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気ままに出かけて 写真に残る植物や風景etcを 備忘録として足跡に残しています。

長野県流域下水道(その2)犀川安曇野流域下水道

2019-03-28 22:06:00 | マンホール蓋

長野県内には、複数の市町村区域の下水処理を行う流域下水道事業が、諏訪湖流域下水道、千曲川流域下水道(上流処理区)、千曲川流域下水道(下流処理区)、犀川安曇野流域下水道の4ヶ所にあります。

各流域下水道に係わる市町村は以下の通りです。
1.諏訪湖流域下水道:岡谷市、諏訪市、茅野市、下諏訪町、富士見町、立科町、原村
2.千曲川流域下水道(上流処理区):長野市、千曲市、坂城町
3.千曲川流域下水道(下流処理区):長野市、須坂市、小布施町、高山村
4.犀川安曇野流域下水道:松本市(旧梓川村)、安曇野市(旧豊科町、旧穂高町、旧三郷村、旧堀金村)

詳しくは、下記の長野県HPをご覧ください。
https://www.pref.nagano.lg.jp/infra/suido-denki/gesuido/ryuiki.html

犀川安曇野流域下水道の終末処理場は、安曇野市豊科地区の犀川近くにあります。
安曇野終末処理場(愛称:アクアピア安曇野)は、平成3年度に旧豊科町、旧穂高町、旧梓川村、旧三郷村、旧堀金村の5町村を計画区域として事業着手し、平成9年12月1日に一部供用開始をしました。

背景に、安曇野は松本市のベットタウンとして急激な人口の増加や生活環境の質的向上による公共用水域の汚濁負荷が懸念され、生活環境の改善と合わせて取り組まれたようです
詳しくは、こちらをご覧ください。
https://www.pref.nagano.lg.jp/seikatsuhaisui/infra/suido-denki/gesuido/saigawazumino.html

平成29年7月、長野旅行に出かけた際にマンホールカードを頂くために、配布している安曇野終末処理場(愛称:アクアピア安曇野)に立寄りました。

安曇野終末処理場を入ると左手に、流域下水道を利用する市町村のカラーマンホール蓋が展示されています。
左は旧堀金村、右は旧三郷村の蓋です。
  
左は旧梓川村、右は旧穂高町の蓋です。
 
左は旧豊科町、右は犀川安曇野流域下水の蓋です。
 

事務所内に入るとこちらにもカラーの展示マンホール蓋がありました。

こちらでは、平成28年12月1日に第3弾としてマンホールカードの配布を始めました。
そして、頂戴したマンホールカードはこちらです。
 
カード裏面のデザインの由来は以下の通りです。
安曇野には500体を超える道祖神が祀られており、様々な場所で私たちの暮らしを見守っています。 本デザイン蓋は、その道祖神を描いたもの。 背景には、日本百名山のひとつ常念岳とその麓に広がる田園風景をデザインし、安曇野の「水の郷」を未来永劫引き継ぐ願いを込めました。 犀川安曇野流域下水道事業は、流域2市(安曇野市、松本市)の下水を集めて処理する長野県の事業であり、市のマンホール蓋と区別するため「犀川 安曇野」と記載しています。 このデザイン蓋は流域のいたるところで使われていますが、カラー版は少なく、見つけたカップルは幸せになれると言われています。

処理場の敷地内にもマンホール蓋が設置されています。
こちらは、枠付きのカラー蓋です。

こちらは、ノンカラー蓋です。
この日は、小雨模様だったのでマンホール蓋が濡れ光って写ってしまいました。

旧豊科町のカラー蓋も設置されていました。

最後は、マンホールカードに印刷されているマンホール蓋で、安曇野スイス村サンモリッツ前の県道310号線に設置されています。

こちらは、安曇野スイス村の建物です。

以上で、犀川安曇野流域下水の整理を終了します。

 

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長野県流域下水道(その1)諏訪湖流域下水道

2019-03-27 21:49:18 | マンホール蓋

長野県内には、複数の市町村区域の下水処理を行う流域下水道事業が、諏訪湖流域下水道、千曲川流域下水道(上流処理区)、千曲川流域下水道(下流処理区)、犀川安曇野流域下水道の4ヶ所にあります。

