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気ままに出かけて 写真に残る植物や風景etcを 備忘録として足跡に残しています。

旧奥州街道歩きを終えて 観光2日目 十二湖散策

2018-12-01 17:15:34 | 街道歩き

10月25日(木)街道歩きを終えての二日目は十二湖散策です。
観光となっても、街道歩きのリズムが体に染みつき起床時間は6時前です。朝風呂も良いけど、少しだけでも深浦町を散策してみたいとホテルを出ました。その間、妻は朝風呂でのんびりと街道歩きの疲れを癒しています。

今日の予定は、ホテル発8時30分発の送迎バスでウエスパ椿山駅まで行き、そこから弘南バスで奥十二湖駐車場行きに乗車し、9時30分過ぎから十二湖散策を始め、奥十二湖駐車場発16時25分のバスで十二湖駅に行き、そこから五能線に乗車し秋田県・土崎駅に向かう予定です。

目の前は日本海です。ホテルから国道101号線に出るとそこは岡崎海岸です。「日本の渚百選」にも選ばれ、景観の良さが自慢でキャンプ場も併設される海岸です。

また、近くには弁天島があり、そこには七福神の一人・弁財天を奉る弁天宮があり、古くから海上の安全航海と豊漁を祈願する神聖な場所として知られています。北前船交易が盛んだった頃に建立されたと言われているそうです。

国道を駅の方向に散策します。
少し進むと真言宗醍醐派のお寺「春光山円覚寺」さんの山門が見えてきます。津軽三十三観音霊場第10番札所津軽弘法大師霊場12番札所。北国八十八ヶ所霊場第60番札所となっています。また、国指定重要有形民俗文化財に指定される「円覚寺奉納海上信仰資料」全国最古の船絵馬や北前型弁財船絵馬など)等も拝観できるようですが、拝観時間には8時からのようです。
(本堂)
深浦町は、上方と蝦夷地を結ぶ要津として明治時代中期まで、北前船交易で賑わいました。こちらの「風待ち館」では、北前船の歴史を多方面からとらえ、様々な角度から紹介しています。

その先には「太宰の宿 深浦文学館」があります。こちらは、太宰治が宿泊した旧秋田屋旅館を改築したもので、太宰治、大町桂月、成田千空の三人の作家をメイン展示とし、深浦にゆかりのある文人たちも紹介しています。

少し先に進むと「猿神鼻岩洞門」があります。
猿神鼻岩は、猿の横顔に似ていることから名づけられた大岩で、北前船の風待湊である深浦湊の象徴的な存在で古くから信仰の対象となってきました。
明治時代に入り交通量が増大すると猿神鼻岩が障害となった為、洞門(穴門)が求められ明治25年から明治39年に行われた能代道改修工事の際に掘削され、深浦湊への物資が容易に運搬できるようになりました。

写真と反対側になる町役場側から見ると猿の横顔に見えるようです。私は、朝食の時間に間に合わせるため、こちらの写真を撮って直ぐホテルに引き返したので、残念ながら確認する事が出来ませんでした。

朝食を採り、ホテルの送迎バスでウエスパ椿山駅に送って頂きました。

ウエスパ椿山は、世界自然遺産白神山地と夕陽が沈む日本海に囲まれた自然豊かな欧風リゾート施設で、全棟温泉付コテージで自炊やバーベキューもできるようです。

施設内に植えられているナナカマドの実が太陽の光を浴びてキレイに見えます。

時間通り弘南バスが到着、いよいよ本日の唯一の観光ポイント・十二湖に向かいます。
前日、ホテルで十二湖の情報を得て、どのようなルートで散策しようかと検討していました。その時に初めて知ったのが、「十二湖」は複数ある湖の総称で、実際には三十三湖存在すると言う事でした。

そうであれば三十三湖全てを回りたい。
私達が歩いたルートは、以下の地図の通りです。結果的に、二十六湖回るのが時間的に精一杯でした。

バスは予定通り奥十二湖駐車場に到着しました。森の物産館「キョロロ」で昼食用のパンや飲み物を購入し、10時前に十二湖巡りを開始しました。
最初は「鶏頭場の池」です。
     鶏頭場の池

(1.鶏頭場の池
この辺りは、駐車場やバス停から近いので多くの観光客が来ています。この近くに有名な「青池」があります。落ち葉が入り込み、陽が入り込まない時間だったので、今一つ感動が薄かったです。
(2.青池
ここから、「金山の池」を目指して橅林地帯を30分程歩く事になりますが、青池からこちらに向かう人が私達以外に一人もいません。私達二人だけ、始めて歩く場所、簡単な地図を見ながらの散策に不安が募ってきます。
    (橅林)
幸い15分程進んだところで、地元農協の文字が入った帽子を被ったご夫婦に遭遇し一安心します。尋ねると、キノコ採りに来ているそうで、
大きな橅の倒木に生えているキノコをたくさん採っています。
(ムキタケ)
何というキノコか尋ねると「ムキタケ」と教えてくれて、美味しいので持って行けと袋一杯に詰めてくれました。このムキタケ、十二湖の駅でも販売していました。
歩き始めて40分弱、目的とした「金山の池」と「四五郎の池」の分岐点に到着しました。ここで弱気の虫が出て、目的を四五郎の池に変更し向かいました。
どこの池も水面に映る景色がとてもキレイです。
(3.四五郎の池
少し進むと小さな濃紺色の「子宝の池」に到着します。
(4.子宝の池
さらに進むと「リフレッシュ村」に出ます。
このリフレッシュ村は、ブナ林の中にあり、アウトドアを満喫できる自炊型キャンプ場です。北欧産の本格的なログハウスも併設されています。
リフレッシュ村
ここでトイレ休憩し「大池西湖」を目指す事にしました。
リフレッシュ村には車で入る事が出来るので舗装道になっています。舗装道を進み、山道に入って行くと左下に雑木林の間から「埋釜の池」が見えてきます。
(5.埋釜の池
きれいな紅葉も見られます。

