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気ままに出かけて 写真に残る植物や風景etcを 備忘録として足跡に残しています。

山梨県南都留郡富士河口湖町のマンホール蓋(その2)旧河口湖町

2021-02-28 22:26:32 | マンホール蓋

旧河口湖町の経緯は、昭和31年に船津村、小立村、大石村、河口村の4ケ村が合併し河口湖町が誕生しました。その後、平成15年11月15日足和田村、勝山村、河口湖町の1町2村が合併し富士河口湖町が誕生した事により消滅しました。

町章は、富士山を背景に末広がりの「河」を変形し、更に逆さ富士で表しているようです。(昭和32年4月制定)

町の花は「ツキミソウ」です。

前置きはここまでとし、マンホール蓋の整理に移ります。
最初は、カラーのデザインマンホール蓋です。
河口湖と河口湖大橋、遠景には霊峰富士山を描き、手前には町の花「ツキミソウ」、それらを囲むように初夏になると河口湖を美しく紫色に彩ってくれるラベンダーが描かれています。

次は、ノンカラーのデザインマンホール蓋です。
中央に町章、蓋の全面には町の花「ツキミソウ」が大きく描かれています。
こちらは雨水蓋です。

こちらは汚水蓋です。
 
こちらは、富士北麓浄化センター内の展示蓋です。

以降は、規格模様と呼ばれているマンホール蓋です。
亀甲模様の蓋のみ見つける事が出来ました。
こちらの蓋には用途記載がありません。
 
こちらは雨水蓋です。

こちらは汚水蓋です。

こちらは、亀甲模様の小型マンホール蓋です。

以降では、上水道関係他の蓋を整理します。
こちらは、排泥弁の蓋です。
 

こちらは、排気弁の蓋です。

訪問回数が少ないせいか、一般的に見られる仕切弁や制水弁、消火栓や防火貯水槽などの蓋を見つける事が出来ませんでした。
機会があればダイヤモンド富士を見てみたいので、改めて富士河口湖町を再訪したいと思います。

以上で、その2.旧河口湖町のマンホール蓋の整理は終了です。

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東京都武蔵村山市のマンホール蓋(その2)上水道関係他

2021-02-26 15:56:31 | マンホール蓋

※2021.2.23更新 消火栓蓋2種類、公共基準点蓋1種類を追加しました。
※2021.1.28更新 消火栓、防火貯水槽、制水弁蓋、電線共同溝蓋、公共基準点蓋、樹木保護蓋など10枚追加しました。

今回は、武蔵村山市で出会った上水道関係他の蓋を中心に整理します。
最初は消防関係で消火栓蓋と防火用水槽の蓋です。
こちらは消火栓蓋です。
 
(2021.1.28追加) (2021.1.28追加) 

 (2021.2.23追加)

こちらは防火貯水槽の蓋です。
 
  (2021.1.28追加2)

武蔵村山市は、上水道事業を昭和48年11月に東京都水道局の上水事業に一元化しました。その為、武蔵村山市の章やマークが入っている上水道関係の蓋(仕切弁、制水弁、空気弁など)はあまり見つける事が出来ませんでした。
しかし、他の都下の市町村と比べると、消火栓蓋は武蔵村山市の章が入った蓋が多く見つかったので、ちょっと不思議な気がします。

こちらは制水弁の蓋です。
 (2021.1.28追加2)

こちらは、共同電線構(C.C.BOX)の蓋です。
(2021.1.28追加)

こちらは、公共基準点の蓋です。
蓋の形態により相違があるのかも知れませんが未確認です。
   (2021.1.28追加2)
(2021.2.23追加)

こちらは、樹木保護蓋です。

最後の蓋となるのはこちらです。
武蔵村山市には、「プリンスの丘公園」と名付けられた公園があります。
この公園は、平成16年に完全閉鎖された日産自動車村山工場跡地の一角に設けられた公園です。工場が操業を開始した昭和37年当初はプリンス自動車工業の工場でしたが、同社は昭和41年に日産自動車と合併し、以降は日産自動車の主力車種を生産してきました。