各流域下水道に係わる市町村は以下の通りです。
1.
諏訪湖流域下水道:岡谷市、諏訪市、茅野市、下諏訪町、富士見町、立科町、原村
2.千曲川流域下水道(上流処理区):長野市、千曲市、坂城町
3.千曲川流域下水道(下流処理区):長野市、須坂市、小布施町、高山村
4.犀川安曇野流域下水道松本市(旧梓川村)、安曇野市(旧豊科町、旧穂高町、旧三郷村、旧堀金村)

詳しくは、下記の長野県HPをご覧ください。
https://www.pref.nagano.lg.jp/infra/suido-denki/gesuido/ryuiki.html

諏訪湖流域下水道の終末処理場は、諏訪市豊田地区の諏訪湖畔にあります。
豊田終末処理場(クリーンレイク諏訪)は、県下初の流域下水道として昭和46年度に事業着手し、昭和54年10月1日に一部供用開始をしました。当初は、岡谷市、諏訪市、茅野市、下諏訪町を計画区域としてスタートしましたが、その後、原村、富士見町、立科町を計画区域に加え、現在、諏訪地方のほぼ一円をカバーしています。

背景には、高度経済成長の著しい昭和30年代後半頃から、諏訪湖周辺地域の発展や生活様式の変化に伴い、湖の富栄養化による水質汚濁が急速に進んだ事があったようです。
詳しくは、こちらご覧ください。
https://www.pref.nagano.lg.jp/seikatsuhaisui/infra/suido-denki/gesuido/suwako/index.html

平成28年7月、長野旅行に出かけた際にマンホールカードを頂くために、配布している豊田終末処理場(クリーンレイク諏訪)に立寄りました。

田終末処理場(クリーンレイク諏訪)の門柱下部には、流域下水道を利用する市町村のカラーマンホール蓋が展示されています。

左は岡谷市、右は諏訪市の蓋です。
 
左は茅野市、右は下諏訪町の蓋です。
 
左は富士見町、右は原村の蓋です。
 

もう一方の壁面には、諏訪湖流域下水道のカラーマンホール蓋が設置されていました。

門をくぐり、事務所内に入るとこちらにもカラーの展示マンホール蓋がありました。


こちらでは、平成28年4月1日に第1弾としてマンホールカードの配布を始めました。
そして、頂戴したマンホールカードはこちらです。
 
カード裏面のデザインの由来は以下の通りです。
諏訪地域に伝わる7年に1度の天下の大祭、信州諏訪・御柱祭がデザインされています。諏訪大社の社殿の四隅に4本の御柱を建てる「建御柱」の様子が描かれており、ここで、奥山から曳行されてきたモミの大木は御神木になると云われています。このデザインのマンホール蓋にはカラーのものと無色のものとがありますが、カラー版は主に歩道に設置しています。諏訪湖流域下水道事業は流域内7市町村からの下水を集約して処理している長野県の事業です。そのため上部には「諏訪湖流域」と明記して市町村の設置する流域関連公共下水道のマンホール蓋と区別しています。

処理場の敷地内にもマンホール蓋が設置されています。
こちらは、枠付きのカラー蓋です。

こちらは、ノンカラー蓋です。
 
こちらは、枠付きの蓋です。

こちらは、120cm径?の親子蓋です。

最後は、中央に長野県の県章が入ったスリップ防止模様の蓋です。

以上で、諏訪湖流域下水道の整理を終了します。





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長野県安曇野市のマンホール蓋(その4)旧南安曇郡豊科町

2019-03-26 05:46:43 | マンホール蓋

旧豊科町は、大正4年4月1日 に豊科村が町制施行して豊科町が誕生しました。その後、昭和30年1月15日に南穂高村、高家村及び東筑摩郡上川手村の一部と合併し新たな豊科町となります。そして、17年10月1日に穂高町、堀金村、三郷村、明科町と合併し安曇野市が誕生した事により旧豊科町は消滅しました。

旧豊科町は、長野県の中西部に位置し、面積は39.11平方キロメートル、松本市、穂高町、堀金村、三郷村明科町と接していました。人口は、平成17年9月1日時点で2.7万人強でした。

町章は、豊科町の「トヨ」を図案化したもののようです。(昭和6年2月1日制定)

私は旧豊科町に、2019年春のJR青春18切符を利用し3月12日から1泊で松本方面に旅行した際と、平成29年7月にマンホールカードを頂くために安曇野終末処理場(愛称:アクアピア安曇野)に立寄った時と二度訪問しています。

