金曜日にママンが死んだ。読んだことはないけれどカミュの有名な小説の冒頭はこのようなフレーズで始まっていたと思う。カミュでは「金曜日に」ではない。
先週の金曜日つまり平成28年5月20日に僕の母は死んだ。行年95歳つまり満94歳で死んだ。かなりの高齢で悪性腫瘍も持っていた母はいつ死んでも不思議ではない歳だろう。ただ母が平成28年5月20日に死んだ事からの一連の偶然は僕自身と母にとって不思議で有り難いこと。だだ言っておくと僕自身が母の死期を早めたのではという疑念も残っているがそれはひとまずわきに置く。
母は月水金土の週四日でデーサービスを利用している。デーサービスが送り迎えをしてくれる。しかしその日は毎月1回に皮膚科の診察があるからデーサービスは断った。ちなみに母は車椅子生活で認知症も患っている。その日午前中に僕と妹は僕の車に母を載せて東部医療センターへ行った。皮膚科での診察だから治療対象の水泡のほかはみない。昼ごろ家に帰り僕は食事をしにまた出かけた。母には妹の作った昼食を僕が戻って食べさせることが多い。妹は食事を作って母を寝かせて出かけてしまう。
さて僕は食事をして少し買い物をしてから午後3時ごろに家にもどった。母はベッドに寝かされていた。僕は母にご飯は食べたかを聞くと「食べた」といったように聞こえた。実際は食べてなかったのだが認知症で記憶の回路が混乱していたのだろう。僕はこんな日にベッドに寝ていたら脱水症状をおこして熱中症になると思い起こして車椅子に座らせて食堂へ運んだ。そこで楽呑みをつかって母の口に水を少しづつ注ぎ込んだ。しばらくすると母は早いテンポで息をし始めた。僕は痰を吐きだそうとしてると思い皿を近づけて「はいてもいいよ」といった。しばらくすると突然静かになった。僕は母が眠ったと思った。僕は母が口を開けて寝ているのを利用して母の口の中を清掃しようと思った。先にスポンジのついた棒でもって口内のゴミや痰などを掻き出すのだ。歯茎や舌の下などに食事の残りかすなどがいっぱいあった。ぼくは15分ほど口腔清掃に夢中になった。そしてきれいになった。だがふと母が全く反応していないことに気が付いた。寝てるなら口にスポンジを入れられたなら嫌がって暴れたはずである。鼻を見ると息をしている様子がない。腕の脈を触って見るとほんのかすかだが感じるものがあるがこれは僕自身の脈かもしれない。そこで119番通報した。救急車がくるまで心臓マッサージをしてくれと言われて、母をベッドに寝かせて胸の上をリズムをつけて圧迫した。しばらくすると救急隊が着いた。まずベットのうえで応急処置を始めた。その時家の電話が鳴った。電話を取ると掛かりつけの内科の先生が数日前の母親の血液検査の結果を知らせて来たのだ。先生は「お母さんは大変なことになっている」という。僕は今救急隊が来たことを話して救急隊員と電話で話してもらうことにした、救急車は旭労災病院にむかって出発した。先生は検査検査結果を病院にファックスした。母はこのごろ食物が喉に通らず無理に食べさそうとしたため誤嚥して肺炎になったのだと思う。調子が悪そうなので数日前に先生の所へ行って血液検査を受けた。たぶん白血球の数が異常に多かったので電話してくれたのだろう。
病院では処置室で40分以上蘇生のための処置をしてくれたが反応がないため17時52分に死亡したことになった。死亡診断書では病院の住所で17時52分死亡したことになっているが、本当は自宅で僕の目の前でこと切れたのだと思う。早速遺体を運ぶため会員でもあった名古屋冠婚葬祭互助会に連絡した。自宅に遺体を運んでもらった。三河の弟は車の渋滞で病院には行けずに自宅で待っていた。葬儀の日程は月曜日が友引なので土曜日に通夜、日曜日に葬儀となった。つまり金曜日の夕方死亡して週末中に葬儀は終わるわけである。僕は勤めてないけどあっ言う間に終わるのだと思った。
ここで先に述べた僕と母にとって有り難いことをまとめてみよう。
一つは、デーサービスを休んでいたので、デーサービスの人に迷惑をかけなくて済んだことだ。もちろん僕が原因で死を早めたのならあの日デーサービスに行っても死ななかったと考えることができるが、先生の話では検査の結果危険な状態にあったのでデーサービスで死んだ可能性も高い。
二つ目は、もし僕が帰るのが遅かったのなら母はベッドの中で一人誰にも看取られず死んでいったかもしれないが、そうはならなっかった。僕の目の前で死んだ。また夜ならだれにも知らない間に死んでいたということもある。それからあの時にまだ病状がはっきりしていなかったら、翌日の土曜に僕はデーサービスに母を送り出してから雀荘に行って友人たちと麻雀をしていただろう。そうするとデーサービスからケータイに電話掛かってきたら大騒ぎになっていただろう。
三つ目は。自宅で死んだ場合警察が検視するらしい。そうなると週明けの月曜まで検視ができないと思うから葬儀それ以降となる。そうなるとわれら遺族も待つストレスが高いだろう。実質は自宅で死んだのだが心肺停止だけでは死んだことにならないのだろう。蘇生する可能性がなくなるまで死んだことにならなかった。また先生が検査結果のファックスを病院に送ってくれたので死因の「肺炎」に病院の医師も何の疑いを持たず警察への連絡もない。
四つ目は、僕は知らない間に母に末期の水を与え、死出の旅立ちの準備のため口腔の清掃をしていたことになる。母のために功徳になること意図しなくてしていたとしたらこれは有り難いことというほかはない。
でもどうだろう。ぼくがベットから降ろさなければ、母は寝たままのほうが呼吸が楽だったかもしれない。車椅子に座らせて水を与えたことで母はおぼれ死んだとしたら僕が殺したことになる。母の死の形相は穏やかで眠ったようにしか見えなかったがおぼれたかそうでないかは本人に聞かなければわからない。もし僕が死を早めたとしても残りの日々は病院でチューブで生きながらえるだけだ。だからどのみちこれでよかったのかもしれない。
でも「末期の水」って不思議だな。だれが末期とわかるのかな。病院の医師は常に延命しようと努力しているかもしれないのに。僕が与えた水が末期の水なら、母は水が入ってきたので死を悟って自ら逝ったのかな。それとも本当は死ぬ間際の人は水を欲しがるが、水を飲むと死ぬのかな。
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