さらに進むと右手に「萱原の池」があるようですがパスして「糸畑の池」を目指します。ここからは、大崩・崩山を一望でき、湖面に映る姿もとてもキレイです。
 
(6.糸畑の池
さらに進むと右手に「三蔵の池」、左手に「牛蒡の池」を見る事が出来ます。
    (7.三蔵の池

(8.牛蒡の池

その先、左手に「千鳥の池」、「面子坂の池」が続きます。
    (9.千鳥の池

(10.面子坂の池

さらに進むと「大池遊歩道分岐点」、「JRまつがみ3.3km」等と書かれた東北自然歩道の標柱があります。JRまつかみ方向に向かうと「破池」があるようです。

さらに進むと、大池西湖が眼下に現れます。左手には、大崩・崩山も一望できます。
(11.大池西湖 

ここから、大池東湖と濁池に向かうには急坂を下って行くようです。坂を下ると言う事は、帰りは上り返さなくてはいけないと言う事なので、軟弱にもここで引き返すことにしました。
こちらは、戻り路で撮った「面子坂の池」、「橅」、「糸畑の池」です。
(面子坂の池)

    (橅の木)

(糸畑の池)

所々で朱色の葉がキレイです。

リフレッシュ村と王池方面との分岐を左側の王池方面に向かいます。
少し進むと左手に小さな「石殻の池」が見えます。
(12.石殻の池 

10分ほど歩いたところで、左手に「小夜の池」と「影坂の池」と書かれた標柱を見つけました。

しかし、「影坂の池」は少し入るようなので「小夜の池」を遠目に見て先に進みます。
(13.小夜の池
「八光の池」が右手に、舗装道から少し上った所に「仲道の池」があります。
13時を過ぎているので、仲道の池付近で購入していたパンで昼食を採りました。
(15.八光の池

    (16.仲道の池

先を進むと「日暮の池」が左手に見てきます。
この辺りは舗装道で、王池のバス停や駐車場から近いので、散策の方々も入って来ます。日暮の池では、若い外国人グループが池をバックにお互いに写真を撮りあっていました。
(17.日暮の池
ここから、大池に出ず左手の山道に入り日本キャニオンを目指します。20分程歩くと日本キャニオン展望所に到着、そこからは浸食崩壊によって白色の凝灰岩がむき出しになった高さ100mの断崖が3kmに広がる渓谷が一望できます。
(日本キャニオン
山道を辿って「八景の池」に向かいます。
(18.八景の池

ここからは、バスや乗用車の通る舗装道に沿って、森の物産館「キョロロ」に向かいます。時刻は14時過ぎ、奥十二湖駐車場のバス停を15時30分発のバスに乗車予定なので間に合いそうです。
八景の池から少し上がると「二ツ目の池」左手に見えてきます。
(19.二ツ目の池

さらに上がって行くと王池が見えてきます。バス亭や駐車場、施設などもあるので観光客も多いようです。
20.王池西湖
    王池西湖
21.王池東湖

さらに上って行くと「越口の池」となります。この近くには、十二湖ビジターセンターや幻の魚「イトウ」の養魚場があります。
22.越口の池

さらに登ると「中の池」に到着します。
23.の池

次の「落口の池」付近には、十二湖庵(お茶室)や「沸壺の池」から流れ込む綺麗な小川もあり、また森の物産館「キョロロ」や奥十二湖駐車場からも近いので、多くの観光客で賑わっています。
    
24.落口の池

最後は、小さな「がま池」です。
25.がま池

奥十二湖駐車場バス停には15時10分ごろ到着しました。コインロッカーに預けた荷物を取出し、予定時刻のバスに乗車し五能線・十二湖駅に向かいました。
残念ながら、二十五湖散策に終わりましたが、紅葉を見ながら、橅林を見ながら、久し振りに気持ちの良い森林浴でした。

十二湖駅では、電車の待ちの時間が20分程あったので、駅近くの日本海の夕日が見える場所に行って見ました。昨日は、残念ながら夕陽を見る事が出来ませんでしたが、今日はバッチリ夕日が見えています。

15分後に地平線に近づき、その後2分程で日没となりました。

十二湖駅発17時4分の特急しらかみ4号に乗車、秋田県の追分駅で普通電車に乗り換え、土崎駅で下車し、本日の宿「ルートイン秋田土崎」に向かいました。

今日の旅はここで終わりません。
土崎駅に到着したのが19時頃、既に日は暮れ、土地勘もなし、ホテルは駅から離れているので、駅からタクシーを利用しました。
そのタクシーの中で、運転手さんが「今日は港に豪華客船の飛鳥Ⅱ号が船出するよ」と話題にしてくれたのです。

ホテルにチェックインし、窓越しに港を見ると飛鳥Ⅱが港に停泊しています。まだ出船しそうもないので見に行こうとホテルを出ました。
港に着いた時には、送迎イベントが終了し出船間際でした。
(豪華客船「飛鳥Ⅱ」)
出船の見送りは感動します。街道歩きも良いけど、船旅も良いなーと話しながら港を離れました。
暗くなった秋田港は、ライトアップされた「秋田港ポートタワーセリオン」だけが輝いていました。
    秋田港ポートタワーセリオン

長かった一日の終了です。
今日の歩きは、38,514歩となりました。





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旧奥州街道歩きを終えて 観光1日目 龍飛崎観光から五能線・深浦駅へ

2018-11-24 23:10:39 | 街道歩き

宇都宮宿で日光街道と別れ717.6km、日本橋から819.9km、延べ7年間にわたる旧奥州街道歩きは、昨日の三厩宿到着で予定通り無事完歩しました。
本来であれば、朝風呂に入り、のんびり朝食を採り、龍飛崎観光をゆっくり楽しめば良いのですが、相変わらず6時前に起床し旅支度を始めます。

今日の予定は、11時過ぎまで龍飛崎観光をし、11時30発のバスで三厩駅に出て、三厩駅から津軽線に乗り津軽二股駅で下車、奥津軽いまべつ駅から北海道新幹線に乗り新青森駅に向かい、五能線に乗り換え深浦駅まで移動する予定です。

観光ポイントは、龍飛崎観光と五能線で楽しむ景色といった所です。もっと色々な場所を観光したいのですが、上記の行動で深浦駅到着時間は16時37分、チェックインし夕食前に汗を流す事を考えるとギリギリの時間となってしまいます。

街道歩き同様に観光も基本歩きです。
そこで、時間を有効に使おうと朝食前に龍飛崎観光をする事にしました。

ところが、これまでの天候と変わって、外は小雨模様でおまけに風の岬「龍飛」の強風がお待ちかねのようです。
そこで、ポンチョを被り、ホテルの傘をお借りし、7時過ぎにホテルを
出たのですが、直ぐに傘が役に立たない事を思い知りました。