このような経緯からか、「プリンスの丘公園」一角には「スカイラインGT-R発祥の地」と記された記念碑が建ち、記念碑の土台近くにはプリンス自動車工業の社章がデザインされたマンホール蓋が設置されています。
 

以上で武蔵村山市のマンホール蓋の整理を終了します。

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東京都武蔵村山市のマンホール蓋(その1)下水道関係

2021-02-25 22:05:13 | マンホール蓋

※2021.02.23更新 JIS規格模様、亀甲模様、グレーチングタイプなどのマンホール蓋を8枚、小型マンホール蓋2枚を追加しました。

※2021.01.28更新 JIS規格模様、亀甲模様、グレーチングタイプなどのマンホール蓋を24枚、小型マンホール蓋3枚を追加しました。また、市の公共下水処理概要を追加しました。

武蔵村山市の経緯は、昭和29年11月3日町制が施行され村山村が村山町になります。その後、昭和45年11月3日に市制が施行され武蔵村山市(本来は「村山市」となるはずでしたが、山形県に同名の市があったため、緑豊かな武蔵野の「武蔵」を冠して「武蔵村山市」となりました)となり、現在に至っています。

武蔵村山市は、都下市町圏の北部よりのほぼ中央に位置し、西は瑞穂町、南は立川市、東は東大和市、さらに北部は狭山丘陵をはさんで埼玉県所沢市に隣接しています。
市を象徴する狭山丘陵は、市北部を西から東へ続き、この丘陵には村山貯水池(多摩湖)、山口貯水池(狭山湖)、さらに市民の広場、都立野山北、六道山公園及び市立野山北公園があります。
面積は15.32平方キロメートル、人口は平成31年4月1日時点で7.2万人強、世帯数は3.1万世帯強です。


市章は、武蔵と村山の頭文字である「ム」を鳩の姿に図案化したもので、中央の円は市民の融和を表し、飛翔する全体の姿は産業と文化の飛躍を象徴し、限りない市の発展を表しています。(昭和45年11月3日制定)

市の花は「チャ」、市の木は「ケヤキ」、市の鳥「メジロ」です。(以上は、武蔵村山市HPより)

武蔵村山市の公共下水道は、汚水と雨水を別系統で排水する分流方式を採用しているようです。
汚水は市域を東西に 2 分割し、
西部地区は、多摩川流域下水道に接続し昭島市にある多摩川上流水再生センターで処理し、多摩川に放流するとともに、一部をろ過してセンター内の機械の洗浄・冷却やトイレ用水などに使用しています。また、昔の清流の姿を取り戻すため、砂ろ過とオゾン処理を行って、野火止用水、玉川上水、千川上水に送水しています。
東部地区は、荒川右岸東京流域下水道に接続し清瀬市にある清瀬水再生センターで処理し、柳瀬川に放流しています。また、その一部はセンター内の機械の洗浄・冷却、トイレ用水などに使用しています。

前置きはここまでとし、マンホール蓋の整理に入ります。
最初は、市の花「チャ」を全面にデザインした蓋ですが、マンホール蓋サイズは見つける事が出来ませんでした。
いずれも汚水蓋です。
 

以降は、規格模様と呼ばれているマンホール蓋です。
最初は、JIS規格模様のマンホール蓋です。
こちらは用途記載がありません。
 (2021.1.28追加)
こちらは、町章の形が他の蓋と少し違っています。
(2021.2.23追加)

こちらは雨水蓋です。
 
 
(2021.1.28追加)
(2021.2.23追加)
こちらは、枠に模様があります。
 (2021.1.28追加)
こちらは、Φ900の蓋です。
(2021.2.23追加)
こちらは親子蓋です。
(2021.1.28追加)

こちらは汚水蓋です。
 
 
 