前置きはここまでとし、マンホール蓋の整理に入ります。
最初は、北アルプスの山並みと犀川に訪れるハクチョウをデザインしたカラーデザインマンホール蓋です。

駅前の大通りの歩道に設置されていました。

こちらは、枠付きのノンカラー蓋です。

こちらは、親子蓋です。
小雨が降っていた為に水が少し浮いてきているのできれいに撮る事が出来ませんでした。

一般的に見られる規格模様と呼ばれるマンホール蓋は見つける事が出来ませんでした。

以下は、ハンドホール蓋になります。
こちらは、上記と同じデザインの蓋です。
 

以下は、上水道関係の蓋になりますが、旧豊科町を表す表示が付いている蓋は見付かりませんでした。
こちらは、消火栓の蓋です。

唯一、防火貯水槽の蓋で旧豊科町の町章が付いているものを見付ける事が出来ました。

以上で、旧豊科町のマンホール蓋の整理を終了します。




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長野県東筑摩郡朝日村のマンホール蓋

2019-03-21 14:44:11 | マンホール蓋

朝日村の沿革は、明治7年10月25日に筑摩県筑摩郡の針尾村、小野沢村、古見村、西洗馬村が合併して山本村となる。その後、明治9年8月21日に長野県の所属となり、明治16年2月16日に山本村が分割して針尾村、小野沢村、古見村、西洗馬村となります。そして、明治22年5月1日町村制施行により再び小野沢村、針尾村、古見村、西洗馬村が合併し朝日村が発足、現在に至っています。

朝日村は、本州のほぼ中央、長野県松本平の西南端に位置し、東は塩尻市、北は松本市、山形村、西は松本市、南に木祖村と境を接しています。
東西15.84キロメートル、南北9.89キロメートル、面積は70.63平方キロメートル、平成31年3月1日現在で人口は4.5千人強、世帯数は1.5千世帯となっています。面積の約87%を山林で占め、平坦地の標高は740mから900mに展開していて、日本の屋根といわれる北アルプスと中央アルプスの接点に位置する鉢盛山(2,447m)を背にして、北東面に緩やかに傾斜しつつ扇状に台地が広がり、住居地・耕地をなしています。

村章は、朝日村の頭文字の「ア」を図案化したもので、円は朝日太陽を示し、朝日村の躍進を表します。これは朝日村の清い流れと緑につつまれた自然と村民の団結により力強く躍進発展する姿を象徴するものです。 (昭和47年9月10日制定)

村の花は「カタクリ」、村の木は「アカマツ」です。(以上は、朝日村HPより)

2019年春のJR青春18切符を利用し、3月12日から1泊で松本方面に旅行した際に訪問しました。12日山形村を訪問した際に足を延ばし朝日村を目指しました。当初は、山形村と朝日村間を結ぶ公共機関がない為に歩く予定でしたが、時間の関係で山形村役場からタクシーで向う事にしました。

前置きはここまでとし、マンホール蓋の整理に入ります。
大町市は、平成31年12月14日に第9弾としてマンホールカードの配布を始めました。
 
カード裏面のデザインの由来は以下の通りです。
村花の「カタクリの花」と村天然記念物に指定されている「ヒメギフチョウ」をデザインしたマンホールです。 カタクリは球根を植えてから花が咲くまでに7年かかると言われます。 春の数日間だけ見る事ができる、小さなはかないその美しさから「春の妖精」とも呼ばれる花です。 村の天然記念物に指定されているヒメギフチョウは里山に多い蝶で、晴れた日のみ活動するところから「春の女神」とも呼ばれる蝶です。 共に【豊かな日本の田舎】である朝日村をイメージしています。 豊かな水源に恵まれた朝日村では、貴重な動植物の自生地・生息域の保護に力を入れています。

カードに記載されている座標は、村の下水処理場 (ピュアライン朝日) に展示されている カラーマンホールの座標のようです。私が朝日村を訪問した時は、朝日村の新役場庁舎完成に伴う役場機能移転(集約) などにより、一般の方の立ち入りができないようで、朝日村農業者トレーニングセンター入り口に設置されている展示用 (撮影用)マンホール蓋を撮りました。

実際に設置されているカラー蓋はないようです。
こちらは、ノンカラーのマンホール蓋です。

こちらは、親子蓋です。

一般的に見られる規格模様と呼ばれるマンホール蓋は見つける事が出来ませんでした。

以下は、ハンドホール蓋になります。
 
私は、戻りの交通機関として村営バス広丘線に乗車し篠ノ井線の広丘駅に出ました。車中から景色を眺めていると、村の中心は公民館や役場のある高台から下り、県道292号線と交わる辺りからのようです。
ハンドホールのデザイン蓋は、公民館から下り県道292号線に出る間に車中から幾つか見る事が出来ましたが、バスは頻繁に出ていないので諦めるしかありません。
民家の多い県道292号線沿いを時間をかけて歩けば、もう少し色々なタイプの蓋と出会う事が出来たのかも知れません。