ホテルを出て龍飛埼灯台に向け歩き始めました。まもなく右手に「津軽海峡冬景色歌謡碑」が見つかります。中央の赤いボタンを押すと「ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと・・・」と石川さゆりの歌が流れます。

少し進むと「階段国道339号線」の下り口があります。観光パンフによれば、当時の関係者が現地を見ず指定してしまったとあり、上り口から362段あるそうです。

龍飛埼灯台は高台にあるので、風が吹くなか坂道を登って行きます。

灯台の先には、海上自衛隊のレーダー監視台が置かれているようです。

こちらは、龍飛埼の先端となる風景です。

こちらにも国土地理院の基本水準点があります。

灯台と反対側に移動するとレストハウス付近に「吉田松陰詩碑」があります。街道歩きでも吉田松陰にまつわる史跡がありましたが、幕末の津軽海峡は外国船の往来が多く、それを憂えた吉田松陰は、深い雪をかき分けて三厩まで赴いたようです。

他にも、大町桂月文学碑や詩碑、句碑なども建てられています。

また、トンネル工事で、じん肺になった労働者の苦しみを後世に伝え、被害の根絶を目指そうと建立された「トンネルじん肺根絶の碑」もあります。

その先に「龍見橋(たつみばし)」があり、渡ると龍飛裏海岸方向がきれいに見えます。
 

強風の中、1時間ほど龍飛埼を観光し、
8時過ぎにホテルに戻り朝食を頂きました。朝食後は、ホテルに荷物を預け「青函トンネル記念館」に足を延ばし観光します。

 

こちらは、青函トンネル構想から完成までを音と映像、それに資料パネル、立体モデルなどでわかりやすく展示公開しており、ケーブルカーで海面下140mまで下がると当時掘削に使われていた機械や器具が展示され見学する事が出来ます。

私達は、9時50分発のケーブルに乗り、坑道体験をして10時34分着のケーブルで戻りました。
     
見学を終えホテルに戻りますが、まだ時間が有るので少し階段国道を下りて見る事にしました。急傾斜の階段なので、降りるのは簡単ですが戻るのは大変です。バスの時間の関係で、途中で戻る事になりました。
こちらは帯島の風景です。義経が北海道に旅立つ際、帯を締め直したと言い伝えられる事から名付けられたそうです。

急な階段が続きます。

こちらは竜飛漁港方向の風景です。

この後、予定時刻のバスに乗車し三厩駅に向かいます。
車窓から見た「太宰治文学碑」です。残念ながら座席の都合で「龍飛館」は見逃してしまいました。この
龍飛館、今は観光案内所として生まれ変わりましたが旧奥谷旅館で、太宰治や棟方志功ゆかりの宿として知られています。太宰が友人N君と過ごした部屋は、当時の様子が再現されているそうです。
三厩駅には30分程で到着します。津軽線の発車時刻は12時43分、40分待ちなので駅付近を散策してみますが駅付近には店もなく、特別な見所もありませんが、一角にきれいな白樺林を見る事が出来ました。
 

これからは、電車の旅(乗り鉄)となります。
最初は津軽線です。

津軽二俣駅で乗換え、北海道新幹線に乗り換えます。新幹線の駅は前方の高架橋を渡りますが、待ち時間が40分弱あるので少し遅い昼食を採る事にしました。

津軽二俣尾駅に併設される「半島ぷらざアスクル」(道の駅いまべつ)で、のぼり旗で宣伝されているステーキ定食を美味しく頂きました。

新幹線は定刻を少し遅れて到着、新青森駅で五能線直通電車への乗り換え時間が8分しかないので不安になります。

新青森駅では、在来線ホームに急ぎ全席指定「リゾートしらかみ「橅」」に無事乗車しました。

紅葉の時期なので満席に近い乗車率かと思っていましたが、かなり余裕のある状況です。

日本海側は進行方向右側のはず、指定席は右側だったので指定席を購入した駅の駅員さんに感謝です。ところが、弘前駅で進行方向が逆転したので座席を進行方向に変えます。左手に岩木山がきれいに見えるのでラッキー、でも日本海の景色が良く見えないな~とガッカリしていると、川部駅で再度進行方向が逆転し新青森駅発車時の方向になりました。

車窓から移り行く景色を眺め、電車旅を楽しんでいると千畳敷駅で15分停車のアナンスがあります。何でこんなところで停車するのかなーと思っていると、石畳のような岩の海岸が広大に続く千畳敷海岸の絶景を観光してもらうための趣向のようです。
それではと海岸線に向かうと絶景がまっていました。この辺りは、「日本の夕陽百選」に選ばれています
  
その後も、移り行く海岸線の美しさを楽しみながら電車旅は進みます。
    
深浦駅に16時37分到着、ここで上下線の待ち合わせをするようです。待ち合わせしていた電車は、リゾートしらかみ「くまげら」です。新青森駅から2時間40分強、私達の乗り鉄はここで終了です。

今日の宿泊は「深浦観光ホテル」、駅で待っている送迎車に乗車してホテルに向かいました。
残念ながら、この日は夕陽を見る事は出来ませんでした


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旧奥州街道歩き 平館宿~三厩宿 2018年秋・3日目(最終日)

2018-11-19 11:00:38 | 街道歩き

今日は街道歩き3日目、そして今回の街道歩きの最終日、さらに長かった旧奥州街道歩きの最終日となります。

今日も天候は味方してくれて好天、街道歩き最終日を祝ってくれているようです。
街道歩きの朝は早いです。江戸時代は、お江戸日本橋七つ(午前4時頃)立ち・・・とあるように、夜明け前に出発しているようです。そこまで早くありませんが5時30分頃に起床し準備を整え、6時30分頃に朝食を採り、7時頃出発するのが普通です。

準備を整え、宿の窓から海を眺めていると、空が白んできたのでご来光を拝もうと海辺に出かけました。下北半島から太陽が昇ります、旅の安全祈願など思いを込め合掌しました。  

今日の街道歩きは、スタートが平館宿、そして打ち止めはゴールとなる三厩宿です。
予定距離は26.8km、津軽線と再会できる今別宿までは21.8kmなので、ここまでは何としても頑張って歩くしかありません。                                   朝食を採り、予定通り7時過ぎに「ペンションだいば」を出発しました。松林と海岸に挟まれる旧280号線を進みます。昨日に比べ、風があり少し白波がたっているようです。  