  (2021.1.28追加2)
こちらの右蓋には上部に「M」、左蓋には右側に管理番号欄があります。
 (2021.1.28追加) 
こちらの蓋には枠に模様があります。
 
 (2021.2.23追加)  (2021.1.28追加2)
こちらは親子蓋です。
(2021.2.23追加)
 
こちらの蓋は、中央が市章ではなく「村山」の文字が入っています。
武蔵村山市の誕生が昭和45年、公共下水道の供給開始が昭和49年から、村山町の頃に設置された雨水蓋と考えられそうです。
(2021.1.28追加) 

次は亀甲模様のマンホール蓋です。
こちらの蓋には用途記載がありません。
こちらはΦ900の蓋です。
(2021.1.28追加)
こちらは雨水蓋です。
 
こちらはΦ900の蓋です。
(2021.1.28追加)

こちらは汚水蓋です。
 
こちらはΦ900の蓋です。
(2021.1.28追加)
(2021.2.23追加)

こちらは親子蓋です。

次は、毘沙門亀甲模様の蓋です。
こちらは雨水蓋です。
右は、模様が凸で上部に中島鋳物㈱のマークと耐荷重の数字があります。
 
こちらは汚水蓋です。
 
(2021.2.23追加)

次は、「エ」の文字が組合された模様の蓋です。
左が雨水蓋、右が汚水蓋です。
 

次は、幾何学模様の雨水蓋です。
(2021.1.28追加)

次は、スリップ防止模様の蓋です。
こちらは、上部に日之出水道機器㈱のマークと耐荷重の数字が書かれた汚水蓋です。

こちらも、上部に日之出水道機器㈱のマークがありますが、前出の蓋と形状が少し違います。
こちらは雨水蓋です。
(2021.1.28追加) 
こちらは汚水蓋です。
(2021.1.28追加)
こちらは、上部に日本鋳鉄管㈱のマークと耐荷重の数字が書かれた蓋です。
こちらは雨水蓋です。
(2021.2.23追加)
こちらは汚水蓋です。
(2021.1.28追加)

次は、グレーチングタイプの蓋です。
 
(2021.2.23追加)

こちらは、コンクリート製の蓋です。
こちらは用途記載がありません。
(2021.1.28追加)
こちらは雨水蓋です。
 (2021.1.28追加2)
(2021.2.23追加)
こちらは汚水蓋です。
(2021.1.28追加)
(2021.2.23追加)
こちらは、大楠公園内で撮った汚水蓋です。
中央には市の花「チャ」のタイル画がはめ込まれ、三か所の突起には方角でしょうか「東」、「西」、「北」の文字があります。
(2021.1.28追加)
こちらは、道路のブロック模様に合わせたインターロッキングブロック型の蓋です。
左が雨水蓋、右が汚水蓋です。
 

次は小型マンホール蓋です。
こちらは、亀甲模様の汚水蓋です。
 

こちらは、スリップ防止模様の蓋です。
上部に日之出水道機器㈱のマークと耐荷重の数字が書かれた汚水蓋です。
(2021.2.23
追加)

こちらは、㈱ニムラの雨水蓋です。
 

こちらは、コンクリート製の汚水蓋です。


こちらは、他でも見かける模様の汚水蓋です。 
 
  (2021.1.28追加3)
(2021.2.23追加)

次は、雨水枡と思われる蓋です。
 
こちらは、側溝蓋と思われます。

以上で、下水道関係の蓋の整理は終了です。
次回、その2.では上水道関係他の蓋を整理します。

 

 

 

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山梨県・東部地域広域水道事業団のマンホール蓋

2021-02-24 21:20:29 | マンホール蓋

事業団の概略は以下の通りですが、詳しくは事業団HPに掲載されていますのでそちらを参照して頂くと判り易いと思います。

上野原市では明治41年に、大月市では昭和3年に水道事業が創設され、両市は人口の増加や水道の普及に対応するために、計画的に施設・管路の整備を進めてきました。

その後、昭和54年度に山梨県が策定した「山梨県水道整備基本構想」にもとづき、簡易水道事業の統合、未普及地域の解消等による上水道事業の広域化が、効率的な施設整備と維持管理水準の向上になるとし、平成7年2月8日に末端給水型の広域水道事業を行う企業団(「東部地域広域水道事業団」)が創設され、両市の上水事業を引き継ぎました。

