になった。これが1年間に起きたのだが官僚間の派閥争いも関係しているかもしれない。
こうして李舜臣は全羅左水使になったわけだ。もし前3回のどれかの任免で陸軍の指揮官になっていたら日本軍の侵攻にぶつかり戦死していたかもしれないね。こうしての水軍の司令官の李舜臣が誕生したのは運命かな。
でも従六品の県監から7階級特進で正三品の全羅左水使に李舜臣がなったのが、気に入らないのは全羅左水営の武将たちだ。自分たちよりはるかに階級の低かったものが上司になるのだ。また武将たちの中には元均に心を寄せるものがいる。そのうえ李舜臣は船大工を指揮官並の地位を与え作戦会議にも参加させるという。まったく異例の人事の連続に武将たちの中には当惑と不満が渦巻く。ここからドラマは管理職としての組織内の戦いのドラマとなる。河村市長もみてちょう。参考になるでよ。
ドラマではこの李舜臣の全羅左水使に就任前後をドラマチックに描いている。実はその直前に全羅左水使には元均が就任したばかりだった。全羅左水使の本営の庭では元均と配下の指揮官が集まって元均の就任祝いの宴会が開かれる。元均は北方での活躍で勇猛な指揮官で知られておりキャリアからして従三品の全羅左水使に就任してもおかしくない。そこへ井邑県監の李舜臣が現れる。居並ぶ武将たちは李舜臣が武官で同じ全羅道内の井邑県の首長であることは知っているが指揮する軍隊をも立たない純然たる牧民官(民生官)で全羅左水使の部下ではないので「あんたは指揮官ではないのにどうして来たの?」と不思議がる。元均は李舜臣が昔からの友人だと説明する。宴会の途中で王様の使いがきて、元均を全羅水使から解任するというのでみんなびっくりだ。
実は元均は全羅左水使にふさわしくないと進言したのは柳成龍だ。元均は勇猛だが、女真族の捕虜を勝手に殺したり、無辜の民をよく調べずに処刑したりしたことがあるので司令官にふさわしくないとの理由だ。そこで王様は解任と身を慎み反省せよという文書を送り届けたのだ。で、そのあと柳成龍の推薦で7階級特進により全羅左水使に任命されたのは李舜臣だ。元均は当然頭にきた。ここで元均と李舜臣の友情関係は消滅する。まあ北方にいる時も直接の接触はないけれど、元均は李舜臣の女真族の結集の懸念による兵力派遣要請とさらわれた人と捕虜との交換を女真族と交渉しようとする李舜臣の行動を批判していたけどね。
では柳成龍は元均が本当にふさわしくないと考えて解任を進言して、たまたま李舜臣が適任なのでそのあとに推薦したのだろうか、それとも李舜臣を全羅左水使にしたくて元均を解任させたのだろうか?僕は前者だと思う。というのは元均が攻撃は最大の防御だから準備がととのえて日本に攻め込み占領するぞと言っていたからだ。
ところで柳成龍は水軍の重要性と李舜臣の水軍指揮の能力を考えて全羅左水使に推薦したというより、とにかく李舜臣を出世させたかったみたいだ。この「不滅の李舜臣」というテレビドラマの原作の一つといわれる「孤将」という小説がある。あの蓮池薫さんの訳で新潮社から出ている。以前に買っていたがまだ読んではいなかった。小説自身は慶長の役の最後の頃の李舜臣の内面を一人称で描く純文学チックなものだ。その小説に付録で「李舜臣の年譜」が付いている。ちなみに李舜臣の最初の赴任先はドラマで話された宣伝官ではなくて咸鏡道の童仇非堡に権官となっていた。ドラマの話で出てくる宣伝官というのは新規採用者や白衣従軍明けの者の本来の勤務先が決まるまでの待機用のポストとして使われているから年譜には出てこないのかな?さてこの年譜には罰については触れていない。だから1586年に造山堡萬戸で品階が従四品だったのに1589年末にかなり下の従六品の井邑県監になった理由は年譜からはわからないとちょっと不親切。
話は柳成龍が李舜臣を何がなんでも出世させたかったのではないか、という話に戻ると。この年譜で驚くことは井邑県監から全羅左水使になる前に、李舜臣をやはり高官の従三品や正三品の役職への任命の発令が3回だされて3回ともすぐ取り消されているのだ。発令がすぐ取り消されるのは元均だけではなかったのだね。李舜臣への発令の3度の取り消しは司諫院の反対によるもの。司諫院とは王様が間違った行動をとったとき儒教の立場からいさめる役割をもつ役人のいる役所。儒教では君主への諫言が臣下の重要な役目で、朝鮮王朝では諫言を仕事とする役職がいくつかある。儒学者にとっては宰相になるより司諫院で働く方が名誉だと思うものも多いそうだ。司諫院の反対の理由は李舜臣の出世が早すぎるというものだそうだ。でも4度目の正直で正三品の全羅左水使になった。これが1年間に起きたのだが官僚間の派閥争いも関係しているかもしれない。
こうして李舜臣は全羅左水使になったわけだ。もし前3回のどれかの任免で陸軍の指揮官になっていたら日本軍の侵攻にぶつかり戦死していたかもしれないね。こうしての水軍の司令官の李舜臣が誕生したのは運命かな。
でも従六品の県監から7階級特進で正三品の全羅左水使に李舜臣がなったのが、気に入らないのは全羅左水営の武将たちだ。自分たちよりはるかに階級の低かったものが上司になるのだ。また武将たちの中には元均に心を寄せるものがいる。そのうえ李舜臣は船大工を指揮官並の地位を与え作戦会議にも参加させるという。まったく異例の人事の連続に武将たちの中には当惑と不満が渦巻く。ここからドラマは管理職としての組織内の戦いのドラマとなる。河村市長もみてちょう。参考になるでよ。
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