しばらく進むと280号線と合流、その後今別宿に入る手前までほぼ280号線を歩くことになります。歩道と車道の区分けが無い場所もありますが、車の通行量が少ないので、のんびり海岸線を見ながら街道歩きを楽しむ事が出来ます。                                 そんな時、左前方に得体のしれない巨大なコンクリートむき出しの建造物が目に入りました。近くに来ても、案内板など正体が判るものは何もありません。

後日、調べて見ると通称「津軽の塔」、「津軽コンクリートタワー」と呼ばれる建物で、日本一巨大なコンクリート無線中継所跡(高さ89m、幅21m)です。1978年北海道と本州を結ぶ通信拠点として完成、同区間の光ファイバー化により2001年に運用停止となったそうです。現在、アンテナ部分は撤去され、塔部分のみが残されています。

朝の風が止んできたようです。現在地は平館弥蔵釜地区、遠景に北海道が見えるようになりました。 

平舘元宇田地区に入り、「三十番神」と書かれた白い鳥居が左手にみえます。これまでも、多くの神社がありましたが、海岸線に近い神社は高潮や津波などを避けるため、高台に社が作られているので参拝は見送り気味になってしまいます。

2~3分歩くと左手に日蓮宗の宇田山聞法寺(もんぽうじ)さんが在ります。安永8年(1779年)聞法院日照により創建されたお寺のようです。                           現在、本堂改築中だったので山門付近から参拝しました。右手の像は、平成15年(2003年)に建立された蓮華阿闍梨日持と船頭の蠣崎甚兵衛の銅像です。

日蓮の弟子となる日上人は、蝦夷(北海道)を目指し平舘村石崎に到着蝦夷(北海道)に船で渡る為にその海上安全願い、元宇田の守護神を祀る三十三番神堂に登り祈願をし、その頂上に記念の松を植え、石崎浜の蠣崎甚兵衛なる者を船案内の船頭とし、永仁4年(1296年)春穏やかな日、船出をし北海道に無事渡り着く事が出来ました。                              その時地元の漁夫に親切にして頂いた御礼に、海上安全大漁大祈願の為、海上に向かって法華経読誦し、しばらくしたら今迄見たこともない魚が大漁に浜辺に寄って来たので、地元の漁夫達が大いに喜んで、法華の偉い坊さんが授けてくれた魚だからと言って「ホッケ」と命名したと言う逸話があるようです。(ブログ「くぐる鳥居は鬼ばかり」引用) 

この辺りから、海岸線は砂浜から岩場に変わってきます。 

聞法寺さんから30分程進むと外ヶ浜町から今別町奥平部地区に入ります。 

しばらく進むと右側に岩谷観音堂の標識が見えたので参拝に向かいました。階段を下り、赤い鳥居をくぐって進むと、大きな岩の中に埋もれるように小さな社が窺えます。こちらは、津軽三十三観音の二十一番札所となっているようです。

 

その先に鬼泊トンネルがありトンネル内の歩道を進みます。もちろん、江戸時代の街道にはトンネルが無かったので、海岸際を歩いたか?迂回しトンネルの上の山道を歩いたのか? 

トンネルを抜けると左手に「だるま滝」と書かれた案内板が見えます。岩の形がダルマのように見える所から名付けられたようです。撮り方に難がある気がしますが、ダルマの形に見えるでしょうか? 

奥平部漁港の近くで稲荷神社を見つけましたが、こちらも何段もの階段を上らなければ参拝できないので通過です。

この間、平坦な道が続き歩き易かったのですが、この先は急こう配の坂道となっています。ちょっとした峠道の感じ、登って行くと道路工事中で、海岸側に迫った道を途中から切通しで内陸側に安全な道を新たに造っているようでした。

工事中の箇所からさらに上って行くと、これまで通過してきた地区やその奥には下北半島の素晴らしい景色を見る事が出来ます。ここは岬のようで、地図で確認すると弁天崎のようです。

下りに入り、途中で赤い実の付いたツル系の植物を見つけました。サルトリイバラの実でしょうか? 

下りきると赤根沢地区となります。街道沿いの左手に県の天然記念物に指定されている巨大な「赤石」の岩塊が置かれています。しかし、国道脇に岩塊が一つあるのはおかしいと思い、説明版を読んでみると少し奥に入った一帯約30aが指定場所のようです。

 

この場所は、古くから天然の酸化第二鉄(ベンガラ)の産地として有名で、藩政時代には顔料として採掘し役人を置いて管理させていたそうです。領内の神社仏閣の赤い塗料は、皆ここから供給されたもののようです。また、日光廟の赤塗りの原料は赤根沢産のものだ言われているそうです。

ここから20分程進むと、奇岩・怪岩がいたるところに突き出る、迫力ある景勝地「高野崎」に到着します。広場はキャンプ場、先端には高野崎灯台、灯台から岩場を結ぶ朱色の「潮騒橋」と「渚橋」は遠くからでも目に入って来ます。

  

時刻は11時過ぎ、食事処「高野崎」のラーメンと言う文字が目に入ります。昼食には少し早い時間ですが、昨日の教訓もありここで昼食を採る事にしました。注文したのは「煮干しラーメン」と「ほたてラーメン」、とても美味しかったです。                                      店のご主人に、街道歩きをしている事、青森県内では街道歩きの人と出会った事が無い事など話すと、時々街道歩きの人が店に立ち寄るとの事、そんな旅人に是非出会いたい!! 