また、深城ダムを新たな水源とする百蔵浄水場系統を新設し、平成18年度より両市への給水を開始しています。

給水地区は両市の市街地を中心に、大月市は駒橋、御太刀、大月、富浜町、梁川町の全域と大月町、賑岡町、七保町、猿橋町の特定エリア、上野原市は上野原の全域と大目、甲東、巌、大鶴、島田、棡原の特定エリアとなっています。

事業団の章が決められているかは不明ですが、事業団の管理する上水道関係の蓋には下記のマークがあります。
マークの中央の文字は、企業団の「企」と思われます。マークは、大月市と上野原市の市章を合わせたイメージに見えますが、いかがでしょうか。

前置きはここまでとします。
最初は、消火栓の蓋です。
 

こちらは、送水弁の蓋です。

こちらは、配水弁の蓋です。
  

こちらは、空気弁の蓋です。

こちらは、排泥弁の蓋です。
 

こちらは、止水栓の蓋です。

上記以外に、「企」の文字だけでマークのない蓋もありました。
こちらの蓋は、事業団が運営する上水道と地区簡易水道や小規模水道とを接続し給水するケースがあり、その接続ポイントに使用しているようです。
こちらは、仕切弁の蓋です。

こちらは、空気弁の蓋です。

以上で、その2.東部地域広域水道事業団のマンホール蓋の整理は終了です。

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山梨県南笛吹市のマンホール蓋(その8)旧芦川村

2021-02-23 14:57:49 | マンホール蓋

旧芦川村の経緯は、昭和16年8月1日に上芦川村、中芦川村、鶯宿村が合併し芦川村が誕生します。その後、平成18年8月1日に笛吹市が芦川村を編入合併した事により消滅しました。

村章は、芦川村の「ア」を左右にし、中側に「川」を配しているようです。(昭和44年3月24日制定)

町の花は「スズラン」、町の木は「シラカンバ」です。

前置きはここまでとし、マンホール蓋の整理に移ります。
旧芦川村には、公共下水道の設備は無く、上芦川地区、中芦川地区、鶯宿地区の3地区に農業集落排水施設を有し、現在は笛吹市に引き継がれています。

農業集落排水施設に係わる蓋のデザインは3地区共に同じです。
中央に村章、その周囲を田型に分けその中に村の花「スズラン」がデザインされています。

最初は、上芦川地区の蓋です。
左下に「上芦原」、右下には「農集排」と書かれています。
こちらは、上芦川処理施設付近で撮った小型マンホール蓋です。この近くでは、マンホール蓋サイズを見つける事が出来ませんでした。
 

こちらは、中芦川地区の蓋です。
左下に「中芦川」、右下には「農集排」と書かれています。
 

上芦川地区と中芦川地区の間で「新井原」と書かれた蓋を見つけました。
道路の勾配から、農業集落排水施設としては中芦川地区に含まれるように思われます。

最後は、鶯宿地区の蓋です。
左下に「鶯宿」、右下には「農集排」と書かれています。
いずれも、鶯宿諏訪神社付近で撮りました。
 
こちらは、親子蓋です。

芦川村は、3つの簡易水道事業(上芦川、新井原・中芦川、鴬宿)が運営され、上水を供給していたようです。
ただ、上水道関係の蓋は撮っていませんでした。
芦川村と識別できる章や文字が無い蓋ばかりだったと思われますが、事実として幾つかの蓋を撮っておけばよかったと後悔しています。

訪問回数が少ないために、多くの蓋を見付ける事が出来ませんでした。
機会があれば、再訪し散策してみたいと思います。

以上で、その8.旧芦川村のマンホール蓋の整理は終了です。

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