セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

映画鑑賞ノート『杉原千畝』

2015-12-19 16:23:00 | 歴史

 

14日の月曜日、映画館で『杉原千畝』を見てきた。映画を見る以前と後では杉原千畝氏とその生涯についてイメージが少し違ってきたのでここにノートする。まあ正確に言えば杉原氏と外務省についてだ。

以前の僕のイメージというよりは世間の通説では外務省の訓令に違反してユダヤ人難民にビザを発給し続けたたため外務省に解雇されたというもの。

「訓令違反」をどうとるかだが、外務省はユダヤ人にビザを発給してはいけないとは言っていない。単純に3項目の基準を順守せよと言っている。これはすべての外国人についてに当てはまる通常の原則だ。つまり日本滞在中に必要なお金を所持しているか。日本を通過した後の行く先はあるか。とあと一つだ(ちょっと忘れた)。つまり通常通り処理せよと言っているだけだ。日本の外務省としては同盟を結んだナチスドイツも気になるが、国際連盟などで人種差別反対を主張してきた日本としてはユダヤ人排斥は絶対にとれないわけだ。

だから杉原氏は映画の中で「外務省に禁止されたわけではない。でも勝手にやった」と言っている。形式的に確認すべき日本の後の行き先はオランダ領事がカリブ海のオランダ領の島へのビザを出している。それが全員に出されたかとか、お金を持っているかとかの確認は領事である杉原氏の裁量行為だから、杉原氏が判断したなら外務省は文句が言えないはずだ。

杉原氏は訓令違反で外務省を首になったのではないことは、リトアニア領事館が閉鎖された後に本国に召還されて懲戒をうけることもなく、次のドイツ国内に転勤したのでわかる。

ではなぜ杉原氏は戦後外務省を首になったのか。それは彼が単なる外交官ではなくてスパイ活動を行っていたからだ。満州での対ソ活動やドイツ国内での情報収取もある。もちろんリトアニアでも情報収集をしていたはずだ。映画ではポーランドの亡命政府関係者を運転手に雇って協力していた。すでに戦前から杉原氏の活動はソ連にも知られておりソ連から好ましからぬ人物として入国を拒否されていた。

敗戦国日本は講和条約を締結するにあたり主要な連合国であるソ連にスパイ活動をしてたとされる人物を外交官としておいておくことは非常に都合が悪いわけである。だから杉原氏は戦後外務省を首になったのだと思う。

映画の冒頭で、戦後の外務省の役人が杉原千畝という人物は過去にも現在も日本国外務省にはいないといったのはこういうわけだと思う。懲戒解雇なら懲戒解雇されたというはずである。

でも鈴木宗男氏によると杉原氏自身は「ビザ発給でクビになった」という認識でいたらしい。

終戦直後は外務省は大幅な人員削減があり、杉原氏も退職届をだして依願退職をしている。だから外務省も以前は杉原氏はビザの件で首にしたのではないという見解だった。

杉原氏自身は「事務次官からビザの件の訓令違反でクビだ」と言われたらしい。しかし僕が思うに人員削減をしなくてはならない事務次官が退職させるために、役人としてはにがにがしい出た杭である杉原氏についそう言ってしまったのだと思う。逆にそういわないとビザ発給を手柄のようにしてアメリカ占領軍に通じられたら扱いに困ることになる。

だから鈴木宗男氏の見解と異なり、スパイ活動が原因だと思う。映画もそうした視点で描かれていると思う。

もう一度言うと、スパイだったから外務省は存在を否定した。訓令違反ではない(禁止の訓令はなく、ビザ発給は領事の裁量行為だ)から本省に召還されず次の任地に赴いた。


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