実は、ここで昼食を採ったのが大正解だったのです。この後、三厩宿に入るまで食事を採る事が出来る店を見付ける事が出来ませんでした。

袰月海岸を右手に眺めながら進むと袰村元地区に入ります。こちらの地区には郵便局もあり、人家も多く、元網本だったという立派な家も見られます。郵便局の少し先、稲荷神社入口付近には「史跡 伊能忠敬止宿」と書かれた支柱が立てられています。

  

少し進むと、高木恭造の生誕 110年を記念する詩碑が建てられています。                         その先には、津軽三十三観音の二十一番札所で本尊に釈迦如来を祀る「袰月海雲洞釈迦堂」があります。このお堂の前の細い道が旧松前街道のようです。 

  

袰月漁港を右巻きに登って行くと鋳釜崎(いがまざき)に出ます。眺望が良く、休憩用の東屋や吉田松陰「東北遊日記」の碑も建てられています。

   

しばらく進むと大泊地区に入ります。途中、国道280号線と別れ海岸線方向に下って行くと大泊集落に入って行きます。集落を通過し、再び坂道を登ると三厩湾が一望できます。              そこからは、三厩湾を右手に見ながら進むと山崎地区に入ります中宇田川を渡り、緩い坂道を登って行くとY字路となり、左は280号線、右が旧道となります。

街道は右、道を下り、海岸線に沿った道を進むと今別海岸に到着します。

ここからは、左手に竜飛岬、右手に北海道が望めます。

その先の今別川にかかる今別橋を渡ると今別宿に入ります

時刻は13時30分過ぎ、三厩宿まで残り5km程、15時過ぎには到着出来そうです。         歩を進めると、左手に案内板が立てられている民家を見つけたので近づいて見ると、そこは太宰治の小説「津軽」に登場する「Mさん宅跡」のようです。                       太宰治が津軽を訪ねた昭和19年のようなので、当時津軽線は開業していなかったのでバスを利用したようです。 

少し進むと左手に始覚山本覚寺さんが見えます。                        案内板によると「明暦3年(1657年)、安長上人によって開かれた浄土宗の寺で、阿弥陀如来を本尊としています。当寺の第五世住職貞伝上人は、名僧の誉れ高く、地域の産業振興にも尽くした人物。漁師の生活を安じた貞伝上人が、境内の多門天堂に祈願し、経を書いた石を念仏読経とともに、海に投げいれ昆布を根付けさせたといわれ、当地方では、今別昆布は貞伝上人の賜わり物とされており、また、ただ取るだけでなく育てる漁業の先駆者ともいわれております。」 

境内には、今別大仏や青森県重要有形文化財に指定されている全国的にも珍しい青銅塔婆も建立されています。また、太宰治がこちらに立寄った時のエピソードが小説「津軽」書かれています。

こちらにも、大正11年に奉納されたペコちゃん風の狛犬が奉納されていました。  

狛犬は、向かって右が阿像、左が吽像が一般的な配置と思っていましたが、こちらは阿吽像が逆転して配置されています何か理由があるのだろうか? 

街道筋には、きれいな花や草木の実が見られます。                       ノブドウの実。

 

こちらはコトネアスターでしょうか。 

また、アジサイもキレイです

こちらはチコリでしょうか。

先に進むと真宗大谷派の高徳山正行寺さんが左手に見えます。天保3年(1683年)に釈浄閑律師によって開基した寺です。                                     境内には、推定樹齢300年以上と言われる「飛翔の松」(龍が南天に飛翔しているように見えることから)があります。 

しばらく進むと左手に「津軽浜名駅」が見えます。この辺りから津軽線と並行しての街道歩きとなります。また、海岸線にも近く、これまで歩いて来た大泊地区も遠く望めます。 

さらに15分程歩くと今別町浜名から外ヶ浜町三厩の町境となります。外ヶ浜町は、平成17年に蟹田町、平舘村、三厩村が合併して誕生した町ですが、三厩地区は今別町を挟んで蟹田地区・平館地区と飛び地となっています

町境から300m程進むと280号線との合流点となります。風力発電の翼を利用した大きな道路標識はとても見やすく三厩宿に入って行くことを意識させてくれます。

増川川にかかる「あすなろ大橋」の手前を左に入るのが旧道のようです。三厩漁港を右手に見て旧道を進みます。

外ヶ浜町役場支所を過ぎ、左側の高台を見るとお寺が見えます。義経寺です。旧奥州街道の終着としているお寺です。残りは600m程です。 

山門に到着しましたが、最後の試練が待っています。この石段は何段続くのか? 

休み休み石段を登ります。三厩漁港から歩いて来た今別町が一望できます。

やっと仁王門に到着、時刻は15時45分過ぎでした。

義経伝説が残る龍馬山義経寺、津軽三十三観音第19番札所です。                 兄源頼朝に追われた義経は、岩手県平泉高館を後に蝦夷地に逃れようと、この地に辿り着きました。津軽海峡は風が吹き、浪が荒れ狂い渡る事が出来ません。そこで、海辺の大岩の上で所持していた観音像に渡海の祈願をしたところ、白髪の老人が現れ『三頭の龍馬』を授け、無事蝦夷の地に渡る事が出来たと言い伝えられています。

その後、寛文7年(1667年)この地を訪れた僧円空がこの観音像を発見し、自身で彫った観音像の胎内仏とし、観音像を安置するための草庵を結んだのが義経寺の始まりと言われているようです。

仁王門をくぐり、正面の観音堂に、旧奥州街道を無事に完歩できた旨とその感謝を込め参拝しました。その後、境内を散策し長かった街道歩に想いを巡らせました。 

左手に見える本堂です。右手に見えるのは弁財天堂です。                    こちらは明治35年に奉納された狛犬です。

                  本堂です。

こちらは、義経海浜公園方向の景色です。 

義経寺を下り、厩石の見学と松前街道終点の碑を見学します。                         義経伝説の続きとなりますが、義経が翌朝大岩を降りると岩穴には三頭の龍馬が繋がれ、海上は鏡のように静まっていて義経は無事に蝦夷が島に渡ることができたのです。
この三頭の龍馬が繋がれた岩が厩石です。そのような事から、この地を三馬屋(三厩村)と呼ぶようになったそうです。 

村名発祥の地碑。

こちらは、源義経龍神塔と静御前龍神塔です。

松前街道終点之碑。

今日の宿泊は、竜飛岬にある「ホテル龍飛」です。義経寺下のバス停から17時36分発のバスに乗車し30分弱、ホテル前で下車します。

まだ、バスの発車時刻まで1時間30分程あるので、義経寺から見えた海浜公園まで行って見ました。公園からは、甲岩(かぶといわ)が目の前に見えます。義経が安全祈願のために、大切な甲(かぶと)を沈めて海の神にささげたとされる大きな岩です。 

公園を散策しても時間が有るので、バス停近くで時間待ちできる店を探しますが見当たりません。そこで、三厩宿の街道筋をのんびり歩きバスの始発となる三厩駅まで歩く事にしました。