以下は、上水道関係の蓋です。
朝日村の上水道の歴史は朝日村簡易水道事業経営戦略によると以下の様に説明されています。
朝日村簡易水道の前身である西洗馬水道が昭和 29 年に創設され、昭和 37 年に古見水道を統合し朝日村簡易水道の認可を受けました。昭和 42 年には、針尾、小野沢地区の一部を拡張し、昭和 54 年には大石原簡易水道と統合する変更認可を受けました。平成 23 年に御馬越簡易水道事業を朝日村簡易水道事業に統合して、計画給水人口 4,870 人、計画一日最大給水量 2,310 立方メートル/日の変更認可を受けて現在に至っています。

ならば、朝日村の印が入ったを見付ける事が出来るかも知れないと探しましたが、役場から公民館の範囲では見付ける事が出来ませんでした。
見付けたのは、中央に松本市の市章がある仕切弁の蓋と良くある「水」マークの空気弁蓋でした。 

こちらは、中央に「農」の文字が入る空気弁蓋ですが、農業用水用のものでしょうか。

こちらは、村役場敷地内に設置されていたグレーチング蓋です。中央に「浸透」の文字があるので、雨水浸透桝の蓋なのかも知れません。このようなグレーチング模様は初めて見ました

以上で、東筑摩郡朝日村のマンホール蓋の整理を終了します。


 
 

 

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長野県東筑摩郡山形村のマンホール蓋

2019-03-18 20:18:50 | マンホール蓋

山形村の沿革は、明治7年10月25日に筑摩県筑摩郡の大池村、小坂村、竹田村が合併して山形村が誕生します。その後、明治9年8月21日に長野県の所属となり、明治22年4月1日町村制施行により山形村となり現在に至っています。

山形村は、長野県のほぼ中央部、松本市の南西に位置し、東西8.5キロメートル、南北4.7キロメートル、総面積24.98平方キロメートル、平成31年3月1日現在で人口は8.7千人強、世帯数は3.0千世帯強です。 
村の西部は山地と集落、東部には肥沃な農地が広がります。豊かな自然と、肥沃な大地に抱かれ 永い歴史と先人の英知によって築かれた 教育と文化の伝統ある村です。 

村章は、山形「やまがた」の「や」を図案化したもので、平和で限りなく躍進する村の姿勢をあらしています 。昭和47年1月20日制定)

村の花は「サツキ」、村の木は「イチイ」です。(以上は、山形村HPより)

2019年春のJR青春18切符を利用し、3月12日から1泊で松本方面に旅行した際に訪問しました。12日篠ノ井線・村井駅で下車し、村井駅発10時59分の「アイシティー21」行きの西部地域コミュニティーバスに乗車、役場の一つ前のバス停・山形診療所前で下車し、山形村役場まで歩きました
こちらは、途中で見つけた山形小学校ですが、正面の大きな木は枝垂れ桜の木のようです。満開の時期に見てみたいですね。

前置きはここまでとし、マンホール蓋の整理に入ります。
最初はカラーマンホール蓋です。
山形村役場手前の道路脇のモニュメントのような大きな構造物の下部に展示されていました。モニュメントの上部には「美しく輝け!愛しき水たちよ! 特定環境保全公共下水道事業」と書かれています。
  
こちらの特定環境保全公共下水道のマンホール蓋には、村の木「イチイ」と村の花「サツキ」がデザインされています。

ノンカラー蓋は、バス停・山形診療所前から山形村役場の間に見る事が出来ました。

こちらは、親子蓋です。

こちらは、ハンドホールのデザイン蓋です。
 
滞在時間が短かった事もあり、規格模様の蓋やスリップ防止模様の蓋は見つける事が出来ませんでした。

以下は、上水道関係の蓋となります。
こちらは、仕切弁の蓋です。
中央上部に市章があります。
 

こちらは、空気弁の蓋です。

こちらは、流量調整弁の蓋ですが、残念ながら山形村を示すマークなどは有りません。

以上で、東筑摩郡山形村のマンホール蓋の整理を終了します。

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