駅は、宿の中心から外れているようで、駅周辺は時間待ちできる場所が無いので、駅舎でバス発車時刻まで待つことになりました。

本日の予定歩行距離26.8km程、歩数計は前日宿泊した「ペンションだいば」を出てから「ホテル龍飛」到着まで45,000歩を示していました。

明日は完歩祝いで、龍飛観光した後、三厩駅から津軽二股駅に行き、奥津軽いまべつ駅で新幹線に乗り換え、新青森駅から五能線を楽しみ深浦駅で下車し夕日を見る予定です。



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旧奥州街道歩き 蓬田宿~平館宿 2018年秋・2日目

2018-11-11 22:34:32 | 街道歩き

 今日は街道歩き2日目です。

天候は好天、昨日に続き快適な街道歩きが期待できそうですが、一つ問題は蟹田宿で津軽線とお別れしなければいけない事です。

今回の街道歩きは、ほぼ国道280号に辿って歩きます。この280号線と並行する形でJR東日本・津軽線が走っているので、何かアクシデントが発生した場合でも、津軽線の駅に辿り着ければ電車を利用する事ができます。
しかし、津軽線は蟹田宿(蟹田駅)から内陸に向かうので、蟹田駅以降は電車の利用ができず、今日の目的地とした平館宿までは何としても自力で歩くしかありません。

今日の街道歩きは、スタートが蓬田宿、打止めが平館宿です。
歩行距離は、蓬田宿から蟹田宿間が8.2km、蟹田宿から平館宿間が13.5km、合わせて21.5kmを予定しています。これまでの経験から、見学しながら、写真を撮りながらでは、1時間で歩く距離は3km程なので、計算では7時間ほど歩かなければいけない事になります。

打止め(宿到着)時間を15時と想定すると、昼食時間など加味すれば蓬田宿を7時にはスタートしたいところです。蓬田宿に停車する電車は蟹田駅始発が5:32で、以降は7:06、9:20発なので、前日投宿の際に朝食時間を6時15分でお願いし、7:06発の電車に乗車し、蓬田宿を7時16分スタートと計画しました。 

宿泊した「中村旅館」さんは街道筋にあるので、なるべく蓬田宿・蟹田宿間は身軽で歩こうと不要な荷物は旅館に預かってもらいました。

蓬田駅から歩き、今日のスタートとなる街道筋に立つと左手に立派なお寺「正法院」さんが見えます。寛文7年(1667年)に木喰僧・円空が、この街道を北上し蝦夷地(北海道)に渡ったそうですが、こちらのお寺にも円空仏「木彫観世音菩薩坐像」が伝わっているようです。 

その先に、二級河川の阿弥陀川が流れていますが、その畔に赤い鳥居が見えてきます。

こちらは稲荷神社です。
今日の朝のルーチンは、稲荷神社での旅の安全祈願となります。こちらの稲荷神社には二組の狛犬が奉納されています。その内の狛犬一対(大正十二年建之)をご覧ください。

  

狛犬の阿像、不二家のペコちゃんのように下をペロッと上向きに出しています。街道歩きではたくさんの狛犬たちを見てきましたが、このような姿は初めて出会いました。

川を渡ると左手が蓬田村役場です。明治22年(1889年)4月1日の町村制施行で蓬田村、長科村、中沢村、阿弥陀川村、郷沢村、瀬辺地村、広瀬村が合併し蓬田村が誕生しました。総面積は80.84平方キロメートル、その約80%が山林のようです。人口は、10月末時点で2,819人、世帯数は1,153世帯です。                    時刻は7時50分過ぎ、小学校のスクールバスが子供たちを乗せて出発するところでした。

蓬田漁港を過ぎ、郷沢駅を過ぎ、村役場から40分弱歩くと玉松海水浴場に隣接した「よもぎた物産館マルシェよもぎた」に到着です。幸い営業時間が8時からなので立ち寄ってみました。  

新鮮な野菜や村の特産品が並べられ、特に看板にもあるように「トマト」が有名のようです。私達もミニトマトを購入し、海を見ながら、トマトを食べながら、暫し休憩しました。
9時過ぎ、街道筋に戻り出発です。

しばらく進むと左手に小さな社があります。これまでも、街道筋にはこのような地蔵尊を祀る小さな社が百万遍石塔と共に何カ所も祀られていますが、集落の境に設けられているような気がします。

瀬辺地駅を過ぎ、津軽線は街道から離れますが蟹田駅に近づくにつれ、海岸線と280号線、津軽線が接近してきます。そんな所に蟹田駅9時20分発の津軽線の上り電車が通過して行きました。

私達は、この間暫く280号線下にある防波堤の上が道路の様になっているので、海を眺めながら歩きました

 10時少し前に蓬田村から旧蟹田町(現外ヶ浜町蟹田)に入りました。

ここから10分程進むと左手に「八幡宮」が見えてきます。

お参りに境内に入ると、こちらにも二対の狛犬が奉納されています。初めに出会う狛犬もユニークで、おかっぱ頭をしているような感じがします。昭和6年奉納とありました。

 

こちらは本殿に近い狛犬です。風化した感じが、可哀そうな、不気味なような、偶然出会った神社関係の方の話では、大正時代に奉納されたもので、冬期に松の枝に積もった雪が解け落ちて狛犬を侵食したとの事でした。

 

参拝を終わり、しばらく進むと蟹田駅入口です。地方の街道歩きで困るはトイレと食事、時になかなか見付ける事ができず困ってしまいます。これまでトイレは、駅か食事を採るお店、運が良ければ寺社でと言った感じです。今回も蟹田駅近くの公衆トイレを利用するため街道筋を少し離れます。

街道に戻る前に、旅館から蟹田駅に向かう途中で見つけた真宗大谷派のお寺「長楽寺」を参拝する事にしました。

その後、「中村旅館」さんに寄り、預かって頂いた荷物を受け取り、リュックの重さに耐えながらの街道歩きが始まります。                                                   蟹田川を渡り、しばらく進むと右手に高い建物が見えてきたので、何だろうと思い建物に向かいました。この建物、「風のまち交流プラザ・トップマスト」と言い、観瀾山公園海水浴場に隣接し地上30mの展望台となっているようです。1階には、蟹田の特産品を販売する売店と津軽と下北を結ぶ陸奥湾フェリーの乗船手続き所があります。一日2往復、蟹田港から脇野沢港間を就航しています。

売店のお姉さんが、展望室まで階段を上ると素晴らしい景色が見えますよと教えてくれたので、覚悟を決め登る事にしました。                                                 実は、階段のステップが格子状で下が見えてしまうので、高所恐怖症に打勝ち上らなければいけないのです。

でも、展望台からの景色は最高です。                                    こちらは、眼下が観瀾山公園海水浴場、遠景は今日の打止めとする平館宿方面です。

こちらは、眼下が蟹田港、遠景は下北半島です。

11時過ぎ、トイレも済ませ街道に戻ります。蟹田塩越地区まで40分程、この辺りは京都・伊根の舟屋のような感じの建物が続きます。

 

国道沿いには、トイレ休憩できる場所が殆んどありませんが、唯一「ゆとりの駐車場」が4~5kmの間隔で設けられているので助かります。そして、待望の「松前街道」と書かれた石柱を見つけ、街道を歩いている実感が湧いて来ました。

 

一段と下北半島が近づいて来たようです。

しばらく進むと平館地区に入ったようです。テトラポットにはカモメ?ウミネコ?が陽を浴び、アザミには遠距離を移動するアサギマダラ?(この時期にこの地域にいるのかなー?)が留まっているので、気付かれないようにパチリ。

 

13時過ぎ、平舘舟岡地区に入ったようです。久須志神社の鳥居がありますが社が全く見えないので、参拝に向かうのをためらってしまいます。

13時30分、平舘今津尻高地区で国道280号線を右に曲がり、今津と書かれている旧道に入って行きます。これまで食堂が見付からず、昼食がわりに蟹田駅近くの物産店で購入したリンゴしか食べていません。ホタテの看板を見て近くに食堂がありホタテを食べる事ができると思ったのですが、残念ながら、この看板は春の街道歩きで通った平内町の「ほたて広場」のものでした。

                    国道280号線は松並木が続いているようです。

分岐から10分ほど歩くと平館今津間沢地区となります。左手に稲荷神社が見えますが、階段を見ると写真だけ撮って参拝はパスします。

さらに10分ほど歩くと平館野田山下地区に入ります。これまでも、たくさん見てきましたが、左手に地蔵堂と百万遍碑があります。やはり、集落の境に造られているようです。

ここから少し進んだ所に「吉田松陰 乗船の場」と書かれた、新しそうな案内板を見つけました。さて、この地からどこに向かったのか? 

時刻は14時30分過ぎ、食堂や食品を購入できるお店が全くありません。あ~腹へった~。仕方なく、先を急ぎ歩いていると湯の沢温泉「ちゃぽらっと」の案内板を発見、スマホで調べてみると日帰り温泉施設で食事もできそうです。そこで、街道から離れ施設に向かいました。                                   ところが、到着してみると何と残酷な事か「本日休館日」とあります。

よく考えて見れば、今日は月曜日、公共施設であれば休みは納得できます。ここでの食事を諦め、今日の宿泊場所「ペンションだいば」近くにある、道の駅「たいらだて」目指し街道に戻ります。                  30分ほど歩くと左手に「平舘神社」の鳥居が見えてきました。

ここから10分ほど歩くと、旧道の両側は松並木が続き、「津軽国定公園」の標識があります。津軽国定公園は、東津軽郡外ヶ浜町(旧平舘村)から西津軽郡深浦町(旧岩崎村)に至る、延長約180キロメートルの海岸部と山岳部、湖沼群等から成り、昭和50年3月31日に指定されました。                           高野崎や竜飛岬、十三湖や屏風山、世界自然遺産に登録されている白神山地や青池で有名な十二湖などが含まれる広範なエリアのようです。

この辺りから、砂防林となっているのか松林が続きます。また、松林の中にはハマギクの群生が見られます。

  

海岸線は平舘海水浴場となっているようです。遠景で見えるのは下北半島です。

しばらく進むと、幕命に寄り津軽藩が外国船の警戒のために造った西洋式台場の土濠跡が扇状に残っています。吉田松陰が、嘉永五年(1852年)3月に、台場と附近の情景を「東北遊日記」に残しているそうです。  

そして、台場跡の隣には国道280号沿いに立つ真っ白な平舘灯台あります。一般的に灯台は岬の突端近くにあるので、国道沿いにあるのは珍しいようです。平舘灯台は、鉄筋コンクリート造高さ23m、灯火標高23mで、明治32年(1899年)に設置され、昭和35年(1960年)に改修され、外壁は白色ペンキ塗り仕上げられています。

                                      今日の宿泊は、この灯台の近くにある「ペンションだいば」です。時刻は16時過ぎ、チェックインには丁度良い時間です。チェックインを済ませましたが、夕暮れにはまだ少し時間が有るので付近を散策しました。付近には、コテージやオートキャンプ場などの施設がある「おだいばオートビレッジ」と目標としていた道の駅「たいらだて」があります。道の駅に寄ってみましたが、残念ながら16時で閉館していました。                       結局、今日の昼食はリンゴだけとなりました。

 

宿に戻る前に、もう一度海を眺めに海岸線向かいました。宿に戻って、夕食時間は早めの18時でお願いし、疲れをとろうとお風呂に向かいました。

 

本日の予定歩行距離21.5km程、歩数計は前日宿泊した中村旅館を出てから39,911歩を示していました。    


 

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旧奥州街道歩き 青森湊宿(青森駅)~蓬田宿(蓬田駅)2018年秋・1日目

2018-11-03 23:33:23 | 街道歩き

10月21日(日)自宅を朝一番の電車に乗り、大宮駅で新幹線に乗り換え、前回打ち止めとした青森湊宿(青森駅)に向け出発です。

平成23年6月8日、日光街道との追分となる宇都宮宿を出発しましたが、平成23年11月11日に発生した東日本大震災と平成25年2月の前立腺がん手術とその後の放射線治療などで中断があり、平成26年4月に再開しました。

その後も台風などによる中断もあり、出発から延べ7年になりますが、今回の街道歩きで終着地の三厩宿に到着する事ができそうです。
私達の街道歩きは夫婦二人です。年2回春と秋のベストシーズンに5~6日間連続で歩き、一日の歩行距離は約25km前後としているので時間がかかるのは止むを得ないところです。

今回の街道歩きは3日間で67km程、予定通り歩くと3日目に終着地の三厩宿に到着します。ゴールした翌日から3日間は観光を予定、4日目は龍飛岬を散策し五能線に乗り深浦で1泊、5日目は十二湖を散策し秋田市で1泊、6日目は秋田市内を観光し帰路に着く予定です。

天気予報は、初日から3日間は好天、4日目は小雨模様でのようですが、5・6日目は好天と天候は味方してくれそうです。福島駅を過ぎると車窓から蔵王連峰(?)が目に入って来ます。                                                

そして、盛岡駅を過ぎると岩手山が綺麗です。        

新青森駅で新幹線から在来線に乗換え、青森駅には予定時刻の10時4分に到着しました。街道歩き開始時のルーチンとなる神社への旅の安全祈願のため、街道を少し戻り善知鳥(うとう)神社に向かいます。

善知鳥(うとう)とは鳥の名前で、青森市は江戸時代まで「うとう村」と呼ばれていたそうです。しかし、今は見かける事が少なくなったようです。
善知鳥神社は、
由緒書きによると大同二年(807年)坂上田村麿の東征の頃再建、御祭神は宗像三女神の多紀理毘売命(タキリヒメノミコト)、多岐都比売命(タギツヒメノミコト)、市寸嶋売命(イツキシマヒメノミコト)です。

境内には、寛永18年に建立されたと言われる「弁才天宮」や「竜神水」をはじめ、見所もたくさんあります。

     

この日は、七五三参りの家族も見られました。
また、後にパンフで、鳥居脇に平成3年に造られた「奥州街道終点記念の碑」がある事を知り、写真に残すことができずガッカリしました。

旅の安全祈願を終え、街道筋に戻ろうとしていると右手に「青森ベイブリッジ」が目に入りました。橋の上から景色を見ようと寄り道です。

     青森ベイブリッジ

こちらは、前回歩いた浅虫温泉方向です。

こちらは、青森駅と青森マリーナです。

青森駅

青森マリーナ

色々寄り道をしてしまったため、街道筋に立ったのは青森駅に到着してから1時間後となってしまいました。
青森駅西口から街道を進むと右手に「青森市森林博物館」が見えてきました。ただ、こちらは記録を残すだけにして先を急ぐ事にします。

青森市森林博物館

今回の街道歩きは、右手に陸奥湾を見ながら国道280号線(松前街道)をひたすら歩くことになります。峠越えもなく熊の出没も無く、アップダウンも少なく、ただこれまでと比べ街道筋の見所が少ない感じがします。

旧奥州街道の終着地には色々な説があるようです。日本橋から一番近い所は福島県の白河宿(白河の関所)、その他に福島宿、盛岡宿、青森宿、油川宿などあるようでますが、私達は江戸時代に松前藩が参勤交代で利用した街道の本州最北端の三厩宿を終着と決めました。

国道280号線を進み、新青森市森林博物館から歩く事30分程、新城川を渡ると油川宿に入ったようです。新城川から10分程進むと右手に案内板を見つけました。そこには「イタリア館」とあり、旧油川村に移住したイタリア人ジュセップ・ファブリーが1918年に建築したイワシの缶詰工場の事務所兼邸宅があった場所のようです

しばらく進むと左手に明誓寺さんと浄満寺さんが見えてきます。明誓寺

浄満寺

浄満寺さんには、弘前藩の奉行で「青森開港の祖」と言われる森山弥七郎の供養碑があります。

時刻は12時30分過ぎ、近くにあった「まこと寿司」に入り、ランチの握り寿司を食べ一休みしました。寿司店から少し進むと右手に立派な建物が見えてきます。こちらは、明治11年創業の西田酒造店で田酒・喜久泉の醸造元です。

こちらの立派な建物の近くに「羽州街道 松前街道合流の地」の案内板と石柱があります。奥州街道歩きで、福島県の桑折宿を歩いていた時に羽州街道との分岐を通ってきましたが、当時この油川宿で合流する事になるとは思っても居ませんでした。

街道(国道)歩きが飽きてくると、陸奥湾側に沿って続く狭い道を歩いたりし気分転換をしました。好天なので海がとても綺麗です。
青森市方向)

(下北半島方向)

油川宿から本日の打ち止め予定としている蓬田宿までは14㎞弱の距離です。蓬田宿には宿泊施設がない為、次の蟹田宿に宿を確保しています。蓬田宿と蟹田宿の間は8㎞強の距離があるので、津軽線・蓬田駅から電車に乗り蟹田駅で下車し宿に向かう予定です。

また、油川宿(油川駅)と蓬田宿(蓬田駅)間には、津軽線の駅が5駅(津軽宮田駅、奥内駅、左堰駅、後潟駅、中沢駅)あり、各駅間は2㎞程なので30分が目安となります。
時刻は
13時30分過ぎ、日没の17時過ぎまでには残り3時間30分程、残りの14㎞を考えるとそれほど余裕はありません。

しばらく進むと、気になっていた花をまた見つけたので撮る事に、この間の街道歩きでよく見かけました。マーガレットのような白い花ですが、良く見ると葉の形が違っています。                                   気になって、街道歩きから戻って調べてみるとハマギク(浜菊)のようです。このハマギク、関東以北、茨城から青森にかけての太平洋沿岸に自生しているようです。 

280号線を歩くこと2時間、津軽宮田駅、奥内駅、左堰駅を通過し15時30分頃、六枚橋と言う地域に入ったところで、右手に立派な松の木が見えてきました。                                   こちらの松は、龍が天に昇る姿に似ているため「昇龍の松」と呼ばれ、樹齢500年とも言われているようです。

松前藩の参勤交代の際、先祖が宿を提供したお礼として松前公から盆栽の黒松を賜り、その黒松を庭に植え替えたものと伝えられているそうです。

後潟駅を通過したところで、また陸奥湾を眺めに海岸沿いの細い道を歩く事にしました。 青森市方向) (下北半島方向)                

下北半島が少し大きくなってきたようです。                                   時刻は16時過ぎ、中沢駅を通過すると青森市から蓬田村に入ります。 

蓬田駅発17時10分の電車に乗らないと、次の電車迄1時間程待たなければいけません。残りの距離が2㎞程なので、電車に間に合う事を確信し少し歩くスピードを緩めました。

蓬田駅に到着、今日の街道歩きはここで打ち止めです。                            本日の予定歩行距離19km程、歩数計は、自宅を出てから35,306歩を示していました。        






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